33. 悪因悪果の実 1
その日、魔導省は物々しい雰囲気に包まれていた。あらゆるところに武装した騎士団の団員たちが立ち、魔導士たちの一挙手一投足に目を光らせている。彼らは次から次へと魔導士たちの研究室や休憩室に入り込み、書類や道具を押収していった。
「貴様ら、こんなことをしてただで済むと思うでないぞ!?」
顔を真っ赤にして憤る初老の魔導士が叫ぶが、騎士たちは冷たい一瞥を投げるだけで相手にはしない。それどころか、書類を手にした騎士が歩み寄り魔導士の名を尋ねた。
「貴様如きに名乗る名などあるものか、この無礼者めが! 魔導省長官バーグソン様のお耳に入れば、騎士団といえどただでは済まんぞ!」
初老の魔導士は額に青筋を立ててがなり立てる。丸いビール腹を揺すりながら、男は今にも騎士団に向けて攻撃魔法を仕掛けそうな勢いだった。
魔導省の魔導士は特権意識が高いと巷で噂されているが、その魔導士はその噂に違わない人柄だ。
平民相手であれば十分な威嚇になったかもしれない魔導士の態度にも、百戦錬磨の騎士は怯まない。ちらりとローブの色とおおよその年齢、それからローブの隙間から覗いている地位を示す魔道具を確認すると、手元の書類に一瞬だけ目を落として小さく頷いた。
「第二位階魔導士のバリー殿ですね。貴殿にも横領の疑いが掛かっています。召喚状が交付されていますので、ご同行願います」
「な、なんだと!? 一体どこの誰が、何の権限があって――っ!」
魔導省の魔導士は長官と副長官以下、第一位から第九位まで分かれている。第一位が最高位に当たるが、任命されるのはほんの数人程度だ。本来であれば能力、人格共に優れた人物が就くべき階級だが、実際は人脈と金に物を言わせて得る地位である。その傾向が強まったのは、ベン・ドラコが魔導省から追われ、当時の第二位階ソーン・グリードがその座に就いた五年前からだ。尤もそれ以前も、長官だったバーグソンに口を利いて貰えば第一位の地位に就きやすいという噂はあった。ただ実際のところ、実力のない者は副長官ベン・ドラコの手で申請を却下されていたから、当時はまだ第一位階魔導士と言えば実力者とほぼ同等の意味合いだった。
だが、今はそれもない。第一位階はバーグソン長官におべっかを使い金を積んだ者たちばかりだ。
だからこそ第二位階魔導士の座は実力もあると常に跪かれ敬われる立場だった。そのような立場に慣れたバリーにとって、今目の前にいる若い騎士の態度は不遜かつ不敬でしかない。
口角から泡を飛ばして怒り狂う魔導士を冷めた目で見やって、若い騎士は冷たく告げた。
「王太子殿下の御下命です。何か問題でも?」
「王太子だと!? 馬鹿な!」
あっさりと告げられた言葉に、バリー魔導士は息を飲む。どうやら彼は、てっきり騎士団の行動は騎士団長ヘガティの独断によるものだと思い込んでいたらしい。
だが、若い騎士がひらりと目の前に翳した勅諚には間違いなく王太子の署名がある。血の気を失った魔導士の顔は土気色だ。反抗する余裕もなく、バリー魔導士は騎士に手枷を付けられる。その枷は魔術の発動を防ぐ魔道具だった。
「バ、バリー殿……」
バリー魔導士が半ば引きずられるようにして魔導省の門に行くと、ちょうど彼の前では二人の魔導士が騎士団の馬車に押し込まれるところだった。その内の、背の高い痩せこけた男が蒼白な顔で縋るような目をバリーに向ける。バリー魔導士は苦々しい表情で舌打ちを漏らした。
目の前で今まさに馬車に押し込まれようとしている、背の高い痩せすぎた男。そして一瞬だけ見えた背の低い魔導士は、二人ともバリー魔導士の古くからの知り合いだった。だが、二年前にバリーが第二位階魔導士になるに当たり、二人とは疎遠になった。
彼ら二人は第四位階の魔導士で、年齢を考えるともはや出世も見込めない“落伍者”だ。それにも関わらず、彼ら二人は自尊心も高く、選ばれた人間なのだと信じて疑っていなかった。そして二人より先に第二位階に任ぜられたバリーに対して、事あるごとに金の無心をして来た。
昔のよしみで少し口を利いたり便宜を図ったりはしてやったが、段々と調子に乗り始めたので最近では距離を置いている。バリーは自力で第二位階魔導士の座に就いたのだ。実家にも自身にも十分な財力はないが、第二位階になるためには金が必要だった。
「――下手を打ったか」
苦々しくバリー魔導士は呟く。幸いにも騎士には聞こえていない様子だった。
無理矢理馬車に乗せられる。古い馬車なのか、酷く乗り心地が悪い。第二位階の魔導士の座を得るに当たって、彼は運良く知り合った魔導省経理課の文官と知り合った。彼の若い頃にありがちな不用意さに付け込み、バリーは幾ばくか資金の融通を受けた。その資金源が魔導省だったのか若者の財布だったのか、バリーは知らない。
「全て己のしたことだと罪を被れば、看守にも口を利いてやったものを」
