31. 乙女遊戯 5
カルヴァート辺境伯ビヴァリーがエミリアを連れて向かった先には、ローブを着た三つの人影があった。一人は成人しているようだが、残り二人はまだ幼い。恐らくエミリアよりも小さいのではないかと思うが、その顔は非常に整っていてエミリアは目を奪われた。
少年の方は年長の男性に向かって何事かを必死に言い募っている。その声は途中からエミリアの耳に入って来た。
「――……屋敷に来るのか知ってる? いつ会えるかな」
「ミューリュライネンも忙しいからな。でもどうしたんだ、急に」
訝し気に尋ね返す青年に、少年は僅かに声を潜める。
「ちょっと気になることが出来たんだ。あの、俺たちが巻き込まれた魔物襲撃の時の話でさ」
咄嗟に青年は周囲に目を走らせると、近付いて来ているビヴァリーとエミリアを認めて少年を制した。
「その話は後だ」
「ええ……」
少年は不服そうだが反発はしない。いかにも不満だと顔中で表現しながら黙り込んだ。これ幸いとビヴァリーが青年に声を掛ける。
「ご歓談のところお邪魔してしまいましたわね、ベン・ドラコ殿」
「いえ、お気になさらず。お久しぶりです、カルヴァート辺境伯」
ベン・ドラコと呼ばれた青年は笑みを浮かべた。だがその張り付けたような笑みは全く本心からのものではない。それはビヴァリーも似たようなものだった。エミリアは頬が引き攣るのを感じたが、慣れているのか無頓着なのか、男性が連れている二人の子供たちは意に介していないようだった。
「無事に魔導省に戻られたようで安堵しておりますのよ。あのままあなた方が戻られないようではどうしようかと、この国の将来を憂いておりましたの」
ビヴァリーの言葉に、どうやら青年は魔導省に勤めているらしいとエミリアは推測する。そして少ししてから、淑女教育でビヴァリーに詰め込まれた王侯貴族の中に該当する人物が居ないことに気が付いた。だがこの場には貴族以外は来られないはずだ。それならば一体、目の前の三人は何者なのか。
エミリアの戸惑いに気が付かない二人はにこやかに会話を続けていた。
「それはそれは、一介の魔導士に過ぎない私に過大なご評価を頂けているようですね」
「過大かどうかは、周囲が評価することでしょう。それに、天下の魔導士一族の御嫡男ともあろう方が“一介の魔導士”など、御謙遜もすぎると嫌味ですわよ」
にこやかに交わされている会話が空恐ろしく感じることもそうそうない。エミリアは既にこの場から撤退したくなっていた。だがそれを実行に移すことはできない。
そして同時にエミリアは思い出した。スリベグランディア王国には王侯貴族以外にも権力を持つ一族が一つだけある。それが有能な魔導士を輩出し続けるドラコ家だった。確かスリベグランディア王国を建国した三傑の一人であった魔導士の血を引くと習った覚えがある。
だからこの場にも参加できるのかとエミリアが内心で納得していると、ビヴァリーがちらりと肩越しにエミリアへ視線を寄越した。
「折角ですから私が懇意にしている娘を紹介したくてお声掛け致しましたの」
さすがに何度も繰り返せば慣れて来る。エミリアはビヴァリーに促されるより前に、一歩前に出た。
「エミリア・ネイビーと申します」
ドラコ家は爵位を持たないが、国に仕えているという点ではエミリアの生家であるネイビー男爵家よりも立場は上だろう。そう判断してエミリアは他の高位貴族たちに対して行ったのと同じように礼を取る。それを見たベンは、一瞬驚いたように目を瞠った。しかしすぐに感情の読めない曖昧な微笑を浮かべる。
「ベン・ドラコと言います。私に爵位はありませんから、そこまで畏まる必要はありませんよ、ご令嬢」
「えっと――はい、ありがとうございます」
畏まる必要はないと言われても、どこまで態度を崩して良いかエミリアには今一つ判断が付かない。しかし拒否するのも申し訳ない気がして、エミリアは素直にお礼を告げた。ベンはくすりと口角を上げ、自分の後ろで詰まらなさそうに足元を見ていた少年と、テーブルに並べられたお菓子に目が釘付けだった少女に声を掛けた。
「カルヴァート辺境伯にもお初お目にかけますね。こちら、末の弟妹のベラスタとタニアです。――ご挨拶を」
ベンに促されて、ベラスタとタニアは「初めまして」と挨拶を口にする。端的だったがベンは怒ることもなく、そしてビヴァリーも楽し気に笑みを零すだけだった。
「やはりお二人とも、小さいながらに魔導士の才能がありますの?」
ビヴァリーが口にした瞬間、ベラスタとタニアが分かりやすく視線を兄に向ける。その双眸が期待に輝いているのが見えて、エミリアは緊張が解けたような気がした。
しかしベン・ドラコは決して弟妹に優しい男ではなかった。
「魔術に興味はあるようです。その点にはやはり我が一族の血を感じますね」
