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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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31. 乙女遊戯 2


王太子ライリーの挨拶と、彼に紹介されたローランド皇子の口上が終わる。皇子は口上が終わっても、貴族たちの挨拶が済むまではこの場に留まるらしい。これも乙女ゲームと同じだった。リリアナは気付かれないよう内心で溜息を吐く。しかし、憂鬱な気分に陥っていても時間は流れる。


特に促されたりはしなかったが、一人の高位貴族が動いたのを皮切りに、続々と人々がライリーとリリアナの前に集まり始めた。当然のことながら、暗黙の了解で爵位が高い者が先だ。

スリベグランディア王国内の貴族では、三大公爵家が最も地位が高い。そのため、クラーク公爵家当主となったクライドが最初に挨拶に来た。互いに良く知っているため、敬意は表しているもののどことなく気軽な雰囲気だ。エアルドレッド公爵家は同年代のオースティンが近衛騎士として参加しているため、わざわざ挨拶はしない。ケニス辺境伯の嫡男ルシアンが相変わらず飄々とした態度で口上を述べた後、前に進み出て来た三人を見てリリアナの緊張は自然と高まった。


薄紅色の髪に橙の瞳をした乙女ゲームのヒロイン、エミリア・ネイビー。彼女をエスコートしているのが、カルヴァート辺境伯ビヴァリーである。彼女は王国で唯一、女でありながら爵位を継いだ女傑だった。しかし見た目は宮廷の貴婦人そのものであり、若かりし頃は社交界の男性たちを皆、虜にしたという美貌も未だ衰えてはいない。

そして二人の後ろで居心地悪そうにしているのが、エミリアの実父であるネイビー男爵だった。


「ごきげんよう、ローランド皇子殿下。御目文字(おめもじ)仕り至極光栄に存じます。カルヴァート辺境伯ビヴァリーと申します。この度は我が国への御台臨、恐悦至極に存じます」


ビヴァリーが礼を取ると、ローランド皇子はにこやかな笑みを浮かべたまま頷いた。どうやらローランドはカルヴァート辺境伯のことは既に耳にしていたらしく、女性であることに驚いた様子もない。その事に小さく笑みを零した辺境伯は視線をライリーに移した。


「王太子殿下、この度は御立太子の儀が滞りなく、無事終わったとアンガスから聞き及んでおります。誠にめでたく存じ上げます」

「辺境伯、相変わらず息災のようで何よりだ。温かい言葉も感謝する」


柔らかな口調でそよ風のように囁くカルヴァート辺境伯の言葉に、周囲から緊張が漂う。これまでカルヴァート辺境伯は、公にはその立場を明らかにして来なかった。だがライリーを“王太子殿下”と呼んだことで、ライリーを支持すると表明したことになる。

それが分かっているライリーも穏やかに返した。しかしビヴァリーの視線は一切リリアナに向かない。ライリーは隣に居るリリアナを示した。


「リリアナ嬢、こちらがビヴァリー・カルヴァート辺境伯だ。伯、こちらがクラーク公爵家のご令嬢リリアナ・アレクサンドラであり、私の婚約者だ」


そこでようやくビヴァリーの視線がリリアナに向けられる。どれほどの人物なのかと推し量るような視線に一切動じることなく、リリアナは笑みを浮かべてみせた。どうやら対応はそれで正解だったらしく、ビヴァリーの目付きが僅かに和らぐ。


「お初御目文字仕ります。ビヴァリー・カルヴァートと申します。普段は辺境に籠っておりますが、お噂はかねがね伺っておりますわ」

「お目にかかれて光栄ですわ、辺境伯。良い噂でしたら宜しいのですが。わたくしも、辺境伯の武功は聞き及んでおります。差し支えなければ、ぜひ詳しいお話を直接お伺いしたいと思っておりましたの」

「まあ」


きっと素晴らしいお話なのでしょうね、というリリアナの返答に、ビヴァリーは僅かに目を瞠った。

ビヴァリーと初めて会うと、人は必ずその美貌を誉めそやす。しかし王太子の婚約者としてそこに居る少女は辺境伯の容貌には一切触れず、寧ろ彼女の武勇伝を訊きたいと言ったのだ。しかもその表情に一切の偽りもない。

嘗ては社交界を、そして辺境伯に嫁いでからは辺境を生き抜いて来たビヴァリーにとって、年端も行かない少女の本心を見抜くことなど造作もない。今度こそビヴァリーは破顔一笑した。


「ええ、ぜひ未来の王太子妃殿下にお話する機会を頂戴できればと存じます」


途端に背後の貴族たちが騒めく。それはカルヴァート辺境伯ビヴァリーが、リリアナをライリーの婚約者として支持すると明言したようなものだった。


(――これで、破滅の可能性は多少減らせたかしら)


ビヴァリーに促された男爵の口上を聞き流しながら、リリアナは内心で呟いた。


勿論ビヴァリーに告げた言葉は本心のものではある。元々、淑女でしかないビヴァリーは剣術の心得などなかった。それにも関わらず、夫亡き後の彼女は今やカルヴァート辺境伯として領地を切り盛りし、更にはカルヴァート騎士団を率いている。