最近の若者は気が利かない、とバリーは自分のことは棚に上げて罵った。
よもや全てを私の責任にするつもりにする心算ではないだろうな、とバリーは内心で呟く。できることならば、今この場で昔馴染みの二人と経理課の文官の口を封じてしまいたい。しかし、魔術封じの魔道具を付けられている今、口を封じることはできなかった。
「あの青二才と毛唐が居なくなってすっきりしたと思えば、のこのこ戻って来よって」
ベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンは、彼にとっては煩わしい存在に他ならない。バーグソン長官が上手くやって二人が魔導省から姿を消したのは、たった五年だった。
まだ若造にも関わらず、バリーから見た二人はあまりにも“偉そう”だった。特にペトラの方は下働きでもしておけば良かったのに、一人前の魔導士の顔をして研究に明け暮れている。自分たちに命じられた仕事の一環である研究を押し付ければ、自分たちよりも短い時間で結果を出して来た。そのどれもが簡素すぎて、歴史ある魔術を冒涜しているとしか思えなかった。基本に忠実であるべきなのに、その全てを無視した挙句、指摘したバリーに“より少ない魔力量でより高い効果が出るようにしています”と悪びれない。
バリーにとって、魔導士とは選ばれし存在だ。魔術も選ばれし存在だけが使うべきものだった。魔力が少ない者が魔術を使えるようになれば、この世界の秩序が乱れる。魔導士たるものそれだけは避けねばならないというのに、ベン・ドラコもペトラ・ミューリュライネンも、魔導士が居らずとも使える魔道具を編み出すことに余念がなかった。それこそ魔術への冒涜であり、許されない大罪だ。
そんな大罪人が、バリーよりも高い地位にいるなど決してあってはならないことだった。寧ろ彼らにこそ魔術封じの枷をつけるべきだと、バリーは心の底から信じていた。
「――私が得るべきだったものをようやく取り戻しただけだというのに、一体何故このような事態になったのだ」
バリーは苦々しく唸る。
ベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンによって奪われて来たものを、取り返しただけのつもりだった。それにも関わらず、今の彼は罪人のように手枷を付けられ粗末な馬車に乗せられている。魔導省に入る前に使っていた平民の乗合馬車よりも多少マシな程度だ。
「私は天下の第二位階魔導士だぞ」
苛立ちに任せて、バリーは走り出した馬車の窓を叩く。御者席の隣に座っていた騎士がちらりと振り返って窓の隙間を開け「静かにしろ」と告げた。その口調が更に魔導士の怒りを煽る。
「貴様、このようなことをして無事で済むと思うでないぞ。バーグソン長官に申し立て、貴様の首を飛ばしてやる」
すると、若い騎士は呆れを滲ませてバリーを一瞥し鼻を鳴らした。
「その長官殿も、今頃は召喚状を突き付けられているだろうさ」
「な――――っ!?」
なんだと、と言いかけたバリーの鼻先で窓が閉められる。その後、バリーが何を喚き騒ごうが、騎士が窓を開けることはなかった。
*****
魔導省長官ニコラス・バーグソンは、魔道具を両手に付けられたまま王宮に連行されていた。それも向かった先は顧問会議が開かれる広間ではなく“玉座の間”だった。荘厳な飾り付けのされた広間には有力な高位貴族や騎士たちが揃っている。高い場所に誂えられた玉座には誰も座っていなかったが、そのすぐ傍にスリベグランディア王国王太子ライリーが立っていた。その顔は冴え冴えと引き締まり、普段の穏やかな笑みは掻き消えている。
バーグソンの顔は怒りのあまり真っ赤に染まっていた。罪人のように両手に枷を付けられる覚えなど、彼には一切なかった。
「頭を下げろ」
バーグソンを連行して来た騎士は、その言葉と共にバーグソンの肩を強く抑える。すると、大して鍛えているわけではないバーグソンは床に膝をつく他なかった。
「ぐっ――」
勢いを殺せなかったせいで、両膝が酷く痛んだ。毛の長い絨毯はバーグソンの視線の先にある。罪人扱いされているせいか、彼は絨毯の上には立たせて貰えなかった。痛みに顔が歪む。両開きの豪奢な扉がバーグソンの背後で閉じられた後、口を開いたのはライリーだった。
「魔導省長官ニコラス・バーグソン、質問に対する発言を許可する。貴殿がここに召喚された理由は分かるか」
「――あいにくですが、心当たりはなく」
低くバーグソンは答える。実際、彼には何故玉座の間に連れて来られたのか、理由の一つも分かっていなかった。朝、自宅で目を覚ましたバーグソンは、魔導省に出勤する直前騎士団の来訪を受けた。先触れのない訪問は無礼だと怒ったが、押しかけて来た騎士はバーグソンの言葉に耳を貸すことなく、問答無用で魔術封じの手枷を付けて王宮へと連れ去ったのだ。
