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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
213/563

31. 乙女遊戯 13


ローランド・ディル・ユナカイティス皇子はライリーに別れを告げると、馬車に乗って街道を進んでいた。同じ馬車には宰相補佐のドルミル・バトラーが乗っている。バトラーは相変わらず仕事に追われていて、ローランドの前で気難しい顔のまま書類を読んでいた。


「最後にリリアナ嬢にお会いできなかったのは残念だったな」


車窓から外を眺めていたローランドはぽつりと呟いた。バトラーはぴくりと眉を反応させて、目だけをローランドに向ける。皇子の横顔を注視しながら、バトラーは静かに問いかけた。


「クラーク公爵令嬢にお会いになりたかったのですか」

「今回の訪問では互いに忙しく、直接話す機会もなかったからな。俺が声を掛けようと思った時には常にライリー殿が隣にいらしたし、俺は殆ど彼としか話をしていない。別れの挨拶もできなかった」

「王太子殿下の正式な婚約者になられたからでしょう」


ローランドの言葉に、バトラーはにべもなく答えた。ローランドがリリアナと直接会話を交わす機会がなかったのは、以前外遊した時とは異なりリリアナがライリーの正式な婚約者となったためだ。そもそも以前の外遊の時でさえ、ローランドがリリアナと直接言葉を交わせたのはたった一度だけ、それもライリーが仕事で席を外した短い時間だけだった。

様々なことを語り合いたくとも、それが許されるような関係性と立場ではない。

理解はしていても、ローランドは苦笑と共に不満も滲ませながら小さく溜息を吐いた。


「お前はもう少し人の気持ちを慮った方が良いな。その調子だとその内イーディに負けるぞ」

「競った覚えはございません」


そもそも一体イーディス皇女と何を競うのですか、とバトラーは呆れ顔を隠さない。無茶な理屈を口にした自覚はあるので、ローランドは賢明にも口を噤んだ。


リリアナと話をしたかったというのはローランドの掛け値なしの本気だった。以前の外遊でリリアナと会話した時、ローランドは視界が拓けたように思えた。自分が見ていた世界はあまりにも狭かったのだと思い知った。同時に、妹姫のためだと思っていた行動や態度が全て“逃げ”であったとも理解した。


その時、突然馬車が止まった。ローランドは訝し気に眉を寄せて外の様子を窺う。バトラーも書類から顔を上げて、探るような視線を窓へと向けた。

一行はちょうど、森に差し掛かったところだった。見晴らしがとても良いわけではないが、かといって死角が多かったり暗すぎたりするわけではない。


「――襲撃された様子ではないようですが」


気配を探っていたバトラーの言葉に、ローランドも頷く。もし暗殺者や野盗に襲撃されたのであれば、外はもっと騒がしくなっているはずだ。だが馬車を守るように囲んだ近衛騎士たちは動じた様子もなく、平然としていた。

バトラーは馬車の扉を僅かに開けて、近場に居た近衛騎士に尋ねた。


「何が起こったのですか」

「は、どうやら前方で馬車が脱輪している模様です」


今彼らが通っている道はそれほど広くない。一般的な乗合馬車や商人たちが乗るような馬車であれば、もしかしたら脱輪した馬車を尻目に通り過ぎることもできただろう。だが、ローランドたち一行は馬車の大きさは勿論、付き従う隊列も相応の人数がいる。そのため、脱輪した馬車を動かさなければ通り過ぎることも出来ないのだろうと思われた。


「脱輪? 助けてやったのか」


バトラーの代わりに近衛騎士に尋ねたのはローランドだった。近衛騎士はまさかローランドに話し掛けられるとは思っていなかったらしく、一瞬目を瞠った。しかしすぐに無表情を取り繕うと小さく頷く。


「数名の侍従と騎士が手伝っているようです」

「そうか」


ローランドは頷くと、慌てる近衛騎士と呆れるバトラーを置いて馬車から出た。少し先ではあるが、確かに畑へと脱輪した馬車、そしてどうにかして馬車を道の上に戻そうと押している男たちの姿があった。だが、ローランドの目を引いたのは彼らの存在ではなかった。


