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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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31. 乙女遊戯 11


幸いにもリリアナは侍女たちに疑われることなく部屋に入ることが出来た。護衛が居ない事だけは不思議がられたが、用があって少しだけ外していると告げればそれ以上追及されることもない。

侍女たちの手で体を拭われ衣装を着替えていると、オルガが戻って来た。


「受け取っていただけたかしら」

「はい、恙なく」


言葉が足りないリリアナの質問の意図を難なく汲み取って、ブローチを官吏の元に持って行ったオルガははっきりと頷いた。リリアナは満足気に口角を上げた。

遺失物を届けた場合、所定の手続きに従って拾得者が報告書を提出しなければならない。更にオルガに持っていくよう告げた先は、リリアナが今いる部屋からだいぶ離れた場所にあった。そのためオルガが戻って来るまでに時間が掛かるだろうと踏んでいたのだが、案の定だった。


「持ち主が見つかると宜しいわね」

「はい」


オルガは頷き扉口に立って護衛に戻る。リリアナは侍女たちの手際を見るともなしに眺めていたが、耳元でパキンと硝子が割れるような音を聞いた。


(白い鳥が消滅しましたわね)


消えたのはベラスタを追跡していた呪術の鳥だ。ベラスタに気が付かれないよう幻術で巧妙に隠してはいたもの、どうやら何かしらの結界に触れて消滅したらしい。リリアナの作った鳥は簡単な結界であればすり抜けてしまう。だが間違いなく、鳥は結界に行く手を阻まれ消失した。


(魔導省あたりかしら)


ベラスタが一体何の目的で魔導省に行ったかのかは分からないが、可能性として一番高いのは魔導省だった。魔導省に勤める魔導士一人一人の能力はリリアナに到底及ばないが、魔導省を防御している結界は王国内でも王宮の結界と争うほど立派な代物だ。確か、ベン・ドラコが副長官だった時代に魔導省と王宮に掛けられた結界を全て見直し、効果を高めたと言っていた。王国随一と言われる魔導士の努力の結晶なのだから、リリアナの呪術を弾いたとしても不思議はない。


そんなことをリリアナが考えている間にも、着実に晩餐会のための準備は進んでいく。衣装を変えて化粧を整え香水をつけたところでようやくリリアナは解放された。ソファーに腰掛けて、侍女が淹れてくれたお茶を飲む。毒見はしてくれているが、毎回リリアナは魔術で解毒してから嗜むようにしていた。

二杯目のお茶を侍女が注いでくれた時、王太子が来たと侍女が伝えてくれる。既に準備は終わっているから会うことに問題はない。リリアナは侍女に頷いて、ライリーに入って貰うよう告げた。



*****



晩餐会は式典と同じ会場で開催される。基本的には王宮楽師の音楽を聞きながら席について食事を楽しむが、式典とは異なり交流を目的としているため、自由に移動し歓談する時間も設けられていた。そして式典の時よりも参加人数は多い。

ライリーとリリアナは簡単に食事をした後、ひっきりなしに訪れる貴族たちの相手に終始していた。


「お久しぶりですわね、王太子殿下」


にこやかに声を掛けて来たのはリリアナの知らない女性だった。隣には穏やかに微笑んでいる、優しそうな男性が立っている。しかしその目は抜け目のない光を浮かべていて、見た目通りに温和な人物でないことは直ぐに知れた。


「ブロムベルク公爵、公爵夫人、ようこそいらっしゃいました」


ライリーはにこやかな笑みを零した。作った表情ではなく心からのものだ。そしてリリアナも、ライリーが口にした名前には覚えがあった。

ヘンリエッタ・ブロムベルク公爵夫人はユナティアン皇国に嫁いだライリーの伯母だ。目を引くような美人ではないが、理知的な眼差しが印象的な女性である。

実際に、彼女がスリベグランディア王国に王女として居た時はその才能を惜しむ声が多く聞かれたという。男であれば現国王ホレイシオの代わりに玉座を得ていたに違いないと大勢が考えていたそうだ。


夫人の隣にいる男性は彼女の夫ヨーゼフ・ブロムベルク公爵である。ユナティアン皇国では珍しい穏健派で、スリベグランディア王国とは共存の道を取りたいと考えている節がある。その態度は現皇室の意図に反しているにも関わらず、上手く距離を取りつつ付き合うことで皇帝の怒りをのらりくらりと躱しているという噂だ。それどころか皇帝はブロムベルク公爵の逆鱗に触れないよう注意を払っているとさえ聞く。

