29. 獅子身中の虫 8
顧問会議を終えて自身の執務室に戻ったライリーは、少ししてから訪れて来た婚約者を迎え入れた。
「サーシャ、お疲れ様」
「本日は取り立てて何もしておりませんわ。ウィルこそお疲れ様でございました」
首尾は如何です、とリリアナに尋ねられてライリーは満足気な笑みを浮かべる。思った以上に顧問会議は上手く進んだ。掻い摘んで状況を説明すると、リリアナもまた微笑を深めた。
「プレイステッド卿がご支援くださったとは、有難いことですわね」
「彼には事前に根回しする時間がなかったからね。どうなることかと思ったが、上手く運んで良かった」
今回の顧問会議に参加するに当たって、ライリーはヘガティ騎士団長とスペンサー副団長とも打ち合わせを行い、そしてクライドやオースティンにも相談を持ち掛けた。王宮で働く者全員と王立騎士団の全騎士の身辺調査を命じると反発されることは事前に予測が付いた。特にスコーン侯爵は息子が八番隊隊長を務めているのだから、最悪でも騎士団に調査の手が伸びないよう企てるに違いない。
そこで、ライリーたちは貴族たちの性格や利害関係を考慮し、どのように話を持っていくか計画を立てた。
「スコーン侯爵が最初に口を開いてくれたのは助かった。もし騎士団の調査は良いが王宮内部までは手が回らないと言われたら、奥の手を証拠として出さなければならなかったから」
「報告書が改竄されていることがこちらに知られているとなれば、早々に証拠隠滅を図るでしょうね」
リリアナの指摘にライリーも頷く。
報告書が改竄されていると気付かれていると分かれば、黒幕は王宮に潜入させた間諜を先に処分するに違いない。捕らえた刺客二人を騎士団の施設内で暗殺するほどの人物なのだから、好きな時に出入りできる場所で働く文官や武官を人知れず殺すことなど容易いはずだ。
だが、幸いなことに口火を切ったのはスコーン侯爵だった。彼は自分の息子を守るために、騎士団は無実だと訴えた。その結果、騎士団ではなく王宮で働く人間を後回しにすべきという主張は日の目を見なかった。お陰で、実行部隊であり明らかに謀反人が居る騎士団を調査しない道理はないという主張だけで目論見通りに物事を進めることができたのだった。
「件の文官と武官には監視を付けているのでしょう?」
「ああ、勿論だ。どうせ奴らは蜥蜴の尻尾だから、捕まえたところで意味はないしね。尤も、彼らは直接黒幕と接触しているとは思っていないけど」
だが、それでも何食わぬ顔で働いている者たちの動向を監視しておけば、何らかの突破口は見つかる可能性がある。その上今回調査をすると明言したことで、何らかの動きも見せるはずだ。ライリーが狙っていたのはそこだった。
「それに」
ライリーは言葉を続ける。もう一つ、彼は罠を仕掛けていた。悪戯っぽく目を輝かせてリリアナの顔を覗き込む。ライリーが一体何を企んでいるのか聞いていなかったリリアナはきょとんと首を傾げた。
「メラーズ伯爵とフィンチ侯爵に、身辺調査を任せる者の選任を頼んだ。彼の出してくる一覧には間諜が紛れ込んでいるだろう。フィンチ侯爵にも同様に候補者を提出するように命じているから、侯爵が提出した名前と被っている者は間諜ではない可能性が高いと考えても良いはずだ」
メラーズ伯爵とフィンチ侯爵は互いに反目し合っている。特に侯爵の方がメラーズ伯爵を敵視している様子ではあるものの、彼らは互いに自分の息が掛かったものを紛れ込ませて来るに違いない。全員がそうであれば疑われるに間違いないから、大多数はライリーにとって害のない者であるはずだ。
「フィンチ侯爵とメラーズ伯爵のいずれもが間諜を忍び込ませているとお考えですの?」
「ああ、恐らくは。だが今回の件に関係しているのは、その二人で言うならメラーズ伯爵の方だろう」
