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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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32. 乙女遊戯の舞台裏 3


王立騎士団の兵舎に到着したライリーは、団長室に真っ直ぐ向かった。書類仕事をしていたらしいヘガティ団長は、突然の王太子の来訪に驚いた様子だった。しかし一瞬目を瞠っただけで、表情は平静を装っている。

ヘガティは立ち上がるとライリーにソファーを勧める。オースティンともう一人の近衛騎士が戸口に立ったところで、団長はライリーに言われるがままソファーの対面に腰かけた。


「どうかなさいましたかな」

「忙しいところすまない。先ほど、ローランド皇子殿下からこのような私信が届けられたんだ」


ライリーは受け取ったばかりの手紙をヘガティに差し出した。受け取ったヘガティはざっと目を通して、すぐに手紙をライリーに返す。その表情は真剣そのものだった。


「これはあまり――宜しくはないですな」

「ああ。そこに書かれている“何者か”の狙いが分からないからね。示唆されているどの可能性も否定できない以上、現状で我々に打てる手立てはないとも言える」


ローランド皇子から送られて来た手紙には、帰路でネイビー男爵とその娘が乗った馬車が何者かに襲撃されたこと、それが賊の勘違いであったらしいことが簡単に記されていた。そしてあくまでも私見であるとしながらも、ローランド皇子を狙ったものなのか、それともスリベグランディア王国の貴人が標的だったのか、その両面から捜査をする必要があるのではないかと憂慮する内容だった。


「できれば、男爵とその娘に犯人の容姿を訊きたい気もしますが」

「それも一つの方法だが、恐らく賊を捕えても黒幕は分からないのではないかと思う」

「一理ありますな」


ネイビー男爵と令嬢を襲った野盗を捕縛できるかどうかも定かではない。苦労して捕らえたところで黒幕が分からないのであれば、手間だけが掛かる。他に被害が出ないよう手を打つという意味では賊を探す必要はあるだろうが、わざわざそのために王立騎士団の騎士を動かす必要があるかと問われたら答えは否だった。


「この件は衛兵に回しておきましょう。勿論、仔細は伏せておきます」

「ああ、頼む」


ライリーは頷いた。ヘガティ団長は上手く取り計らってくれるだろうという確信があった。

しかしそれで話は終わりではない。ライリーが人に任せず自ら足を運んだことせいか、ヘガティもまたこれで終わりだと思ってはいない様子だった。続きを促すように、静かにライリーを見つめている。

小さく笑みを浮かべたライリーだったが、すぐに真面目な表情に戻った。


「団長に直接話を持って来たのは、一つ気に掛かることがあったからだ」

「気に掛かること、ですが」


団長は訝し気に目を細めた。眉根を寄せて考える素振りを見せている。しかしライリーが何を懸念しているのかは思い至らない様子だった。


「皇子殿下一行が襲われたのは東の街道だ。この街道は団長も知っての通り、皇国に繋がっている。だが勿論、我が国の領地にもこの街道を使えば行ける。ただそれほど様々な場所に通じているわけではない」

「ケニス辺境伯領からカルヴァート辺境伯領の北部にかけて――ですな」

「その通り」


ヘガティはライリーが何を言いたいのか察して、苦々しく呟いた。ライリーもまたヘガティと同じように苦い顔つきになっている。


「ローランド殿は朝早く王宮を発った。あの時間帯に王都から出る貴族はそれほど多くない。貴族の乗っている馬車を襲えとだけ言われていたのだとしたら、黒幕は恐らく標的が“立太子の儀”に参加して翌朝発つ予定になっていると把握していたはずだ」

「本当の標的が誰だったのか、かなり絞られますな」


この時期に王都に来る貴族は、ほとんどが“立太子の儀”または茶会に参加するためだけに領地から出て来ている。“立太子の儀”と同日に行われた茶会は早めに終わったから、領地が近い貴族は当日中に王都を発った。“立太子の儀”の式典と晩餐会に参加した貴族は高位貴族だけであり、茶会に参列したのはライリーたちと年齢が近しい嫡子がいる貴族だけだ。

