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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
198/563

30. 遊戯の前触れ 6


嫌な予感は的中したが、詳細を聞かなければ何も判断はできない。ライリーは自分を落ち着かせるために深呼吸を数度繰り返し、ベン・ドラコに仔細を尋ねた。ベンは「そうですね」と頷く。


「大昔に、精霊と呼ばれる存在がいたのはご存知でしょうか?」

「――物語や伝説では、良く見るな。中世には姿を消したというのが一般的な見方だが」

「ええ、その通りです」


スリベグランディア王国に住む者、特に貴族にとっては当然の常識だから、ライリーは難なく答えた。

現在、精霊は存在しないと言われている。あくまでも彼らは物語の中の存在であり、自分たちと同じ空間で過ごしているわけではないという見解だ。歴史書にも精霊は時折現れるが、あくまでも嘗て生きていた人間を形容しているだけだという見方が一般的だった。

しかし、歴史書や物語の言葉を文字通り受け取るのであれば、神の御世である古代、精霊と人間が共存していた中世、精霊が消え人が世の中を支配するようになった近世と大まかに時代を区分できる。なお、魔王が世界を支配したと言われる魔の三百年――いわゆる暗黒時代は近世の始まりだ。


ライリーの言葉に頷いたベンは、その精霊という存在が関係しているのだと告げた。


「精霊は人間が使えない魔術も簡単に使えたと言います。時空、空間、霊魂――様々な、今では禁術と言われるものも彼らは易々と使っていた。当時人々は、人が使えないのに精霊は使える魔術の原因を魔力量に求めました」


即ち、精霊は人間と比べて魔力量が多いため、人間には使えない魔術を使えるのだと考えたのだという。

確かに禁術の中には、倫理的に許されない魔術も含まれているが、同時に膨大な魔力量を必要とするため行使すれば術者が命を落とすようなものも含まれている。

そして、本来であれば禁術に指定されるべきだが、用途を考えた際に必要と認められ禁術の指定から逃れた魔術もあった――それが、魔物襲撃の際に聖魔導士が行使する祓魔(エクソルツィスムス)の術だ。スリベグランディア王国でその術を使える者は聖魔導士四人のみとされていて、かつ一人では決して実行してはならない魔術だった。膨大な魔力と光の魔術に対する耐性、そしてその術に対抗し得る精神が完全な状態で揃っていなければならない。


ライリーは苦い顔で頷いた。ベンの言葉は端的だが非常に理解しやすい。


「なるほど、それで人為的に魔力量を増やそうとしたんだな」

「そうです。しかし成功例は一つもありません」

「何故だ?」


あっさりとしたベンの言葉に、ライリーもまた端的に尋ねる。だが、答えを聞くまでもなくライリーは薄々その理由を察していた。先ほどベンはライリーに“魔力量が急激に増えると、体か心のどちらかが持たなくなる”と言った。類推すれば自ずと答えは見えてくる。

案の定、ベンの答えはライリーの憶測を裏付けるものだった。


「被験者は命を落とすか、もしくは廃人になりました。つまり、人間と精霊の違いは魔力量そのものではなく、膨大な魔力量を受け入れられる体と心にあったわけです」

「心?」

「魂、と言い換えても良いかもしれませんね。心の拠り所は魂にありますから」


ライリーは目を伏せて考え込んだ。人の欲求というものは留まることを知らない。魔力量を増やそうとして出来なかったからといって、簡単に探究を諦めるとは到底思えなかった。


「それなら、体を丈夫にしたり魂を――こういう言い方が正しいのかは分からないが、精霊に近いものへと変質させるような研究はなされなかったのか?」


途端に、ベンは目を瞠った。驚いたような表情を前に、ライリーもまた吃驚する。しかしベンは驚愕が去ると、次に楽し気に頬を緩めた。その視線が妙に優しくなっている気がして、ライリーは妙に居心地が悪くなる。しかしベンは気に留めず解説を加えた。


「ええ、なされましたよ。寧ろ今回のリリアナ嬢の件を聞いた時、僕は魔力量を増やす研究よりも寧ろこちらの方を思い出したのです。ただそれでも、あまりにも荒唐無稽な話なんですが」


魔力量を人為的に増やす実験に失敗した当時の人々は、それならば器の方を変えれば良いのではないかと思い付いた。魔力量を増やした時に壊れるのは肉体か心のどちらかだ。それならば、器となる人間の肉体と心の拠り所である魂を、膨大な魔力量に耐え得るものに()()()()()()()()


