31. 乙女遊戯 6
リリアナは受けた衝撃を顔には出さないよう細心の注意を払った。そのお陰か、時折リリアナの様子を窺って来るライリーにも気づかれてはいないらしい。
(確かにヒロインと攻略対象者たちが修道院に行く出来事もありましたわね)
まだその時は共通ルートで各攻略対象者の個別ルートには進んでいない段階だ。修道院に行く際の同行者は三人。クライドとライリー、そして近衛騎士としてオースティンだ。そこでもまた対象者たちとの会話をすることで、エミリアは攻略対象者たちの好感度を上げて行く。同時に他のキャラクターから証言やアイテムを集めなければならない。
(ゲームでは悪役令嬢は同行しておりませんでしたけれど)
乙女ゲームなのだからヒロインのライバルである攻略対象者の婚約者が同行するのは不都合だったのだろう。だが現実になればどうなるかは分からない。
ふとリリアナの耳にベン・ドラコの声が聞こえて来た。着実に攻略対象者たちとの挨拶をこなしているエミリアは、とうとうベラスタにも声を掛けることに成功したようだ。尤もエミリアの功績ではなくカルヴァート辺境伯ビヴァリーの仕業ではある。
ただ一点ゲームと違う点は、この場にベン・ドラコが居るところだった。ゲームならベン・ドラコはおらず、史上最年少で魔導省に入省したベラスタがタニアと共に二人きりで茶会に参加していた。
『無事に魔導省に戻られたようで安堵しておりますのよ。あのままあなた方が戻られないようではどうしようかと、この国の将来を憂いておりましたの』
ゲームでは、ビヴァリーがベラスタに最年少で魔導省に入省したことを褒めていた。ベラスタは仏頂面でそれに答えていたが、その理由をエミリアは攻略途中に知ることになる。そしてこの時ビヴァリーがベラスタの兄であるベン・ドラコについて言及しなかったのは、既にこの時、ベン・ドラコの名前を口に出してはならないと暗黙の了解になっていたからだった。
ビヴァリーとベン・ドラコの会話が終わり、エミリアが紹介される。大して意味がないと思えるやり取りを交わした後、リリアナは息を詰めた。
『――ねえ、君、魔術使えるよね?』
それはゲームでも聞いた台詞だった。ベラスタは初見で、エミリアの少し特殊な魔力を見抜いていた。だが魔導省に入省していないせいか、現実のベラスタはゲームの彼よりも好奇心に忠実なようだった。
『ベラスタ、そういう問いは不躾だ。やめておきなさい』
魔力に関して初対面で詳しく尋ねるのは宜しくないこととされている。全ての人が魔術を使えるのであればともかく、実際に魔術を使える者は限られている。その上、魔力は個人の特性が強く出るものだ。そのため、魔術の能力が高い者であればあるほど、悪用されたり命を狙われたりすることを避けるためにも、気軽に自分の能力について話そうとはしない。
ベン・ドラコの注意は常識的なものだったが、ベラスタはそれでも我慢できない様子だった。
『兄貴がいるから大丈夫だろ? 見せてくれよ、俺見たことないんだよな。君――』
『ベラスタ』
強く遮られて、今度こそベラスタは諦めた様子だった。しかし関心を抱いたことは間違いない。
『それはお前が決めることじゃない。この子の師匠がそうと決めたなら、それを覆す資格は誰にもない。お前の研究熱心なところは認めるが、時と場合を弁えろ』
ベンの強い口調にリリアナの頬が僅かに緩む。兄らしく弟妹に接するベン・ドラコの様子を見ると、何故だか微笑ましい気持ちになる。
だがこれはゲームにはない台詞だ。同じだったのは、ベラスタがエミリアの魔力に興味を持って声を掛ける台詞だけだった。ゲームでは、エミリアと少し言葉を交わしたベラスタが穏やかに笑って『困ったことがあれば俺に聞いてくれ』と申し出ていた。そしてそれを隣で聞いていたタニアがエミリアをライバル視するという流れだった。尤も悪役令嬢とは違い、タニアとエミリアは最終的に友人となる。特にベラスタを攻略する上でタニアとの関係性を改善することは必要な要素だった。
『ごめん』
別れ際、小さくベラスタがエミリアに謝罪を述べる。風の魔術で聞いていたからリリアナの耳には届いたが、エミリアには聞こえていたか微妙なところだろうなと、リリアナは一人心の中で思っていた。
*****
茶会が終わった後、エミリア・ネイビーは父である男爵と共にカルヴァート辺境伯の邸宅に世話になることになっていた。だが、カルヴァート辺境伯ビヴァリーは晩餐会に嫡男アンガスと参加するらしい。そのためエミリアはビヴァリーと別れて一足先に邸宅に向かうべく、父を探していた。