更にその中でエミリア・ネイビーと父の男爵が襲われた街道を使う貴族となると、片手に足りる程度だろう。様々な領地を通る他の街道であれば捜索も難航するだろうが、東に向かう街道を使う領地はそれほど多くない。勿論、他の領地も東の街道を使えなくはないが、非常に遠回りをする上に途中で道なき道を通る羽目になり、現実的ではなかった。


「分かりました。皇子殿下の暗殺の可能性も視野に入れつつ、基本的には国内貴族の暗殺を企んだという線で捜査します」

「ああ、頼んだ」


ヘガティが力強く請け負い、ライリーは安堵の溜息を吐いた。少し困ったように彼は付け加える。


「この時期に暗殺未遂とは、迷惑極まりないが――優先すべきはこの捜査ではなく、以前から準備を進めている件だと承知しておいて貰えるだろうか」

「御意」


勿論そのつもりだという表情で、ヘガティは頷く。ライリーの言う通り、ヘガティは副団長マイルズ・スペンサーも巻き込んで秘密裏に下準備を進めて来た。実行までそれほど日もないため、今の段階で計画を蔑ろにするつもりはなかった。

今まさに獲物の喉笛を噛み切ろうとしている獅子のように獰猛な笑みを、ヘガティは浮かべる。


「散々我らを馬鹿にした報いも、彼の方が受けた屈辱も、全て奴らに倍にして返したいとかねがね思っていましたからな。今からその日が楽しみでなりませんよ」


団長にしては珍しく私情と私怨に満ちた台詞だった。思わずライリーは苦笑する。


「いや、団長の期待に応えられるほどのものではないかもしれないぞ」

「心配はしておりませんぞ、殿下」


必要以上の罰を科す気はないというライリーに、ヘガティは意味深な顔で首を振ってみせた。


「奴らは腐るほどの金と見当違いの矜持で生きている存在ですからな。たとえ死を間近にせずとも、全てを奪われずとも、十分奴らには報いになるに違いありません」


何でもないことのように言い放つヘガティを見て、ライリーは僅かに目を瞠る。そして次の瞬間、面白くて堪らないというように笑みを零した。



*****



帰宅の用意を終えたリリアナは、ジルドと共に王都近郊の屋敷に戻った。リリアナの体調が優れなかったと知っているジルドは、傍からは分からない程度にリリアナを心配している様子だった。しかし口に出しては何も言わない。リリアナを出迎えたマリアンヌにも、リリアナが体調を崩したということは告げなかった。護衛の立場として差し出がましいことをしない、というよりも、単にジルドの性格故だろう。しかし今回はリリアナにとってジルドのその態度が有難かった。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ええ、ありがとう」


衣服の着替えをマリアンヌに手伝って貰っていると、マリアンヌが少しそわそわした様子で口を開く。


「“立太子の儀”は如何でしたか?」

「色々な方がいらしてらしたわ。ブロムベルク公爵夫人とカルヴァート辺境伯もお見掛けしたわね」

「まあ、珍しいですね」


マリアンヌは目を丸くした。どうやら彼女はカルヴァート辺境伯だけでなくブロムベルク公爵夫人のことも知っているらしい。リリアナは小首を傾げて「知っているの?」と尋ねた。マリアンヌははっきりと頷く。


「はい。私は記憶にないのですが、お若い頃によくカルヴァート辺境伯領へ足を運ばれていたそうで、その途中にケニス辺境伯領に立ち寄ることもあったそうです。両親からその時の話をよく聞きました」

「あら、そうなの? ブロムベルク公爵夫人はカルヴァート辺境伯とお親しいのかしら」

「当時はビヴァリー様の旦那様が辺境伯だったようですが、その時から辺境伯ご夫妻とは親しくなされていたようです。最初はビヴァリー様とお付き合いなされていたところ、結婚なさってから当時のカルヴァート辺境伯とも親交を持たれるようになったとか」


リリアナは無言で頷いた。

ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領は殆ど隣合っている。間に小さな領地はあるが、同じ辺境伯領としても付き合いが深いのだろう。

