29. 獅子身中の虫 6
何があったのかと問う王太子に、王立騎士団のマイルズ・スペンサー副団長は一瞬唇を引き結んだ。
「捕えた二人が何者かに殺害されました」
ライリーは僅かに目を見開いた後、険しい表情を浮かべた。まだ刺客を捕えてから半日も経っていない。ほぼ間違いなく刺客を放った何者かが口封じを目的として殺害したのだろうが、そのためには幾つかの条件を満たさなければならなかった。
「あの二人を捕えていたのは騎士団の独房か?」
「はい。調査団には出自、為人共に信頼のおける者を選びました。そして捕えた刺客に関しては更に限られた者にしか伝えておりません」
リリアナとライリーは顔を見合わせて黙り込む。
一つにはスペンサーが信頼して任せたという騎士が実は裏切っている可能性がある。もしくは、暗殺に失敗したといち早く勘付き、更に捕らわれた者がいると把握して尋問を始める前に独房へ侵入した可能性だ。しかし、いずれの可能性も俄かには信じ難かった。
「詳細に教えてくれないか」
暫く考えていたライリーが尋ねる。しかしスペンサーは言葉に詰まった。気遣わし気な視線をリリアナに向ける。どうしたのかとリリアナは首を傾げる。スペンサーの言葉にできない懸念を汲み取ったのはライリーだった。
「リリアナ嬢、多少血生臭い表現があっても大丈夫かな?」
思わずリリアナは目を瞬かせた。思ってもいなかった心配だ。当然のようにリリアナは頷くが、それでもスペンサーは気まずそうな色を瞳に乗せたまま言い澱んでいる。
貴婦人の中には、当初は周囲を気遣って“大丈夫”と言い張るものの、実際その場に出くわすと卒倒する人がいる。リリアナは一見したところは儚い深窓の令嬢といった風情だ。スペンサーがリリアナもそのような貴婦人と同じ性質なのではないかと憂慮したのも仕方のないことかもしれない。
しかしそれでは話が進まないと思ったのか、ライリーはもう一度「大丈夫だ」とスペンサーに向けて告げた。
「リリアナ嬢、もし途中で気分が悪くなれば遠慮せずに言ってくれないか」
「承知いたしましたわ」
そこまで聞いても、スペンサーは言い渋る。
「ですが、殿下。クラーク公爵令嬢には席を外して頂いた方が宜しいかと思います」
「それはなぜだ?」
ライリーが尋ねるが、スペンサーはなかなか答えない。再度言葉を強めたライリーが答えるように促すと、スペンサーは小さく溜息を吐き答えた。
「大変無礼なこととは存じますが、此度の件にご令嬢が関わっていないと断言できない点が気に掛かっております」
つまり、スペンサーはリリアナがライリー襲撃に一枚噛んでいるのではないかと疑っているのだ。ライリーは傍目からも明らかなほどに呆れた。
「――リリアナ嬢も襲撃されたのに、か? それにまだ彼女は十二歳だ、一体何ができると?」
「お言葉を返すようですが――中にはそのような策を弄す者もおりますし、ご本人が知らぬところで良いように使われている可能性もございますので」
低い声で告げられた答えはあくまでもリリアナを疑うものだ。敢えて自分も襲わせることで疑いの目を逸らしたのではないか、と言いたげだ。しかしライリーにとっては不快を誘うものでしかなかったようだった。端正な眉を顰めてスペンサーを凝視し、わずかに苛立ったような口調で問いかける。
「団長も同じ意見か」
「いえ、私の独断にございます」
スペンサーは固い顔つきながらもはっきりと答える。
様々な可能性を疑うことは捜査の基本だし、そのお陰で気付けることも多い。しかし、ライリーにとってスペンサーのその態度は意固地に過ぎるように思えた。
「そうか。ならばその独断は貴方の胸一つに収めておいてくれ。リリアナ嬢は私を守ってくれたし、ジルド殿はリリアナ嬢の護衛でありながら刺客の捕縛に協力してくれた。その二人を疑うことは騎士道精神に悖る行為だと思うが、どうかな?」
途端にスペンサーはハッと息を飲んだ。騎士道精神に悖るという言葉が彼の琴線に触れたらしい。恥ずかしさのせいか、わずかに頬が紅潮する。しかしスペンサーは直ぐにリリアナに向けて頭を下げた。
「大変な無礼を致しました。申し訳ございません」
リリアナは戸惑ったが、動揺はすぐさま淑女の仮面の下に押し隠す。あれほど疑いながら直ぐに謝罪する騎士に、実直さや誠実さを感じるべきか、それとも優柔不断だと断じるべきか、一瞬判断に悩んだ。しかし、いずれにせよ自分に直接関わることもほとんどない相手だと割り切る。
