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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
209/563

31. 乙女遊戯 9


ベラスタが振り向いた先には、不機嫌な表情で睨みつける黒いローブの男がいた。神経質そうな見た目に全身黒い衣装は似合っているが、それだけに左手の指に光る赤い宝石(スピネル)が目立っている。


「何をしていると訊いている」


ローブの男よりもベラスタは遥かに幼いが、男は一切の容赦なくベラスタを詰問した。少し気の弱い十二歳の少年ならば恐怖で震え上がるほどの威圧感だが、ベラスタの周囲には目の前の男よりも迫力ある人間が数人いる。

その代表格が、兄ベン・ドラコの執事であるポールだった。執事であるにも関わらず彼は屈強な男で背も高い。そのポールに本気で怒られた時は死ぬのではないかと思うほど迫力があるし、彼の機嫌が底辺まで落ち込んだ時はただ息を潜める他ない。そしてベラスタの兄ベン・ドラコも、ポールほどではないが本気で怒った時はとても恐ろしい。彼らと比べると、目の前で威嚇するように凄んでいる男は怖くもなんともなかった。ただ突然声を掛けられて驚いただけだ。

ベラスタはへらりと無害な笑みを浮かべた。


「道に迷っちゃって」

「道に迷った? お前のような子供が一体何の用だ。この先には研究棟しかないぞ」

「頼まれたものを持って来たんです」


門番にしたのと同じ言い訳を口にしながら、ベラスタは手に持った袋を掲げてみせる。男は眉根を寄せた。


「それならとっとと行け」


吐き捨てて男は踵を返した。ベラスタを顧みることもなくさっさとその場を立ち去る。その後ろ姿を見送り、ベラスタははっきりと呆れ顔になった。


「――道に迷ったって言ってるのに、とっとと行けって頭悪いんじゃないのか、あいつ」


誰かは知らないが、どうやら自分が偉いと思っている割に頭はあまり宜しくないらしい。確かにこれではベン・ドラコもペトラ・ミューリュライネンも魔導省で働くのはうんざりだと思うだろうな、とベラスタはこの場に居ない二人を気の毒に思った。


「まあ案内するとか親切心出されても気持ち悪いし、別に良いけど」


初対面で威圧してくる人間に親切にされたところで、嬉しいどころか寧ろ一体何を企んでいるのかと疑いたくなるだけだ。それにベラスタは道に迷ったわけではない――つもりだ。

再び呪術陣の方に目を向ける。ベラスタの目にははっきりと陣が見えるが、知らない人間が見ればただの綺麗な模様だろう。詳しく調べたいという欲求はあるものの、先ほどの男が戻って来たら面倒だ。後ろ髪を引かれる思いでベラスタはその場を後にした。



*****



リリアナは、ベラスタと別れたエミリアが父であるネイビー男爵の元に駆け寄るのを眺めていた。男爵の隣にはクライド・ベニート・クラークが居る。どうやら彼がわざわざ男爵を茶会会場に連れて来たらしい。ネイビー男爵は非常に緊張した面持ちで、娘と似たような年頃であるクライドに対して恐縮しきっていた。


「あ、クラーク公爵閣下――」


エミリアはクライドの姿を認めて目を瞠る。そして直ぐに状況を把握したようで、慌てて頭を下げた。


「父を連れて来てくださったのでしょうか、大変申し訳ありません」

「お気になさらず。先ほど茶会でカルヴァート辺境伯ともお話させていただいた件について、男爵にも少しお話を伺いたいと思っていたものですから」


ちょうど良かったです、とクライドはにこやかに答えた。頭を上げたエミリアはほっと安堵の息を漏らした。だが予想外にクライドが近い場所に居たようで、慌てて一歩、男爵の方に近寄る。そして少し戸惑ったように父親とクライドの顔を見比べた。


「お茶会の時の件――とは、黒死病のお話でしょうか」

「ええ。男爵領近くの修道院に移られた修道士がいらっしゃると教えて頂いたところです。できればその方に是非お話を伺いたいと思っているのですが――貴方はその修道士と親しくなされているとか」


リリアナは目を瞬かせる。クライドは本気でネイビー男爵領近くの修道院に行くつもりらしい。そして、黒死病が発生したカルヴァート辺境伯領の村にある修道院から移ったという修道士に話を訊くつもりなのだろう。

クラーク公爵領の村で発生した黒死病はすぐに鎮静化したものの、その後も度々、魔物襲撃(スタンピード)が起こるという噂を信じた放火未遂犯が出て来ている。カルヴァート辺境伯領で村が焼かれたのは十七年ほど前で、関連があるとは思い難い。しかし何かしらの手掛かりになる可能性は否定できなかった。


(お兄様は何か掴んでいらっしゃるのかしら)


三人が会話する様子を眺めながらリリアナは胡乱に首を傾げた。言うなれば、クラーク公爵領の村が原因で魔物襲撃(スタンピード)が発生するかもしれないというのは単なる噂である。噂が消えない理由は気に掛かるが、他領にまで足を運ぶほど重大なことかと問われたら、否定する人が大半だろう。