「もう、お父さんったらどこにいるのかしら。いっつも大事なことを忘れるんだから」
エミリアの父は今回の茶会のことすら忘れていた。アンガスに言われて初めて思い出し、着ていく服がないと顔面蒼白になったという体たらくだ。それだけでなく、日々父は色々なことを“うっかり”忘れてしまう。その度にエミリアは父を怒り、そして父はその迫力に震えながらも“お前も女房に似て来たなあ”と言っては更に娘から雷を落とされるのだ。
既に過ぎ去った過去に思いを馳せ、エミリアは溜息を吐いた。
茶会だから酒も出ていない。エミリアと共にカルヴァート辺境伯邸に行くという話はしていたのだから、エミリアを置いて先に帰ったということはないはずだ。だがあの父のことだから、茶会が終わる時間を忘れ去って仲の良い男爵や子爵当主たちとどこかで語り合っていることも考えられる。
「本当、こんな場違いなところ、歩き回って怒られたらどうするのよ」
もしかしたら父は足を踏み入れてはいけない場所に入って怒られているのではないか、と心配にもなる。なにより父は社交界シーズンでもネイビー男爵領から殆ど出ない。エミリアが産まれる前のことは知らないが、もし王宮で不躾なことをして怒られていたら――最悪の場合は投獄されていたらどうしよう、と嫌な想像ばかりが膨らんでしまう。
そうして歩き回っている内に、エミリアは少しこぢんまりとした庭に出ていることに気が付いた。綺麗な花々が咲き誇り、中央には噴水も誂えられている。明らかに茶会の場であった庭とは違う。周囲を建物が囲んでいるからか、太陽の直射日光が遮られていて少し涼しく感じた。
「あれ、ここ――どこ?」
エミリア以外に人気もない。もしかしたら足を踏み入れてはいけない場所なのかもしれない、と思ったが、それよりも見事な造園に目を奪われた。色とりどりの花が噴水を中心に左右対称に植えられていて、どこに目をやっても絵になる。
「綺麗――だけど、青い花が多いのね。一番多いのはデルフィニウムかしら」
きちんと数えたわけでは当然ないが、ぱっと見た印象でそんな感想を抱く。ふとエミリアは噴水近くの芝生に、金色に光る何かを見つけた。
「――?」
一体何だろうと訝しく思いながら、そっと近づく。芝生に近づけば、金色に光っていたと思ったものは太陽の光を反射した小さなブローチだった。
「誰かの落とし物かしら」
エミリアはしゃがみ込んでブローチを手に取る。大きさと意匠を見る限り、高貴な貴婦人の持ち物だろうと見当を付けた。ブローチは宝石と黄金で装飾されていて、中央には絵が描かれていた。どうやら物語の一場面のようだった。男性が貴婦人に跪き手の甲に口付けを捧げている。男性は騎士には見えなかったが、構図も衣装も多少古風なものの洒落ていた。
「わあ、綺麗」
美術品や宝飾品にはあまり詳しくないエミリアでも、そのブローチの美しさは良く分かった。きっと腕の良い職人が丹精込めて作ったに違いない。じっくりと眺めた後で、ブローチを裏返す。どこかに家名なりイニシャルなりが書かれていないかと思ったのだが、あいにくとどこにも持ち主の身元が分かりそうな手掛かりはなかった。
「うーん、どうしよう。お城の人に渡す――?」
でも誰に渡せば良いのか、エミリアには分からない。ビヴァリーが居れば彼女に尋ねれば良いのだろうが、彼女は既に晩餐会の準備のため王宮に用意された控え室に向かった。
「お父さんも分からないだろうしなあ」
エミリアは溜息を堪えながら小さくぼやいた。父親に尋ねたところで、彼もエミリアと同じ程度には王宮に詳しくない。ビヴァリーの後ろを歩きながら、物珍しそうにきょろきょろと王宮の中を見回していたのは記憶に新しい。
しかしここでぼんやりとしていても仕方がない。エミリアはブローチを誰かに託し、父を探さなければならない。そう思って立ち上がったところで、背後から声が掛かった。
「そこで何をしている?」
低く誰何する声に聞き覚えはない。慌てて振り返ったエミリアは、そこに居る人物に目を瞠った。
白い制服を着た赤い髪に濃緑の瞳の少年は、エミリアとそれほど年齢も離れていないようにみえる。しかしその少年は間違いなく、先ほどの茶会で近衛騎士として王太子とその婚約者の後ろに控えていた。
「えっと――あの、父を探していたんですが――」
「――お父上というと、ネイビー男爵か」
どうやら彼は先ほどの茶会の時に、主に挨拶をする貴族の名前と顔を全て覚えているらしい。エミリアが驚いて目を瞠っていると、少年の後ろから二つの人影が近づいて来た。
「オースティン、どうした?」
「殿下」