「ですが結果は思わしくなかった。体に関しては、どうやら人間としては今の形が最善らしい。何故ならば、手を加えれば加えるほど、人の体は脆くなっていったからです」


色々なところから発想は生まれた。当時から既に武器として銅が使われていたため、体の一部を銅にする実験も行われた。だが、銅は人間の体よりも魔力に対して脆弱だった。銅よりも石の方がまだマシだったがそれでも人体の方が魔力には耐性があった。どうやら人が手を加えたものは魔力への耐性が減るらしいということが分かった。


「それならば致し方ない。ということで、体の代わりに心をどうにかすることにしました。廃人になった人間は、つまり体だけは膨大な魔力量に耐えられたということだ、と考えられたのです」


そこで二つの学説が対立した。一つは魂の質が違うのだ、という者。彼らは、人間の魂が石だとすれば精霊の魂は宝石なのだと考えた。しかし魂の質を変化させる魔術など存在しない。彼らの研究は早々に暗礁に乗り上げた。

もう一つは、魂の大きさ自体が違うのだと考える者だ。彼らの発想は簡単だった。魂の大きさが違い、そして人間の魂の大きさを広げられないのであれば、一つの体に複数の魂を入れてしまえば良いと考えたのだ。


「彼らが目を付けたのは、東方の国々で当時から盛んに行われていた降霊術です」

「降霊術――確か巫術(シャーマニズム)で行われていた術だったか? 精霊や死霊の意識を己の体と同調させ、その意志を生きた人間に伝えていた、という」

「良くご存知ですね。その通りです。今ではアシャーク・ジュンムリアトで残された手記が唯一、最古の手掛かりとなっていますが」


アシャーク・ジュンムリアトは遥か昔に東方に存在していた共和制の国だった。予想外のところで聞いた名前に、ライリーは目を瞬かせる。そして同時に、何かに引っかかった。同じような心境に陥ったのは()()()()()()()。だいぶ昔に、アシャーク・ジュンムリアトと巫術(シャーマニズム)の話を聞いた記憶がある。

それが一体誰と会話した時だったのかと一瞬考えかけたが、ベンの言葉に意識を引き戻された。


「魂の数を増やそうと考えた者たちは、巫術(シャーマニズム)の降霊術に目を付けました。ですがこちらも結果は思わしくなかった。殿下もご存知の通り、降霊術では死者の意識を生者の体に降ろすことで、術者が生者と死者の意思疎通を媒介します。その意識が果たして彼らの求める魂なのかどうか、仮にそうだったとしてもどのようにすれば体に定着するのか、それが分からず――そして体と魂に関する研究は、禁術として歴史の闇に葬り去られました」


今やその術はどの文献にも載っていない。ベン・ドラコがその存在を知ったのは口頭伝承だという。しかし、その口頭伝承だけでは情報として不十分だった。そこで役立ったのかペトラ・ミューリュライネンの知識だ。ペトラが幼い頃に亡くなった彼女の母は東方の血を引く呪術士で、ペトラはその全てではないものの、ある程度の知識を母親から受け継いでいた。それらの知識を繋ぎ合わせたベンが描いた過去の出来事が、先ほどライリーに告げた知識だ。

ベンの苦労に思いを馳せた途端、ライリーは気が遠くなるような心持ちになる。ベンは何でもないことのように話をしているが、口頭伝承を集めて既存の魔術や歴史書と突き合わせ、矛盾のない説を打ち立てるには膨大な労力が必要だ。しかしベンはそんな苦労を一欠けらたりとも見せず、あっさりと肩を竦めてみせた。


「恐らく禁書として、悉く焚書の対象となったのでしょう。僕としてもその対処には賛成です。しようと思えば幾らでも悪用できますから」


結果は思わしくないでしょうが、と皮肉っぽく付け加えたベンにライリーは頷く。

ライリーにしてみれば、ベンが教えてくれた禁術はそのまま永遠に表舞台に出ない方が良いとしか思えない。

そして同時に、ベンの話を聞いてもなおリリアナが魔力暴走を起こしかけて倒れたという話との共通点を見出せずにいた。正直にそのことを告げると、ベンは「そうですね」と頷く。


「リリアナ嬢の魔力量は非常に膨大です。恐らくこの国の中で最も魔力量があるかと」

「――そんなにあるのか」


ベンが断言すれば、ライリーは絶句した。リリアナの魔力量が多いことには薄々勘付いていたが、それでも王国一とまでは思わなかったらしい。しかしベンは初対面の時からリリアナの魔力量が多いことには気が付いていた。今更驚くことでもない。


