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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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31. 乙女遊戯 12


無事に晩餐会も終わり、リリアナは疲労を抱えたまま王宮に用意されていた部屋で寝る用意を終えた。本当であれば王都近郊の屋敷に戻っても良かったのだが、晩餐会は夜遅くなってから終わる。翌朝帰れば良いというライリーの言葉に甘えて、リリアナは王宮に留まることにした。


(確かローランド皇子殿下とヒロインのイベントは明日でしたわね)


リリアナは内心で呟いた。

ローランド皇子は茶会の翌日に帰国の途に着く。その際、エミリアは偶然皇子と会うのだ。皇子が出立するのは朝方だ。リリアナは王宮を昼前に去る予定だから、転移の術を駆使すればその現場に居合わせることはできるだろう。


「――疲れたわね」


ぽつりと呟いて、リリアナは寝台に潜り込んだ。

マリアンヌは屋敷に残して来たから、リリアナの身の周りの世話はライリーが手配した王宮の侍女が行ってくれている。将来の王太子妃なのだから王宮の女官や侍女と関わることは必要だとライリーは言うし、リリアナもその通りだと理解はしていた。だが、幼い頃から仕えてくれていたマリアンヌの方が気心が知れている分、二人でいる時も気を抜ける。そのマリアンヌが居ない以上、リリアナは一人になるまで全く気を抜けなかった。


目を瞑ればあっという間に睡魔が訪れる。引きずり込まれるようにリリアナは意識を失い――そして彼女は、夢を見た。



――――どこまでも暗い世界。常夜の世界で草木は枯れ、人も動物も皆陰鬱な顔を晒していた。食べ物もなく川は干上がり、昼夜問わず――否、昼でさえ太陽が出ないため闇に侵されているのだから魔物が出てもおかしくはない。いつどこから魔物が人里を襲うのかも分からない状況で、人々は恐怖に恐れ戦いていた。そしていつ終わるとも知れない恐怖に苛まされた人々は、心と体を病んでいく。

精神の強い者は体を病み、体の強い者は心を病む。優しい夫が妻を殴り、穏やかで献身的な妻が夫に罵詈雑言をまき散らす。闊達だった人はあらゆる物に興味を失い気鬱に沈む。

子供をあやす母は乳が出ないことを悩み、十分な食事にありつけない子供は骨の浮き出た手足と不自然に膨らんだ腹を抱えて動くことさえ出来ない。


その世界を眺めて、()()()()()()()()()()()()()


『この世など、滅びてしまえば良い』


終焉へと着実に進む世界を、ほの暗い色を浮かべた双眸で見下ろし、うっそりとその人は笑った。

数少ない大切なもの全てを奪い去り己を絶望へと突き落とした世界への恨みは、次から次へと湧き出て来る。どれほど苦しめても足りないと、絶望と悲哀を越えた先にある憎悪が身の内から己を喰い尽くすような錯覚さえした。


『苦しんで苦しんで――そして絶望を覚えるが良い』


そうすれば、きっとこの地の者たちは絶望と悲哀を覚える。信じていた神に助けを求めても、神は決して手を差し伸べてくれない。何故救ってくれないのかと、人々は天と地に呪詛をまき散らす。負に満ちた感情は彼らの地に瘴気を呼び込み、魔物を生み出す。

最初にたった一つの切っ掛けさえ与えてしまえば、あとは恨みも怒りも恐れも、人々は全て好きなように生み出してくれた。こちらが手を貸すまでもないほど呆気なく、人々は闇へと堕ちて来た。彼らを助ける神など存在しないのに、人々はただ神に縋りつくだけだ。その原因がまさか自分たちの側にあるなど、思いもしない。


()から――――――を奪ったのは、お前たちだ』


一体誰を――否、何を奪われたのか――自分の口が紡いだ言葉を、リリアナは認識することができなかった。ただその言葉を口にした時、張り裂けるほどの痛みが胸を襲った。


失った時、()は絶望した。悲しみ嘆きこの世を恨み、何故自分からそれを奪ったのだと慟哭した。いっそのことこの命を奪って欲しかったと願えど、それは決して叶わぬ望みだと分かっていた。


『憎い、憎い――貴様ら全てを地の底に突き落とし業火で焼いたとしても、この恨みは決して消えることはない』


それならばせめて、この世界ごと自分の命を弔えば救われるだろうか――そう自問するリリアナの目は、苦しみ藻掻き足掻く人々の醜態を眺めている。自然と上がる口角を、抑えることはできなかった。



*****



普通であれば入ることは出来ないはずの王宮に、黒獅子のアジュライトは何食わぬ顔で侵入していた。警備している衛兵たちの目を掻い潜り、結界にすら感知されないようにすることはアジュライトにとって容易いことだった。


『あそこか』


アジュライトが目指したのは、リリアナの寝ている部屋だった。ふわりと気配も姿も他人からは見えないよう消したまま、そっと寝台に近づく。前足を寝台に掛けて熟睡しているリリアナの顔を覗き込んだ。

リリアナはよく眠っていて起きる気配はないが、その顔は熱を持って真っ赤になっている。触れるまでもなく発熱していることが分かった。アジュライトは小さく息を吐く。そうなっているだろうことは、黒獅子には簡単に予想ができていた。


