33. 悪因悪果の実 11
魔導省の講堂に集められた魔導士たちは皆一様に緊張を隠せなかった。副長官であるソーン・グリードもその一人である。だが、彼の場合は少々趣が違った。
席に座った魔導士たちが声を潜めて噂し合っている。
「――バーグソン長官が罷免になって、次の長官の任命がされるって聞いたけど本当か?」
「俺もそう聞いた。順当に行けば副長官が長官になるだろうけど、どうだろうな」
ソーン・グリードは副長官用の席に腰かけ、魔導士たちの噂話を聞くともなしに聞きながら、空いている長官席に目をやった。長官席はこの講堂で一番豪華な飾り付けがされていて、場所も一段高い。今ソーンが腰かけている副長官席も一般席よりも高い場所にあって豪華だが、長官席には劣る。
あの席がじきに自分のものになるのだと思えば、気分が高揚していくのを抑えられなかった。しかし表面上は平静を装う。そんなソーンを遠目に眺めている魔導士たちが「さすが副長官だ」と感心しているのだと思えば、更に気分が良い。
暫くすると、講堂は魔導士たちで一杯になる。更にそこから少しして、講堂の扉が閉められた。その直前に次々と王立騎士団の制服を着た騎士たちが講堂の中に入って来る。荒事に慣れていない魔導士たちは、皆一様に顔を見合わせてざわついた。ソーンもまた一瞬腰を浮かせかける。
これまでも長官や副長官を任命する際に、講堂を使うことはあった。しかしその時も騎士団が物々しく入って来ることなどなかったのだ。疑問に思ったが、その謎はやがて解けた。
壇上に姿を現したのは、近衛騎士を二人従えた王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードだった。その後ろに、もう一人端整な顔立ちの若者が付き従っている。身なりからして高位貴族の一人だろうことが分かった。
「あれ、王太子殿下じゃないか?」
「何故、殿下が――?」
魔導省に勤める魔導士の大半は貴族出身だ。しかしその殆どは低位の貴族で、王太子を遠目に眺めたことはあれど、近くから見たことはない。もはや珍獣を見る目でまじまじと壇上の王太子を凝視している。
そもそも、これまで長官や副長官の任命式に参列していたのは宰相だった。王族自らが足を運ぶなど前代未聞だ。
魔導士たちの反応は真っ二つに分かれた。一つは、王太子自ら来るとは魔導省を重視していることを示すために違いないと目を輝かせる者、そしてもう一つは一体何がこれから起こるのだと戦々恐々とする者だった。
ライリーは壇上に設けられた椅子に腰かける。最初に発言したのは、王太子の後ろを歩いていた若い男だった。何も使っていないのに講堂全体に声が響き渡る。魔術を使っているのだと、講堂に集められた魔導士たちは直ぐに気が付いた。
「この場には私のことをご存知ない方もいらっしゃるでしょう。私はクライド・ベニート・クラークです。この度は、ライリー・ウィリアムズ・スリベグラード王太子殿下にご足労賜り、魔導省の今後を決定する重要なご発表を頂戴したいと思います」
名乗られた家名に魔導士たちは騒めく。しかし、講堂の各所に配置された騎士たちが威圧するような気配を感じ、皆顔を強張らせて黙り込んだ。
クライドに促され、王太子は一つ頷くと椅子から立ち上がる。壇の中央に立ち、ライリーは穏やかに口を開いた。
「皆も知っている通り、先日残念なことがあった。長らく仕えてくれていたバーグソン長官が、反逆の咎により処刑されることとなった。他にも、魔導士の多くが横領等の罪により罷免ないし更迭された。そのため魔導省に勤める貴殿等には負担をかけているのは認識している。しかしながら魔導省は、我が国にとって重要な職務の一角を担っている。よって、早急に新たな長官を任命することで、魔導省の業務が滞りなく遂行されることを願ってやまない」
朗々と述べられた言葉は確信に満ちていて魅力的だった。
魔導士たちの大半が魔導省を去ることになり仕事が増えた魔導士たちは、仕方がないことだと分かりながらも王宮に勤める貴族たちに多少の恨みを抱き始めていた。確かに不正をしていたのであればそれは許されないことだし、一部には威圧的で仕事を増やしていた者もいたから、そのような魔導士が居なくなったことを一時期は喜んだ。しかし、日々増える仕事を前に恨み言が口をついで出るようになったのだ。