ライリーの推測はリリアナのものと同じだったらしく、彼女は「そうですわね」と相槌を打った。そんなリリアナを楽し気に眺めていたライリーは声を潜める。
「実は、この方法を提案してくれたのはクライドなんだよ」
「――お兄様が?」
予想外の人の名前を聞いたと、リリアナは僅かに目を瞠った。どうやら聞いていなかったらしいと見て取ったライリーは「そう、クライドが」と繰り返す。
当初、ライリーはどのように逆心を持つ者を炙り出すか悩んでいた。本人にその気はなくとも、ライリーを害そうと考えている者の手先となって動いていれば当然厳罰に処さねばならない。だが問題は炙り出す方法だった。
そこで助言をくれたのが、他ならぬクライドだった。曰く、疑わしき者とそうでない者に敢えて調査員の選定を任せるというのである。そうすれば数人は間諜を紛れ込ませるに違いないし、敵対派閥であれば確実に人選に差が出て来る。
「間諜とまではいかずとも、少なくとも派閥を再確認する手段にはなり得ると、ね。確かにその通りだと思ったから、彼の提言を汲んだんだ。私もオースティンもどちらかと言うと、そういう発想には疎いから、クライドには助けられている」
「そうでしたの。兄がお役に立てたようで何よりですわ」
にこりとリリアナは微笑みを浮かべてみせる。しかしその表情にはそれほど感慨もない。寧ろ焦燥に似た色を感じ取って、ライリーは違和感を覚えた。だがリリアナの表情は一瞬にして元に戻り、感じ取った違和感は気のせいだったのかとライリーは訝しく目を細める。
しかしそれを問う隙もなく、リリアナは穏やかに言葉を紡いだ。
「本日の顧問会議は成果が上がったようですし、きっとこのまま近衛騎士の選抜も順調に進みますでしょうね」
「――うん、そうなると良いと思っているよ。地位や年齢に拘らず、信頼が置けて腕の立つ者をと頼んでいる」
リリアナは小首を傾げた。年齢に拘らないという点に引っかかりを覚えたらしい。
通常、近衛騎士は実力者を選ぶ。そのため必然的に年齢も若く逞しい騎士が選ばれる傾向が強い。しかしライリーは年齢すら気にしないと断言した。つまり、若かろうが年輩であろうが構わないということだ。
「それは将来性も込みで、ということですの?」
「勿論。それからたとえ第一線を退いていても、頭が切れる人物も含める」
ライリーは笑みを浮かべる。若くとも将来的に有数の実力者となるのであれば構わない。年輩であっても、機転が利いて能力が高ければ近衛騎士を束ねる筆頭として任じれば良い。それはライリーが長年かけて考えていた理想像だった。
尤も、実際のところ近衛騎士の選定は殆ど完了していた。ヘガティ団長やスペンサー副団長が選んでくれた騎士の一覧表は、既にライリーの手元にある。王宮の人事と違って騎士団の人員は全て団長と副団長が把握しているから、疑わしき人物を探すのに手間取ったとしても、確実に信頼のおける人物は直ぐに見つかった。その一人は勿論、オースティン・エアルドレッド。ライリーの側近候補の一人である。
ライリーの説明に、リリアナは当然だろうという顔で静かに頷いてみせた。
顧問会議で王宮の官吏と騎士団の騎士たちを調査することが決定したせいか、ライリーは肩の荷が下りたような表情で緊張を解いている。しかしすぐに何かを思い出したように顔を引き締めた。
「あとは、ヘガティ団長にも協力して貰っている人身売買だな。なかなか進展がないから、別の方策を立てるべきだとは思うんだが」
良い案を思い付かない、とライリーは呟く。その横顔を眺めていたリリアナは、ふとあることを思い付いた。
「ウィル。その件ですが、証拠が手に入れば宜しいのでしたわね」
「――証拠があれば勿論それに越したことはないが。サーシャ、何を考えている?」
「大したことではございませんわ」
リリアナはにっこりと笑みを浮かべるが、ライリーは信じていない様子だ。真っ直ぐに問うような視線を向けられるが、リリアナは表情一つ変えず、そして口を開こうとはしなかった。
