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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
207/563

31. 乙女遊戯 7


茶会が終わったところで安心はできない。リリアナ・アレクサンドラ・クラークはライリーたちと共に茶会の会場を後にし、そんなことを思っていた。

エミリアが王宮で初日に起こす出来事(イベント)は、攻略対象者たちとの挨拶だけではない。ライリーとオースティンとの出来事(イベント)ならば、茶会の後も暫くライリーたちと行動を共にすることで遭遇することができる。ゲームではリリアナはその場に居なかったが、当初予定を組む中でリリアナは極力ライリーと共に居られるよう調整した。その事が殊の外ライリーを喜ばせていたのだが、リリアナにとって重要なことはエミリアと攻略対象者たちの出来事(イベント)に居合わせることだった。

たとえライリーと行動していても、頃合いを見計らって別行動すればクライドとベラスタとの出来事(イベント)には駆け付けられる。ローランド皇子に関しては、幸いにも茶会の翌日に出来事(イベント)が起こるため焦る必要はない。


「リリアナ嬢、一旦部屋に戻ろう。晩餐会まで少し時間がある」


ライリーにエスコートされ、リリアナは廊下を歩いた。衣装を着替える必要はあるが、それでも多少の時間はある。その間、リリアナはライリーと共に茶を飲みながら晩餐会の予定を最終確認する手筈となっていた。ゲームのリリアナは恐らく、早々にライリーと別れ衣装を着替えに行っていたのだろう。


ライリーとリリアナを先導していたオースティンが、中庭に差し掛かったところで何かに気が付いたように足を止める。同時に気が付いたライリーとリリアナは首を傾げたが、次の瞬間リリアナはそれがゲームの出来事(イベント)だと気が付いた。

どうやら彼女にとっては幸運なことに、最初の事件(イベント)はライリーとオースティンとのものらしい。ライリーとオースティンの好感度を高めるために起こる出来事(イベント)は重なるものが多い。二人は主人と近衛騎士であるため、二人同時に会うことで双方の好感度を上げることができるという筋書きだ。


「オースティン、どうした?」

「殿下」


近衛騎士として仕えている間はオースティンもライリーのことを“殿下”と呼んでいる。この時も例に漏れず礼儀正しく反応したオースティンの向こう側には、噴水を背にした少女が佇んでいた。しかしすぐに慌てたように礼を取る。少し驚いたように目を瞠ったライリーだったが、次の瞬間すぐに穏やかな笑みを浮かべてエミリアに尋ねた。


「ネイビー男爵令嬢、頭を上げて構わない。こんなところでどうした?」


エミリアは挨拶の時と同じく緊張を隠せない様子だったが、ゆっくりと顔を上げてからしっかりと答えた。


「あ、はい。父を探していたんですが見つからず、ここに来てしまったのですが、その――私が入っても良い場所だったのでしょうか」


王宮に慣れていないエミリアにとって、広大な王宮は迷路のように思えるのだろう。今リリアナたちが居る中庭は官吏たちが働く棟と王族の住まう棟の狭間に位置していて、誰でも入れはするものの実際に散策する人はいない。そもそもこの中庭自体、王宮の裏に広がる庭園と比べるとこぢんまりとしていて、私的(プライベート)な庭園だと思い込む人もいるほどだ。


(でも確かに、高位貴族でなければこの庭園も十分広いと思うのでしょうけれど)


リリアナは何気なく視線を庭園に巡らせる。そして目を細め、エミリアが手持ち無沙汰に握り締めたり持ち替えたりしている手の中の“何か”を注視した。


(恐らくあれが一つ目のアイテムですわね)


リリアナが前世で見た乙女ゲームは謎解きも重要な要素だった。重要な謎は今後ライリーたちの周囲で起こる不穏な事件であり、その解明に必要な小道具(アイテム)の一つが、今エミリアが握り締めているブローチだった。勿論そのブローチ一つで何かが解決できるわけではない。複数の証拠(アイテム)や証言を組み合わせた時初めて、ヒロインたちは謎を紐解くことが出来るのだ。