首を傾げるがその疑問は明らかにならないまま、エミリアたちの話は先に進んでいく。クライドの言葉にエミリアは僅かに頬を染めた。


「親しく――というか、色々と領地のことで助言を頂いているんです。それに孤児のことも」

「孤児のこと?」

「はい」


クライドは予想外のことを聞いたというように目を瞠る。男爵は、自分の娘が緊張しながらも対等に三大公爵家当主と話していることに驚きを隠せていない。そしてクライドは興味を持ったらしく、エミリアに質問を投げかけた。


「ネイビー男爵領には結構孤児がいるのかな」

「最近は減って来たんですが、やっぱり冬に流行り病が出るとどうしても――それから、辺境伯領ほどではありませんが、隣国から流れつく移民も居るので」

「ああ、“北の移民”だね」

「そうです。あまり食事もとれないようで、衰弱している子が多くて」


エミリアは眉を八の字にした。心の底から孤児たちのことを心配しているのが分かる表情だった。その様子はまさにヒロインそのものだ。リリアナはその様子を眺めながら、他人事のようにゲームの自分(リリアナ)の心境に思いを馳せた。


(こういう所が、余計に気に食わなかったのかしら――?)


人は自分が持っていないものを持つ人に嫉妬するという。もしゲームのリリアナが現実のリリアナと同様に殆ど感情を持っていないのであれば、他者を気に掛ける優しい少女(エミリア)に欺瞞や偽善を感じ取り、そしてその結果周囲から誉めそやされるヒロインに嫉妬したのではないだろうか。

今のリリアナは全くそのような気分に陥らないが、可能性としてはあり得る。


(感情は殆どないと言っても、嫉妬や憎悪だけはあったのでしょう。自ら育てたものか、それとも他者に植え付けられたものかは分かりませんけれど)


可能性としては後者が高い。特にリリアナに闇魔術を教えた何者かが居るのであれば、その人物が諸悪の根源だろう。


「なるほど。ちなみにその孤児はどのようにして見つけた?」

「えっと――その、貴族の娘としてはお恥ずかしいことなんですけど、領民と一緒に何かをすることが多くて。その時に色々と話を聞いたり、見かけたり」

「そういうことか」


クライドは納得したように頷いた。だがエミリアと同じ方法で孤児を見つけることはクライドにはできない。領地も広すぎるし、男爵家の令嬢と公爵家当主が同じ振る舞いをすることはあり得ない。そもそもエミリアの行動自体、男爵令嬢とはいえ珍しいものだった。


「孤児に関することも相談に乗れるなんて、なかなか稀有な修道士だね」


エミリアの話は参考にならないと判断したのか、クライドは話題を戻す。エミリアはその不自然さに気が付いていないのか、それとも親しくしている修道士を褒められたことが嬉しいのか、頬を紅潮させて頷いた。


「はい、そうなんです! 私もビヴァリーさ――いえ、カルヴァート辺境伯様に色々と教えて頂いてるはずなのに、その修道士の方とお話してると勉強になることが多いんです」

「そうか。色々な立場の人から学ぼうとする姿勢は立派だね」


にこやかにクライドに褒められてエミリアは照れたように俯く。ずっと蚊帳の外に置かれている男爵は、自分たちより遥かに高貴な身分の公爵と娘の会話を横で聞きながらもハラハラしている様子だった。

そんな男爵の様子に気が付いたからか、それともこれ以上訊きたいことがなかったのか、クライドは「引き留めて悪かったね」と話を切り上げた。エミリアは慌てて首を振る。


「とんでもありません。こちらこそ、色々とお話させていただきありがとうございました」

「その修道院には一度行ってみたいと思っている。カルヴァート辺境伯閣下を介すことになるかもしれないが、もし連絡が行った時は宜しく頼むよ」

「はい、勿論です」


穏やかに告げるクライドの申し出を、エミリアは満面の笑みで快諾した。あまりにも屈託のない表情に、クライドは毒気を抜かれたような笑みを漏らす。


(――確かに、ヒロインの存在は攻略対象者たちの心を癒すのでしょうね)


エミリアの性質はあまりにもリリアナとは正反対だ。素直で飾らない、しかし押し付けがましくもない人柄が攻略対象者たちの心を惹き付けたのだろう。

高位貴族の中でも最高峰の教育を受けて来たリリアナから見れば、礼儀作法を含め拙い部分はかなり多い。しかし下位貴族の一部や平民の多数に見られるように、他者を不快にするような態度ではなかった。礼儀作法の粗い部分は今後の教育次第で幾らでも改善できる程度のものだ。


リリアナは眉根を寄せる。腹の底から不快感が徐々に湧き上がって来る。自分が一体何に苛立っているのか、今一つよくわからなかった。


(もしかして、わたくしが間違えていたの――?)


ふと疑問が心の中に浮かんだ。

リリアナには殆ど感情がない。それが、父を殺害した後に辿り着いたリリアナなりの答えだった。だが本当に感情がないのであれば不快感すら覚えないはずだ。


(肯定的な感情はなくとも、否定的な気持ちは感じるということ?)


そのことに思い至った途端、リリアナはぞっとした。震える手で胸元を掴む。

もしその仮定が正しければ、やはり現実のリリアナもゲームの彼女と基本的に変わりがないということになる。気を抜けばすぐにゲームと同じ運命を辿りかねない。


ふと気が付けば、クライドもエミリアも男爵も、いつの間にか居なくなっていた。リリアナは深く息を吐いて自分を落ち着けると、転移の術を使う。そして今度こそ、侍女たちが待ち受けている部屋に一人向かった。



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