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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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32. 乙女遊戯の舞台裏 5


時間は少しばかり遡る。

スリベグランディア王国から隣国ユナティアン皇国に繋がる街道は、途中で森を通る箇所が幾つかある。その内最初の森に身を潜めていたオブシディアンは、彼にしては珍しく冷や汗を掻いていた。


「あっぶねえ……」


姿を隠している彼は、とある屋敷から出立した馬車を無事に国外に出す役目を負っていた。


馬車に乗っているのはマルヴィナ・タナーだ。彼女は“立太子の儀”で茶会が開かれると聞いてからずっと、茶会に出るのだと言い張って聞かなかった。

しかし兄ショーンは、マルヴィナを人前に出す気がない。一度、皇国のローランド皇子も居る場で王太子とその婚約者に不敬を働いたのだから、侯爵家当主としては当然の判断だった。そして人身売買に手を染めているとはいえ、頭の回転が速いショーンは、マルヴィナが自分に無断で茶会に乗り込もうとする可能性を考えていたに違いない。

婚約者である隣国の伯爵との初面会が“立太子の儀”の時期に重なるよう計画したのだ。それも、伯爵が王国に来るのではなく、マルヴィナが直接向かう形である。当然マルヴィナは嫌がったが、どのみち嫁ぐのだから、将来暮らす場所をあらかじめ見ておくべきだという主張をショーンは最後まで変えなかった。

どれほどマルヴィナが嫌がっても、侯爵家当主の命令だ。拒否できるはずもない。


「まあ仕方ねえが――まさか、刺客が狙ってるとは思わなかったもんなあ」


オブシディアンは愚痴めいた言葉を口にする。足元には一人の野盗が転がっていた。野盗の両手足を縛ったオブシディアンは、彼の声音を真似て男の仲間に“標的が通る時間が遅れる”と告げたのだ。彼らが狙っていたのはマルヴィナ・タナーだった。オブシディアンがその計画を知ったのは偶然だった。

マルヴィナを暗殺するべく襲い掛かって来た第二弾の暗殺者集団の内、護衛の目を掻い潜って逃げ出した一人を捕らえ尋問したところ、実は念のため別の集団にも野盗に扮して馬車を襲うよう連絡を取っていたと判明した。


『そいつらには何て頼んだんだ?』

『ば――場所と、それから――女が二人、乗っている……、とっ』

『それだけかよ?』


だいぶ大雑把な指示だな、と呆れたように零すと、男は不敵に笑って答えた。即ち、単なる破落戸に余分な情報は要らないということだ。


『それならお前らに暗殺を頼んだのは何処のどいつだ?』

『……ぐ、い、いうと思う、か』


痛めつけた腕に全体重を掛けると、男の顔は苦悶に歪んだ。更に痛めつけたところで、有益な情報は出て来ない。男の表情から判断したオブシディアンは、野盗に扮した暗殺者たちには敢えて偽の情報を流すことで対処することにした。

人数が確定していればオブシディアンが男たちを倒しても良かったが、生憎何人の集団かまでは分からない。全員倒したと思い込んで、実は残党が居たとなれば面倒だ。


「とりあえず、後は他に被害者が出なければ丸く収まるんだがな」


最強の刺客と呼ばれている彼がマルヴィナに近づいたのはリリアナの提案だ。“北の移民”の人身売買にショーンが関わっていることは間違いない。他ならぬオブシディアン自身がその耳で聞いた。しかし証拠がない。ショーンは警戒心が高く慎重な性質らしく、証拠となりそうな書簡等は一切廃棄されていた。

オブシディアンは頭を掻く。


「まだあのガキから何も手に入ってねえから、こんなところで死んで貰ったら困るが」


人身売買の証拠を集めるためにマルヴィナの協力はなくとも構わない。だが、マルヴィナが居た方が話は簡単だ。とはいえ、まさかマルヴィナが命を狙われるとは思ってもいなかった。


「俺がいたから良かったものの――取り敢えずお嬢に相談だけでもしてみるか」


久しぶりに会うよな、とオブシディアンは楽し気に呟く。これまでも定期的に会っていたわけではないが、数ヵ月ほど顔を見ないのは初めてだった。仕事が忙しかったのは確かだが、特に精神的な負担が高かったのはマルヴィナの相手だ。彼女はオブシディアンが気に入ったらしく、彼がマルヴィナの前に姿を現わせば最後、中々解放してくれない。


