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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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33. 悪因悪果の実 2


玉座の間に姿を現したローブの男を、バーグソンは見たことがあった。忘れもしない、プレイステッド卿が連れて来た魔導士の男だ。どこの馬の骨とも分からない魔導士は、プレイステッド卿の依頼で病床の国王に掛けられた呪術を見破り、治療を施していた。当初はバーグソンもその男が何か余計なことを仕出かすのではないかと目を光らせていたが、特に何をする様子もないと判断し、最近では金を握らせた侍従に報告だけさせている。


しかし、ローブに付けられたフードを目深に被った男の目がちらりと見えた瞬間、バーグソンはぞっと背筋を震わせた。

ローブを纏った魔導士はバーグソンを一瞥しただけで、すぐに視線を外す。そのまま前に歩み出ると、赤い絨毯の上に立ち礼を取る。初対面の時王太子に対し不敬な発言をした人物とは思えないほど、洗練された仕草だった。


「この場ではチャド殿と呼ばせて貰おう。チャド殿、貴殿には我が父たる陛下が世話になった」

「滅相もございません。私に出来ることを、精一杯務めさせて頂いただけにございます」


鷹揚に礼を述べるライリーに向かって、チャドと呼ばれた魔導士は恐縮したように答える。ライリーは時間を無駄にするつもりはないらしく「さて」と声音を変え、証人として連れて来られた魔導士に問いかけた。


「此度ここへと足を運んでもらったのは、先日に貴殿が報告した件について明らかにするためだ」

「御意」


無言で聞き入る貴族たちの前で、王太子と魔導士は言葉を交わす。先日の報告、という言葉に反応したのはメラーズ伯爵とスコーン侯爵の二人だけだった。ライリーの傍に控えているクライドとオースティン、そして顧問会議の面々に紛れて立っているユリシーズ・エアルドレッドは一切表情を変えていなかった。

ライリーは真っ直ぐに魔導士を見つめながら、淡々と質問を口にした。


「国王陛下は長らく病に伏せておられたが、その原因が呪術であるということに相違はないか」

「ございません」


魔導士は端的に答える。ライリーはクライドに差し出された紙を受け取り一瞥すると「それでは」と問いを重ねる。


「陛下に呪術を掛け、その玉体を害した術者が判明したという報告は事実であるか」

「無論にございます」


途端にバーグソンの頬が引き攣った。蒼白だった顔色は更に血の気を失い、今にも卒倒しそうな有様だ。傍から見てもぶるぶると震える体は、間違いなく眼前に突き付けられた恐怖に怯えていた。しかし、それでもバーグソンの目は絶望していなかった。

彼には自信があった。確かに国王を呪ったのはバーグソンだ。だが使ったのはこの国では扱われていない呪術体系の、更に言うなれば禁呪であり、念には念を入れて術者が分からないように細工を施した。一介の魔導士如きが術者を突き止めることなど、出来るはずがない。


ふと気を抜けば沸き起こりそうになる不安に必死に蓋をし、バーグソンは自分に言い聞かせていた。

決して失敗するはずのない術だと、彼のお方も仰っていたではないか――と。


だが、ライリーに「その術者とは何者か」と問われた魔導士は無情にもあっさりとその名を口にした。


「魔導省長官ニコラス・バーグソンにございます」

「嘘だ!」


咄嗟にバーグソンは声を上げていた。両脇に立った騎士が、立ち上がろうとしたバーグソンの体を抑えつける。床に膝をついた状態でありながら、バーグソンは必死に顔を上げて王太子に訴えた。


「殿下、その者は嘘を申しております! 神に誓って、私はそのような大それたことは致しておりません。全てはその魔導士の(はかりごと)、妄言にございます!」

「――と、申しているが、チャド殿。確かに其方の証言だけでは信憑性に欠ける。証拠となるものはあるか」


ライリーの言葉を耳にしたバーグソンは、ほっと息を吐いた。強張っていた体から力が抜ける。

証拠など、残っているはずがない。国王に呪術を掛けたのは、実に今から七年前のことだ。その時に使った道具は全て廃棄したし、他の方法を使うにしても時間が経過すれば難易度は高くなる。

そう高を括っていたバーグソンは、次に魔導士が口にした言葉に愕然とした。


「ございます」

「な――?」


何故、と言おうとしたのか、何を馬鹿なと嘲笑おうとしたのか、バーグソン本人にも分からない。ただ愕然と見つめるバーグソンの前で、チャドと名乗った魔導士は淡々と王太子に許可を求めた。


「しかしながら、その証拠を示すためには魔術を用いねばなりません。恐れながら、今この場で魔術を使う御許可を頂戴したく存じます」

「構わない」


ライリーの許可を得た魔導士は小さく頷くと立ち上がる。すぐ傍に立っている騎士に片手を上げて合図をすると、その騎士は足早に広間を横切った。そして玉座の背後にある扉をゆっくりと開ける。そこには、移動式の椅子に腰かけた、顔色の悪い国王が居た。