「お気になさらないでくださいな。貴方のように職務に忠実な方がいらっしゃると思うと、安心できますもの」
「御心の広さ、感謝の念に堪えません」
有難うございます、と再度礼を告げたスペンサーは顔を上げる。しかし、彼はなかなかリリアナが報告の場に同席することに良い反応を示さなかった。リリアナに気遣わし気な視線を向けて言い辛そうに言葉を続ける。
「しかしそれでしたら尚更、報告とはいえ一介のご令嬢には荷が勝ちすぎるかと思います」
リリアナに対する疑惑は一旦置いておくことにしたものの、今度は話の内容でリリアナの気分が悪くなるのではないかと心配らしい。
ライリーは溜息を吐いた。この調子ではなかなか話が進まない。リリアナも微笑が苦笑に変わっていくのを感じながら、「大丈夫ですわ」と安心させるように辛うじて微笑みを形作る。するとようやくそこでスペンサーは納得した様子だった。
「クラーク公爵令嬢、くれぐれもご無理はなさらないでください」
「ええ、お心遣い痛み入ります」
にっこりとリリアナは笑みを向けてみせる。リリアナは魔物襲撃では容赦なく魔物を屠り、実父に隷属の呪いを掛けられそうになった時は躊躇わず反撃したのだから、刺客が殺害されたという報告程度で気分が悪くなるわけもない。しかしそれをあえて口にする必要もなく、ただリリアナは穏やかにスペンサーの気遣いに礼を述べた。スペンサーは小さく頷くと、居住まいを正してライリーに再び顔を向けた。
「殿下方が捕えた刺客二名を騎士団の独房に勾留後、組織した調査団を現地に差し向けました。件の馬車に関しては魔術陣が確認できましたが、珍しいものでしたので騎士団では処理が難しく、魔導省のベン・ドラコ魔導士に内密に解析を依頼しております」
ライリーは頷いた。魔導省に正式に依頼すれば証拠を隠滅される危険性もある。しかし、秘密裏にベン・ドラコに依頼したのであれば正確な報告が上がって来るだろう。スペンサーは更に続けた。
「確認された刺客は馬車の周囲で七体、遥か後方に十一名。その内十名が死亡、残り八名が重体です。その中に王立騎士団の騎士はおりませんでした。なお、こちらが派遣する予定だった一番隊の騎士は二名を除いて兵舎に滞在していたことが確認できています」
「護衛として付いていたのはジルドを除いて、全部で二十四名だった。つまり一番隊の騎士二人を含んだ四人が行方知れずということだな」
スペンサーはライリーの言葉に頷く。その表情は酷く口惜しそうだ。騎士団から二人も裏切り者が出たことが申し訳なくも腹立たしいのだろう。
一方で、リリアナは部屋の隅に立つジルドを一瞥した。つまり彼はたった一人で十二人の刺客を無力化したということだ。しかも、その内の八人は殺害していない上に、調査団が到着するまで逃げられない程度の怪我を負わせている。ジルドの力量が圧倒的に高いからこそ為せる偉業だった。
それでもジルドが刺客一人を連れてリリアナたちと合流したのは、調査団を派遣するまでの間に倒した刺客たちが死んだり仲間に回収されたりする可能性を考えてのことだろう。
「だが、まだ八人の証人が残っている。事前に捕えた二人は残念だったが、話を聞けるようになり次第その八人に尋問すれば良いだろう。――さすがだな、ジルド」
全く同じことを考えたのか、ライリーの口調にも感嘆が滲んでいる。しかし当の本人は全く鼻に掛ける様子もなく、寧ろ暇そうに立っていた。スペンサーとリリアナも含めた三人分の視線を一身に浴びたジルドは、口は開かずに鼻を鳴らしてみせた。
ジルドらしい仕草にライリーは苦笑し、スペンサーに顔を向ける。スペンサーは頷いた。
「はい。暗殺された二人のことも気に掛かりますので、重傷者八名に関しては独房ではなく別の場所に隠してあります。これは騎士団でも私と団長しか把握していない場所ですので、殿下にも詳細はお伝えできないことご容赦頂きたく」
「それは問題ない。だがそれなら治療は難しそうだな」
「多少不便はありますが、医師と治癒魔導士は手配いたしましたので、どうにかなるかと思います」
そうかとライリーは答えた。八人が無事、尋問に耐え得る程度まで回復するのであれば、そこに至るまでの過程は問わないつもりだった。