()()を相手にしてた王太子の忍耐力ってスゲェな、尊敬するわ」


寧ろ憐れむような口調でぼやきながら、オブシディアンは踵を返して街道沿いに広がる森の中を驚異的な速度で走り始めた。



*****



うつらうつらとしていたリリアナは、結界の揺れと人の気配を感じて目を覚ました。緊張感がないのはぼうっとしているからではなく、感じた気配が良く知ったものだったからだった。


「――お久しぶりね、シディ」

「よお。どうした、まだ日は出てるのに寝てたのか?」


珍しいこともあるもんだな、と言いながらオブシディアンは寝台の隣に立つ。少年の顔を見上げながら、リリアナは苦笑した。


「ええ、少し疲れましたの」

「昨日が“立太子の儀”だったよな、どうだった?」


思い出したようにオブシディアンは尋ねる。リリアナは少し考えた。

特筆すべき点は特にない。敢えて言うなら、完全にとは言わないまでもほぼ前世の記憶にある乙女ゲーム通りに事が進んでいる点がリリアナの懸念だ。しかし、前世の記憶があることは決して話すつもりはない。

だから、リリアナは曖昧に微笑んで答えた。


「恙なく、大きな混乱もなく終わりましたわ。敢えていうなら、王太子殿下を狙った刺客が出た気配がなかったことが気に掛かりますわね」


“立太子の儀”が開かれるまで、ライリーの暗殺未遂事件は度々あった。一番大がかりだったのは王宮から騎士団の兵舎に向かう途中の襲撃事件だったが、それ以降も度々毒を盛られたり、侵入者を近衛騎士が取り押さえたりと、こまごまとした出来事が幾度となくあったのだ。そのため“立太子の儀”でも刺客が差し向けられる可能性を考えて、騎士や魔導士を配置していた。

だが“立太子の儀”では一切不穏な気配を感じなかった。呪術の鼠に探らせた情報はまだ精査できていないが、リリアナたちの知らない場所で捕えられた刺客や不審人物も居なかったのではないかと思えるほどだった。


「敢えて静かにしてたってことか?」


オブシディアンは首を傾げる。リリアナは「さあ、どうでしょう」と曖昧に笑んだ。

ライリーの暗殺を企てている人間が大公派であることはほぼ間違いないだろうが、彼らが“立太子の儀”当日に限って静かにしている意図は分からない。

そしてこれ以上話すこともないと、リリアナは早速オブシディアンに訪問の理由を尋ねた。


「それで今日は如何なさいました? 確かタナー侯爵家の監視をなさっていると報告を受けておりましたが」


オブシディアンには幾つかの仕事を頼んでいるが、しばらくはタナー侯爵家の状況――特に当主であるショーン・タナーの動向を注視しているとの連絡を受け取っていた。

ショーンが“北の移民”の人身売買に携わっていることはほぼ間違いがない。他にも懸案事項は幾つかあるが、そろそろ決着を付けて国内を安定させなければ隣国の脅威にも備えることができない。そのため、オブシディアンがタナー侯爵家を監視することはリリアナにとっても朗報だった。


「監視してたんだが、馬鹿令嬢がようやく隣国に入ったからな。報告したいこともあるし、一旦戻って来た」

「まあ」


一体何があったのかとリリアナは首を傾げる。オブシディアンは寝台の枕元に置かれた小ぶりの棚に軽く腰かけると、おもむろに口を開いた。


「“立太子の儀”の茶会に妹が殴り込みに行かねえように、兄貴が時期を合わせて皇国の婚約者に会いに行くよう予定を立てたんだ。だが、その途中で刺客に襲われた」

「――襲われた?」

「ああ。襲われたといっても、屋敷から出て街道に入るまでに二度だけ、だけどな。三度目は先に防いだが、どうやら他の奴らを勘違いで襲ったらしい」


頷いたオブシディアンの答えに、リリアナは呆れを隠さなかった。


「普通は、襲われたりは致しませんのよ」

「そりゃあそうだろうけどなあ」


オブシディアンは肩を竦める。刺客として生きて来た彼にとって、命を狙われることのない人生は別世界のようなものなのだろう。しかし今はその話をする必要はない。リリアナは気を取り直してマルヴィナの暗殺について尋ねることにした。


「誰が彼女の命を狙ったのか、分かります?」


普通の貴族令嬢であれば、刺客などという物騒な存在に付きまとわれるはずはない。マルヴィナは苛烈で我が儘な性格ではあるが、命を狙われるほどではない。考えられる一つの可能性は、彼女の兄ショーン絡みだ。