途端に少年と少女はがっかりしたような表情になる。恐らく他人の前で魔術の才能があると褒めて欲しかったのだろう。その様が可愛らしいとエミリアは笑みを浮かべた。
煌めくような顔面の高位貴族ばかりと挨拶して来たせいか、どちらかと言えば可愛らしい容姿のドラコ弟妹は見ているだけで落ち着いた。
そう思いながら何とはなしに少年と少女の様子を眺めていると、ふと顔を上げたベラスタと目が合う。紫の目が綺麗だと思いながら目を逸らせないでいるエミリアに向かって、ベラスタは唐突に口を開いた。
「――ねえ、君、魔術使えるよね?」
「え?」
唐突に一体何を言うのかと、エミリアは目を瞬かせた。エミリアだけではなくタニアやビヴァリーも驚いたのか、口を噤んでベラスタを凝視する。そしてベラスタの保護者であるベンは、呆れたような目をベラスタに向けた。
「ベラスタ、そういう問いは不躾だ。やめておきなさい」
「ええ、でも――」
「でも、じゃない」
ベンに諭されてベラスタは口を紡ぐ。しかし顔には納得できていないという感情が露わだ。そんな弟の名をもう一度強く呼ぶと、ベラスタは「わかったよ!」とぶっきら棒に言った。そしてそっぽを向いてしまう。結構子供っぽいところもあるのだと思いながらも、エミリアはベンに顔を向けた。
「ありがとうございます、でも大丈夫です」
「――そうか」
そしてエミリアはベラスタに向けて答える。
「ベラスタ様。はい、魔術は使えます。でもまだ訓練中なので、お師匠様がいらっしゃる場でないと使ってはならないと決められているのです」
するとベラスタが顔を上げる。まじまじとエミリアを見て「それなら」と口を開いた。
「兄貴がいるから大丈夫だろ? 見せてくれよ、俺見たことないんだよな。君――」
「ベラスタ」
嬉しそうに頬を紅潮させて言い募るベラスタを再度ベンが遮る。その声は――ビヴァリーやエミリアが知るところではなかったが、彼にしては珍しく厳しいものだった。途端にベラスタの体がびくりと硬直する。ベラスタの隣では、タニアが心底呆れた目で空を仰いでいた。
「それはお前が決めることじゃない。この子の師匠がそうと決めたなら、それを覆す資格は誰にもない。お前の研究熱心なところは認めるが、時と場合を弁えろ」
羞恥を覚えたのか、ベラスタの頬が赤く染まった。それを見たベンは顔を再びエミリアの方に向ける。そして困ったように謝罪を口に乗せた。
「愚弟が度々申し訳ない。後でもう一度、きつく言い聞かせておく」
「え、でも――そんな、」
戸惑いを隠せず首を振ろうとするエミリアを制し、ビヴァリーがにっこりと微笑みを浮かべる。そして鷹揚に頷いてみせた。
「お心遣い痛み入りますわ。この晴れやかな席に憂いなど不要なもの、またご厚誼頂ければ嬉しく思います」
「寛大な御心に感謝を。こちらこそ、辺境伯領と男爵領の益々の発展をお祈りしております」
穏やかに大人二人は挨拶を交わし、そこで手打ちとなる。目を白黒とさせるエミリアに視線を移したベンは「それでは」という言葉と共に会釈し、その場を立ち去る。そしてすれ違いざま、悔し気に唇を噛んだベラスタはエミリアを一瞥した。しかしエミリアには、彼が辛うじて聞こえる程度の声で“ごめん”と言うのが聞こえた気がした。
*****
貴族たちの挨拶を適当に聞き流しながら、リリアナは風の魔術で会場の声を拾っていた。詳細な内容は後から呪術の鼠の記録を確認する予定だが、それでもリリアナは進行中の話を確認しておきたかった。
時々隣から王太子の視線を感じるが、そこは適当にあしらっておく。どうやらリリアナの体調を心配してくれているようだが、魔力暴走一歩手前まで陥った理由は不明だし、その後も再び体調を崩したりはしていない。過保護すぎるのではないかと思ったが、それを数度口にしてもライリーの気遣いは止む気配がなかった。
(――順調に出会いイベントをこなしていらっしゃいますわね)
この茶会に参加したエミリアは、彼女の婚約相手を見繕いたいと考えているカルヴァート辺境伯ビヴァリーによって様々な貴族たちと面識を持つ。その中に攻略対象者が含まれているという算段だ。だがこの時点でエミリアは、どの攻略対象者たちに対しても恋愛感情どころか好意すら抱いていない。あるのはただ手の届かない存在に対する憧れだけだ。
だが、今後事件が起こって謎を解き、解決していく内に攻略対象者たちとの関係性が変わり始める。その中でただ一人の攻略対象者とのハッピーエンドを迎えるのだ。
(それにしても、挨拶を終えた後に早速お兄様へ声を掛けるとは)