「――あれは」


予想外の人物に、ローランドは僅かに目を瞠った。道の上で申し訳なさそうな顔で、しかし困ったように立ち尽くしている少女に、ローランドは見覚えがあった。


「皇子殿下?」


バトラーの呼び止める声を無視して、ローランドはさっさと脱輪した馬車に向かって歩き出す。数名の近衛騎士たちが慌ててローランドの後を追うが、彼は片手を上げると近衛騎士たちをその場に推し留めた。バトラーが呆れ顔で見ているような気がしたが、皇子はそれも無視する。

そして脱輪した馬車の近くまで来ると、ローランドは立ち尽くしている少女に声を掛けた。


「誰かと思えば貴方だったのか、ネイビー男爵令嬢」

「あ――皇子殿下、」


まさかこのような場所で会うとは思っていなかったのか、エミリアは印象的な目を丸くした。そして慌てて礼を取る。ローランドはその様子に苦笑を漏らして「顔を上げろ」と言った。


「別にそう改まらなくて構わん。ここは公式の場でもないし、俺も堅苦しいのは好きではない」

「――恐れ入ります」


エミリアは複雑そうな表情で礼を言った。皇子に“畏まらなくても良い”と言われたところで、どの程度砕けた態度にすれば良いのか、判断が付きにくいのだろう。はっきりとエミリアの目は泳いでいた。

男たちが汗を拭いながら馬車を道の上に戻そうとしているのを眺めながら、ローランドは「しかし」と話題を変えた。


「このように整備された道で脱輪するとは珍しいな?」

「――なんだかよく分からないことが起こりまして」

「よくわからないこと?」


ローランドが尋ねれば、エミリアは控え目に、しかしはっきりと頷いた。


「はい――その、突然野盗に襲われたのですが」

「日も高い上にこのような場所で、野盗?」


エミリアの説明は端的だが、あまりにも意外なものだった。改めてローランドは周囲を観察してみる。狼藉者たちが隠れられそうな森はあるが、比較的拓けた場所であるため、森の手前も抜けた先も民家がある。馬車を襲うにしては多少、不便な土地柄だ。

普通野盗は地の利を生かして活動するため、追手が簡単に自分たちを追いかけられない場所で仕事をする。しかし今ローランドたちが居る場所は、この近辺に明るくない者でもある程度は追いかけられるだろうと思えるような地理だった。

首を傾げるローランドに、エミリアははっきりと頷いて言葉を続けた。


「しかも、私たちの乗っている馬車が脱輪した後、扉を開けるとそのまま何もせずに逃げて行ったのです」

「逃げた? ――妙なこともあるものだな」


ローランドは難しい顔で考え込む。話を聞く限り、単なる盗賊には思えなかった。何かしらの目的があって襲ったようにしか思えない。


「その者たちは何か言っていたか?」

「間違えた――とか言っていたように思うんですが、突然のことだったので。もしかしたら聞き間違えているのではないかとも思います」


エミリアは自信がないのか、小さな声で答えた。

一方のローランドは低く喉の奥で唸った。エミリアの言葉が確かなら、それはローランドの推測を裏付ける証言にしかならない。

つまり野盗は単なる賊ではなく、何者かを狙って襲ったのだろう。それが私怨によるものなのか、何者かに依頼されてのことなのかは分からない。しかしいずれにせよ、エミリアたちの乗った馬車が勘違いで襲われたことだけは確かだった。


「ドルミル」


ローランドは振り返ることすらせず、無言で気配すら消して近づいて来た部下に声を掛けた。エミリアが驚いたように振り返る。そこでようやくローランドは優秀な宰相補佐に顔を向けた。


「気配を殺して近づくな」

「失礼いたしました」


バトラーは全く申し訳ないと思っていない表情で謝罪する。ローランドは呆れるが、それ以上その点については苦情を述べないことにしたらしい。バトラーはローランドからエミリアに目を向けた。驚きが去ったエミリアは、改めてバトラーに向き直りきちんと礼を取った。