「その膨大な魔力量を簡単に制御できるのです。今更魔力量が増えることもないでしょうし、たとえ多少増えたとしても制御を乱すとは考えにくい――自然に増える分には」

「つまり、魔力量が増えたのは外的要因だということか」

「その可能性は否定できません。ですが、人間の魔力を増やすことは禁術です。並大抵なことではできません」


ベンの言葉が正しければ、人間の魔力量を増やす魔術は禁術として長く扱われ歴史の闇に葬り去られた。焚書の対象となっているから、書物としても残っている可能性はほぼない。

だが、だからといって全く不可能であるということではない。嘗ての研究でも体や魂に関する魔術は成功しなかったが、()()()()()()()()()()()()出来ていた。


「もしくは」


ベンは付け加えた。ずっと外的要因ばかりを考えていたが、もう一つの説の方が可能性としては高い。しかしそれはベンとしても考えたくないものだった。


「リリアナ嬢本人の問題です」

「本人の問題?」


どういうことだ、とライリーが問う。ベンは僅かに眉を曇らせ尋ね返した。


「生きている人間の魔力量に差はありますが、それでも上限は限られています。それはなぜだと思われますか」


驚くほど膨大な魔力量を持つ者は、何故か居ない。たいてい人間が持てる魔力量は限界が決まっていて、そのため“魔力量が足りないため発動できない魔術”は誰が挑戦しても発動できない。

ライリーは首を傾げた。そのような発想に至ったこともない。そしてベンはライリーの答えを期待していたわけではないようだった。どこか沈んだ声音のまま淡々と言葉を続ける。


「膨大な魔力量を持つ子供は、たいてい命を落とします。早ければ母親の胎の中で、遅くとも二、三歳までに」


尤も正確な資料はないから、生まれずして、もしくは幼くして亡くなった子供のうち何割が魔力過多が原因だったのかは分からない。

ライリーは息を飲んだ。膨大な魔力量を持つ子供は体が耐え切れなくなるのだ。だが、それならばリリアナはどうなるのか――当然、ライリーの疑問はそこに辿り着く。


「リリアナ嬢の母方が北方の血を引いているという話はご存知でしょうか。北方の民の中には魔術が効き辛い体質の者がいると聞きます。その血が強く発現したのであれば、十二歳という年齢まで体がもったという可能性が考えられるかと思います」


だが、とベン・ドラコは一瞬だけ沈鬱な表情を浮かべて告げた。


「その体質がいつまで続くのかも分かりません。可能性としては、魔力量が増えたのではなく、膨大な魔力量に耐えるだけの体力がなくなりつつある――そう考える方が自然です」

「つまり、」


ライリーは要点を整理しようと声を出す。しかしその声は震えて掠れていた。考えたくないと叫ぶ感情を押し殺し、ライリーは毅然とした風を装ってベン・ドラコに尋ねる。


「――このまま年月を経れば、サーシャは――リリアナ嬢は、魔力量に耐え切れず命を落とすかもしれないと?」

「――――はい」


ベンも苦しそうに唇を固く結ぶ。ライリーは震える手で額を押さえ、ゆっくりと息を吐き出した。

動揺はしているが、まだリリアナは死んだわけではない。何かしら手を打つ余裕もあるはずだ。


「それを避ける方法は」

「分かりません。ですが、魔力量を減らすことが出来れば――あるいは」

「わかった」


ライリーは額を抑えていた手を退ける。その青い瞳には固い決意が宿っていた。その目を真っ直ぐ天才魔導士(ベン・ドラコ)に向けて、ライリーは「内密に」と告げた。


「内密に、そして早急に対応策を探って欲しい」

「承知いたしました」


ベンは静かに頷く。既にリリアナとベンは六年の付き合いになる。それほどの付き合いがあれば、研究者気質で他人にそれほど心を開かないベンであっても絆される。できれば幸せに長生きをして欲しいと、他の大切な人や友人たちと同じように願うようになる。

だからこそ、ライリーに頼まれずともベンはやるつもりだった。リリアナを一度訪ねても良いが、彼女の性格であれば詳細な調査は拒否される可能性が高い。六年経っても、リリアナはベンにもペトラにも深いところまで踏み込ませようとはしない。

それでも、少なくとも一度はリリアナの様子を見に行こうとベンは決意する。魔導省内部の問題もあるためそれがいつになるかは分からないが、できるだけ早く時間を作ろうと決意するベンの横顔を見て、ライリーは静かに笑みを零した。



7-4

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