前世でリリアナが遊んだ乙女ゲームでは、茶会で声を掛ける順番は自由に決められた。声を掛ける順番によって、最初に起こる事件の内容が変わる。今回は王族への挨拶が最初となるが、答えるはずだったライリーの台詞をリリアナが横取りした。だから、ライリーの事件が最初ではないかもしれない。ただしオースティンに関しては直接言葉を交わしていなくとも事件が発生する。ライリーと会話を交わせば良いからだ。
ただ、まだ現段階では個別ルートには進まない。最初に起こる事件は好感度が上がりやすいというだけで、その後他の攻略対象者のルートに進むこともできる。しかし、その後の展開を考えると、攻略したいキャラクターとの事件を最初に起こすプレイヤーが多かったように記憶している。
(わたくしがウィルの台詞を言ったことで、ウィルとオースティンの事件がなくなるのでしたら、一番可能性が高いのはローランド皇子殿下、次点でお兄様ですわね)
だがそれは“ヒロインが王太子と会話をしなかった”という条件が満たされた場合のみだ。直接エミリアに向けた台詞はリリアナが口にしたが、全くライリーとエミリアが言葉を交わしていないとは言えなかった。
更に、ライリーとオースティンのルートは共通ルートが長い。他の攻略対象者はそれなりに早い段階で分岐ルートへと進むのだが、もしオースティンとの事件が起こったとしても、それがオースティンルートに繋がるものなのかライリールートに繋がるものなのかは判別がつかない。
(つまり、現段階で誰の事件が起こったとしても、ヒロインが進むルートは確定しないということ)
リリアナが破滅の道を歩まないためには、この茶会の後でエミリアがどのような事件に出くわすのか確認するだけでなく、攻略対象者とどのような会話を交わすのか確認しておく必要があった。当然、今後もエミリアの動向は注視しておかなければならないだろう。
リリアナの耳元では、彼女にしか聞こえない音量でクライドとエミリアたちが交わしている会話が聞こえて来る。この会場にはベンたちも居るため、気付かれないように最小限の魔力を使っているが、少人数の会話を聞くだけならば問題はなかった。
『クラーク公爵クライドだ。宜しく頼む』
聞こえて来た兄の言葉に、リリアナは眉根を寄せそうになるのを堪える。それは間違いなくリリアナの記憶にある乙女ゲームの台詞通りだった。
この言葉で、どれほど美しい女性に声を掛けられても決して靡くことのなかったクライドがしがない男爵令嬢に興味を持ったと周囲は驚くのだ。それでも最初は、カルヴァート辺境伯に気を遣ったのだろうと考える者が大半だった。しかしゲームが進むにつれてクライドのエミリアに対する親愛は本物だと周囲は知ることになる。たとえクライドのルートに進まなかったとしても、エミリアは攻略対象者たちと良い関係を築く。
リリアナは小さく息を吐いた。途端に気遣わし気な視線を向けて来るライリーを安心させるように微笑みながらも、リリアナは微笑の裏で思索に没頭する。
リリアナたちに対する態度やクライドとの会話でも、エミリア・ネイビーが乙女ゲーム通りに出て来るキャラクター通りの性格だと把握できた。
(謀略を巡らせる性格でなさそうだという点は幸いですけれど、でもわたくしの身の破滅を回避するという点では、彼女の性格はわたくしにとって不運かもしれませんわね)
そんなことを考えている中でも、クライドとエミリアたちの会話は続いていく。
『確かカルヴァート辺境伯領だったと記憶しているのですが、十六、七年ほど前に黒死病が発生した村がありませんでしたか』
(これも、ゲーム通り)
苦く歪みそうになる表情をどうにか堪え、リリアナは目の前で緊張に顔を赤くしている下位貴族の令嬢に微笑みを向けてみせる。機械のように、その口からは「可愛らしい方ね」という言葉が漏れる。嬉しそうに微笑む令嬢と、そんな二人を呆れたように、しかしどこか面白がるように見つめるライリーの視線を頬に感じながら、リリアナはクライドたちの会話に耳をそばだてる。
『実はこの娘の――ネイビー男爵領の近くに修道院がございまして。黒死病が発生するより前ではございますが、その修道院と交流があったと聞いておりますわ』
『――修道院、ですか』
『ええ、一度行かれても宜しいのではないかしら。確か王太子殿下とクラーク公爵令嬢、それに皇子殿下も視察で立ち寄られたと先ほど仰られておりましたわ』
一瞬、リリアナは頬が引き攣りそうになった。
(――何ですって?)
そんな台詞は、乙女ゲームにはなかった。
(あの修道院?)
既に視察から四年経っているが、リリアナは思い出していた。
パッチワークを見たあの修道院で、修道院長は説明していなかったか――以前カルヴァート辺境伯領の修道院に居た者が教えてくれた、パッチワークと呼ばれる作品です、と。
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