馬車に乗り込む寸前、バーグソンは騎士が数人自宅に押し入って行ったのを確認した。何をするつもりだと怒鳴ったが、鍛えられた騎士たちの前にバーグソンは無力だった。
その時のことを思えば、バーグソンの心に怒りが燃え盛る。
「殿下、寧ろ此度の騎士団の無礼を私は上奏したく思います。魔導省長官として長らく王国に貢献して来た私に対するこの仕打ち、陛下ならびに殿下の御名を冒涜するものに他なりません」
「バーグソン、不敬だぞ」
バーグソンの言葉を遮ったのは、クライド・ベニート・クラークだった。顧問会議の一員としてこの場にいるのだろうが、自分より遥か年下の若者からの叱責に、バーグソンの額には青筋が浮かんだ。
王太子であればまだしも、三大公爵程度がバーグソンのことを愚弄するなど許せるはずもない。寧ろ彼は王太子にも膝を折ってやっているのだと、そう思っていた。メラーズ伯爵とも懇意にはしていたが、貴族は矜持が高い。頭を下げ従順に振る舞いながらも、バーグソンは心の中で彼らを自分より下の存在だと見下していた。
カッとなってクライドに反論しようとするが、それに気が付いたらしいライリーがすかさず口を挟む。
「私は質問に対する発言以外を許していない」
凛とした台詞は酷く冷たく響いた。普段は穏やかで優し気な態度と表情の王太子が、それら一切を廃した瞬間、ぞっとするような恐ろしさが滲み出る。ライリーの醸し出す威圧感に、バーグソンは知らず生唾を飲み込んでいた。
「――――は、」
謝罪の言葉すらも声にならない。小さく身震いするバーグソンを見下ろし、ライリーは片手を横に差し出した。クライドが手にしていた書類をライリーに手渡す。
そこで、バーグソンはようやく違和感を覚えた。
――何故、宰相であるはずのメラーズ伯爵が脇に控えているのか。
寧ろメラーズ伯爵は観客のような場所に立っている。バーグソンと相対する位置に立っているのはライリーと近衛騎士二人――その内の一人はオースティン・エアルドレッドだ。そして、本来であれば宰相が立っているはずの場所に、クライド・ベニート・クラークが立っている。
「貴殿には複数の容疑が掛かっている。一つ、横領」
「な、」
何を仰っているのですか、という反論は、ライリーの鋭い視線に遮られて言葉にならなかった。
「ベン・ドラコ殿が副長官の座を退いた五年前からその額は年々増えているな。一体何に使っているのか疑問だったが、貴殿が王都に構えている屋敷には、魔導省での収入では賄えないほど高価な品があったと報告が上がっている」
それだけではない、とライリーは言葉を続けた。
「横領は何も金貨のことだけではない。魔導省で利用すると申請し購入した魔導石他、魔道具が多数紛失している。どうやら個人的な顧客に売却し、売り上げは懐に入れていたようだね」
王太子は手元の書類に目を落とし、更に罪状を読み上げていく。
横領、強請、書類偽造、それ以外にも小さな余罪を述べれば枚挙に遑がない。ライリーがバーグソンの顔色を見ながら随所で詳細を述べれば、当初は怒りに赤く染まっていた彼の顔も、徐々に色を失っていった。最後には蒼白になり、冷や汗を額から流しながら小刻みに震えている。
ライリーは手にしていた書類をクライドに返した。どうやら全ての罪状を読み上げたらしい。蒼白になって震えていたバーグソンは、ほっと体から力を抜いた。
状況は決して良くなっていないが、大勢の人目に晒されながら淡々と罪状を読み上げられるのは精神的に負担だった。仰向けに寝て目を閉じることも許されないまま、ゆっくりと迫る断頭台の刃を見つめているような心地だ。
「以上、貴殿の罪として証拠も揃っている。だが、横領や書類偽造、強請といった犯罪であればわざわざ玉座の間で裁く必要もない」
騎士団の兵舎で十分だ、と穏やかに告げるライリーだが、その目は一切笑みを見せていなかった。凍らせるように怜悧な視線でバーグソンを射貫く。
「心当たりは?」
「――い、いえ――全く」
喉を引きつらせながらバーグソンは必死で顔を横に振る。すると、ライリーは小首を傾げて「そうか」と呟いた。そしてこの日、初めてにっこりと笑ってみせた。
バーグソンの臓腑がぞくりと冷える。
「それならば、証人の口から語って貰おうか」
その言葉と共に、バーグソンの背後の扉がゆっくりと開かれる。振り返ったバーグソンは、そこに立つ人物を見て愕然と目を瞠った。
「き――貴様、」
バーグソンだけではない。ライリーやクライド、オースティン――そして顧問会議の面々に紛れて立っていたエアルドレッド公爵ユリシーズ以外の者たちは皆、意外な人物を見たと言いたげに目を瞠っている。
「何故、ここに」
一体その言葉を、誰が呟いたのか。大多数が抱いたであろうその疑問に答えたのは、証人としてこの場に召喚されたローブの男だった。
9-3(捕まった3人はペトラに喧嘩吹っ掛けた3人)
30-5
ざまぁってなんだっけ。









