31. 乙女遊戯 1
“立太子の儀”の前日から、王都は物々しい雰囲気に包まれていた。普段は警備に回らない王立騎士団の騎士たちも、王宮近辺や街道と場所は決まっているものの、衛兵たちに混じり神経を尖らせている。特に王立騎士団二番隊は王都内に入ろうとする者たちに目を光らせていた。
「隊長、少々こちらに宜しいですか」
騎士の一人が二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートに声を掛ける。ダンヒルが顔を上げると、一人の騎士が緊張した面持ちで立っていた。何かあったらしいと僅かに眉根を寄せ、ダンヒルはその騎士に近づく。すると、彼は声を潜めてダンヒルに耳打ちした。
「北部訛りの商隊が居ます。通行許可証は持ってますが、その許可証を発行したのが――」
彼が口にしたのは、北部領主の一人だった。ダンヒルの表情が険しくなる。それは北部領主の一人で、滅多に王都には出て来ないものの、大公派ではないかという疑いのある人物だった。
本当に商売目的で王都に来たのかもしれないが、念のため確認しておいた方が良いだろう。
一つ頷いて、ダンヒルは商人の元に行く。部下に連れられて辿り着いた場所では、商隊の頭らしい男が不機嫌な表情で馬車の荷台に腰かけていた。他の二番隊騎士たちが足止めをしているようだ。随分と文句を言われていたらしく、騎士はやって来たダンヒルを見てほっとしたように顔を緩める。しかしそれも一瞬で、すぐに真剣な表情に戻った。
ダンヒルは商人の前に立った。その視線は鋭く周囲を確認し、荷台に腰かけている男の背後の荷物も検分している。
「王立騎士団二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートだ。本日は“立太子の儀”のため王都全体を警戒している」
暗に、お前だけが足止めを食らっているのではないと告げる。最初はダンヒルを睨みつけた商人だが、二番隊隊長と分かると直ぐに表情を改めた。どうやら権力には阿る性質らしい。
ダンヒルは、制服のポケットから一枚の紙を取り出した。それをちらりと一瞥して、ダンヒルは口角を僅かに上げる。紙片には、赤い文字が薄っすらと浮かび上がっていた。それまでは何の反応もなかったにも関わらず――である。
ダンヒル以外には何も手にしていないように見えるはずだ。それが分かっているからこそ、まだ何も口に出す段階ではないと彼は理解していた。
何気ない表情を取り繕い、ダンヒルは簡単な質問を口にする。その内容は王都を訪れた目的や滞在期間、扱っている商品等、基本的な事柄ばかりだ。最初は警戒していた商人も、これは一般的に誰に対してもしている尋問の類だと判断したのか、徐々に肩の力が抜け始めた。
尤も、ダンヒルも無条件に商人たちの言い分を信じるわけではない。
たとえ目の前にいる男が商人の皮を被った暗殺者や間諜であっても、商人に扮するからには商売道具も用意しているだろうし、実際に物を売買して捜査の目を晦ませるに違いない。だから、男たちが淀みなく答えられるのもおかしな話ではない。
男の様子をほんの僅かでも見逃さないよう注視しながら、ダンヒルは何気なく問いかけた。
「調査へのご協力感謝する。ああ、それと」
商人の男は、ダンヒルの気楽な謝礼に気を抜いた様子だった。はた目から見ても明らかに安堵している様子が見て取れる。それを確認したダンヒルは、全くの自然体で尋ねた。
「荷台に乗せているその荷物に魔術陣の反応があるのだが、どういうことか説明して貰えるか?」
「――は?」
間抜けな声を漏らしたのは、商人ではなく二番隊の騎士だった。絶句した様子でダンヒルのことを凝視しているのか、視線を感じる。しかしダンヒルは商人から目を離さなかった。
商人は舌打ちを漏らす。それまでだらしない姿勢で荷台に腰かけていた人物とは思えないほど、機敏な動きで立ち上がると叫んだ。服の下に隠し持っていたらしい短剣を抜き放ち構える。ダンヒルの背後に控えていた騎士たちも殺気立った。
「おい! こいつら、伸しちまえ!!」
途端に馬車から人相の悪い男たちが次々と降りて来る。商人とその護衛に雇われた傭兵たちと言うには、あまりにも物騒な面構えと得物だった。
