32. 乙女遊戯の舞台裏 2
「ベン・ドラコ殿。一体何が分かったのかな」
ライリーに問いに、ベンは絞り出すように答えた。
「――――魔力量が増えています。これまでも魔力量は多かったのですが、更にその五割増しといったところでしょうか」
ライリーは絶句する。オースティンとリリアナはきょとんと首を傾げた。
今のリリアナは十三歳だ。以前倒れたのは十三歳になる直前のことだった。普通は魔力も安定する年頃である。だからこそ、咄嗟に理解できなかった。特にオースティンは空耳だったのではないかとでも言いたそうな顔をしている。
一方で、ライリーは正確にベンの意図したことを汲み取った。何よりも、ライリーはリリアナが初めて体調不良を起こした時にベンに相談している。その時に交わした話の内容が頭を過ったのだろう。
「つまり人為的に魔力量が――それも魔力制御できないほど大量に、増やされたということか?」
「そう考えなければ説明がつきません」
こんな現象は見たことがないと、ベンは苦々しく告げた。
ベンは誰にも言っていないが、リリアナの魔力量は元々、潤沢な魔力を持つ魔導士三人分程度だった。それだけでも驚異的だったというのに、今や四、五人分の魔力量がその華奢な体の中に納まっている。
「魔力量が変わらず、体が耐えられなくなっている可能性を考えましたが――そうではない」
勿論、以前ライリーに教えた通り過去の報告はある。過去に行われた、人為的に魔力量を増やす実験はいずれも成功には至らなかった。ただし詳細な文献はない。そのため、どこまで実験が進められたのか把握する術はない。
魔力量を増やした後、一定期間は――例えば数ヵ月以上、被験者が生き長らえられたのか。
それとも直ぐに命を落としてしまったのか。
仮にリリアナの魔力量が増えた原因が外因的なものだとしたら、リリアナの命が尽きないように気を遣った術を何者かが開発したということになる。しかしそれは現実的ではないように思えた。
つまり、それは。
「何らかの要因で、既に持っている魔力が増幅されたのだと思います」
魔力の質にそれほど大きな変化はない。ただ量だけが増えている。そして何者かが魔術や呪術で魔力を増幅させ、しかし単なる体調不良で収める程度に調節するなど現実的には不可能だ。
そこから導き出される結論はそれほど多くない。
外部からの刺激で、体が魔力量を増やした。しかし体はそれに耐えきれていない。
ベンの説明を聞いたライリーやオースティンもまた深刻な表情だった。ライリーはその中でも気遣わし気な視線を時折リリアナに向けている。リリアナは自分のことだというのに、どこか他人事のようにベンの話を聞いていた。
「――サーシャ、本当に心当たりはないのか?」
ライリーに尋ねられたリリアナは首を傾げる。目を伏せて考え込んでいたが、やがて小さく首を振った。
「ございませんわ」
「そうか――」
ライリーは眉根を寄せて難しい表情を浮かべ、暫く沈思黙考する。リリアナの言葉を頭から信じた様子ではなかったが、リリアナが「覚えがない」と言っている以上この場で原因を追究することも難しい。
やがて顔を上げると、ライリーはベンに尋ねた。
「それでは、リリアナ嬢の状態を改善するためにはどのようにすれば良い?」
「最善は魔力量が増える原因を取り除くことです」
ベンは一も二もなく答えた。その原因が取り除かれない限り、リリアナの魔力量はどこまでも増えてしまう可能性がある。だが、それではいつしかリリアナの心と体が耐えられなくなる。そうなれば、後は死を待つだけだ。
「ですが、現時点では原因が分からない。そのため、定期的に魔力を体内から排出させる必要があるかと思います」
「排出させるにはどうすれば良い?」
ライリーがすかさず尋ねる。オースティンが「魔術使いまくれば良いのか?」と口を挟めば、ベンは小さく頷いた。
「ええ、そうですね。普通の魔力量であれば、少し多目に魔術を使えば体内の魔力量は減ります」
「――微妙な言い回しだな」
ベンの言葉に、オースティンの頬が引き攣る。それも当然だった。
理論的には、体内の魔力量が適正に戻るまで魔力を使えば良い。しかし問題は、減らすべき魔力量の多さだった。
もしリリアナの魔力量が適正になるまで魔術を使えば、王都は消し飛ぶだろう。
