29. 獅子身中の虫 5
ライリーとリリアナが訓練場に到着した時、そこには王立騎士団の騎士三十名程度が勢揃いしていた。どうやら視察の対象となるのは実力集団と名高い七番隊らしい。ライリーは面識があるようだが、リリアナは今回会うのが初めてだった。隊長に声を掛けられた騎士たち訓練の手を止め、ライリーたちの前に整列する。視線は真っ直ぐ前を向いているが、彼らの意識はライリーとリリアナに向けられていた。
騎士団長トーマス・ヘガティが隊長らしき男の肩を叩き、一歩前に出るよう促した。生真面目そうな容貌の男は無言で一歩前に出るとライリーとリリアナの前で礼を取る。
「王立騎士団七番隊隊長ブレンドン・ケアリーにございます」
「変わらず元気そうでよかった」
にこりとライリーが受け答える。するとブレンドンの視線が僅かに柔らかく緩んだ。どうやら隊長はライリーに対して好意的らしいとリリアナは無言で微笑を湛えながら内心で呟く。一方でライリーは顔をリリアナに向ける。
「こちらにいる令嬢が私の婚約者、クラーク公爵令嬢だ」
ブレンドンに紹介している体を取りながらも、その実七番隊の騎士全員にリリアナを紹介している状況だ。リリアナは微笑を柔らかな笑みに変えてみせた。
「リリアナ・アレクサンドラ・クラークと申します。此度は皆さまの訓練を見学できるとのこと、楽しみにしております」
「過分なお言葉、恐悦に存じます」
先ほどライリーに対しては一瞬表情を緩めたブレンドンだが、リリアナに対しては最初と変わらない無表情で頭を下げる。どうやらリリアナにはまだ打ち解けられないようだ。しかし元々王立騎士団は王族がその頂点に立つ存在なのだから、未だ婚約者でしかない令嬢に対する態度としては当然でもあった。
ただし将来の王太子妃である相手と考えれば、ブレンドンの態度はあまり宜しくない。リリアナは大して気に留めないから問題ないが、もし自尊心が高くブレンドンの態度に腹を立てる令嬢であれば、王太子妃になった時に七番隊に対しては無理難題を吹っ掛けたことだろう。
ライリーは小さく笑みを零すとリリアナと共に設えられた観覧席へと移る。護衛の役目を負っているジルドは二人の後ろに控え、そしてヘガティ団長も観覧席の後ろへと下がった。
四人の前ではブレンドンが騎士たちを振り返り訓練の開始を告げている。
「本日は王太子殿下とその婚約者であるクラーク公爵令嬢がご観覧なさっているが、我々は常日頃の鍛錬を続けるだけだ。それでは打ち合い、開始」
ブレンドンの言葉を受けて重々しく頷いた騎士たちはそれぞれ訓練場に散ると、打ち合いをする相手を見つけ向き合う。
彼らは一部を除き、剣と盾を持っていた。リリアナは目を瞬かせる。確か武闘大会でも剣術部門では盾を持っている者ばかりだったが、一方で魔導剣技部門では誰も盾を持っていなかった。武闘大会の時はそういうものなのだと納得して疑問に思わなかったが、今こうしてみると、七番隊の中でも盾を持つ者と持たない者に分かれるのは不思議である。
「魔導騎士の方々は盾をお持ちではないのに、七番隊の方々は盾を使われるのですね?」
それに答えたのはヘガティ団長だった。
「剣だけでは防御力が劣りますからな。魔導騎士は魔術で防御できますから、盾は寧ろ機動力を削ぐ原因となり不要です。魔術を使えない者や、魔術を使えても剣との相性が悪い者は盾を使うしかありません」
「それでは、あちらの方々が盾をお持ちでないのは、魔術で防御ができるからということでしょうか」
リリアナが目をやったのは訓練場の端に居る者たちだった。三分の一程度は剣だけで盾を持っていない。その中には二刀流の者も居た。
「防御に特化した魔術を使えるため盾が不要なものも居りますが、そうでない者もおります。ご覧頂ければ分かるかと思いますが――」
そう言って団長が示した先で、一人の騎士は楽し気に笑いながら剣で相手の激しい剣戟を全ていなしていた。
「あのように、相手の剣を決してその身で受けないという自信のある者は盾を持ちません」
確かに、攻撃を全て躱せる自信があるのならば盾は要らないだろう。だがそれはあまりにも危険ではないだろうかと、リリアナは眉根を寄せた。