やはり商人というのは仮の姿で、その実は無頼漢だったらしい。しかし荷台に積まれた荷物に魔術陣が施してあるということは、単なる破落戸ではないということだ。
ダンヒルが個人的に姉ヴァージニアから受け取った紙は、ダンヒルが持っていれば特定の魔術陣に反応するという魔道具だった。使い捨てのもので、不要になれば火にくべて廃棄する。
魔導省で作られている魔道具よりも簡易なものだが、検問の際には非常に有用なものだった。
ダンヒルを筆頭に、二番隊の騎士たちも剣を抜いて構える。しかし、常日頃から鍛錬を欠かさない騎士団にとって破落戸たちは喧嘩の相手にもならない。
商人に扮した男たちをあっという間に制圧したダンヒルは、にっこりと女性たちに受けの良い魅力的な笑みを浮かべてみせた。
「それでは、我が王立騎士団の兵舎までご同行願おうか」
*****
リリアナ・アレクサンドラ・クラークは“立太子の儀”に参列するため、王宮に上がった。魔力暴走を起こしかけて体調不良に陥った後、王宮に来るのは初めてだ。体調は戻ったものの、王太子であるライリーは勿論のこと、リリアナの兄クライドや、近衛騎士を拝命したばかりのオースティンも多忙を極めていたらしい。正式には聞いていないが、どうやら王宮の官吏や騎士団の人間だけでなく、魔導省に勤める魔導士や文官たちの身辺調査も行っていると、リリアナは知っていた。
(気が重いですわね)
与えられた控え室で侍女たちに化粧や衣装の着付けをされながら、リリアナは憂鬱に内心で呟く。
今の彼女は、薄い青を基調としたドレスを纏っている。金糸と真珠で施された刺繍は目を瞠るほど美しく、侍女たちも見惚れるほどだ。しかし美しいドレスを纏ってもリリアナの顔は晴れない。
最初に開かれる式典は滞りなく進むだろう。その後の茶会や晩餐会も同様に違いない。問題は、式典と晩餐会の間に開かれる、低年齢の令息や令嬢たちを対象とした茶会だった。そこで乙女ゲームのヒロインであるエミリア・ネイビーが登場し、ゲームが開始する。
前世の記憶を思い出してから、リリアナは身の破滅を避けるため策を巡らせた。途中からは自身の身の破滅を避けるためというよりも、今は亡き父親の企みを見極める方に注力してしまったが、それも根本を考えれば自身の身の破滅が一体何を原因としたものなのかを知るためだった。
「王太子殿下がおいでになりました」
全ての準備が整い、リリアナの元にライリーが来たと侍従が告げる。
「お通しして」
リリアナが答えると、少ししてライリーが室内に入って来た。扉の外には近衛騎士となったオースティンともう一人の騎士が立っている。ライリーは着飾ったリリアナを見ると目を瞠って破顔一笑した。
「サーシャ、綺麗だよ」
「まあ、お褒め頂き光栄ですわ。殿下も一層凛々しくおなり遊ばしましたわね」
「そうかな」
リリアナが着飾っているのと同様、ライリーも正礼装に身を包んでいる。近衛騎士の正礼装と基本は似ているが、更に王族らしさを出すためか飾りが増えて豪奢になっている。それでいて嫌味はない。他の人が着れば衣装が目立ってしまうだろうが、王太子は見事に着こなしていた。
ライリーはエスコートのためリリアナに手を差し出した。リリアナも手袋に包まれた手を差し出す。二人は並んで式典会場に向かう。式典には、一部の貴族と諸国の貴賓しか参列できない。そのため、社交界デビューを済ませた国内貴族たちは夜に開かれる晩餐会に出席が許されている。そして社交界デビューを済ませていない令息と令嬢たちは、式典と晩餐会の狭間の時間帯に開かれる大規模な茶会への参加が許されていた。即ち、ライリーとリリアナに休憩時間は殆どない。
「体調は大丈夫?」
「問題ございませんわ」
「辛くなるようだったら言ってくれ、休む時間は増やせるようにしてあるから」
どうやらライリーはリリアナが魔力暴走を起こしかけて倒れたのを気にしているらしく、今では全く問題ないというのに気遣ってくれる。そのことに妙に擽ったい気分になりながらも、リリアナは穏やかに微笑を浮かべ礼を述べた。
「隣国からはローランド皇子殿下がいらしてくれた。例の宰相補佐殿も一緒だ。そして出来れば茶会に出たいと打診された」
