32. 乙女遊戯の舞台裏 1
スリベグランディア王国王太子のライリーは、ローランド皇子を見送った後、共に見送りをした宰相メラーズ伯爵たちと別れて執務室に向かった。
「あの、申し訳ありません――殿下にお話が」
「何用だ」
執務室まであと少しというところで、侍女が声を掛けて来た。対応するのはオースティンだ。侍女は緊張を隠せない様子だったが、その表情からのっぴきならない事情がありそうだということは分かった。一言、二言と会話をしていたオースティンの顔が僅かに曇る。
「わかった。報告感謝する」
オースティンは侍女を労うと、踵を返してライリーに近づいた。二人の様子を眺めていたライリーは首を傾げる。
「オースティン、どうした」
一体何があったのかと問えば、オースティンは声を低めて淡々と答えた。もう一人近衛騎士がいるためか、オースティンもライリーも主従関係の建前を崩さない。
「リリアナ嬢が熱を出されているということです」
「熱?」
ライリーは瞠目した。知らず冷や汗が背中を流れる。嫌な予感が彼の胸に沸き起こったが、オースティンは安心させるように言葉を続けた。
「はい。それほど高くはないようですが、倦怠感がひどいようで、まだ寝台に入っておられると。医師は疲労だと言っていたそうですが、念のため王宮の出立を遅らせるようです」
「――そうか」
どうやら大事には至っていないらしいと分かってライリーはほっと安堵の溜息を漏らす。しかしそれでも完全には安心できなかった。
リリアナが発熱したという話を聞いてライリーが最初に思い出したのは、リリアナが魔力暴走を起こしかけて倒れた時のことだった。手紙でしか状況は聞いていないが、滅多に体調を崩さないリリアナが珍しく王宮に来られないと手紙を寄越したから印象に残っている。
「一旦リリアナ嬢の部屋に向かう。それから――ベン・ドラコ殿もまだ王宮に留まっていたな。彼を呼ぶように言ってくれ」
「ベン・ドラコ殿、ですか」
オースティンは目を瞠った。何故ベン・ドラコを呼ぶのか理由が分からないとでも言いたげだ。しかし反論することはなく、オースティンは一つ頷くと侍女にベン・ドラコをリリアナの部屋まで派遣するよう言いつける。
その上でライリーはもう一人の近衛騎士を振り返った。
「悪いが、先に執務室に行っておいてくれないか」
「いえ――しかし」
ライリーとオースティンよりも一回り年嵩の近衛騎士は戸惑う。近衛騎士としては護衛対象であるライリーから離れるなどあってはならないことだ。そのことを良く理解しながらも、ライリーは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「本来ならば貴殿も共に行って貰う方が良いのだろうが、何分リリアナ嬢は体調を崩している。あまり大人数で行くのも彼女の負担になるだろう」
「は、そういうことでしたら」
近衛騎士は渋々ながら頷いた。ライリーの言葉は納得できるものだったが、彼の矜持には反する命令だったのだろう。しかし、リリアナが泊まっている部屋はそれほど離れているわけでもない。それならばライリーの命が狙われる可能性も低いだろうと、無理矢理自分を納得させたようにも見えた。
ライリーはオースティンだけを伴いリリアナの部屋に向かう。寝込んでいるというリリアナに会えるかどうかは分からない。もし会えるとしても、近衛騎士であるオースティンは扉の外に立たせてライリーだけが入室する形になるだろう。しかし、それでもベン・ドラコにはリリアナの魔力を確認して貰いたかった。
そんなことを考えていると、周囲に人が居なくなり普段の気安さを取り戻したオースティンが口を開いた。
「それにしても珍しいな。リリアナ嬢が体調崩すなんて、ここ七年で初めてじゃないか? 最後は流行り病で寝込んだ時だったと思うが」
「ああ――そうだな」
オースティンの驚いたような言葉に、ライリーはどこか上の空で頷く。幼い頃からの夢を叶えて今ライリーの隣に立っている幼馴染は目を瞬かせて横目で王太子の様子を窺った。
「何か悩み事でもあるのか?」
「いや――ああ、そうだな」
一瞬否定仕掛けてライリーは頷く。オースティンからの視線を痛いほどに感じながら、彼は溜息混じりに心の内を吐露した。