そんなリリアナを横目に捕えたヘガティ団長は小さく笑みを浮かべる。しかしそれ以上口を開こうとはしなかった。四人の前で、剣戟は更に激しさを増していく。その様子を眺めていたが、確かに剣捌きに不安はない。体に切っ先が届きそうになっても、盾を持たない騎士たちはひらりひらりと躱していく。
傍から見ていると本当に大丈夫なのかと不安になるが、本人たちが良いと言っているのであれば気にする必要はないのだろうと、リリアナは視線を別の方向に向けた。
隊長であるブレンドンは訓練には参加せず騎士たちの間を歩き回っていた。途中で騎士に声を掛け、剣術指南や盾の使い方等を指導している。そしてもう一人、ブレンドンの他に見回っている男が居た。副隊長だろうかとリリアナが見当を付けていると、リリアナの隣に座ったライリーが椅子からわずかに体を乗り出して耳打ちしてくれる。
「副隊長のエイドリアン・バジョットだ」
「バジョット伯爵家の?」
「ああ、次男だ」
スリベグランディア王国の貴族であればリリアナも頭に入っている。聞き覚えのある名前に首を傾げると、ライリーは更に詳しい情報を簡単に教えてくれた。
「バジョット伯爵家と言えば北部に領地があったと記憶しておりますが」
北部と言えばつい先ほども話題に上がったばかりだ。小さな領地が乱立し独立心旺盛な領主が多い。実際、リリアナがオブシディアンから聞いた人身売買に手を染めた伯爵の領地も北東部に近い場所にあった。
だが、バジョット伯爵は北部の領主たちの中でも毛色が違う。王家に対して付かず離れずの距離を保ち、迎合することはないが裏切ることもない。最北の土地を治めていることを理由に滅多に王都にも寄り付かないが、だからといって謀反を企てたり他国と通じているという情報もなかった。
ライリーを支持する派閥と大公を押し上げようとする派閥が存在する今も、バジョット伯爵は頑なに沈黙を貫いている。大公派の貴族や、大公派に与するわけではないがライリーが王太子になることに対してあまり良い顔をしていない貴族に声を掛けられても、決して彼らに同調するようなことはない。
だからこそリリアナは次男とはいえ、バジョット家の嫡男が王立騎士団に所属していることが意外だった。素直にそのことを口にしてみれば、ライリーは微苦笑を浮かべて頷く。
「私もそれは疑問だったんだ。だからたまたまバジョット伯爵に会った時に尋ねてみたんだが、継ぐ爵位がない次男が騎士になりたいというのであれば反対する理由はない、とだけ言われてね」
バジョット伯爵は他に爵位を持たない。そのため長男が伯爵位を継げば次男は行き先がなくなる。一つの可能性は男子のいない貴族の家へ婿入りすることだが、幼少時にそのような先が見つからなければ婿に入れる可能性は低くなってしまう。そのため、次男は身を立てるために騎士となる道を選んだのだろう。
「それでしたら自領の騎士団に入れば宜しいでしょうに。バジョット伯爵の騎士団はケニス騎士団ほどではないにしろ、勇猛果敢で不撓不屈と聞きますわ」
バジョット伯爵領はスリベグランディア王国の最北にある。北は空高く聳える山々に囲まれ、冬は雪に閉ざされる土地だ。その地で鍛えられた騎士たちは何事にもどっしりと構えて動じず、強い意志を持ってどのような苦難にも立ち向かうのだと専らの噂だ。彼らは滅多に領地を出て来ないため他の領地の騎士団や王立騎士団と比べてどの程度実力があるのか分からないが、王都でも噂されるということは、少なくとも北部地域では上位の実力集団なのだろう。
そして次男であるエイドリアンは若くして七番隊副隊長を務めるほどの腕前だ。バジョット伯爵にとっても自領の騎士団に入団させた方が利は大きいはずだ。
しかしライリーはリリアナの指摘を聞いて複雑な表情を浮かべた。
「確かにその通りなんだ。伯爵は決して言おうとはしないけど、どうやら思惑があるようだ」
「普通に考えたらそうでございましょう。何かご存知ですの?」
思惑があるらしいとだけ告げて黙ってしまったライリーに、リリアナは尋ねる。ライリーは眉根を寄せて首を振った。
「いや――私の勘だ。バジョット伯爵は決して愚かではない。それどころか非常に優秀な男だ。だからこそ、次男を王立騎士団に入団させたのには何か理由があるとしか思えない。それなのに、調べても何も掴めない。不自然なほどに、何もないんだ」