着替えを終えたリリアナは、部屋のソファーに腰掛ける。マリアンヌは衣服や荷物を片付けながらリリアナに尋ねた。


「お嬢様、今日は如何お過ごしになるご予定ですか?」

「そうね、部屋でゆっくりしようかしら」


ライリーだけでなくベンやオースティンから再三休めと言われたからではない。リリアナは今、頭の回転が遅くなっている自覚があった。全体的に反応も鈍くなっている。この状態では本を読んでも内容が頭に入って来ないだろうし、魔術や呪術の研究も失敗する可能性が高かった。それならばいっそのこと、体を休めて体調を整えた方が良い。


(本当でしたら、わたくしの魔力が増えた理由を調べたいのですけれど)


もしかしたら、以前アジュライトと見つけた湖近くの小屋に何か原因が見つかるかもしれない。途中までしか解術は出来ていないが、意識して探せばリリアナの魔力が増えた要因が分かる可能性もある。

だが今無理に解術を行い、その場で倒れたら目も当てられない。マリアンヌに見つかれば最後、しばらく部屋から出して貰えなくなる危険性もあった。


(わたくしを部屋に閉じ込めても、意味はないのですけれど)


たとえ監禁されたとしても、外に出られないよう強力な魔術で結界なり封印なりが施されない限り、リリアナはいつでも外に出て行ける。部屋の鍵などあってないようなものだ。

そんなことを思っていると、マリアンヌは少し心配そうにリリアナの顔を窺い頭を下げた。


「承知いたしました。でしたらお茶をお持ちします」

「――ええ、お願い」


リリアナは頷く。部屋を出たマリアンヌはあっという間にお茶を持って戻って来た。頼んでいないのに、蜂蜜が入っている。一口飲んで甘さに目を瞬いていると、マリアンヌは優しく微笑んだ。


「体調を崩されているのでしょう、お嬢様。今日はそれをお飲みになりましたらお休みになられてください」

「――体調を?」

「ご自覚召されていないのですか?」


まさかマリアンヌに気が付かれているとは思わず、リリアナは呆然とマリアンヌを見上げた。するとマリアンヌは更に心配そうに表情を曇らせる。そしてリリアナが何か答える前に、彼女は「まず」と口を開いた。


「少し目元が腫れていらっしゃいますし、普段と違いぼんやりとなさっておいでです。反応も少々鈍いようにお見受けしますし、それから喉の調子も思わしくないのではございませんか」

「……よく見ているのね」

「ええ」


当然です、とマリアンヌは答える。少しばかり胸を張っているように見えて、リリアナは手元のコップに視線を落とした。


「少し熱を出しただけですもの、今はもう大丈夫よ」

「つい先日体調を崩されたことをもうお忘れですか? 本日はしなければならないこともないとの事ですから、寝台でお休みになられてくださいね」


マリアンヌは頑として譲らない。普段は穏やかだが、マリアンヌの芯は真っ直ぐで重要なことは決して譲らない。そんなところはケニス辺境伯に似ていると、リリアナは心の隅で思った。しかし、だからこそ今のマリアンヌに反論しても受け入れられないことは分かっている。もし寝台に寝たくはないとマリアンヌを説得するのであれば、相応の理由が必要になるだろう。

とはいえリリアナ自身も今日は休むつもりで居たから、否やはない。


「ええ、分かったわ」


素直に頷いてリリアナは蜂蜜の入った紅茶を一口飲む。じんわりと体に広がる甘やかな味に、全身から力を抜いた。

お茶を飲み終えたリリアナはコップをテーブルの上に置く。その間に寝台を整えていたマリアンヌは、リリアナを寝台に誘うと紅茶の入ったコップを片付けた。


「お眠りになれそうですか?」


マリアンヌに問われ、リリアナは頷く。自分が思っていた以上に疲れていたのか、寝台に寝転べば直ぐに眠れそうだった。

寝台に潜り込んでうつらうつらとする主を見て安堵を滲ませたマリアンヌは、小さく「お休みなさいませ」と告げて部屋を出た。使用人たちにはリリアナを起こさないように言い含めておかなければならないが、幸いにも現公爵であるリリアナの兄クライドや祖母、母も同居はしていない。不意の訪問者さえいなければ、リリアナの安眠は妨げられないはずだった。


だが、マリアンヌは知らない――それから数刻。寝ていたリリアナは、気配を感じて目を覚ます。そこに立っていた人物は、リリアナに一つの知らせを齎したのだった。


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