どこまでが本当の話かは分からないが、二人の様子を見る限り信憑性はそれなりに高そうだとリリアナは判断した。


微笑を浮かべながらもリリアナがブロムベルク公爵夫妻を観察していると、ライリーがリリアナの手を取り一歩前に出るよう促した。


「こちら、私の婚約者となったリリアナ・アレクサンドラ・クラーク嬢です。リリアナ嬢、こちらは私の伯母とその夫であるブロムベルク公爵だ」

「お初御目文字仕ります。この度は遠路遥々ご足労くださり有難く存じます」


リリアナが如才なく挨拶すると、夫人は目元を緩めた。


「まあ、なんて可愛らしいお嬢様なのでしょう。ぜひヘンリエッタと呼んでくださいませ」

「でしたら、わたくしのことはリリアナと呼んでいただけますと嬉しゅうございます」

「リリアナね。この子(ライリー)と結婚したら伯母と姪の関係になるのですもの、ぜひ仲良くして頂けると嬉しいわ」


ユナティアン皇国とここでは離れているけれど、と楽し気に付け加えるヘンリエッタの言葉にリリアナも自然と笑みが浮かぶ。ヘンリエッタの夫ヨーゼフは二人の会話を眺めながら目を細めていた。

リリアナは小首を傾げて穏やかに告げた。


「いつも殿下に珍しいお菓子を送ってくださって有難うございます。時々、わたくしもご相伴に預かっておりますの」

「まあ、そうなの?」


ヘンリエッタは目を丸くしてライリーに顔を向ける。ライリーは少し照れたように頬を染めて小さく頷いた。


「はい。二人でお茶を飲みながら話す時に――ちょうど夫人から頂いた菓子があった時は、ですが。その、珍しい菓子が多いためかリリアナ嬢に喜んで頂けるので」

「あらまあ」


ヘンリエッタはこの上なく嬉しそうに相好を崩した。貴婦人としては珍しいほど表情が変わるが、必要な時には内心を一切悟らせないように出来る人であるには違いない。ただ、今話しているのは甥とその婚約者であり、他の招待客たちに彼女は背を向けている。そのため常よりは感情が表に出やすいのかもしれなかった。


「婚約者同士、仲睦まじいようで何よりですわ。私たちのような立場での結婚は政略的な意図を多く含みますけれど、それでも互いを尊重し思いやれる関係ほど素晴らしいものはございませんもの」

「私もそう思います」


にっこりとライリーは笑みを浮かべる。本心からヘンリエッタに同意している様子だ。そこで、それまで聞き手に回っていたブロムベルク公爵が口を開いた。


「改めまして、王太子殿下にはお祝い申し上げます。またこのような晴れやかな舞台に参列をお許しくださったこと、幸甚の限りでございます」

「それはこちらの台詞ですよ、ブロムベルク公爵。お二人に祝って頂けてこれほど嬉しいことはありません」


ライリーが答えれば、ブロムベルク公爵は笑みを深くした。


「ええ、当初は本当に来られるか懸念もありましたが、()()()()()()()()()()()来ることができました」


その瞬間、ライリーとリリアナはぴくりと反応した。ライリーは目を眇めて公爵の視線を受け止める。間違いなく、今公爵が述べた台詞はライリーたちに切っ掛けを与えるものだった。ライリーは慎重に口を開いた。


「――なるほど。そういえば第一皇子殿下は()()()()()()と伺いましたが、その後如何でしょうか?」

「なかなか、昨今の流行り病はしぶといようですな」


飄々と公爵はそんなことを口にする。いかにも気掛かりだというように首を振る様子は、本気で第一皇子を心配しているように見えた。

ライリーは口角を上げる。


「他の皇族の方々も()()()()()()()()()()、気が気ではないでしょうね」

「特にイーディス皇女殿下は心配しております。念のため離宮に籠って接触を減らしてはおられますが――ええ、御存じの通り、流行り病は人と接する機会が多いほど罹る可能性が高いですから」


確かにそうですね、と言うようにライリーは頷いてみせた。リリアナも傍から見れば心配している様子を取り繕う。

だが、ここで交わされているやり取りは国家機密だ。流行り病とは暗殺であり、ブロムベルク公爵は堂々と第一皇子が暗殺者に狙われ表舞台に出られるような容体ではないこと、そしてイーディス皇女もまた暗殺者から逃れるために保護されていることを告げた。


