33. 悪因悪果の実 8
ペトラがバーグソンの体の隣にしゃがみこんで検分している。その姿を、スペンサーは固唾を飲んで見守っていた。しばらく周囲の様子や遺体の状況をつぶさに観察していたペトラは、おもむろに立ち上がるとスペンサーに顔を向ける。
「やっぱりこれ、呪殺で間違いないですね」
「……やはりそうですか」
スペンサーは溜息混じりに応えた。既に予想していたこととはいえ、改めて呪術の天才であるペトラに言われると逃れようのない事実なのだと気が重くなる。ペトラはそんなスペンサーの気持ちを悟ったのか、慰めるように肩を竦めた。
「残念ですけど、遺体の損傷の仕方を見ると、間違いなくそうじゃないかと思いますよ。時期があまりにも良すぎることを考えると、多分“隷属の呪い”かな。呪術には人を殺すものもたくさんあるけど、術者の思い通りの時期に殺すことができる呪術は、あたしの知る限りでは“隷属の呪い”だけです」
「隷属、ですか」
初めて聞く物騒な名前の呪いに、スペンサーは息を飲む。しかしペトラは気に留めていない様子で一つ頷いた。
「そう。“隷属の呪い”なら術者が都合の良い時に相手を殺すことが出来るんですよね。基本的に逆らえないようにする術だから、勿論相手の生死も思いのままってこと」
「つまり、捕らえられたら死ぬように術が仕掛けられたということですか?」
「うーん……」
自分なりにペトラの説明を噛み砕いて確認したスペンサーに、しかしペトラは曖昧に唸るだけだ。不思議そうにペトラを見つめると、彼女は少し気まずそうに口を開いた。
「今の状況だと分からないかなあ。“隷属の呪い”とはいっても、内容には色々ありますから。だから、具体的に知りたければ呪術で解析するしかないんだけど――生憎、ここでは無理です」
地下牢には魔術や呪術が使えないよう陣が施してある。しかし“隷属の呪い”の詳細を知りたければ、解呪と似た方法を使う必要があった。つまり、地下牢に遺体を置いたままではこれ以上のことは分からないということだ。
「分かりました、上に運びましょう」
言外の意味を直ぐに汲み取って、スペンサーは一も二もなく頷いた。ペトラは目を瞬かせる。驚いたようにスペンサーを注視し、不思議そうに問うた。
「でも、隠してるんじゃないんですか?」
言葉は足りないが、スペンサーにはペトラが何を言いたいのか分かった。バーグソンの死は時期が来るまでは伏せなければならない。だから既に知っている者以外の騎士や下働きの者たちに、バーグソンの遺体を見られてはならなかった。
スペンサーは重々しく同意するように頷くが、ペトラの懸念を払拭するように説明を付け加えた。
「ええ、隠してはいますよ。しかし兵舎には普段騎士たちが立ち入りできない場所もあります。そちらに運べば、魔術や呪術を封じる陣の影響も受けないでしょう」
ペトラは納得したように目を瞬かせた。
騎士団の兵舎は広い。元々兵舎を訪れたことのないペトラは知らなかったが、当然スペンサーが言うような場所はあるに違いない。安心した彼女は立ち上がると、独房から廊下に出た。スペンサーがペトラの背後で扉を閉める。
「それでは一旦外に出ましょう。さすがに私一人で運ぶのは骨が折れますので、発見者の看守に手伝わせます」
どうやら彼はペトラを一人地下牢に残すつもりはない様子だ。その事に内心で安堵の息を漏らしながら、ペトラはスペンサーの後ろを付いて行く。さすがに暗く物悲しい地下牢に、遺体と共に取り残されては敵わない。
スペンサーは右手に手燭を掲げて元来た道を戻り始めた。地下から外に出ると、スペンサーは地下牢に繋がる地上の扉に鍵をかけてしまう。そして向かったのは、看守たちが寝泊まりしているらしい家屋の更に奥にあるこぢんまりとした家だった。
「ここに発見者の看守がいます」
「他の人たちからは離れてるんですね」
「ええ、ふとした拍子に漏らさないとも言えませんからね。真面目な男ですが、少し気弱なところがあるものですから」
ふうん、とペトラは曖昧に返事をした。スペンサーはペトラの素っ気ない態度も気にならないようで、三度ほど家の扉を強く叩く。少しして開いた扉から顔を覗かせたのは、くたびれた服に身を包んだ初老の男だった。気苦労する性質なのか、顔に刻まれた皺が過ごして来た年月を物語っている。
「ふ、副団長――あの、どうなされたんですか」
まさかスペンサーが来たとは思っていなかったのか、ぎょっと目を瞠っている。その態度にペトラは違和感を覚えたのか、訝し気に眉根を寄せていた。しかしスペンサーは慣れたもので、気にした様子もなく端的に用件を告げる。
「今朝、お前が発見した例のものを運び出すことになった。一人では難しいから手伝ってはくれないか」
「へ、あ、あっしがですかい?」
仰天した看守にスペンサーは「当然だ」と頷いてみせる。