「――サーシャが体調を崩したと聞くと、どうも心配になる」
「医者は疲労だって言ってたらしいじゃないか。他に何か気がかりでもあるのか? たとえば――呪いとか」
後半はライリーにも聞き取れるか聞き取れないか、というほどの声音だった。ライリーは顔は前に向けたまま、ちらりとオースティンを一瞥する。二人の視線が空中で絡み合い、すぐに解けた。
オースティンはライリーが無言を貫くのを見て、わずかに苦笑を浮かべる。
「そんな顔するな。ベン・ドラコ殿を呼べというから、もしかしてと思っただけさ」
「多分、呪いではない――と思う」
魔術の天才と名高い魔導士ベン・ドラコを呼ぶということは、リリアナが単なる体調不良ではないと考えている証左だ。冷静に指摘したオースティンに、ライリーは静かに答えた。
「それならどうして――?」
オースティンは訝し気に尋ねた。ライリーは口籠る。リリアナの手紙に書かれていた、魔力暴走一歩手前の状態に陥っているということを軽々しく口にして良いとは思わない。ライリーはオースティンを信頼しているが、リリアナは以前からずっとオースティンに対して一線を引いていた。尤もそれはライリーやクライドに対しても同じだ。
だからといって、ライリーはオースティンに嘘はつきたくなかった。だから辛うじて言えることだけを口にする。
「私にもよく分からないんだ」
*****
ライリーに呼ばれていると侍女に声を掛けられたベン・ドラコは、眠たい目をこすりながらリリアナの部屋に向かった。どうやら王太子は近衛騎士オースティン・エアルドレッドと共に既にリリアナの元へ向かったらしい。
自分を呼ぶということは、もしかしたらリリアナが再び魔力暴走に近い状態に陥ったのかもしれないと、ベンは見当を付けた。予想が当たって居た場合に備えて、念のため魔道具も部屋から持ち出している。本格的な検査はできないが、簡易検査であれば王宮でも可能だ。簡易検査といっても、ベンとペトラの研究によってそれなりに魔力の状態が詳細に分かるよう精度が高められている。
万が一、近日中に実行する計画に関して呼ばれたのであれば、呼び出される先は客室ではなくライリーの執務室になるはずだ。しかし侍女が居る手前、軽はずみな発言はできない。
ベンは不思議そうな表情を取り繕って首を傾げてみせた。
「一体何があったんでしょうか」
「さあ――お嬢様がご体調を崩されたと殿下にお伝え致しましたら、ベン・ドラコ様をお呼びするよう申し付かりまして」
「そうか。じゃああなたも分からないんだね」
予想はしていたがやはり侍女は何も聞いていないらしい。思わず溜息混じりに告げれば、まだ王宮に上がったばかりと思しき少女は肩を竦めた。
「申し訳ございません」
責めたつもりはなかったが、そう聞こえたらしいとベンは苦笑する。謝る必要はないと伝えると、侍女は更に恐縮した様子で頭を下げた。
ベンが泊っていた客室からリリアナの部屋までは少し距離がある。しばらく歩いて行くと、扉の前にオースティンが立っているのが見えた。どうやら室内にはライリーしか入れなかったらしい。王太子の婚約者である公爵家の令嬢が寝間着で寝ているのだから当然かと、ベンはようやく思い至った。
「お連れ致しました」
「ご苦労。下がって構わない」
侍女が頭を下げればオースティンは優しく侍女を労う。美貌の若き近衛騎士の穏やかな笑みに侍女は僅かに頬を染めたが、大人しく頭を下げてその場を立ち去る。
オースティンはベン・ドラコを見ると、軽く会釈した。
「お久しぶりです。殿下は中に」
「オースティン殿が入っていないのに僕が入って良いのかな」
「貴方がいらしたらお招きするようにと言われましたから」
問題ないのでしょう、とオースティンは言う。ベンは微苦笑を浮かべて一つ頷いた。オースティンが扉を叩いてベンの来訪を告げると、中から扉が開く。顔を出したのは侍女だった。顔を伏せ気味にしてベンを中に通す。
ベンが中に入ると、既にリリアナは起き上がっていた。寝間着ではなく、簡素ではあるが人前に出られる服に着替えていたことに安堵する。
ベンを招き入れた侍女は部屋から出て行き、代わりにオースティンが中へ入って来た。
「倒れたって聞いたけど、大丈夫?」