ただその脳内で、素早くこれからの算段を立てる。狙いはタナー侯爵家当主ショーンだが、恐らく彼の性格からして簡単に証拠は掴ませない。だが彼には明らかな弱点があった。ショーンは弱点どころかいつでも使い捨てられる駒としか考えていないだろうが、堅牢な敵城を壊滅させるために食事や排泄物を運搬する小さな穴を狙うのは戦の定石だ。そして、リリアナはその駒に心当たりがあった。
――マルヴィナ・タナー侯爵令嬢。王太子の婚約者候補として、リリアナと争っていた少女である。
*****
スコーン侯爵は、王都の邸宅に戻って苛立たし気に部屋の中を歩き回っていた。
外は既に暗く月が夜空を照らしている。使用人たちは皆寝静まっていたが、彼は夜着を纏ったまま寝台にすら入っていない。寝付けるわけがないと、彼は執事に持って来させた蒸留酒をグラスに注いで一気に煽る。
顧問会議の内容を思い返すに腹が立つと、侯爵は悪しざまに年若い王太子を罵った。もし彼の言葉が外に漏れてしまえば不敬罪で投獄されるに違いないが、幸か不幸か彼の屋敷に勤める者は皆選び抜かれた使用人たちで、口が堅かった。更に言えば、今侯爵が居る執務室がある区画にはごく限られた者しか立ち入りが許されていない。区画の掃除等をするために侍従や下男が立ち入る時は必ず執事が同行しなければならないと定めており、更に執務室と寝室には掃除も含めて侯爵の嫡男、執事しか入室が許されていない。
その時、扉を叩く音がした。スコーン侯爵はぴくりと肩を反応させて振り返ると、短く誰何した。
「旦那様、ブルーノ様がいらっしゃいました」
「入れ」
入って来たのは神経質そうな面差しの男だった。ブルーノ・スコーンは侯爵の次男であり、王立騎士団八番隊の隊長にまで登り詰めた自慢の息子である。
「父上、お呼びと伺いました」
「ああそうだ、私が呼んだのだ、八番隊隊長のお前をな」
唸るような父親の声に、ブルーノはぴくりと眉を動かす。しかし他は一切何の変化もなく、彼は冷たいほどの眼差しで侯爵を見据える。無言で先を促す息子に、侯爵は鼻を鳴らした。
「今日の顧問会議で、騎士団に属する騎士の身辺調査が決まった」
「――身辺調査、ですか」
「そうだ。王太子が刺客に襲われたのは知っているだろう。非公式の視察の情報が洩れていたからと、あの小僧は王宮内と騎士団に間諜が居るのではないかと疑っている」
自分も疑われているかもしれないというのに、ブルーノは全く表情を変えない。そして一方の侯爵は、腹を立てているところに多少の酒を入れたことも手伝い、息子の無反応さには一切気が付いていなかった。
「今更だ、ああ、今更だとも! 今更身辺調査をしたところで全ての膿を出せるわけもない。それすらも分かっておらん青二才が余計な知恵を回しよって」
酒臭い息を吐き散らして侯爵はぎりと歯を食いしばる。そのまま愚痴に終始しそうだと判断したブルーノは「父上」と再度呼びかけた。侯爵は殺気の籠った目を息子に向ける。しかし、八番隊隊長として任をこなしてきた息子は全く怯まない。それどころか真っ直ぐにその目を見返してみせた。
「情報、有難く頂戴致します。さすがに今日行われた顧問会議の内容までは把握しておりませんでしたので」
しかしながら、とブルーノは言葉を続けた。吊り上がった灰色の目が物騒な光を放つ。それは長年死地を潜り抜けて来た暗殺者にも似た鋭さだった。
息子であるはずの存在に、侯爵は怖気づく。元々領地経営や王宮での人脈形成に人生を注いできた侯爵は、他人に指示することはあっても自身で剣や盾を持ち戦った経験はない。そして護衛に守られ過ごして来た彼は、身が危険に晒されたことなど殆どなかった。
「しかしながら、父上にはご安心頂きたく。我が侯爵家に繋がるものは一切残しておりませんので」
「――そ、そうか。それなら良いのだが」