「ですが」


ブロムベルク公爵は世間話のついでのように、さらりと口を開いた。


「既にご存知の通り、第二皇子(ローランド)殿下も流行り病には警戒しつつもご公務を行っておいでですし、第一皇女殿下、更には第三皇子殿下も以前にも増して意欲的に動いていらっしゃいますよ」

「それはそれは、それほど次の世代がご活躍なされているようでは、皇国の将来も明るいですね」

「私共としては殿下にも期待をかけております。殿下も他ならぬ“次の世代”ですから」


にやりと公爵は告げた。たった今交わした会話で、公爵はライリーを認めたらしい。ブロムベルク公爵夫人はどこか呆れたような顔で夫の横顔を眺めていたが、苦笑してその腕を軽く叩いた。そして公爵夫妻はリリアナにも視線を向ける。リリアナは二人分の視線を受けてにっこりと笑んでみせた。その表情は、見る側の心証によって如何様にでも解釈できるものだった。

ヘンリエッタは片眉を上げて夫と顔を見合わせる。公爵は口の中で小さく「なるほど」と呟くと、意味深な目をライリーに向けた。


「リリアナ嬢は殿下の婚約者として十二分な資質をお持ちのご様子ですね。それに私の妻にも似ているようだ」

「稀代の才女と呼ばれた伯母上に似ているとは、私としても嬉しいことこの上ありません」


公爵はライリーとの会話をリリアナが正確に理解したと判断したらしい。その上で、リリアナの才能が際立っていると認めた。ライリーは嬉しそうに礼を述べる。リリアナもまた変わらぬ笑みを浮かべながら軽く礼を取り謝意を示した。


「あまりお二人を独占していたら他の方々に恨まれそうですね」


公爵が周囲に視線を走らせて呟く。夫人も小さく頷いて同意を示した。


「そうね。まだ色々とお話したいことはありますけれど――致し方ありませんわ」


二人はライリーとリリアナに挨拶をしてその場を立ち去る。その後ろ姿をリリアナは目で追った。次の貴族が声を掛けて来てライリーが答える。

ブロムベルク公爵夫妻がカルヴァート辺境伯に声を掛けたのを見届けて、リリアナは意識を目の前の貴族に移した。



*****



ブロムベルク公爵夫妻はカルヴァート辺境伯ビヴァリーの元に向かった。夫ヨーゼフは顔見知り程度だが、ヘンリエッタとビヴァリーは古くからの馴染みである。多少、年齢は離れているものの、嘗ての二人は姉妹のようだと周囲から言われていた。


「ビヴァリー!」

「あら、ヘンリエッタじゃない。来ていたの?」


ヘンリエッタの声に振り向いたビヴァリーはわざとらしく目を見開いた。ヘンリエッタは腕を組んで僅かにふくれっ面をしてみせる。わざとらしい仕草は茶目っ気に溢れていた。


「そうよ。手紙で言ったじゃない」

「ちゃんと覚えてるわよ。冗談に決まっているでしょう」


ビヴァリーは楽し気に声を立てて笑った。貴婦人としては品がないと言われる仕草だが、どこか小鳥のさえずりのような響きに眉を顰める人はいなかった。


「お久しぶりですわね、ブロムベルク公爵」

「ご無沙汰しています、カルヴァート辺境伯。妻がいつも貴方からの手紙を心待ちにしているのですよ。実際にお会いできることも楽しみにしていました。本当にここでお会いできて良かった――さもなければ妻は皇国に戻る道すがら、ずっと貴方への思慕を募らせていたでしょうから」

「ちょっとヨーゼフ、それは言わない約束でしょう」


ヘンリエッタは慌てたように夫を窘める。しかし夫は肩を竦めるだけで気に留めた様子がない。ビヴァリーは再び楽し気に笑みを零し、拗ねた顔つきの親友を優しく宥めた。


「せっかく久しぶりに会えたんだから、そんなに拗ねないでちょうだい」

「冗談よ」


ビヴァリーの言葉を、ヘンリエッタはそのまま真似て返した。本気で拗ねていたわけでないことは明らかだ。少女時代そのままの会話に二人の顔つきは柔らかいものに変わっていく。