しかし、自分たちには手が届かない存在である王太子に苦労を労われた瞬間、心の奥に燻っていた恨みが綺麗に消え去って行く。それも、ただ労われたわけではない。これまで魔導省以外の誰も公には認めていなかった魔導省の重要性を、王太子自身が認めたのだ。嬉しくないはずがなかった。
ライリーは講堂に集まっている魔導士たちを見回す。そして更に声を張った。
「新たな長官として――」
ソーン・グリードは僅かに胸を張った。顔が誇らしく輝く。
新たな長官として、ソーン・グリードを任命する――そう自分の名前が呼ばれるはずだと、彼は確信していた。
しかし、王太子が告げた現実はソーンにとって冷酷だった。
「ベン・ドラコ魔導士を任命する」
誇らしく輝いていたソーンの顔が強張る。他の魔導士たちが騒めき、視線は次期長官と目されていたソーンに向けられる。針の筵とはこのことだ。
ソーンの頭は真っ白になり、そしてライリーの言葉が脳裏に浸透するにつれて怒りが沸き起こる。
「なぜ、なぜ――いつもあの男が」
何故いつもベン・ドラコばかりが良い目を見るのか、それがソーンには理解できない。それにベン・ドラコは証拠がなく裁判にこそ掛けられなかったものの、転移陣に細工をした罪人である。罪人としてバーグソンを罷免した一方で、罪人であるベン・ドラコを長官に任命するとはどういうつもりなのか、王太子に対する不信感を抱き始めた。
しかし、動揺する魔導士たちの視線を堂々と受け止めたライリーは更に言葉を続けている。
「無論、貴殿等は何故、ベン・ドラコ魔導士を長官に任命するのか疑問に思っているだろう。彼は五年前に王都近郊で魔物襲撃が発生した際、転移陣に細工をした咎で副長官の座を追われた。しかしながら、この度の再調査で、転移陣に細工を施したのはバーグソン長官であったことが確認された」
それは大半の魔導士にとって衝撃的な告発だった。一時は収まった講堂の中が再び騒めきで満たされる。そしてソーンもまた、ライリーの発言に衝撃を受けた一人だった。
尤もソーンはライリーの言葉を鵜吞みにしたわけではない。寧ろ、ベン・ドラコに対する怒りを更に積み重ねる。
「あいつ、何と姑息な真似を――!」
ベン・ドラコは自身の無実を王太子に訴え、そしてその嘘を信じさせたに違いない。
偽の証拠や証言を用意させることなど、ベン・ドラコには容易いはずだ。自分よりも魔術が優れているとは思っていなかったが、その程度のことが出来ないはずはないとソーンは考えていた。何よりも大した才もないのに副長官の座に就くような男である。転移陣に細工をした時も全ての証拠を隠滅していた。
今回も同じように自分に都合の良い物語を仕立てて、王太子やその側近たちに取り入ったのだろう。そこまでして長官という権力が欲しいのかと、先ほどまで自分がその地位に立てると信じて疑っていなかったソーンは内心で罵詈雑言をベンに浴びせる。
しかし、そんなソーンの心境など知りもしないライリーは、壇上で悠々と弁舌を振るっていた。
「本来であれば副長官として王国に貢献し続けてくれていたベン・ドラコ魔導士が、姦計によりその名誉を奪われ日陰の身となったことは大変許し難い。そのため、今回異例ではあるが第五位階魔導士の肩書きを遡及して取り消し副長官の役職に復帰させ、その上で長官に任ずる。更に、謹慎となっていた三年間未払いであった賃金ならびに役職手当についても、一部支給することとする」
魔導省から追放された時に遡って全ての権限と名誉を復活させる、つまり過去に掛けられた嫌疑は全てなかったことにする、ということだ。
事実上の完全な無罪宣告だった。
ソーンは歯を食いしばる。力を入れすぎて口の中に血の味が広がるが、それも気にならないほど腹が立っていた。
壇上では、名を呼ばれたベン・ドラコが畏まった表情で任命状を王太子から直々に手渡されている。
そこに立つのは自分であったはずなのに、とソーンは周囲の目も忘れて射殺すような視線をベンに向けた。
「これからも是非、我が国スリベグランディアのため献身して欲しい」
「御意。殿下の御世に幸多からんことを」
ベンが王太子に礼を尽くしたあと、講堂に集まった魔導士たちに向かって一礼すると、講堂には拍手の渦が広がった。一部に例外は居るものの、基本的に今魔導省に残っている魔導士たちはバーグソン派ではない。どちらかといえば、魔導士の名門ドラコ家嫡男であるベンに対して好意的な者が多かった。
現在、反ドラコ家の急先鋒はソーン・グリード自身だ。