「お前以外に頼れば、例の件は直ぐに広まってしまうだろう。そうなると私もお前もただではすまない。それは分かるな?」
どこか脅すような声音に、看守の男は身を震わせた。大袈裟にも思える反応だが、彼にとっては自然な反応だったらしい。心底恐ろしいと思ったらしく、忙しなく頷いた。
「も、もも勿論です。勿論手伝わせていただきますとも、はい」
看守はそう告げて早速向かおうと一歩踏み出したが、その肩をスペンサーが掴んで引き留める。
「待て。そのまま行く気か? まさかとは思うが、遺体を抱えて出て来る気ではないだろうな」
何も持たずに地下牢に向かい、そのままバーグソンを抱えて外に出ればスペンサーたちが何をしているのか明白だ。せめて隠すべきだし、見られないとしても遺体をそのまま抱えて運び出す気にはなれない。
騎士団に勤める騎士として事切れた敵や同胞を数えきれないほど見て来たものの、いつになっても慣れることはなかった。戦とは無縁の世界で生きて来た平和な貴族たちであれば卒倒するところを、耐え忍べるというだけの話だ。
「そ、それじゃあ――どうすりゃ良いんですかい」
スペンサーの言葉を受けて目を白黒とさせていた看守は、恐る恐る上目遣いで尋ねた。スペンサーは呆れを隠して淡々と答える。
「袋なり板と布なり、準備するものが必要だろう」
普段であれば遺体を包むための袋を用意するが、今回その袋を抱えて地下牢から出て行くスペンサーたちを仮に誰かが見かけたら、何かあったのではないかと邪推されかねない。そのため通常遺体を運び出す時に使う道具は使えないと告げたスペンサーを、看守は尊敬の眼差しで見つめた。
*****
スペンサーとペトラ、そして看守の三人が地下牢からバーグソンを運び出している頃、自分の屋敷に帰るリリアナを見送ったライリーは、近衛騎士として傍に控えているオースティンに声を掛けていた。
「オースティン、この後は交代だったよな?」
「はい。何かご用向きがございますでしょうか」
近衛騎士として仕えている時間であり、そしてすぐ近くにもう一人の近衛騎士が居るため、オースティンはライリーに対し礼儀を尽くしている。ライリーもまた慣れたもので、気にする様子もなく頷いてみせた。
「ああ、久々に鍛錬に付き合って貰えないか」
「承知いたしました」
昔はよく二人で剣の稽古をしていた。同じ師匠に習っていたことが切っ掛けだった。だが、オースティンが王立騎士団に入団してからは二人で手合わせをする時間は殆どなくなっていた。ライリーの元にやって来たオースティンが、たまには息抜きをしろと声を掛けて来た時、そしてライリーが休憩をしようと思った時に、偶然やって来たオースティンを誘った時くらいだ。
オースティンが近衛騎士になった時は、公私混同を避けるためにオースティンから誘うことはほぼなくなった。しかし、逆にライリーがオースティンに声を掛ける頻度は増えている。とはいえ、近衛騎士としてライリーの隣に控えて間に手合わせをすることはなかった。今回のように、オースティンが別の騎士と交代した後に剣の稽古をしようと誘う。それはライリーにとってのけじめだった。
そして一刻後、オースティンと交代する騎士がやって来る。一旦ライリーの前から辞したオースティンは、近衛騎士の制服から自分の服に着替えて戻って来た。腰には彼の愛剣がぶら下がっている。
執務室の机に座って書類を確認していたライリーは、顔を上げると破顔一笑した。
「来たね」
「おう」
「行こう」
オースティンはライリーにだけ聞こえる声で小さく答える。近衛騎士二人は慣れたもので、オースティンとライリーが近くで話している様子を見ても一切動じず、無表情で扉口に立っていた。
喜々として椅子から立ち上がったライリーは壁に掛けてあった剣を手に取り、オースティンを先導するようにして歩き出す。二人が向かったのは、王族と王族が許した者だけが立ち入ることのできる専用の中庭だった。王宮にある他の庭と比べるとこぢんまりとしているが、ライリーとオースティンの二人が本気で手合わせをしても全く問題ない程度には広い。
近衛騎士二人が中庭の隅に控えたのを確認すると、ライリーとオースティンは中央で対峙した。
ライリーは持って来た魔道具のスイッチを入れて地面に置く。魔道具は中庭一帯に結界を張るためのものだった。二人が戦うことで周囲に影響が出ないようにするだけでなく、防音の効果も併せ持つものだ。
オースティンはにやりと笑みを浮かべる。その表情から幼馴染が自分の意図を汲み取ったと悟り、ライリーは満足気に言い放った。
「本気で来てくれ」
「お前相手で本気じゃなかったことなんて、一度もねえよ」
オースティンもまたにやりと笑って答える。それが合図だった。
