33. 悪因悪果の実 12
リリアナとライリーは雑談も交えつつ、最近得た情報を交換していく。ライリーはリリアナの表情を窺いながら、ずっと気になっていたのだと言いたげにその話題を口に出した。
「ベン・ドラコ殿がサーシャに渡した魔道具はどうなったのかな」
ライリーの問いに、リリアナは目を瞬かせる。尋ねられるとは正直あまり思っていなかった。正直に答えるか誤魔化すか考えるが、もし嘘をついて持って来いと言われたら面倒だ。リリアナは諦めて本当のところを話すことにした。
「体調も宜しいですし、美しいものでしたから――壊すのも勿体ないと思いましたの」
「なるほど、体から外して保管してあるんだね」
直接的には言わなかったが、ライリーはあっさりと理解した。リリアナを責めることもなく、ただ受け入れる。しかし何も思わなかったというわけではなく、ライリーは少し心配そうに付け加えた。
「体調が悪くなったら、あの魔道具を身に付けてくれ。多少はマシになるかもしれない。ああ、勿論その後はちゃんとベン殿に連絡を取るんだよ」
「ええ、そう善処致しますわ」
リリアナは素直に頷いた。本気でライリーの言う通りにするかは分からない。そもそも彼女は秘密裏に魔力制御の方法をアジュライトから教わっている。制御が上手くなればベンに頼ることはおろか魔道具を使うこともないだろう。
ライリーはリリアナの返答を心から信じたようには見えなかった。その証拠に、物言いたげな視線をリリアナに向ける。しかしリリアナが微笑んでみせると、諦めたように小さく嘆息し、それ以上言及することもせずに話題を変えた。
「そうだ、それから一つ貴方に伝えておいた方が良いと思う話があるんだ」
「話したいこと、でございますか」
「そう。魔導省の前長官に関することだよ」
その言葉に、リリアナは小さく息を飲む。だが、すぐに呪殺の詳細をペトラが調査しに行っていたことを思い出した。わずかに居住まいを正してライリーに問う。
「ペトラ様から、調査結果のご報告があったのでしょうか」
「そう。やはりあれは呪殺で間違いがなかった。それも“隷属の呪い”――についてはどこまで知っている?」
ライリーの質問に、リリアナは苦笑しそうになるのを堪えた。彼女の婚約者候補として長年傍にいたライリーは、リリアナが“隷属の呪い”についてもある程度は知っているはずだと踏んでいるのだ。本来であれば禁呪に指定されている呪術をどの程度知っているのか尋ねることはしない。その存在を知っているかどうか、訊くはずだ。
ここで知らない振りをするのも逆にライリーの不審を煽るだけだと、リリアナはある程度は素直に答えることにした。
「基本的なことは存じておりますわ。禁呪であること、その名の通り他者をその生死も含めて支配する術であること。その程度ですけれど」
「十分だよ。普通、知っている者でもその程度しか把握していないからね」
リリアナの答えを聞いたライリーは真面目な顔で頷く。
“その程度の認識”とリリアナは謙遜しているものの、そもそも彼女の年齢と立場で知っていること自体が異例である。禁呪として取り扱われ焚書の対象ともなった術だからこそ、基本的に存在自体知られていない術だ。王族に連なる血筋の者でも知る者は少ない。知っている者は高位貴族の当主だけ、それも彼らが把握しているのは“他人を隷属させる呪い”という程度だった。
当然王太子教育にも含まれていないのだから、ライリーは自ら王宮に保管されている禁書を読んだに違いない。クライドは次期公爵家当主だから知っていてもおかしな話ではない。
「ミューリュライネン殿は元々、東方の血を継いでいるからね。呪術に関してはこの国の誰よりも造詣が深い。だから彼女に解析を頼んだ、わけだけど」
そこでライリーは言葉を切る。どこから説明しているか、悩んでいるようでもあった。少しの沈黙が続いた後、ようやく彼は口を開く。
「隷属の呪い自体はかなり昔に施されたものだったらしい。具体的な時期は分からないが、短くとも七、八年前。東方の呪術に流れを汲んだものではあったけど、要所要所に西方魔術が組み込んであったそうだ」
「――つまり、“隷属の呪い”を施した何者かは、東方から得た呪術を改良したということでしょうか」
「恐らくは。もしくは、東方から得た呪術を使っても効果が見られなかったから、実効性を持たせるために理解しやすい西方魔術を組み込んだか。そのどちらかだろう」
いずれにせよ、ニコラス・バーグソン元魔導省長官に“隷属の呪い”を掛けた人物は優秀な魔導士に違いない。