怒りに打ち震え壇上に立つ人々を睨むソーンを、王太子とクライド、そしてその近衛騎士たちはちらりと一瞥する。彼らが一体何を考えてソーンを見たのか理解できないまま、ソーンは講堂から立ち去る王太子たちの残像を凝視していた。
*****
王宮を訪れたリリアナは、執務室でライリーと向き合っていた。出されたお茶と茶菓子をのんびりと食べながら、ライリーの話を聞く。
「でしたら、やはりソーン・グリード様はベン・ドラコ様を敵視なさっているというのは本当ですのね」
「ああ、険しい顔で私のことも睨んでいたよ」
「大胆ですのね。意外ですわ」
ソーン・グリードと直接の面識はないが、権力に楯突くような男だという印象はなかった。それに、何事にも慎重な性質だと思っていたから、王太子というこの国の最高権力者に対して不信感を抱かせるような行動を取るということも予想外だ。
思わず漏らしたリリアナの感想に、ライリーも腕を組んだまま頷く。
「私も同意見だ。権力のことが気にならないくらいベン・ドラコ殿のことが気に食わないらしいね」
「何故でしょう?」
純粋な疑問をリリアナは口にした。ソーン・グリードはベン・ドラコと違って実家も爵位持ちである。伯爵家の長男でこそないものの、三男である彼は平民として扱われているドラコ家の嫡男よりも裕福な暮らしをしているはずだった。
「自分より目下の者が、自分の上司であるということ自体が腹立たしいのだろうとは思ったが――その割には、バーグソン長官には比較的従順だったようだ」
ふむ、とライリーも首を傾げている。バーグソンも貴族籍を持たない平民の出身だ。ただ貴族ではないという理由だけにしては、徹底的に嫌っている。
もう一つの可能性は、ベンとソーンの年齢が近いということだった。バーグソンとは年齢が大きく離れているから、腹立たしくても憎むほどではないのかもしれない。
しかしその点を追及する気はリリアナにはなかった。
「ソーン・グリード様はまだ泳がせておくおつもりですか?」
「ああ、タナー侯爵の件と魔導石の件かな?」
「ええ」
ソーン・グリードはタナー侯爵と繋がりがあるという情報を掴んだのはリリアナだ。タナー侯爵家を張っているオブシディアンが耳にした話の中に、ソーンをタナー侯爵家専属の魔導士として雇っているという話題があった。しかし具体的な仕事は街道の整備に関わることのみで、実情はともかく何かしらの罪を犯しているわけではない。
更に、彼は魔導石を何者かに融通しているという話もある。相手が貴族であることは確かだが、実際に名前が出ているのは下位貴族であり、恐らく単なる窓口に過ぎないだろうことは容易に想像できた。それにソーンはバーグソンよりも頭が回るらしく、摘発されても問題がないよう書類等も全て揃えてある。
一番関わっている可能性が高いと踏んでいた案件は、王都近郊で起こった魔物襲撃の際発覚した転移陣への細工だ。ベン・ドラコへの冤罪だったという証拠も併せて見つけることはできたが、寧ろその件に関わっていたのはソーン・グリードではない別の魔導士だった。その魔導士は魔導省の中でもそれなりの地位に居座っている男で、横領等他の不正にも長年手を染めていた。
ベン・ドラコに罪を着せるため屋敷で見つけたことにしようとしていた偽証も、ベンの執事であるポールが抹消してしまったため俎上には載せられない。
そして国王暗殺の件に関しては、ソーン・グリードは潔白だった。どれほど調べても、バーグソンの独断だったという証拠しか出て来ない。しかし彼の独断であれば、呪殺はされなかっただろう。そして魔導省に、そこまで徹底的に証拠を隠せるような立場と能力を併せ持つ者はいない。
結局、今回はソーン・グリードについては罪を問わず、泳がせて様子を見ようという話になった。
「まだ彼自身が大公派なのかも確証がないしね。侯爵の件にしても魔導石の件にしても、取り調べるほどのことはない。直属の部下ということになるからベン・ドラコ殿には負担を掛けるけど、もう少し耐えて貰うしかないよ」
リリアナは嘆息混じりに小さく頷いて同意した。
自分ことを嫌っている男が直属の部下という状況は、ベンにとって負担だろう。しかし確実に罪を犯している確信がないにも関わらず嫌疑をかけることは控えなければならない。実際に手を染めているのであればまだしも、ソーンは思い込みが激しく融通も効かないとはいえ、真面目に勤めているだけの魔導士だ。寧ろ、ベン・ドラコの後を継いで副長官になった後、それなりに上手くバーグソンの尻拭いをしていた。そして彼にとっては幸福なことに、ソーン・グリードは決定的な悪事には手を染めていないようだった。