「リリアナ嬢の魔力量では、魔術を使うだけでは間に合いません。身に付けるだけで魔力が吸い取られるような魔道具があれば良いのでしょうが――」
「そんなものはないな」
ライリーが溜息混じりに答える。ベンは頷いた。
魔導石は鉱石に魔力を込めることで作られるが、それも魔力を込めすぎれば石が壊れる。無限に魔力を吸収する魔道具など存在しない。
ベンはリリアナに目を向けた。
「使えそうな魔道具は極力速やかに作りたいと思います。ただこれまで考えたことのない分野なので、どこまで順調に進むかは分かりませんが」
基本的にベンやペトラが研究し開発してきた魔道具は“少ない魔力で最大限の効果を発揮する”ものだった。その逆は検討する必要すらなかったのだ。そもそも、魔力量の少なさに悩むことはあっても、魔力量が多くて困ることは滅多にない。魔力を持て余すほど身の内に持っている人間など、これまで一人もいなかった。尤も、持て余すほどの魔力を持つ者は幼少時に亡くなっているという報告もあるから、今後の検討課題ではあった。ただしそれほど優先順位は高くなかった。
「構いませんわ。ベン・ドラコ様もお忙しいでしょうし、そこまでなさらずとも」
「サーシャ」
ライリーがリリアナの言葉を遮る。ベンが居るというのにリリアナを愛称で呼び続けるライリーは、どこか苛立っている様子だった。押し殺した激情が碧眼の奥深くに滲んでいる。しかし、ライリーは目を瞑って深呼吸を繰り返した。再び目を開けた時、そこには理性の色が戻っている。それでも口を開いた彼の声は低く押し殺されていた。
「これは私からのお願いだ。頼むから、もっと自分を大切にしてくれ」
リリアナの返答を待たずに、ライリーはベンに顔を向ける。そしてこの上なく真面目な顔で、厳かに告げた。
「色々と忙しくなるところではあるが、その魔道具は可及的速やかに製作して欲しい」
「御意」
ベンもまたはっきりと頷く。ライリーの言う通り、これから暫くベンは忙殺されることが決まっている。それでもリリアナの身を守るために必要な魔道具の研究には出来るだけ早く取り掛かろうと決めていた。
「ミューリュライネンと――それから弟たちの手も少し借りるかもしれません」
「何でも良い。ただし必要以上には広めないようにしてくれ」
「分かりました」
確かにリリアナの状態が広まってしまえば、ライリーの婚約者の地位を狙う令嬢やクラーク公爵家を敵視する者たちに命を狙われてしまいかねない。
了承したベンは魔道具の入った袋を持って立ち上がる。そしてライリーとオースティン、リリアナに退室の挨拶を告げると早々に部屋を出て行った――その背中を、リリアナが呆然と見つめていることに気が付くこともなく。
リリアナと共にベン・ドラコを見送ったライリーは、顔をリリアナに向けた。
「サーシャ」
「――はい」
何でしょう、とリリアナは首を傾げる。ライリーは真っ直ぐにリリアナを見つめて真剣に告げた。
「まだ本調子ではないだろう。良ければ王宮に泊っていかないか」
それはリリアナにとっては予想外の提案だったらしく、目を丸くしている。王都近郊に構えられているリリアナの屋敷はそれほど王宮からも遠くない。だからリリアナは多少体調不良でも王宮には滅多に泊まらなかった。ライリーもそれを知っているはずなのに、今回のことでリリアナに対する心配が一際大きくなってしまったらしい。
「貴方が心配なんだ」
真摯に訴えかけるライリーを見て、リリアナは目を瞬かせる。少し考えていたが、しかしリリアナは小さく首を振った。
「――お言葉は有難いのですが」
ライリーは眉根を寄せる。唇を引き結んで僅かに俯いた。
多少強引になってもリリアナを帰したくないと思っている様子だったが、少しの葛藤の後、ライリーは深く息を吐いて己の気持ちを抑え込んだ。
「分かった。貴方の意思を尊重しよう」
だがこれだけは忘れないでくれ、とライリーはリリアナに念を押す。
「決して無理はしないこと。少しでも普段と違うことがあれば、必ず他を頼って自分一人でどうにかしようとしないこと。この二つを守って欲しい」
ライリーの言葉を聞いたリリアナは不思議そうな表情を浮かべていた。ライリーが何故そんなことを言うのか、理由が分からないのだろう。しかしライリーと言い合うつもりもなく、彼女は静かに頷いた。
「ええ、善処致しますわ」
「頼んだよ」