難しい顔で考え込むリリアナを眺めながら、ライリーは静かに、しかしはっきりとペトラから聞いた報告を口にしていた。
「“隷属の呪い”とは即ち他者の意志を奪い思いのまま操るものだ。しかしバーグソン本人の意志はあったように見えた。バーグソンの中で“隷属の呪い”を掛けた者の意図と彼自身の野心は殆ど同じものだったのではないかと推測されるようだ」
“隷属の呪い”は他者の意志を奪うものではあるものの、感情までもなくすことは出来ない。そのため、術者の意図に反発する者が術に掛かれば、命令により起こす行動に対して心理的葛藤を覚え、最終的には心が壊れる。そうなると殆どの場合、術を掛けられたものは“使い物にならなくなる”という。
「たとえば、最初はとある人物を殺せと命じれば自分でその手段を考えることができる。しかし、術を施された側の心理的な葛藤が強くなればなるほど、一から十まで方法を伝えないと目標を達成できなくなる。しかしバーグソンは最期まで自分の意志で行動していた」
「でしたら“隷属の呪い”も、当初はバーグソン元長官と術者の間で同意があったのかもしれませんわね」
「その可能性は高いだろうね」
リリアナの指摘にライリーは苦々しく頷いた。
もしかしたら、その時のバーグソンは“隷属の呪い”の存在自体知らなかったのかもしれない。もしくは術者に上手く言いくるめられて、バーグソンの生殺与奪権が術者の手に渡ることはないと思わせられたのかもしれない。
しかし、そうはいってもバーグソンの意志が術者の意図と同じだったのであれば、一つの可能性が浮上して来る。リリアナは脳裏に浮かんだ一つの推測を口にしようとライリーに視線を戻した。
「その術者が分かりましたら、陛下の暗殺を企んだ黒幕も特定できませんかしら」
「うん、確かにそれは私も考えた」
どうやらライリーはリリアナと同じ結論を導き出していたらしい。しかし、彼の表情は晴れなかった。一体どうしたのかとリリアナがライリーの様子を窺っていると、彼は苦り切った声で打ち明ける。
「西方魔術が組み込まれているということは、術者の名前も術の中に組み込まれているということだ。勿論、ミューリュライネン殿はその可能性を考えて術を解析した――が」
もしかして名前が組み込まれていなかったのだろうか、とリリアナは内心で首を傾げる。しかし名前を組み込まずに術を作り上げられるのであれば、その術者は東方呪術の形でも十分に効果を発揮させられるはずだ。
そして、無言で続きを促すリリアナに、ライリーは溜息混じりにペトラの言葉を伝えた。
「“プルフラス”――そう記述されていたらしい」
リリアナは絶句した。その名前はリリアナも知っている。ただし前世の記憶にある乙女ゲームには出て来なかった。この国では伝承の中に、ごく稀に見られる名前だ。しかし基本的には酷く恐れられており、極力名を残したくないと考えられて来たせいか、かなり認知度は低い。恐らくプルフラスだろうと思われる人物が出てくる伝承でも、直接名前は描かれず、熊に似た魔物を従えた異形の獅子として表現される。
そんなリリアナの反応を眺めていたライリーは、わずかに目を細める。そして小さく首を傾げて「知っているかな」と尋ねた。
「この国では有名ではないけれど、でも隣国の書物にはそれなりに記載があるそうだ。プルフラスはユナティアン皇国を建国した初代皇帝の部下と言われている」
ユナティアン皇国の初代皇帝は、皇国では英雄だがスリベグランディア王国では魔王だと言われている。即ち、皇国では立国の立役者として扱われているから名前が残っているのだろう。しかしスリベグランディア王国では魔王の配下、即ち魔族の一人だ。
「ちなみに、我が国でも禁書の扱いではあるが、詳しく記載されている書物を一冊だけ読んだことがある」
リリアナが黙っていると、ライリーは淡々と言葉を続けた。
「プルフラスはユナティアン皇国の立国に際し、戦の先鋒を担った戦闘狂だ。軍神とも呼ばれるほど武芸に秀でていて、更には冷血な男だったと書かれていた。そして皇国――当時は帝国だったが、帝国が建国された後、プルフラスはその功績を認められて公爵に任ぜられ、富んだ一地域を公国として任せられたそうだ」
「その男が――生きているということでしょうか」
プルフラスが生きていたとされる時代は遥か数千年前とされている。まさかそんなことはあり得ないと思いながらも、恐る恐るリリアナは尋ねたが、ライリーは首を振った。
「いや、プルフラスの墓が隣国にあるそうだ。恐らく死んだと考えて良いだろう。だが、彼の名を使った者がいるということは確かじゃないかな。何故プルフラスの名を使うようなことをしたのかは理解できないが」