(念には念を入れるべきかしら)


目の前でオースティンたちが会話しているのを他人事のように眺めながら、リリアナは考えた。

ヒロインがゲームと同じ行動を取っていることは間違いがない。まだ確証はないが、攻略対象者たちも完全に同じではないものの似たような言動を取っている。このまま話が進めばゲーム通りの展開になる可能性も否定できない。


(ゲーム通りではない部分も多々ありますし、その影響がどの程度あるのかは分かりませんけれど)


ゲームには出て来ていない人物が存在しているし、逆にゲームの時点では存在していたはずの人物が亡くなっているという事実もある。

かといって、未だにリリアナも記憶にあるゲーム全てを理解できているわけではなかった。特に一番気に掛かっているのが、ゲームのリリアナが闇魔術に手を出していたという事実だ。しかしリリアナが本来得意としている魔術は風であり、禁術に指定されている魔術が多くある闇魔術を使いこなすためには何者かに師事する必要がある。しかし、闇魔術について詳しく知っていそうなベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンはゲームには出て来ていないし、ゲームのリリアナと関わりがあったとも思えない。

リリアナはゲーム通りの行動を取る気はさらさらないが、自分の意思に反してゲーム通りの行動を取ってしまう可能性も否定できなかった。


(となれば、ヒロインの代わりにわたくしが小道具を集めて謎を解明する、というのが最適解ですかしら)


ゲームの悪役令嬢リリアナは、闇魔術に手を染めてライリーを殺めようとした。その理由はヒロインに心を傾けていく婚約者への嫉妬と悲哀、そして憎悪だと描かれていた。だが風魔術を得意としていたリリアナに闇魔術を教えた者が居るのであれば、教えた者の目的を明らかにしなければ本当の意味で事件が解決したとは言えないだろう。

もしそのような存在が居るのであれば、その存在を特定し目的を把握することで、リリアナ自身が破滅の道に足を踏み入れることも避けられるはずだ。もしかしたらその人物を捕えることも出来るかもしれない。


(乙女ゲームという特性故か、その点について言及がなかったのは残念ですわね。それにしても、違和感があるのですけれど――一体何かしら)


リリアナは僅かに眉根を寄せる。どうにも釈然としない感覚が残っているが、一体それが何なのかは分からない。しかしいずれにせよ、ゲームのリリアナが闇魔術を使えるようになった理由も含め、謎の解明に積極的に取り組めるのは現段階ではリリアナだけだ。他は誰もゲームの内容を知らないのだから、今この場に居る者は誰もがエミリアの拾ったブローチを単なる宝飾品として見ているだろう。


「オースティン、そこのご令嬢を茶会の会場までお連れしてやれ。途中でネイビー男爵がどこに居るか、侍従に確認しろ」

「御意」


ライリーがオースティンに指示を出したところで、ようやくリリアナの腹が決まった。

自身の身の破滅を避けるために必要な措置を講じることは、国が滅びるような災難を引き起こさない限り問題はないだろう。


「俺はオースティン・エアルドレッド。王太子殿下の近衛騎士をしている。差し支えなければ茶会の会場まで送ろう」

「ありがとうございます」


エミリアはオースティンが差し出した手を取る。オースティンが優しく笑んでいるのを見て、ライリーは僅かに苦笑している様子だった。元々オースティンは女性に対する態度が柔らかく紳士的だ。ライリーよりも甘い言葉を囁くことに躊躇いがないため、貴族令嬢たちの人気を集めている。そしてエミリアもまた、緊張のせいだけでなく頬を赤らめているように見えた。