貴族の中にはあくまでもビヴァリーはお飾りであり、実務は家令が取り仕切ってるのだと実しやかに噂する者もいるが、リリアナはビヴァリーが名実共に辺境伯であることを知っていた。そして、何が彼女をその地位まで押し上げ、一癖も二癖もある騎士団の猛者たちを束ねられるまでに至ったのかも理解している。


(――()()()()()()()()()


ちらりと辺境伯の衣装や装飾品に目を走らせ、リリアナは内心で感嘆の溜息を漏らした。彼女が纏う服飾は質こそリリアナのドレスに多少劣るものの、金額に換算すれば遥かに高額だった。


勿論、リリアナの台詞に一切打算がなかったとは言わない。エミリアの後ろ盾となるカルヴァート辺境伯がリリアナを支持すると決めれば、よほどのことがない限り、エミリアが王太子妃となる道は閉ざされるだろう。


そこまで考えて、リリアナは緊張した面持ちで三人のやり取りを見守っているエミリアにちらりと視線を向けた。同時にビヴァリーも顔をエミリアの方に向けて、一歩前に出るよう促す。

非常に緊張した面持ちのエミリアだったが所作は様になっていた。乙女ゲームの中ではエミリアの視点がプレイヤーの視点だから、客観的に見るのはリリアナもこれが初めてである。


「こちら、私が懇意にしておりますネイビー男爵家のエミリアと申します。男爵ではございますが、彼はその武功が認められ先代国王陛下に男爵位に叙せられましたの」


男爵という言葉に背後で待機していた一部の貴族たちが剣呑に目を細めた。気が付いた男爵は顔を引き攣らせていたが、緊張で一杯一杯らしいエミリアは全く気付かず、そしてビヴァリーは悠然と構えていた。


「ネ、ネイビー男爵家が娘エミリアと申します」


そう言って礼を取ったエミリアだったが、顔を上げた先に優しく微笑んで自分を見つめる王太子ライリーの顔を見つけ、頬を赤らめた。ライリーは気にせず何かを思い出したように口を開く。


「そうか。ネイビー男爵領といえば、近郊に修道院があったな。確か以前ローランド殿と一緒に視察に向かった場所だ」

「ああ、あそこか」


無言で様子を眺めていたローランドはライリーに話を振られて直ぐに反応する。どうやら外遊は皇子にとっても思い出深いものだったらしい。


「イーディスも居たな。葡萄酒を見せて貰う予定だったが、パッチワークというものを初めて見せて貰った。あれは素晴らしいものだ。皇国でも、農業も産業も根付かない地方の振興のために取り入れようとしているところなのだ」


壁に掛けられていた大きなパッチワークは、端切れを縫い合わせただけとは言えないほど美しいものだった。まさしく芸術品だとライリーも感嘆したものだ。

リリアナもその修道院を覚えていた。確かパッチワークの技術をその修道院に齎したのは、カルヴァート辺境伯領にある修道院から移って来た修道士だと言っていた。確かにネイビー男爵領も、あの日視察に訪れた修道院も、カルヴァート辺境伯領の近くにある。しかしその二つが近場にあるとリリアナは気が付いていなかった。


一方、予想外の言葉を掛けられたエミリアは目を丸くして驚いたが、すぐに嬉しそうに破顔一笑した。


「まさかご存知とは存じませんでした。とても嬉しゅうございます。パッチワークは農閑期に、私たちの領でも作っているのです。時々村の女性陣と一緒に、大きなものを作って商人に売ったりもしております」


高位貴族ではあり得ない言葉の数々に、後ろに控えていた貴族たちが騒めく。露骨に侮蔑の目を向ける者は数少なかったが、それでもエミリアに対して良い心証を抱く者は多くなかった。

周囲の貴族たちから良い雰囲気を感じ取れない男爵は更に顔色を悪くし、カルヴァート辺境伯ビヴァリーは楽し気に目を瞬かせている。そして爆弾発言を口にしたと気が付いていないエミリアは、自分が()()()()()という事実にだけ気が付いた様子だった。慌てて謝罪を口にする。


「も、申し訳ございません……! 口が過ぎました」


そして、高位貴族の感情を隠す表情にばかり慣れているライリーとローランドは、少女の屈託のない表情に目を瞠る。だが不快を覚えた様子はない。それも当然だった。エミリアは決して媚を売っているわけではなく、ただ高貴な王族と皇族を前に緊張し舞い上がっているだけだ。多少、言葉遣いが砕けているとはいっても、下位貴族の令嬢にしては整っている方ではある。それに、自領のことを誇りに思っていることも、領民たちを大切に思っていることも伝わって来る。

特に王太子としてその義務にひたむきなライリーにとって、エミリアの態度は驚きはしても不快になるものではなかった。これが乙女ゲームの筋書き(シナリオ)通りであると知りさえしなければ、リリアナでさえ好印象を抱いただろう。