「へ、陛下――!」


誰ともなく叫んだ声が玉座の間に響く。人々は騒めくが、この場に集められた貴族たちは矜持高い高位貴族ばかりである。驚愕や安堵、興奮、高揚といった様々な感情を仮面の下に隠し、やがて静まり返る。


ライリーや一部の高位貴族は時折国王の姿を見ていたが、それ以外の人間にとっては六年振りに目にする国王だ。顔色も悪くやつれた姿は決して健康とは言えなかったが、その双眸には光が灯っていた。

唖然とその様子を見つめていたバーグソンの口から、乾いた声が零れ落ちる。


「陛下、まさか――そんな」


バーグソンが施した術は完璧だったはずだ。そもそもこの国には根付いていない呪術であり、更に複雑な術式を用いているのだから、どれほど時間をかけても完全に解呪することは不可能だ。しかし、今間違いなく国王は意識を取り戻し、健康体とは言えないまでも無事な姿を皆の前に現わしている。

思わず零れ落ちたバーグソンの独り言を、両隣に立つ騎士が訊き咎める。鋭い目をバーグソンに向けるが、二人とも口を開いたりはしなかった。


「私が普通に示すだけでは、皆さまご納得されないでしょうからね。ご足労をおかけすることとはなりましたが、陛下に御親臨賜るよう切にお願い申し上げましたところ、畏くも御快諾賜りました」


流暢に述べた魔導士に向けて、陛下は鷹揚に頷く。一言も発してはいないが、彼がローブの魔導士の意を汲んで動いたことは間違いがない。

そうと悟りようやく取り戻していた血の気を失ったバーグソンは、唇を噛みしめた。


「それでは御前失礼申し上げます」


魔導士はしれっと述べると、詠唱を始める。玉座の間に集まった者たちは驚愕に騒めいた。まさか魔道具もなしに詠唱を始めるとは思っていなかったらしい。しかし、効果は直ぐに現れた。


「あれは――!」


貴族の一人が息を飲む。全員が見つめる先で、黄金色の光は国王の体を包み込んだ。魔導士が右手を振れば、その動きに追随するように体から黒い靄を引き離して天上近くまで立ち昇る。見つめる先で、黄金の光は黒い靄を消滅させ、そして一つの陣を現わした。


「【我が魔力に懸け、真実を述べよ】」


独特な声音はごく小さなものだったにも関わらず、玉座の間に集まった全員の耳にはっきりと届いた。魔導士が述べる“我が魔力に懸け”という言葉は、騎士の剣に懸けた誓いと同義だ。即ち、その言葉はローブの魔導士が嘘偽りなく真実だけを詳らかにするという証拠でもあった。

それが分かるからこそ、バーグソンは息を飲む。

そして黄金色の光が描いた一つの陣は、バーグソンの記憶にあるものだった。


驚愕と戸惑いが辺りに広がる。メラーズ伯爵が、困惑も露わに魔導士に尋ねた。


「これは、一体――?」

「陛下の玉体に掛けられた呪術の痕跡から、用いられた呪術陣を再現致しました」

「そんなことが可能なのか」


呆然とした問いに、魔導士は平然と頷いてみせる。


「ええ、簡単にできるとは申しませんが」


全く気負いのない台詞だが、それは逆に魔導士本人の優れた能力を知らしめるものだった。周囲の驚愕は全く気に掛けず、魔導士は淡々と陣を解説する。


「この呪術陣は我らが王国では馴染みのないものですが、禁術の定義に抵触します」


禁術、という言葉に貴族たちは騒めく。普通に暮らしていれば、禁術など目にすることもなく一生を終える。それにも関わらず、今彼らの目の前には確かに禁術が存在していた。その陣を目にするだけで呪われるのではないかという恐怖に駆られた貴族たちは後退る。

しかし国王は勿論、ライリーやその傍に居る近衛騎士、そしてクライドたちは動揺を一切表していなかった。国王や王太子でさえ一切動じていないのに、臣下たる彼らが動揺するわけにはいかない。それに気が付いた彼らは、慌てて何事もない様子を取り繕う。しかし、それでも表情が引き攣っているのは隠しようがない。

ローブを纏った魔導士も淡々と解説を続ける。


「その起源は東方呪術にあります。しかしながら東方呪術をそのまま用いているのではなく、私たちも親しんでいる西方魔術も組み込んでいる。西方魔術の魔術陣には必ず術者の名が刻まれます。そうでなければ陣は効果を発揮しません」


少しずつ詳らかにされていく陣の内容に、貴族たちは息を飲む。そして騎士に囚われ膝をついたままのバーグソンは、少しずつ指先から冷えて行くのを感じていた。周囲の音が遠い世界の出来事に聞こえる。