姿を現したのは先ほど茶会で挨拶した王太子ライリーとその婚約者リリアナだった。エミリアは慌てて礼を取り首を垂れる。その姿を見たライリーは一瞬目を瞠ったが、すぐにエミリアに声を掛けた。
「ネイビー男爵令嬢、頭を上げて構わない。こんなところでどうした?」
「あ、はい。父を探していたんですが見つからず、ここに来てしまったのですが、その――私が入っても良い場所だったのでしょうか」
エミリアは緊張していたが、どうにか事情を説明する。そして同時に、茶会で挨拶をした時はビヴァリーが居たから緊張もマシだったのだと思い知っていた。
そしてエミリアの問いに答えたのはオースティンだった。
「この中庭に入ることは、推奨はされていないが、禁止されているわけではない」
オースティンの説明はエミリアには少し分かり辛かった。きょとんと首を傾げていると、オースティンは口角を上げて小さく笑みを浮かべてみせる。
「つまり入っても怒られないが、あまり長居をすると痛くもない腹を探られるということだ」
「――!」
ようやくそこでエミリアはオースティンの発言の意図を理解した。
つまり今いる中庭は開放されているものの、王宮の中でも重要な部屋が近いため、用もなく見知らぬ人間がうろつくと警戒されるということらしい。エミリアは何の下心もないため疑われたところで困るだけだが、下手に穿った見方をされては後々面倒だ。
「わ、わかりました。ご教示賜り有難うございます。それでは私はこれで、えと、失礼します」
エミリアは慌てて頭を下げる。そしてその場を辞そうとするが、景色に目を取られていたため自分がどの方向から来たのか道を見失った。周囲に素早く目を走らせるが、やはり分からない。その様子を眺めていたオースティンたち三人だったが、エミリアの状況をいち早く理解したのはライリーだった。
「道が分からない?」
「え、あ、はい――あの、とても恐縮なのですが……」
気が付けばエミリアは冷や汗を掻いていた。
今自分が前にしている人物は王太子と婚約者、そして近衛騎士だ。普通に生活していれば決して会うことのない高貴な身分の人ばかりである。その人たちに道を尋ねても良いのだろうかと内心で葛藤する。その気持ちが分かるのか、ライリーは僅かに苦笑しながらオースティンに声を掛けた。
「オースティン、そこのご令嬢を茶会の会場までお連れしてやれ。途中でネイビー男爵がどこに居るか、侍従に確認しろ」
「御意」
オースティンは迷いなく頷いた。幸いにも近衛騎士は二人一組でライリーの護衛につく。そのためオースティンが一時的に抜けてもそれほど大きな問題にはならない。
ライリーからエミリアへ視線を移したオースティンは、一歩エミリアに近づいた。安心させるように微笑み掛けて名乗った。
「俺はオースティン・エアルドレッド。王太子殿下の近衛騎士をしている。差し支えなければ茶会の会場まで送ろう」
「ありがとうございます」
差し出された手を、エミリアは恐る恐る取った。だが内心では気が気ではなかった。エアルドレッドと言えば三大公爵家の一つだと、当然彼女は知っている。そしてオースティンと言えばその次男であり、若くして王立騎士団二番隊に配属された。その優れた魔導騎士としての能力は遥かカルヴァート辺境伯領にまで聞こえている。
国境を護る辺境伯領では、武勇に秀でた人物はそれだけで尊敬される。オースティンも例外ではない。そしてエミリア自身も、カルヴァート辺境伯領の風土に馴染んでいた。即ち彼女にとってもオースティンは尊敬すべき人物だ。高貴な身分という以上に、オースティン・エアルドレッドという優れた剣士にエスコートされることが緊張する。
そしてエミリアとオースティンは、礼儀として王太子がその場を立ち去るまで待つつもりだった。しかし、立ち去ろうとした王太子の後ろでその婚約者が動こうとしない。一体どうしたのかと内心で首を傾げるエミリアとオースティンには気付かぬ様子で、リリアナ・アレクサンドラ・クラークは小首を傾げた。
「ネイビー男爵令嬢、その手にお持ちのものはなにかしら?」
薄緑色の瞳が、オースティンの腕に触れていない方のエミリアの手に注がれている。
エミリアは驚きに目を瞠った。突然ライリーたちが現れて驚きのあまりブローチのことは後回しになっていた。その上、たかが拾い物で高貴な人たちの手を煩わせることは出来ない。そのため後で適当に侍従を見つけて声を掛けるつもりだったのだが――それよりも。
何故ずっと握り締めたままの存在にリリアナが気が付いたのか。
思わずエミリアは眉根を寄せていた。
3-3
31-5