ライリーがリリアナに耳打ちする。何度も刺客を送り込まれた第一皇子の容体があまり芳しくないという情報は、リリアナの元にも届いていた。恐らくそのためローランドが繰り上がって式典に参加することになったのだろうが、リリアナとしては寧ろ皇子よりも同行して来た宰相補佐ドルミル・バトラーの方が問題である。
以前外遊に来た時、バトラーはオルガを貰い受けたいと打診した。リリアナもオルガも断ったしそれ以降正式な勧誘はないが、リリアナが暮らす屋敷に妙な間諜が来るようになった。不定期に送られて来る間諜はオルガの様子を観察するだけ観察し、何もせずに立ち去るらしい。酷く気色が悪いとオルガは言っていたし、リリアナも同感だった。恐らく――否、十中八九バトラーの仕業だろうとリリアナもオルガも思っている。しかしオルガが捕えた間諜は決して依頼主の名前を口にはしなかったから、確証はない。下手に騒ぎ立てて国交問題にされても困る。
だからこそ余計に、バトラーが居るという事実もリリアナの心を重くした。
「――茶会は国内貴族との交流を深めるためのものですし、皇子殿下がご参列なさるのは趣旨に反すると思いますが」
「私もそう言ったんだけどね。それなら最初に挨拶だけでもしたいと言われたら断り辛い」
「それはそうですわね」
それもまた乙女ゲーム通りの展開だ。リリアナは痛む頭を抑えるのを堪え、細く長い息を吐き出して誤魔化した。ライリーが気遣わし気な視線を向けて来たことに気が付き、微苦笑を作る。
「恙なく終わることを祈りましょう」
「ああ、そうだね。無事に終わったら少しは色々と落ち着くだろうから、また話をしたり出掛けたりしよう」
「ええ」
リリアナが頷いたところで、二人は式典会場に到着する。扉の向こうからは人々のさざめき声が聞こえてきた。さすがのライリーとリリアナも、わずかに緊張していた。扉が開き、朗々とした声が王太子と婚約者の入場を告げ――“立太子の儀”が始まった。
*****
式典は順調に進行し、無事に閉幕した。各国の貴賓や使者たちから祝いの言葉を受け取り、式典に参加している高位貴族たちからも祝福される。鷹揚に言葉を受け取りながらも、似たような言葉の羅列に疲労は溜まる。
式典から茶会までは僅かではあるものの休憩時間が設けられている。式典用の正礼装から茶会の準礼装に着替えたリリアナとライリーは紅茶を飲みながら疲れを癒していた。
「まさかケニス辺境伯もいらしてくださるとは思わなかったな」
ライリーが感心したように呟く。普段から剣の稽古を絶やさない彼は、リリアナと違ってまだ然程疲れてはいない様子だった。
紅茶を一口飲んでほっと一息吐いたリリアナは頷いて同意を示す。
「ええ、とてもお元気になられていたようで驚きました」
「半身不随と聞いていたから不安だったが、杖をついて歩けるようになっていらしたとは思わなかった」
リリアナは国境で戦が起きた時にケニス辺境伯を見ているから既に知っていたが、まるで今日初めて知ったかのように答えた。ライリーも不審には思わなかったらしく、侍従に紅茶のお代わりを注ぐよう指示し、新しく紅茶が入ったカップを受け取った。リリアナは添えられた菓子を一口摘まむ。それほど甘味に関心はないが、疲れた体に仄かな甘みは沁みた。
「カルヴァート辺境伯は嫡男のアンガス殿がいらしていたな。辺境伯は茶会からいらっしゃると言っていたが、一体誰をお連れするんだろう」
カルヴァート辺境伯に年頃の子供はいない。ライリーが疑問に思うのも尤もだった。
ライリーとリリアナに挨拶をした長男のアンガスは「楽しみにしていてください」と笑うだけで詳しいことを言おうとはしなかった。リリアナは「どなたでしょう」と曖昧に微笑んで首を傾げてみせる。だが、カルヴァート辺境伯が一体誰を連れて来るのか、前世の記憶があるリリアナは良く知っていた。
(エミリア・ネイビーを連れていらっしゃるのでしょう。ゲームと全く同じですわね)
下位貴族の男爵令嬢であるエミリアは、普通であれば王太子やその近衛騎士の目に止まることはまずない。王太子に対面するのは高位貴族たちが挨拶を終えた後であり、そこまで来るとさすがにライリーたちも疲れてなかなか顔を名前を覚えられなくなってしまう。尤もそこを気合で覚えようとするのがライリーとリリアナなのだが、乙女ゲームの主人公としては若干決め手に欠ける。