魔導士は一切バーグソンを見ることもなく、淡々と述べた。


「そして、ここ」


ローブの下から響く声がそう告げた途端、呪術陣の一部が浮き上がった。


「これが、術者の名前です」


呪術陣に用いられている文字は王国のものではない。しかし、現在も使われている東方の国の言葉だった。全員ではないが、数人の貴族はその文字を読める。そして他ならぬ王太子ライリーも、その文字を読める一人だった。


「ニコラス・バーグソンと読めるな」

「いかにも」


ライリーの言葉に、貴族たちは騒めいた。皆の目がバーグソンに向けられる。目をぎょろりと剥いて震えるバーグソンは、冷や汗をだらだらと流しながら唇を噛みしめて床を睨み据えていた。

その様を見下ろし、ライリーは冷ややかに尋ねる。


「それで、ニコラス・バーグソン。これでもなお、身に覚えがないと言うか?」

「いえ――それは、その」


バーグソンは言い澱む。認めてしまえば、間違いなくバーグソンは国王の殺害を企図したとして捕縛され死刑に処されるだろう。しかし、言い逃れる策も思いつかない。

決して優秀とはいえない魔導士であるバーグソンだが、それでも魔導士であるが故に、今目の前で見せられた陣は本物だと分かっていた。

だが、良く考えればこの場に居る魔導士はバーグソンとローブの男の二人だけだ。それならば他は言いくるめられるかもしれないと、バーグソンは心を奮い立たせた。


「それは、その者の策に違いありませぬ! この、この私に罪を着せようとの策略にございます!」


しかし、バーグソンに向けられたのはライリーの冷ややかな視線だった。

ライリーはわざとらしく驚いたような顔を作り、片眉を上げて「おや」と不思議そうに言った。


「私は王太子教育で、騎士は剣に、貴族はその名誉に、そして魔導士はその魔力に懸けて誓いを立てると真実しか述べられないと聞いた。そして今この場に居る者たちは皆、彼が己の魔力に懸けるとの誓いを聞いただろう」


ライリーが玉座の間の端に控えている貴族たちを見回すと、彼らは各々頷いた。特に高位貴族の者たちはライリーの言葉を肯定するように、はっきりと侮蔑を込めてバーグソンを睥睨している。


「それを謀略だと断言するとは――何故、魔導士ではない私ですら知っている事実を魔導省長官たる貴方が知らないのかな?」


それとも、とライリーはうっそりと笑みを浮かべた。


「もしや、王太子である私を謀ろうとしているのではないだろうね」


バーグソンは息を飲み、そして蒼白になった。どちらに転んでも、バーグソンは罪に問われる。

魔導士ではない者でさえ承知している“常識”を知らずに長官の座に就いたのであれば、間違いなく不正を犯して長官の座を得たのだと疑われるだろう。そうなれば更に罪が重なるだけだ。そしてもしバーグソンが王太子であるライリーに嘘の証言をしたと判断されてしまえば、それは間違いなく大罪だ。国王暗殺を企てた罪よりは当然軽いが、命を終えるまで牢に繋がれることになるのは間違いない。

進退窮まったバーグソンは言葉に詰まり、口を引き結んで沈黙してしまう。一気に老けたような彼は、その場に集められた者たちの侮蔑と嫌悪に満ちた視線に晒される。


魔導省長官という栄誉から一転、国王暗殺を企んだ罪人となったバーグソンは、縋るような目で貴族たちの中に一人の男の姿を探した。メラーズ伯爵には、クラーク前公爵が亡くなってからというもの助けて貰っていた。そしてバーグソン自身も、メラーズには便宜を図って来たのだ。

だが、メラーズ伯爵は背の高い貴族の後ろに隠れるようにして立っていた。バーグソンはその姿を見つけたが、メラーズ伯爵はついと視線を逸らしたまま決してバーグソンを見ようとはしない。


誰一人としてバーグソンを庇う発言はしないまま、審議は進んでいく。ライリーはわざとらしく溜息を吐いて「異論はないようだな」と言い放つ。


「其方には他にも訊きたいことがある。この場では時間がかかる故に、しばらくは牢で己の罪を見つめ直すが良い」


冷たく言い放たれた言葉に、バーグソンは項垂れる。

今この場では、反省した素振りを見せるべきだろう。メラーズ伯爵はバーグソンを一瞥もしないが、もしかしたら牢から出してくれるかもしれない。不安に押しつぶされそうになる心を必死に鼓舞しながらも、バーグソンは悄然と項垂れた。

玉座の隣に立つライリーは騎士に命じる。


「連れて行け」


バーグソンは両側の騎士に腕を取られ、引きずり立たされた。そのまま有無を言わさず玉座の間から連れ出される。

長年魔導省長官の座で栄誉に浴していた彼は、その日、国王殺害未遂という大罪を背負った罪人として、王立騎士団兵舎の牢に閉じ込められることになった。



23-9

30-5

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