「グリード伯爵はメラーズ伯爵と懇意になさっていますから、恐らく大公派だとは思いますけれど――ソーン・グリード様はあまりお父様と仲が宜しくないと伺いますし、判断が難しいところですわね」
「ああ、そうだね。彼もベン・ドラコ殿ではないにしろ、優秀な魔導士であることには違いないから、できればこちらの陣営に取り込みたいところだけど」
あれだけベン・ドラコ殿を恨んで、そしてそのベン殿を長官に据えた私のことも気に入らないくらいだから、難しいかもしれないね――と、ライリーは肩を竦める。リリアナも苦笑を漏らして「そうですわね」と頷いた。
元々、それほど王国にも人材が豊富に居るわけではない。優秀な人間ともなると更に数は絞られる。だからこそ、敵陣営に与している者でも自陣営に鞍替えしてくれるのであれば幾らでも引き抜きたい。
「私の治世となった折に、優秀な人材が居ればその方が助かるからね。もし問題がなさそうであれば、ソーン・グリードも引き抜きたいという気になってきたよ」
ソーン・グリードの行動を見ていると、基本的には几帳面で自尊心が高い人間だということが分かる。特に魔導石を元長官バーグソンの知人に融通していることなど、多少の無茶はしたようだが、不正にならないよう全ての資料を揃え手を回していた。自身が不正に手を染めた痕跡は残そうとしない上に、バーグソンのような目上の者に反抗することはない。
ここまで聞けば、ソーンは強かで狡賢い男なのだと判断するところだ。実際、リリアナやライリーはそう考えていた。
しかしライリーの話では、ソーンは王太子がベン・ドラコの無実を口にしたにも関わらず、真っ直ぐな怒りを露わにしたという。
もしかしたら、ソーン・グリードは根っからの悪人ではないのかもしれない。単に思い込みの激しい人物である可能性もあった。バーグソンの不正を告発するどころか協力したところを見ると、権力欲は強いのだろう。
「単なる権力欲ではなく自己顕示欲かもしれないね。それならだいぶ、こちらとしては楽なんだけど」
「自己顕示欲、ですか」
「そう。自分は頑張っているのに認められない。それなのに何もしていないあいつは高く評価されていて狡い――という気持ちかな」
苦笑したライリーの分析に、リリアナはどこか納得した気持ちで頷いた。
そう思えるほどには、彼を調査しても後ろ暗いところは出て来なかったし、下の者たちには慕われているとの報告も上がって来ていた。
「将来のことはまだ分かりませんわ。ですから、今なすべきことをするだけです。未来を知る者など、どこにも居ないのですから」
将来、一体何が起こるかは誰にも分からない。そう告げれば、ライリーは軽く目を瞠ってから破顔一笑した。嬉しそうにリリアナの顔を見つめて頷く。
「確かに、その通りだ」
そして何かを考えるように目を伏せたが、ライリーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。リリアナに視線を戻して、謎かけをするように問う。
「ねえ、サーシャ」
リリアナは紅茶のカップをテーブルに戻して顔を上げた。空中で二人の視線が絡む。ライリーは楽しい何かを思いついたように口角を上げた。
「“好き”の反対は何だと思う?」
唐突な質問にリリアナは目を瞬かせる。
普通に考えれば“嫌い”だ。だが、恐らくそれはライリーが求めている答えではないのだろうと思う。少し考えて、リリアナは一つの答えを導き出した。
「一般的には“嫌い”でしょうけれど――それとも“無関心”でしょうか」
リリアナの答えを聞いたライリーは笑みを深める。酷く満足そうな表情だった。
「そう、無関心だ。“好き”も“嫌い”も対象に何らかの感情を抱くという点で共通している。だから“嫌い”も“好き”も対義語は同じ――無関心、だ」
ライリーが何を言いたいのか、リリアナは悟った。静かに微笑み、彼女は答える。
「でしたら、ベン・ドラコ様が鍵になりそうですわね」
「うん、私もそう思うよ」
ライリーははっきりと頷く。
興味のない相手には激情など抱かない。心の底から愛した相手を恨むようになる、というのも良くある話だ。そしてソーン・グリードはベン・ドラコに対して憎悪にも近い感情を抱いている。その感情が好意に転じる可能性はかなり低いかもしれないが、しかし賭けることはできるはずだった。
15-14
33-3