だが、エミリアは高位貴族の中でも有力者であるカルヴァート辺境伯に連れられて茶会に来る。そして彼女は、実父は下位貴族でありながらもカルヴァート辺境伯の後ろ盾がある令嬢として、早々にライリーと対面する機会に恵まれるのだ。
(カルヴァート辺境伯と懇意にしているからこそ、王太子ルートや隣国の第二皇子ルートという選択肢も生まれるわけですわね)
そうでなければ一介の男爵令嬢が王族や皇族に嫁げるわけがない。二人のルートに進んだ場合は、エミリアはカルヴァート辺境伯の養女となる。元々親交があるからそれほど不自然なことでもない。
黙り込んだリリアナを心配そうな目で見つめ、ライリーは本日何度目かも分からない「大丈夫?」という質問を投げかける。リリアナは心配させてしまって申し訳ないという表情を取り繕い頷いた。
「ええ、大丈夫ですわ。少々、緊張しているだけですもの」
「貴方も緊張するとは思ってもいなかったな。でもそういう貴方は身近に感じられて、一層大切にしたいと思う」
穏やかに囁かれ、リリアナは戸惑う。真っ直ぐに向けられたライリーの表情はこれまでリリアナが見て来たどの感情とも違った。
「――ウィル?」
どうしたのですか、と尋ねようとした時、侍従が扉を叩いて時間を告げた。もう茶会が始まる時間である。小さく息を吐いたライリーは立ち上がると手をリリアナに差し出した。
「行こうか。でもくれぐれも、無理はしないで。少しでも体が辛くなったら直ぐに言うんだよ」
我慢はしないで、と言われたリリアナは素直に頷く。何故こんなにも気に掛けられるのか今一つ理解できないが、少なくとも嫌な気持ちではなかった。
*****
広がる光景は、まさしく乙女ゲームの冒頭部通りだった。
王宮の庭を利用してあちらこちらにテーブルが広がり、椅子が並べられている。ライリーとリリアナの座る場所は定められているが、参列する貴族たちの場所は大まかに高位貴族と下位貴族に分けられているだけで、具体的に定められているわけではない。基本的には立食の形態がとられていて、疲れたら近場にある椅子に腰かけることが出来るよう整えられていた。
ローランド皇子の最初に挨拶をしたいという要望に応えるため、急遽ライリーとリリアナの隣にローランド皇子の席も誂えられた。突然であるにも関わらず、当初からそうなる予定であったように綺麗に整えられているのは優秀な使用人たちのお陰だろう。
茶会用の衣装に着替えたライリーとリリアナは、既に庭に揃っている貴族たちの視線に晒されながら用意された椅子に座る。ライリーが隣で開会の挨拶を述べている横で、リリアナは会場を素早く見回していた。
(全員、揃っていますわね)
リリアナの隣に、王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラード。
その後ろに近衛騎士オースティン・エアルドレッド。
まだ出て来ていないが、ライリーが紹介した段階で姿を現わすユナティアン皇国の第二皇子ローランド・ディル・ユナカイティス。
高位貴族たちの集っている場所に、クラーク公爵となったクライド・ベニート・クラーク。晩餐にも出席できる彼は本来茶会に参加する必要はないが、大公派が何かを仕掛けて来た時に備えて出席することにしたという。
そして下位貴族たちの居る場所に、ベラスタ・ドラコとタニア・ドラコが揃っている。二人は爵位持ちの家系ではないものの、ドラコ一族は王国屈指の魔導士一族であり王家との繋がりも深い。そのため、特例として招待状が送られた。
そして最後に、もう一人。
高位貴族たちの集う場所で僅かに居心地が悪そうな表情を浮かべながらも、物珍し気に視線を彷徨わせている可憐な少女――エミリア・ネイビー。薄紅色の髪に橙の瞳を持つ彼女は、これからカルヴァート辺境伯に連れられて挨拶に来る。
それが乙女ゲーム開始の合図だった。
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