その様子を横目で眺めていたリリアナは苦々しい気分で溜息を吐きたくなるのを堪えた。


(これが、乙女ゲームのヒロインの力ですのね。完全にではございませんが、(おおよ)その流れはほぼ同じですわ)


この世界が乙女ゲームそのままだとはリリアナも思っていない。もし全く同じなのであれば、父エイブラムは死なず、王立騎士団長ヘガティも二番隊副隊長イーデンも、魔導士ベン・ドラコもペトラ・ミューリュライネンも出て来ないはずだ。しかし、だからと言って全てが乙女ゲームと違うわけではない。

攻略対象者が全員この茶会に出ていることがその証左だ。ベン・ドラコが生きている以上、少なくともベラスタとタニアは参加しないのではないかと期待していたし、父を喪い爵位を継いだクライドも本来であれば茶会に出る予定はなかった。


驚いた様子のライリーとローランドが一瞬言葉を失っているのを良いことに、リリアナは穏やかに微笑を浮かべて優しく答える。


「お気になさらずとも宜しゅうございましてよ。ネイビー男爵領は狭いながらも、非常に富んだ土地と聞いておりますもの。きっとお父様だけでなく、貴方のご献身が実を結んでいらっしゃるのでしょう」


これは乙女ゲームの流れにはないことだった。

本来であれば、この場でリリアナはエミリアを睨みつける。それを見たカルヴァート辺境伯はリリアナを警戒し、その後エミリアと攻略対象者たちを支援するのだ。

一方、ローランド皇子はエミリアに興味を持つ。しかし隣国の皇子であるためそのままではルートに進めない。エミリアがローランド皇子のパッチワークに関する情報交換をしたいという頼みを快諾することで、ローランド皇子のルートは確保できる。更に、皇子と同じくエミリアに興味と好感を持ったライリーがエミリアの領を想う心を讃えるのだ。即ち、今リリアナが口にした言葉は本来ライリーが言う台詞だった。


弾かれたように顔をリリアナの方に向けたエミリアの目は、わずかに潤んでいた。にっこりと笑みを向けるリリアナに、エミリアは「――ありがとうございます」と感極まったようにはにかんだ笑みを向ける。その表情は正しく乙女ゲームのヒロインと言った風情で、大層可愛らしかった。


(――驚くほど可愛らしいわね)


マリアンヌも可愛らしい顔立ちだが、どちらかというとリリアナの侍女の方が年上なだけあって大人っぽく落ち着いているし、静かな印象だ。それとは対照的に、エミリアは元気溌剌な可愛い女の子、という雰囲気だった。きっと仲の良い友人や家族の前では、開けっ広げで明るい笑顔を見せるのだろう。


自分が破滅に向かう原因の一つであるにも関わらず、リリアナは内心でどこか他人事のようにエミリアを観察していたが、ふと袖を引っ張られて視線を横に向けた。隣に座っているライリーが微笑を湛えたまま、しかしどこか困ったような表情で「サーシャ」と囁く。一体どうしたのだろうとリリアナは首を傾げていたが、すぐに聞こえて来たローランド皇子の言葉に気を取られたため続きの言葉を聞くことはできなかった。


「素晴らしいことだ。もし良ければ貴方の領の取り組みについて教えてくれ。我が国でも取り入れられるものがあれば、是非取り入れたい」


周囲は騒めいた。敵意を向けていた貴族たちも、ここまで来るとカルヴァート辺境伯に畏敬の念を持ち始めたようだ。つまり、男爵令嬢に過ぎない少女に対して王族と皇族がこのように声を掛けるのは、カルヴァート辺境伯がそれだけの権力を持っているからだと思い至ったに違いない。それが本当であろうが思い過ごしであろうが、この後でビヴァリーの元には権力に群がる者たち次々と集うだろうことは容易く想像がついた。


そして、エミリアもまた絶句していた。

男爵令嬢である彼女にとっては、スリベグランディア王国屈指の名門であるクラーク公爵家の令嬢に温かい言葉を掛けられるだけでも夢ではないかと思うところだ。それにも関わらず、今度は隣国の皇子から話を訊きたいと直々に言われている。反射的に断ろうかと口を開きかけたが、すぐに思い直したようだった。


「私でお役に立てるのでしたら、なんなりと」

「そうか」


ローランド皇子は口角を上げる。そしてカルヴァート辺境伯も、一瞬ではあるが満足気に微笑んでいた。それを見たリリアナは僅かに眉根を寄せる。


(もしかして、カルヴァート辺境伯はローランド皇子に()()()()接触したいとお考えなのかしら)


可能性としては否定できない。カルヴァート辺境伯もまた、ケニス辺境伯と同様常に隣国から攻撃される危険に晒されている。ここでローランド皇子と繋ぎを作っておくことで、隣国との関係をどうにか良い形で保っておきたいと考えるのも自然なことに思えた。

そうしてようやく、カルヴァート辺境伯はエミリアと男爵を連れてその場から立ち去る。その後も高位貴族とその子供たちが挨拶に来たが、エミリアたちほど印象に残る者はいなかった。



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