「お初お目にかかります、エミリア・ネイビーと申します」


バトラーは茶会に出ていない。そのため、エミリアとバトラーはこの時が初対面だった。


「これはご丁寧に。私はドルミル・バトラーと申します。皇子殿下の付き人のようなものですので、そこまで畏まらずとも宜しいですよ」

「は、はい。ありがとうございます」


緊張しきったエミリアは気が付いていなかったが、ローランドは敢えて宰相補佐という身分を明かさなかったバトラーを半眼で見ていた。バトラーはローランドの言いたいことが分かっていただろうに、しれっと見て見ぬふりをしている。

だからといってここでバトラーが宰相補佐という立場にいることを言えば、エミリアを追い詰めることにもなりかねない。そう判断したローランドは、わざとらしい溜息を一つ吐くだけに留めた。そして思っていたことをバトラーに告げる。


「ドルミル、この件を私信としてライリー殿に伝えようと思う。用意してくれ」

「畏まりました」


バトラーは当然のように頷くが、それに驚いたのはエミリアだった。ぎょっと目を丸くしている。

男爵令嬢に過ぎない自分たちの件を、たとえ私的な手紙とはいえ、皇子から王太子に知らせるということが仰々しくも恐れ多いと思ったに違いない。その心境を察したローランドはエミリアを落ち着かせるように口角を上げた。


「気にするな。なにも貴方の為というわけではない。施政者として、無頼漢を放置するわけにはいかないのだ」

「あ、そ、そうですね」


エミリアは納得したように頷いた。ローランドは尤もらしい表情で重々しく頷く。バトラーは一瞬呆れたような視線をローランドに向けたが、何も言わず無言で手にした鞄から紙とペンを取り出すと手早く手紙を認めた。そして近場に居た侍従を呼び寄せると、急ぎ手紙を王宮に届けるように告げる。

あっという間の出来事に、エミリアは呆気にとられた様子だった。

そこに騎士の一人が声を掛けて来る。


「失礼致します。馬車を道に戻し終えました。確認しましたが、問題なく走行できるようです」

「あ、ありがとうございます! 助かりました」


弾かれるようにして顔を上げたエミリアが礼を述べる。騎士は驚いたように目を瞬かせたが、目元を緩めて「滅相もありません」と軽く会釈した。ローランドは唇に笑みを浮かべてエミリアを見やる。


「良かったな。これから領地に戻るのか?」

「はい」

「そうか。パッチワークに関しても貴方と話ができたらと思っていたのだが、なかなか時間が合わなかった」


心から残念そうに告げたローランドに、エミリアは戸惑ったような視線を向ける。何を言えば良いのか分からなかったのか、彼女は困ったような笑みを浮かべた。

ローランドは「それではな」と言う。あまり長い時間エミリアを引き留めるわけにもいかないし、ローランドたちも今後の旅程というものがある。


「また会う機会があれば、是非領地のことを聞かせてくれ」

「――はい、勿論です」


エミリアは最後まで戸惑った様子だったが、ローランドの言葉に頷いてくれる。ローランドが踵を返して馬車に向かうと、ようやくエミリアも自分の馬車に乗り込んだ様子だった。

ローランドの斜め後ろを歩くバトラーが声を潜めてローランドにだけ聞こえるように囁く。


「ネイビー男爵が慌てふためいているようですよ。やはり直々に声を掛けるのはやりすぎだったのでは?」

「別に構わんだろう。それに、彼女の話は面白いと思うぞ。何よりもあのパッチワークをどのように地方の農村の活性化に生かすか、俺たちでは思い付かない案も出て来るだろう」


バトラーはわざとらしく溜息を吐いた。


「ご意思は理解しますが、隣国の男爵令嬢に対する態度としては行き過ぎです」


苦言を呈するバトラーに、ローランドは肩を竦めてみせた。その言葉には直接答えず、ローランドは皮肉に口角を上げた。


「彼女の実家が男爵だと良く知っていたな」

「皇国だけでなく王国の貴族は全て記憶しておりますから。それに貴方が男爵と呼んでいらしたでしょう」

「――さすがだな」


ローランドは呆れ顔を隠さずに呟いた。皇国は広大な土地を持っているため、爵位もかなりの数に上る。ローランドでさえ辛うじて覚えたと思っているが、もしかしたら漏れがあるかもしれないと思うほどだ。だがバトラーはその全てを完璧に記憶している上に、王国の下位貴族まで把握しているという。もはや人間業とは思えなかった。