ベンは気軽にリリアナに声を掛ける。ライリーが片眉を上げたが、何も言わなかった。ベンは王太子の反応を目の端に捉え、そういえばリリアナとベンが会話している場面をライリーが見るのは今回が初めてだったと思い至る。幸か不幸か、ベンはリリアナとの交流は多いものの人前で会うことはなかった。基本的にはペトラと三人で顔を突き合わせ魔術や呪術の研究をしていたが、それもほぼベンの私邸で落ち合っていた。
しかしリリアナは、彼女にしては珍しくその事に思い至らなかったのか、少し戸惑い気味の目をベンに向けた。
「倒れたわけではございませんわ」
「でも熱があるだろう。それに普段よりもぼんやりしてる」
リリアナの言葉に反駁したのはライリーだった。心配しているせいか顔つきが険しい。普段から内心を読ませないよう表情を取り繕っている王太子にしては珍しかった。
「そんなこと――」
なおも否定しようとするリリアナを遮って、オースティンが軽い口調で告げる。
「でも確かに、普段より顔も赤いよな。言葉にもキレがないし、ここは殿下の仰る通りベン・ドラコ殿に魔力の検査もして貰えばどうだ」
扉の外にいたはずのオースティンはどうやらリリアナとライリーの会話をおおよそ把握していたらしい。三対一だと分が悪いと思ったのか、リリアナは小さく溜息を吐いて「本当に大丈夫だと申しておりますのに」と愚痴めいた言葉を零しながらも「承知いたしました」と頷いた。
ライリーはようやくリリアナの同意を得て安堵に頬を緩ませる。医者には疲労と言われたが、彼らは魔力まで詳細に見ることはできない。もしかしたら真夜中に魔力暴走を起こしかけて、朝方になって落ち着いた可能性もある。言葉にこそしなかったが、ベンとライリーはその可能性に思い至っていた。
「ここで出来ることは簡易な検査だけですが」
ベン・ドラコは前置きをして、手に持っていた袋から魔道具を取り出した。魔術陣だけでなく呪術陣も組み合わせた高度なものだ。ライリーやオースティンは初めて見たらしく、興味津々な目を魔道具に向けていた。一方のリリアナは、その魔道具が一体何の用途なのか把握したらしい。熱に浮かされてぼんやりした頭でも、リリアナの聡明さはある程度健在だった。
ベンは小さく微笑を漏らして準備を進める。
準備が整ったところで、ベンはリリアナに目を閉じて体から力を抜くように告げた。リリアナは差し出された魔導石を両手に一個ずつ持ち、ソファーの背もたれに体を預けて目を閉じる。体の両脇と足元には魔道具が置かれ、ベンがリリアナの額に指先を付けて短く詠唱を唱えた途端、虹色の光がリリアナの周囲に巻き起こった。
「これは――?」
一体何が起こっているのかとライリーが目を眇める。オースティンもまた、美しい七色の光に目を瞬かせて見入っていた。
暫くすると、七色の光は緑色の光に集約されていく。しかしその光は強く、リリアナの体さえ見えなくなるほどだった。
ベンがリリアナの額から手を離すと、光はあっという間に消える。驚いていたライリーとオースティンはしばらく無言だったが、やおらベンに目を向けた。ベンは難しい表情で魔道具を回収する。目を開けたリリアナからも魔導石を受け取り袋に仕舞うと、ベンは深刻な声音でリリアナに尋ねた。
「最近――というか、前に倒れた日の前に、魔術か呪術の実験でもした?」
「しておりませんわ」
リリアナは首を振ってやんわりと否定する。その表情は嘘をついているようには見えない。しかしベンは追及の手を止めようとはしなかった。
「それなら、何か変わったことは?」
「思い当たることはございませんわね」
それでもなおリリアナは首を振る。少女の顔をじっくりと凝視していたベンだったが、やがて深く息を吐き出すと顔を顰めて黙り込んでしまった。
無言でベンとリリアナの会話を眺めていたライリーとオースティンだったが、とうとうライリーが痺れを切らしてベンに顔を向けた。
「ベン・ドラコ殿。一体何が分かったのかな」
ライリーの問いに、ベンはどこか辛さを含む目を上げた。緊張がその場を支配する。そして告げられたベンの言葉を耳にしたライリーは、思わず息を飲んだ。
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