侯爵は口籠りながらも、精々尊大な風を装って頷いてみせた。息子に気圧されたなど、意地でも悟られたくない。尤も、たとえ侯爵が取り繕っていることに気が付いていたとしても、ブルーノはそうと悟らせるようなヘマはしない。そのような性質であれば、早々に騎士団から放逐されていたに違いない。
騎士団長ヘガティも副団長スペンサーも、小手先で誤魔化されるような人間ではなかった。
「他に何かございますか、父上」
淡々と尋ねる息子に、侯爵は首を振った。
「いや、ない。我が一族とお前が恙なく、志を達成し繁栄できる道を途絶えさせることがなければそれで良いのだ」
「御意」
ブルーノは静かに頷く。そして話がなければこれ以上この場に居る必要もないと言わんばかりに踵を返そうとして、ふと立ち止まった。スコーン侯爵は訝し気に片眉を上げて息子の様子を窺う。そんな父親を肩越しに見やり、ブルーノは「私からもご報告が」と口にした。
「なんだ」
「国王陛下の件ですが」
「ああ、胡散臭い魔導士が病状を診ているという、あの話か」
はい、とブルーノは頷いた。正体不明の魔導士がプレイステッド卿の紹介状を持って王宮を訪れ、国王の病状を診たのが今からおよそ二年前だ。国王の病状は一進一退であるとしか、スコーン侯爵は聞いていなかった。
しかしブルーノは流れて来る噂よりも詳しい情報を持っているらしい。
「何者かによって呪術を掛けられたに違いないと、件の魔導士が殿下に奏上しているそうです。恐らく、術者を特定されるのも時間の問題かと」
「――そうか」
スコーン侯爵は曖昧に頷いた。一体国王に何をしたのか、スコーン侯爵は詳しいことを聞いていない。今は亡きクラーク公爵が全て上手くやったという話だけを、彼はメラーズ伯爵から聞いていた。そして実際に手を下したのが魔導省長官ニコラス・バーグソンであることも耳にしてはいる。それだけの情報でも、呪術を使ったということは薄々分かっていた。しかし侯爵は呪術には詳しくない。だからブルーノの忠告もあまり真に迫ったものではなかった。
「それでは失礼致します」
ブルーノは一礼すると、今度こそ部屋を出て行く。それを見送った侯爵は、どさりとソファーに腰掛けると蒸留酒を飲んだ。目を伏せて考える。
「――言わんでも良いだろう、たかが魔導士の首一つの問題だ」
国王に呪術を掛けたことが知られたら、バーグソンもただでは済まないだろう。だが彼は爵位もないまま長官に登り詰めただけの男だ。スコーン侯爵にとっては、重要な存在ではない。それに彼を動かしていたクラーク公爵はもう居ない。仮にバーグソンが国王に呪術を掛けた疑いで捕えられ処刑されたとしても、侯爵や彼が支持しているフランクリン・スリベグラード大公の未来に影響はないと思えた。
寧ろ、一々そのような些末事を侯爵である自分が伯爵に伝えるなど、矜持が許さない。伝書鳩のような真似事は下賤の者がするべきであり、侯爵のような立場の者がすることではない。
そこまで考えると、侯爵は突然機嫌良く笑みを浮かべた。
騎士団を調査されブルーノだけでなく自身も危うくなってしまう可能性を憂慮していたが、その点はブルーノが問題ないと太鼓判を押してくれた。ブルーノは若くして王立騎士団八番隊隊長にまで登り詰めるほど能力ある息子だ。侯爵は、次男の諜報的な能力だけは認めていた。
「それならば、安泰ではないか」
観点を変えると寧ろ未来は明るいとしか思えない。今回の大々的な調査さえ乗り切ってしまえば、寧ろスコーン侯爵の手の者たちは王族の信頼を得ることも出来るのだ。そうなればこれまで以上に活動はしやすくなるだろう。
安堵の息を漏らした侯爵は、蒸留酒を注いだグラスをそのままに私室へと向かう。今日は良い夢を見られる気がしていた。
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