溜息混じりに首を振り、しかしバトラーに人間業を求めても仕方がないと思い直して馬車に乗り込む。


パッチワークというものがあれば、農業も産業も根付かない貧しい地域も多少は富むのではないかとローランドは考えている。特に皇国では北方地域が冬場は雪に閉ざされ、思うように開発が進まない。しかしパッチワークであれば、冬場家に引きこもりながらでも作ることが出来る。

しかしローランドたちに想像できるのは精々その程度で、もっと他に何かないかと考えても案を思いつかなかった。しかしネイビー男爵令嬢であれば何かしら知っているかもしれない。その期待が、ローランドにはあった。


「それにしても」


ローランドの後から馬車に乗り込んだバトラーは、馬車が動き始めてからようやく口を開いた。窓の外を眺めていたローランドはバトラーの方に顔を向ける。バトラーは再び書類を広げて難しい顔で手元に何かしら文字を書き込んでいた。馬車は揺れるのに器用なことだとローランドが思っていると、バトラーは目すら上げずに淡々と告げた。


「今回の件ですが、もし本当に貴方を狙った刺客でしたら我が国の手先である可能性が濃厚です。たとえ王太子殿下に告げたところで、ただ徒に彼らの人手と時間を割くだけですよ」

「お前らしくもないな、バトラー」


優秀な宰相であるはずの男の台詞に、ローランドは呆れるどころか驚きを隠せなかった。目を瞬かせてまじまじとバトラーの顔を凝視する。


「俺のことを狙った刺客が一介の男爵の馬車を狙ったりなどするものか。どれほどの愚か者でも、皇族と下位貴族の違いなど直ぐに分かるだろう」


しかしローランドは静かに首を振った。


「その可能性もあるでしょう。しかしもう一つの可能性もあります」

「もう一つの可能性?」


首を傾げたローランドに、バトラーは教師のような口調と表情で淡々と教え諭した。


「実際に馬車を襲った者が、標的の名前を具体的に聞いていなかった場合です。これも良くあることですが、下賤の者に暗殺を依頼する場合は標的の名を明らかにしないことが多い。何故なら、標的を教えることで暗殺者が尻込みしてしまい、実行の直前に金を持って逃げる可能性があるからです」


それだけの説明で、ローランドはようやくバトラーがどのような可能性を念頭に置いていたのか理解した。


「つまり、野盗はいつ頃通る馬車を襲うように依頼されただけだと?」

「可能性としてはあり得ます」


真面目な顔で頷くバトラーだったが、ローランドは納得できなかった。

標的となる馬車を教えられていただけでは、その中に誰が乗っているのかも分からないだろう。今回の場合、標的がエミリアたちかどうかさえ知らず、彼女とその父の命を奪っていたはずだ。


「だが、野盗はエミリア嬢の顔を見て“間違えた”と言ったらしいぞ。標的を知らなければ間違えたかどうかも分からないではないか」

「標的は男二人だと言われていたら、如何いたします?」


バトラーの問いに、ローランドはハッとした。


「――馬車に乗っていたのが男一人と少女一人だったから、間違いだったと気が付いた――ということか?」

「その可能性は否定できないでしょう」


ローランドは言葉を失った。低く唸って考え込む。確かに、その仮説を取るのであればライリーたちが刺客を探しても見つけ出すことは難しいだろう。黒幕はほぼ間違いなく皇国の者で、追手が掛かる前に安全圏へと逃走しているはずだ。

頭を抱え込んでしまったローランドを見て、バトラーは小さく笑みを零した。


「ご安心ください、私信にはその可能性も含めて認めております」


抜け目のない宰相補佐の言葉に、ローランドは疲れた顔を上げた。


「――全く、お前は優秀な部下で助かる。だがお前の推測が正しければ、帰路も油断はならないということだな」

「お褒めに預かり光栄です。それに油断は常に禁物だと申し上げております。どうぞくれぐれも、気を抜いたりはなさいませんよう」


全く有難いとも思っていない顔でバトラーが答える。苦笑を漏らしたローランドは再び窓の外を眺める。

そして二人を乗せた馬車は彼らの懸念にも関わらず、何の問題もなく皇国へと辿り着いたのだった。



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