それだけ告げて、ライリーは部屋を出る。最後にリリアナに向けられた心配そうな彼の瞳を、リリアナは黙って見つめていた。
*****
ベン・ドラコが立ち去った後、くれぐれも無理はしないようにとライリーに言い含められたリリアナは、大人しく帰宅の準備を始めた。ライリーは王宮への滞在期間を延ばせばどうかと言っていたが、日帰りできる距離にある自分の屋敷に戻らない理由はない。
溜息を吐けば、熱い吐息が唇を擽った。どうやらまだ熱が下がってはいないようだ。
(魔力量が増えているなんて――一体何故かしら)
考えても心当たりは全くない。ベンはリリアナが何かしらの魔術や呪術を使ったのではないかと疑ったようだが、最近はリリアナもそれほど大掛かりな研究はしていなかった。
(変わったことと言えば、アジュライトが発見した湖近くの森にあった小屋を見つけたことですけれど)
だがその小屋に掛けられた呪術陣は人間の持つ魔力を増幅するようなものではないはずだ。解術は終わっていないが、未だにそのような効果は見つけられていない。とはいえそれ以外に心当たりもなく、リリアナは首を傾げるしかなかった。
(五割増しになっているということは、大体魔導士四、五人分の魔力量ということでしょうね)
リリアナは六歳の時、初めて会ったベン・ドラコに魔力量が膨大だと看破された。その時は魔力量よりも自身の声が出ないことの方が問題だったため、魔力量を測定して貰うこともなく、ペトラに喉に掛けられた術の解術を行って貰った。しかしその後、事あるごとにベンはリリアナの魔力量を測定したいと言い、そして数度目にはリリアナが折れたのだ。
リリアナは潤沢な魔力を持つ魔導士三人分ほどの魔力があると言われた。そしてリリアナもその指摘は真っ当だという感想を抱いた。当時リリアナはフォティア領からの帰路、立ち寄った街で魔物襲撃に遭った。その時彼女は一人で街を浄化した。その時に使った魔術は、聖魔導士が二、三人で行うものだった。
何故そこまで魔力量が多いのか、ベン、ペトラ、そしてリリアナは疑問に思った。しかし原因は思い当たらず、リリアナの体におかしな点も見当たらなかったため、偶々そういう体に生まれ付いたのだろうという結論に至った。
しかし今考えれば、何故生まれつき魔力量が多かったのか、そして何故今更になって魔力量が増えているのか、改めて疑問に感じる。
「アジュライトは何か、知っているかしら」
リリアナは呟いた。魔力が体内で荒れて初めて体調を崩した時、落ち着かせてくれたのはアジュライトだった。あの黒い獅子は人間ではない。その知識も、リリアナは勿論人間では決して得られない範囲にまで及ぶ。
次にアジュライトが現れた時には尋ねてみようとリリアナは心に決めた。
その時、侍女が扉を叩いて部屋に入って来た。
「準備が整いました」
「そう、ありがとう」
どうやら帰宅する用意ができたらしい。侍女に礼を告げると、リリアナは立ち上がり部屋から出た。扉の外にはジルドが立っている。
王宮に居る間、ジルドは常に不機嫌な表情を崩さない。しかしその瞳は気遣わし気な色を浮かべていて、リリアナは僅かに居心地の悪さを覚えた。
「行きましょう」
しかしジルドには敢えてなにも言わず、リリアナは廊下を歩き出す。ひんやりとした日陰の空気に、リリアナは小さく身震いした。
*****
執務室に戻ったライリーは、先に向かっていた近衛騎士から一通の手紙を手渡された。
「これは?」
「先ほど、ローランド皇子殿下の使者が持っていらっしゃいました」
「つい先ほど発ったばかりだというのに、おかしなこともあるものだな」
呟いてライリーは手紙を持ったまま執務椅子に腰かける。オースティンともう一人の近衛騎士は扉口に立った。
宛名を確認したライリーは目を瞬かせる。文字の形からして、手紙を書いたのはどうやらドルミル・バトラーのようだった。バトラーの手癖は何度か書類を見て知っている。
封書を開けて中の紙を確認する。それほど長い文面ではなかったが、ライリーの顔つきは鋭くなった。一体どうしたのかと様子を窺うオースティンの視線を感じたが、ライリーは何も言わなかった。少し考え込む素振りを見せると、立ち上がって付き従う二人に告げる。
「これから騎士団に行く」
「御意」
向かう先は騎士団――彼が会おうと決めたのは、騎士団長トーマス・ヘガティだった。
8-2
9-3
30-1