「もう一つ、質問がある」
話題を切り替えたライリーに、スペンサーは僅かに緊張を見せた。ライリーは穏やかに微笑を浮かべているが、その目は鋭くスペンサーを捉えて離さない。
「刺客二人が殺害されたこともそうだが、今回の件は騎士団内部に密通者が居る可能性が高いのではないかと思う。以前から騎士団の改革は課題として上がっていたが、貴方が一番疑わしいと考えている者はいるのかな?」
スペンサーは逡巡した。下手に口にすれば、無実の罪である男の印象が悪くなる。しかも相手は王太子だ。しかし彼は直ぐに思い直した。
「現在、まだ調査中ですので他言無用にお願い致します」
「勿論だ」
ライリーはあっさりと頷く。スペンサーに目を向けられたリリアナも頷いた。壁際に立つジルドはそっぽを向いて欠伸をしていたが、副団長の視線を感じた彼はうんざりとしたような顔で肩を竦めた。
「言うわけねえだろ、そもそも俺はお貴族様の名前も騎士様の名前も覚える頭はねえよ」
貴族や騎士といった“特権階級”が嫌いなジルドらしい台詞に、さすがのライリーも苦笑を隠せない。リリアナは悠然としていたが、ジルドに慣れないスペンサーは渋い表情だった。しかし不遜だと指摘する時間も無駄だと悟ったのか、副団長は声を潜めてその名を告げた。
「八番隊隊長ブルーノ・スコーンです」
ライリーは眉根を寄せた。ブルーノはスコーン侯爵家次男である。スコーン侯爵は優れた領地経営で先代が傾けた領地を立て直した実績もあるが、同時に野心家であることも社交界では広く知られていた。更には顧問会議にも参席しているため影響力も大きい。
そんなライリーの様子を窺いながら、スペンサーは言葉を続けた。
「ブルーノが八番隊隊長に就任したのはヘガティ団長が就任する前のことです。当時はまだ王位継承に関する争いは表面化していませんでしたから、問題はありませんでした。しかしながら昨今は大公派なるものが徐々に増えつつあります。そしてスコーン侯爵も大公派であるという噂が一部に流れていることも事実です」
フランクリン・スリベグラード大公が国王になれば国はあれるだろう。先王に与えられた領地でさえ自ら治められない男だ、国政も臣下たちに丸投げするに違いない。そしてそのような治世にこそ、自らの富を増やし権力を持ちたいと考える者たちは時代を謳歌できる。スコーン侯爵の性格を考えれば、彼がライリーではなく大公を擁立したいと考えてもおかしくはなかった。
「ブルーノに逆心があるのであれば、八番隊は全面的に疑うべきか?」
ライリーが尋ねるとスペンサーは首を振る。
「いえ、副隊長のカーティスは信用できます。パーシング子爵家の五男ですが、彼は団長に心酔しておりますし、それに何より殿下に忠誠を誓っております」
「パーシングか。アルカシア派だったな」
「はい」
パーシング子爵家はアルカシア地方に小さいながらも領地を持っているが、次男が文官として王宮に仕官している。親子共に堅実な人柄だったとライリーは記憶していた。そしてエアルドレッド公爵家と直接の関わりはないものの、傍系貴族とはある程度交流を持ち、アルカシア派の末席に名を連ねている。
確かにパーシング子爵家の嫡男であれば大公派に与する可能性は低いと判断して良さそうだった。
「他の騎士は?」
「八番隊ですから、他の隊よりは問題ない可能性が高いでしょう。個人主義の集団ですから」
八番隊は隠密、間諜など含めた謀反に関連する犯罪を取り締まる隊であり、その性質上個人行動が多い。そのため他の隊と比べても騎士同士の交流が少ないことが特徴だった。
スペンサーの説明を聞いたライリーもリリアナも納得して頷く。つまり、一番疑わしい人物がブルーノであるということだ。
「分かった。引き続き調査はしてくれ。尋問の結果は分かり次第、早急に報告を上げて欲しい。正式なものとは別に、私に直接報告書を提出してくれるかな」
「御意。内容は同一で宜しいでしょうか」
「ああ」
スペンサーは顔を引き締めて頷く。ライリーが何をしようとしているのか、スペンサーは勿論リリアナも理解した。文官に提出された報告書とライリーが直接受け取った報告書に違いがあれば、文官が処理している過程で内容に変更が加えられた証拠とすることができる。
それは間違いなく、王宮内に潜んでいる間諜を炙り出す罠に他ならなかった。