『仕方がないとはいえ――苦しそうだな』


熱い吐息を吐いているリリアナは悪夢を見ているのか、眉間に皺を寄せていた。全身に脂汗を掻いているようでもある。アジュライトは前足を伸ばして、以前と同じようにリリアナの額に乗せた。

アジュライトの目には、リリアナの体内に渦巻く膨大な魔力が見えている。普段であればせせらぎのような穏やかさで循環している魔力が、今は嵐に絶え間なく晒されている大海原の大波のようにうねり荒れ狂っている。膨大な魔力量はそのままでは内側からリリアナの体を傷つけてしまうため、少しでも早く落ち着かせなければならなかった。


『全く、人間というのは不便な』


誰も聞いていないにも関わらず、アジュライトは苛立ったようにぼやく。

アジュライトにとって人間の体はあまりにも脆かった。人ではない黒獅子にとって人間の魔力は酷く少ない。だが、それ以上に人間の体はあまりにも魔力に対する耐性が低かった。アジュライトにとっては大した魔力量ではなくとも、人間にとっては致死的になる。その中で、リリアナが持つ魔力量はアジュライトの目を引いた。他の人間とは比べものにならないほど多い。だが同時に、それはリリアナの体が膨大な量の魔力にどこまで耐えられるかという問題も孕んでいた。


ゆっくりとリリアナの体内で荒れ狂う魔力を落ち着かせていく。最初の時よりも掛かった時間は短かったが、リリアナの容体はあまり改善していない。

そっとアジュライトは前足をリリアナの額から外して、不思議な色に光る瞳でじっくりとリリアナの全身状態を確認した。


『拒否反応が出ているな』


体内を循環している魔力は落ち着きを取り戻したが、体は未だに体内の魔力への拒絶反応を示していた。だが残念なことに、今の段階でアジュライトに出来ることはない。あとはリリアナの体力次第だ。


『また何度か、同じような状況に陥るだろうが……』


アジュライトは小さく溜息を吐いた。それでもたった一つの希望はある。紫と緑が混じった目を瞬かせて、アジュライトはリリアナに届いていないと知りながらも声を掛けた。


『――俺にできることは魔力を整えることくらいだが、耐えてくれ』


願うようなその言葉は誰にも届くことなく消えて行く。アジュライトはしばらくリリアナの傍らに留まっていたが、夜が明ける前にその場から姿を消した。



*****



目覚めた時、リリアナは体調が優れないことに気が付いた。


「――熱でも出ているのかしら」


頭がぼんやりとして体が動きにくい。全身が倦怠感に包まれ、身動きするのもしんどかった。


(もしかして、また魔力暴走の一歩手前?)


ふと思いついてリリアナは自分の体内にある魔力の流れを感じようと集中する。しかし魔力は普段と変わらず穏やかに循環していた。思わずリリアナは首を傾げた。

体の感覚は、先日魔力暴走を起こしかけて倒れた時と似ている。しかしその割には体内の魔力は落ち着いていた。

ぼんやりとリリアナは天井を見上げる。長い夢を見ていた気がするが、内容は全く覚えていなかった。ただ、胸の痛みだけを覚えている。焼けつくような激情はリリアナがこれまでの人生でも感じたことのないものだった。絶望も悲哀も憤怒も憎悪も、リリアナが抱いたことのある感情より遥かに大きい熱量を持っていた。あまりの大きさに未だに圧倒され、そしてその負担が体に表われているのではないかと思うほどだった。


(一体、何だったの)


どこか苛としながらリリアナは眉根を寄せる。

もし人に説明するのであれば、内容は覚えていないが悪夢だったとしか言いようがない。十分な時間寝たはずなのに、全く疲れが取れていなかった。寧ろ疲労感は寝る前よりも増している。


「ああ――そう、」


そうだった、とリリアナは気だるげに呟いた。もうそろそろエミリアとローランド皇子のイベントが始まる頃だ。皇国に戻ろうとしていたローランド皇子が、道で立ち往生しているエミリアの馬車を見つけて部下に助けるよう指示する。最初はエミリアだと気付いていなかった皇子だが、馬車から降りて来たエミリアを見て茶会で話をした少女だと気付き、自らも馬車から降りて声を掛けるのだ。

エミリアの乗った馬車が脱輪したのは、無頼漢に襲われたからだった。しかし途中で襲撃者たちは標的を間違えていたと悟って早々に退散する。一体誰を襲うつもりだったのかゲームでは明らかにされていなかったし、その後誰かが殺害されたという情報も出ては来なかった。


昨日立てた予定では、リリアナは姿を消してその場に居合わせるつもりだった。だが今は上手く魔術を使える気がしない。リリアナにしては珍しく、現場に向かったところで決定的な失敗をしてしまうのではないかという焦燥が頭にこびりついて離れなかった。


「――鼠を、」


鼠を放ち情報だけを持ち帰らせれば良いのだと、リリアナの優秀な脳は簡単に解決法を導き出す。しかし、頭で理解はしていても体が動かなかった。

気が付けば再び意識は闇に沈んでいく。寝ては駄目だと思うのに、思うように体は動かない。


どこかで自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、反応することもできずリリアナは再び眠りについた。



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