「――あまり、良い気持ちではございませんわね」
「全くだ」
複雑な表情でライリーも頷く。
魔術を使い名前を術式に刻み込む時、その刻み込む名前は術者を示すものでなければならない。術者が本名を使うのは、本名が術者の心身に一番馴染んでいるからだ。
しかし、バーグソンに掛けられた呪術に組み込まれた名前は、決してこの国では付けられることのない名前だった。勿論隣国でもプルフラスの名を子供に付ける親はいない。彼らにとってプルフラスは英雄であると同時に、決して侵してはならない神聖な存在でもあった。
つまり、術者はプルフラスの名を自身を違いなく示すものとして心身が認識するほど、その名を使い続けているということになる。それは、その術者がいずれ知られてはならない呪術に手を出すと確信し、長年かけて計画を立てて来たという証拠だ。
「バーグソン元長官に呪術が掛けられたのが七、八年前ということですから、何者かが陛下の暗殺を企てていたのは、更にその数年前ということになるのでしょうか」
「人の心身に名が馴染むのは、最低でも五年は掛かるということだよ。“隷属の呪い”のように強力な呪術を使うのであれば、十年程度は必要だとミューリュライネン殿は言っていた」
リリアナは眉根を寄せた。少なくとも十二年前、長ければ二十年近く前から国王の暗殺は企てられていたのだ。まだその頃は先代国王も存命で辣腕を振るっていた。王国でも未だ忘れられることのない政変が起こったのも二十三年前のことである。
「まだ陛下が王子殿下であられた頃から、計画は立てられていたということでしょうか」
「そういうことになる」
ライリーの顔もリリアナと同じく晴れない。はっきりと口にはしないが、父親が長年悪意に晒されていたということが分かったのだ。
先代国王は死の間際まで次代の王を誰にするか言及しなかった。今わの際になって、顧問会議の代表者数名がホレイシオを国王に任ぜられる宸襟はおありかと聖断を迫りようやく頷いたのだ。
時の国王と王妃の間に出来た男はホレイシオだけだったため、王位継承の争いもそれほど活発ではなかったらしい。それにも関わらず、ホレイシオを殺害しようという計略が長年に渡って続いていたということになる。
暫く沈思黙考していたリリアナは、おもむろに考えを声に乗せた。
「少なくとも、その何者かはスリベグランディア王国自体を消し去ろうと考えたのではございませんのね」
驚いたようにライリーは目を丸くする。リリアナの言葉を受けて少し考えていたが、すぐに「確かにそうだね」と頷いた。
「そう考えるのが順当そうだ。王国の外形は残して、内側だけを入れ替える。そのための計画だと言われると納得できるね」
そして、その計画は今なお続いている。
最初、リリアナはバーグソン元長官に“隷属の呪い”を掛けたのは父親ではないかと疑った。しかしそれが正しければ、リリアナが殺した父親が生きていることになる。死して生き返ることなど、禁術に頼っても不可能なはずだ。
(あの時――わたくしは、お父様が誰にも“隷属の呪い”を教えることはないはずと考えた)
だが、もし父親が優秀な魔導士に“隷属の呪い”の研究を命じていたのだとすれば。恐らくそれはバーグソン元長官ではない。もしバーグソンが“隷属の呪い”を研究していたのなら、自身にその術を掛けるはずがない。
(お父様に“隷属の呪い”を教えた魔導士が、バーグソンに呪いをかけたのではないかしら)
そしてその魔導士はまだ姿を隠して生きている。プルフラスの名をその身と心に刻み込み、何食わぬ顔で生活しているに違いない。
(王国を乗っ取ろうと企んでいるのであれば、恐らくは大公派に与する貴族でございましょう)
ライリーを支持する貴族たちは、彼の手腕に期待している。リリアナがまだ婚約者候補であった頃は、まだライリーの能力に不信感を抱く貴族も多かった。しかし今や彼は優秀な次期国王として俎上に乗ることが殆どで、無能だとか毒にも薬にもならないと言った噂は一切出て来ない。
一方、王国の権力を好き勝手にしたいと企む貴族たちはほぼ大公派だ。フランクリン大公であれば簡単に御せると考えているのだろう。
「サーシャ? 何を考えている?」
無言で考えに没頭していたリリアナに、ライリーが声を掛ける。だから、リリアナは嫣然と微笑んでみせた。
「大したことではございませんわ。プルフラスとは、一体どこのどなたかしらと考えておりましたの」
ですが見当もつきませんわね――と。リリアナは何食わぬ顔で、残り少なくなった紅茶を飲み干した。