オースティンは魔導騎士として培ってきた技術と魔力を剣に乗せ、ライリーに斬り掛かる。普通の筋力では不可能なほど素早い動きを軽くいなし、ライリーは素早くオースティンの背後に回った。しかしオースティンもライリーの動きは見切っている。ライリーがオースティンの背中を狙って剣を繰り出した瞬間、オースティンの姿はその場から消えていた。
「――っ!」
ライリーは息を飲んで飛び退く。たったつい先ほどまでライリーが立っていた空間を、オースティンの剣が切り裂いた。
再び二人は対峙して睨み合う。
成長するにつれ心の内を曝け出すことも少なくなった二人だが、剣を合わせれば何となくその心境を察せられる。オースティンは、ライリーがその内に強い怒りを抱いていることに気が付いた。目を眇めて対峙する幼馴染を見つめるが、表面上は一切変化がない。王太子としては、どのような場面でも感情を露わにしないことで敵に付け込まれる隙を与えずにすむ。確かにその点は安心できるが、一人の幼馴染としては気がかりだった。
次の瞬間、オースティンは後方へと飛び退く。ライリーが握った剣の切っ先がオースティンの服をかすっていた。
「考え事とは良い度胸だな、オースティン」
「何をそんなにカリカリしてるんだ、王太子殿下?」
揶揄うように呼んでやれば、ライリーは僅かに眉根を寄せた。ライリーはオースティンから他人行儀に呼ばれるのが酷く嫌らしい。それを知っているからこそ、オースティンはライリーの感情を逆撫でるように挑発的な言葉を口にした。
「らしくないぜ。剣も荒いし集中力が欠けてる。そんなに俺に負けたいか?」
「……そんなわけあるか」
長年王太子教育を受け、周囲を警戒して生きて来たライリーはたった一度の深呼吸で落ち着きを取り戻す。さすがだな、とオースティンは内心で感心しながら、それでも表層近くで今にも噴出しそうなライリーの感情を観察していた。
今朝までは、ライリーの態度は普通だったはずだ。だが突然、彼は堪え切れない怒りに似た衝動を覚えた。だからこそオースティンを剣の手合わせに誘ったのだろう。
油断なく身構えてライリーの攻撃を受け止め払い、そして自分も仕掛ける――そんなことを繰り返しながらも、オースティンは今日の午前中にあった出来事を思い返していた。
そして一つの可能性に行き当たる。確証はなかったが、オースティンは敢えて賭けに出た。
「――そんなにリリアナ嬢が心配か?」
一瞬、ライリーの切っ先がぶれる。どうやら当たりらしいと確信を深めると同時に、オースティンは苦笑を漏らした。ライリーはむっとしたように目を細めてオースティンを睨みつける。他の人間が見てもライリーの表情の変化に気が付かないだろうが、長年共に居たオースティンには火を見るよりも明らかだった。
「そんなに心配なら、屋敷に帰さない方が良かったんじゃないか?」
オースティンの言葉を聞いたライリーは一瞬目を瞠る。そして苦々しく、絞り出すように答えた。
「――――彼女は、そんなことは望まない」
「でも、自分が見てないところで魔力暴走起こすかもしれないって心配なんだろ?」
決して常にライリーの傍にいるわけではない。だが、ベン・ドラコにリリアナの容体を診てもらった時にオースティンも傍にいた。あの頃から、ライリーはリリアナの体調をずっと気に掛けていた。
今日の午前中にベン・ドラコと面会した時に改善策が提示されるのではないかと、口にこそしなかったものの、ライリーもオースティンも僅かな期待を持っていた。ちょうど面会中は執務室の外に控えていたためオースティンは詳細な内容を知らない。ただ、もしかしたらその時にライリーの気持ちを落ち込ませるようなことがあったのかもしれなかった――恐らくは、リリアナの膨大な魔力に対処する術は現状ない、といった類のことだろう。
案の定というべきか、ライリーはぎりと歯を食いしばる。そして次の瞬間、ライリーの体ががくっと沈む。まずいとオースティンが防御用の結界を張った瞬間、その結界の内側にライリーが居た。
「ぐっ――!」
オースティンは咄嗟に剣を体に引き寄せ、正面からライリーの剣戟を受け止める。両手がしびれるほど重い一撃に歯を食いしばり、結界を解除してから剣に魔力を流し込もうとする。しかしその余裕すら与えず、ライリーは僅かにオースティンから距離を取って次から次へと猛攻を仕掛けてきた。その全てを目で追うことなど、誰にもできない。オースティンも見極めることなどしようとはせず、驚異的な身体能力と直感で受け止め、いなした。
オースティンは見習い騎士の時から、王立騎士団内で将来有望な若者と見做されていた。ライリーは人前で剣技を見せたことはないし、優秀な剣士であると噂になったことはない。しかし魔導騎士であるオースティンと互角に戦っている時点で、ライリーの能力は王国有数の騎士であるには違いない。
幾度となく交わされているライリーとオースティンの稽古を幾度となく見て来た近衛騎士たちも、選び抜かれた精鋭たちだ。しかし、その彼らにとっても二人の剣技は見事と言う他なかった。