「行こうか、リリアナ嬢」


ライリーがそう言って動き出そうとするが、リリアナはその場から動こうとはしなかった。不思議そうなライリーの視線をさらりと無視してリリアナはエミリアに尋ねる。


「ネイビー男爵令嬢、その手にお持ちのものはなにかしら?」

「――え?」


エミリアが訝し気に眉根を寄せている。リリアナは小さく笑みを零して小首を零し、他意がないように装ってみせた。


「先ほどから気にしていらっしゃるご様子でしたから。どうかなさったのかしらと思って」


途端にエミリアの眉がほどけた。どうやらリリアナの説明に納得したらしい。オースティンは驚いたように目を瞬かせてエミリアの手元を覗き込む。ライリーの視線を頬に感じながら、リリアナは一歩、エミリアに近づいた。エミリアはオースティンの腕から手を離すと、手にしていたブローチを見えやすいようにリリアナに差し出した。


「実は先ほど、ここに落ちていたのを見つけたのです。どなたかの落とし物だと思ったので、官吏の方にでもお渡ししようかと思ったのですが」

「まあ、そうでしたの」


リリアナはにこやかな表情のまま頷く。そして「見せて頂けるかしら」と尋ねた。勿論エミリアに断る理由はない。勿論ですという言葉を聞いたオースティンは、エミリアからブローチを受け取りリリアナに手渡した。


「まあ、綺麗ね」

「そうですよね!」


エミリアはリリアナの感想に思わず食いついた。しかし相手が三大公爵家の令嬢だということに思い至ったのか、焦ったように両手で口を塞ぐ。リリアナは怒らず微笑みを深めてみせた。


「それでしたら、わたくしがお預かりいたしますわ。帰宅時にでも、官吏に渡すことにいたしましょう」


宜しくて、とリリアナは傍らに立つライリーを見上げた。ライリーは驚いたようだったが、拒否する理由もないと頷く。オースティンは一瞬訝し気な表情を見せたが口を噤んでいる。

今度こそリリアナはライリーと共に中庭を後にした。そして廊下を進んで階段を上り、奥まった場所にあるライリーの執務室に到着する。二人が入室すると、近衛騎士一人は扉口に立った。


「サーシャ、そのブローチに良く気が付いたね」

「手の動きが不自然でしたもので」


ソファーに腰掛けたライリーがリリアナに声を掛ける。リリアナは微笑みながら頷いた。ライリーは感心したように「よく見ているね」と呟くと、身を乗り出した。


「良かったらそのブローチ、少し見せてくれないか」

「ええ」


リリアナは素直にブローチを差し出す。受け取ったライリーはじっくりとブローチを眺めた。


「見事な意匠だが、この細工は我が国のものではないようだな」

「ええ、わたくしもそう思います。茶会もありましたし、来賓客が中庭を散策したのでしょうか」


在り来たりな推測を口にするリリアナに、ライリーは上の空で「そうかもね」と答える。普段はリリアナの言葉に神経を傾けているライリーにしては珍しい態度だ。リリアナは少し不思議に思いながら、目を眇めながらブローチを凝視するライリーを注視した。


(【複写(コピエレン)】)


ライリーがじっくりとブローチを眺めているのを良いことに、リリアナはこっそりと術を使った。途端に自身の左手に重みが加わる。

リリアナはライリーから返されたブローチと左掌の中のものを、誰にも気が付かれないよう持ち替えた。本物のブローチはドレスの隠しポケットに放り込む。


「綺麗なブローチだから、外交担当の官吏に渡す方が良いかな」

「ええ、そう致しましょう」


にこやかにリリアナは同意を示すものの、()()()官吏に渡すつもりはない。だが全く官吏に接触しないと、万が一ライリーやオースティンに知られた時に面倒だ。

そのため、リリアナは一瞬の隙をついて複写(コピエレン)の術でブローチの贋作を作りだした。本来ならば不可能とされていた複写(コピエレン)の術だが、その理論は転写(トランスクリプション)の術と幻術を組み合わせたものだ。

ただ一つ大きな違いがある。転写(トランスクリプション)の術は対象の文様や形を他の物体に記録したり、魔術陣や呪術陣をそのまま術者の魔力で再現するものだ。一方で複写(コピエレン)の術は物体から作り出す。