ヘンリエッタは「それで」と声を潜めた。優雅に扇を取り出して口元を隠す。口の動きから会話の内容を知られないようにすることが出来るため、扇を使うことはヘンリエッタにとって当たり前の作法となっていた。


「さっき殿下と婚約者のご令嬢にご挨拶したのだけれど、最近の令嬢ってあんなに可愛らしいの?」

「可愛い子は多いけど、クラーク公爵令嬢は別格だと思うわよ」


ビヴァリーも扇の陰で声を潜める。話の流れからすると“別格”とは可愛らしさのことだと判断できるが、ビヴァリーと付き合いの長いヘンリエッタはそこに含まれる微妙な声音の違いに気が付いた。


「――別格?」


それは一体どういう意味なのかと問う。額面通りに受け取っていた公爵は表情を変えぬまま、訝し気な視線を妻とその親友に向けた。ビヴァリーは楽し気にしているが、ヘンリエッタはその双眸に意味深な光が灯ったことに気が付く。じっとヘンリエッタが見つめると、ビヴァリーは肩を竦めた。


「相変わらず、貴方って人は敏いわね。そう、別格よ。他の婚約者候補と比べても抜きん出ていたという噂。更には()()先代エアルドレッド公爵さえも彼女を認めていたと聞いたわ」


滅多に王都へは出て来ないカルヴァート辺境伯だが、情報は十分手元に集まって来る。下手をすれば頻繁に王都の社交界へ顔を出している下位貴族や末端の高位貴族よりも色々な情報を知っていた。決して社交界だけが情報収集の場ではない。


「どういうこと?」


ヘンリエッタの質問に、ビヴァリーは声を潜めた。扇で口元を隠し他に知られないようにした後、わずかに体をヘンリエッタの方へ近づける。


「王太子妃教育が順調に進みすぎたそうよ。六歳の段階で、候補として教えられる全ての内容を習得したと聞いたわ。その後も独学で王太子殿下と同程度の知見を得たそうよ。実際、王太子殿下と同等に議論できるご令嬢は彼女だけだとも言うわね」

「――殿下もかなり優秀な方だと聞いていたけれど、それと同程度なのね」


ビヴァリーの説明を聞いたヘンリエッタだけでなく、ヨーゼフも驚きを隠せない。ライリーの聡明さは二人も()()()()()()()


「それじゃあ、先代公爵がお認めになったというのは?」

「チェスで対戦なさったそうよ」

「――なんですって?」


ヘンリエッタは淑女にあるまじき反応をした。目を見開き、手にした扇を取り落としそうになる。

エアルドレッド公爵のチェスと言えば、ヘンリエッタたちの世代は良く知っていた。多面指しで圧勝したという伝説も良く知られているが、ある程度年を取ったエアルドレッド公爵は良く知った間柄としかチェスをしなくなった。どれほど対戦を請われても首を縦に振ったことはない。つまり、先代公爵がチェスをする相手は彼が認めた相手ということだ。そして、対戦相手に選ばれる可能性は非常に低い。


「殿下も、今のクラーク公爵も対戦したということだけど、ご令嬢ではクラーク公爵令嬢だけらしいわ」

「女性では前妻(エイダ)だけだったわよね」

「そうよ。記念すべき二人目――そして最後の女性が、クラーク公爵令嬢ということね」


ビヴァリーはエアルドレッド公爵と親交があったが、終ぞチェスはしなかった。ヘンリエッタはチェスをするほど親交がなかった。そしてエアルドレッド公爵の後妻アビーは、チェスは苦手らしく相手にはならなかった。

驚愕したヘンリエッタは言葉を失う。そんな親友を楽し気に見つめて、ビヴァリーは優雅に口角を吊り上げた。


「だから私も、彼女には期待しているのよ」


ビヴァリーの言葉にヘンリエッタとヨーゼフは顔を見合わせる。確かに二人も、クラーク公爵令嬢の態度には好感を持った。聡そうな少女だとも思った。しかしビヴァリーが教えてくれた情報はあまりにも衝撃的だった。


「ただ穏やかで賢明な、儚いご令嬢というわけではなさそうね」

「そう思うわ」


ヘンリエッタの出した結論に、ビヴァリーは頷く。二人ともクラーク公爵令嬢に会うのは今日が初めてだ。しかし間違いなく、彼女はビヴァリーとブロムベルク公爵夫妻に強い印象を植え付けていた。


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