リリアナの問いにオブシディアンは肩を竦めた。


「さあ、そこまでは分からなかった。一度目の襲撃は護衛たちが取り押さえたから俺は確認してねえ。二つ目の時は、護衛が一人取り逃したからそいつを捕まえた。でも何も知らない下っ端だったぜ」

「それでは、三度目というのは?」

「街道に入った後、最初の森を抜けるところだな」


オブシディアンの答えにリリアナは瞠目する。その場所は彼女の記憶にある。ヒロインであるエミリア・ネイビーが野盗に襲われ、ローランド皇子との再会イベントが発生する場所だった。


「まさかとは思いますけれど、野盗が狙っていたのではなくて?」

「知ってたのか?」


今度はオブシディアンが驚く番だった。予想通りの答えに、リリアナは口から零れそうになる溜息を堪えた。やはりエミリアが襲われた事件と関係がある可能性が高い。リリアナはオブシディアンの問いには答えず、更に質問を重ねた。


「その道を通る予定だった日時は?」

「今日の早朝だ。だが、野盗には予定が変更になって今朝通ることになったと伝えた」


オブシディアンはにやりと笑う。リリアナは胡乱な視線をオブシディアンに向けた。あのマルヴィナが、大人しく早朝馬車に揺られて街道を進むとは思えない。すると、オブシディアンは肩を竦めた。


「ああいう手合いの女は面倒だが、扱いやすいからな。上手く宥めすかしておだてれば簡単に動くぜ」


リリアナは溜息を吐く。そしてオブシディアンは誤魔化されてくれるような男ではなかった。問うような視線を向けて来るオブシディアンに、リリアナは小さな笑みを向ける。


「存じていたわけではありませんのよ。ただ、その時間帯に襲撃された馬車があったと、風の噂で」


勿論直接情報を得たわけではない。だが、ゲームの内容が正しければほぼ間違いなくエミリアは野盗に襲われ、そして立ち往生していたところでローランド皇子と出くわすのだ。

一方、オブシディアンはリリアナの台詞に呆れ顔を隠さずぼやいた。


「相変わらずの地獄耳だな。俺も初耳だぞ、それ」

「正確な情報ではありませんけれどね」


あっさりとリリアナはそこで話を切り上げる。笑みを引っ込めて真剣な表情で、眉根を僅かに寄せつつ呟くように言葉を綴った。


「彼女が狙われている理由は侯爵にあるのでしょうね。本人が命を狙われるほどの事をしたとは思えませんし」

「兄貴が殺そうとした、っていう可能性は?」

「それでしたら、館の中で毒殺した方が宜しいでしょう。病死とでもなんとでも、言い訳は立ちますわ」


オブシディアンも本気で言ったわけではないらしく、リリアナの答えに「そりゃそうだな」と頷いた。視線を天井に固定して、彼は何事かを考えている。その横顔をなんとなく眺めていたリリアナは、ふと一つの可能性に思い立った。


「ああ、でも」

「あん?」


逸らしていた視線をリリアナの方に向けて訝しそうな声を上げたオブシディアンに、リリアナは淡々と一つの可能性を指摘した。


「妹を暗殺し、その罪を政敵に擦り付けるのであれば、家内で暗殺するのは具合が悪いですわね」

「――――そうだな」


オブシディアンは苦い顔で頷く。間違いなくその可能性は存在していた。そしてショーン・タナーが妹の暗殺を企てたと弾劾することで、ショーンが利を得ることになる存在。それは間違いなく、ライリーを支持する国王派の貴族に他ならない。


「ですが、マルヴィナ嬢は三度の暗殺を掻い潜り隣国へと旅立たってしまわれた。国外で暗殺されてもなお、国内貴族が犯人だとあげつらうことは出来ないでしょうし――彼女の矜持は許さないでしょうけれど、国外にいらした方が身の安全は確保できるかもしれませんわ」


仮定でしかないが、もしリリアナの推測が正しいのであればマルヴィナは王国内の政治が落ち着くまで帰国しない方が良いだろう。しかし婚約者に挨拶するだけであれば、一ヶ月後には戻って来るはずである。


(もしかしたら、乙女ゲームでの彼女は暗殺されてしまったのかもしれませんわね)


マルヴィナ・タナーという名前は、ゲーム本編でも設定資料集でも出て来なかった。つまり、ゲームが始まる前か開始直後に命を落とすなり、隣国に立ち去るなりしていた可能性はある。

彼女はリリアナを敵視し悪口や陰口を散々叩いていたが、リリアナに恨みはない。もし許されるのであれば隣国で無事に生きていてくれたら良いのだがと、リリアナは一人静かに考えた。



19-9

24-3

29-2~4

30-8

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