問題は、複写(コピエレン)の術で無から生み出した物質は長く姿を保てないという一点だった。しかし、ブローチの偽物は官吏に手渡され保管されるまで存在していれば良いのだ。その程度なら保持できる自信がリリアナにはあった。


リリアナは扉口に立っているオルガを手招いた。近づいて来たオルガにブローチを渡して元の位置に戻るよう告げる。オルガは無言でブローチを受け取った。一瞬目を細めるが、すぐに元の表情に戻る。その態度に違和感を覚えたものの、リリアナは気にしないことにした。


「それじゃあサーシャ、晩餐会のことだけど」

「ええ」


ライリーが早速話を切り出す。晩餐会は“立太子の儀”の式典に参列した人が基本的には参加する手筈となっている。だが一部、晩餐会には参加できない貴族が居たり、それとは逆に晩餐会にのみ参加できるビヴァリー・カルヴァートのような人がいた。晩餐会は大きなテーブルが用意されてコース料理が饗されることになっているが、式典よりも来賓との距離は近い。そのため、式典で話せなかった人を優先してライリーとリリアナで歓待することになっていた。



*****



晩餐会まで時間が迫ると、リリアナは衣装を着替えるために執務室をオルガと共に出た。ライリーも着替えなければならないが、女性であるリリアナより時間は掛からないらしい。

エミリアを送り届けて戻って来たオースティンに笑みを向けて別れると、リリアナは専用に用意された部屋に向かった。


「オルガ、先ほどブローチを渡した時に妙な顔をしていたけれど、見覚えがあって?」

「いえ、見覚えはないのですが」


廊下を歩きながら、リリアナは気に掛かっていたことを尋ねる。しかしオルガはあっさりと否定した。だが語尾が曖昧だ。オルガにしては珍しい反応で、リリアナは顔を上げてオルガの様子を窺った。

オルガは少し言葉に窮していたが、やがて小さな溜息と共に答えた。


「気のせいだとは思うのですが――触った瞬間に、びりっと指先が痺れたことに驚いただけです」

「痺れた?」


リリアナは目を丸くした。ブローチを手に持っても、リリアナは何も感じなかった。エミリアも恐らく感じていないはずだ。それほど親しくはないから性格も詳しくは知らない。だが、仮に彼女がブローチを持った時違和感を覚えたのであれば、リリアナに渡す際、もっと躊躇したはずである。オースティンもライリーもブローチに触れたが平然としていた。

理由が分からずリリアナは眉根を寄せる。しかしオルガだけが異変を感じた理由は全く分からない。

そんな主を見下ろし、オルガは困ったように眉根を寄せた。


「気のせいだと思います」

「――そう」


オルガの言葉を、リリアナは無条件には信じられなかった。オルガが痺れたというのであれば、それは気のせいではないのだ。しかしオルガ本人も理由は分からないのだろう。これ以上考える素振りを見せてもオルガを困らせるだけだろうと、リリアナは平生と同じ微笑を顔に張りつける。


「それなら良かったわ」

「はい」


リリアナの表情を見て、オルガはどこかほっとしたように顔を緩めた。


「外交を扱う官吏に、落とし物として届けに行ってくれるかしら。できれば今から」

「ですが」


ここでオルガがリリアナから離れてしまえば、リリアナを護衛する者はいなくなる。さすがに心配だというオルガに、リリアナは何でもないことのように微笑んでみせた。


「大丈夫よ、部屋はすぐそこですもの。それよりも、落とし主がそのブローチを見つける前に王宮を離れる方が気がかりですわ」

「――承知しました」


一瞬躊躇したが、オルガは納得したように頷いた。一礼して足早に立ち去るオルガの後姿を確認し、リリアナは笑みを深める。

そして晩餐会用の衣装に着替えるため、用意された侍女たちが待ち受けている部屋に向かう。ただし侍女たちに告げている時間はまだ先だ。巧妙に作り出された隙間時間でエミリアのゲームイベントを確認できるかは正直賭けだったが、リリアナには転移の術がある。人気がないことを確認したリリアナの姿は、一瞬で廊下から消えた。



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