恐らくライリーは“影”を使って調査したに違いない。王家の“影”は非常に優秀だ。尤もリリアナが雇っているオブシディアンは普通では考えられないほど優秀な刺客であり間諜でもあるわけだが、その彼を除けば恐らく大陸でも一、二を争うほどには違いない。
その“影”を使っても分からないということは、そもそもその情報が存在していないか、もしくは徹底的に隠されている――つまり知る者がごく限られているかのどちらかだ。
「そうでしたの」
リリアナは小さく頷いた。バジョット伯爵がライリーに対し叛意があると断じるのは時期尚早だ。だが、情報として頭の片隅に置いておくべきだろう。
二人が声を潜めて会話している間に、七番隊の騎士たちは一対一の打ち合いを終えて中央に集まった。どうやら隊長ブレンドン・ケアリーと副隊長エイドリアン・バジョットの一騎打ちが始まるらしい。二人とも剣のみで盾は持たない。片手に剣を持ち対峙する。二人とも、一歩も動かない。互いに隙を狙っているのだろう。ライリーやリリアナが見えるように気遣いつつも、七番隊の騎士たちは実力者二人の一騎打ちを目をぎらつかせながら凝視している。
先に動いたのはバジョットだった。大きく一歩を踏み込みブレンドンの胴を狙うが軽く躱される。しかしそれを予想していたらしく、バジョットは更に手首を返して相手の足を狙った。
「――ッ!」
バジョットは何かに気が付いたように地面を転げてその場から逃げる。一瞬前まで彼が居た場所に、ブレンドンが剣を突き刺していた。再び二人は立ち上がり、相手の出方を窺いながら対峙する。
その場を緊張が支配した。
――勝負が付いたのは、一瞬だった。
ブレンドンの体が一瞬、ぶれる。瞬きをすれば完全に見失う速さで、彼はバジョットの持つ剣を剣先で絡め取り、その手から跳ね飛ばしていた。バジョットが腰に差した短剣を抜き去るより一瞬早く、ブレンドンは剣先を副隊長の首筋に突き付ける。
息を飲んでいた騎士たちが、わっと歓声を上げる。剣術には素人のリリアナですら、隊長ブレンドン・ケアリーの実力が一人抜きん出ていることは良く分かった。自身も剣術を嗜んでいるライリーにとっては感動もひとしおだろう。
リリアナがちらりと横を見れば、案の定ライリーは目を輝かせて七番隊隊長と副隊長の試合に見入っていた。そして彼女が更に後方へと視線を向けると、ジルドは暇そうに欠伸を零している。アルヴァルディの子孫である彼にとっては、実力集団と言われている七番隊の騎士たちの訓練も単調に思えるのかもしれない。
しかし、騎士たちの興奮も長くは続かない。
「浮つくな、今の模擬戦を見て学んだことを、この後各自報告書として提出すること」
ブレンドンの台詞に騎士たちは顔を蒼褪めさせた。確かに、隊長や副隊長が単なる余興として試合をすることはないだろう。何よりも今は騎士たちの訓練時間なのだから、自分の体を動かすだけでなく見て学べというのは理に適っている。
その後、騎士たちはブレンドンに指示されるまま二手に分かれた。どうやら二組に分かれて実戦形式で対戦するらしい。実力が偏らないようにという配慮か、盾を持っていない者もほぼ同数ずつ、それぞれの組に居る。
「始め!」
号令がかかる。次の瞬間、リリアナたちの眼前から騎士たちの姿が消えた。
*****
訓練を見終えたライリーとリリアナは、ヘガティ団長が用意した騎士団の馬車に揺られて王宮に戻った。往路とは異なり、帰路は刺客の集団に襲われることもない。
「七番隊の訓練を見たのは初めてだったけど、壮観だったね」
執務室に入って扉を閉めた後、ソファーに腰掛けたライリーはしみじみと首を振る。リリアナもライリーに促されるままソファーに座り頷いた。
「身体強化をしていないにも関わらず、あれだけの身体能力をお持ちだとは思いませんでしたわ」
「最初に姿が消えたと思ったのは、あれは幻術だったんだね」
リリアナは頷く。
七番隊に魔導騎士はいない。だが、それは決して魔術を使える者が居ないという意味ではない。魔導騎士で構成されている二番隊に所属するほど魔導剣士としての資質はないが、ある程度ならば使えるという者もいる。そして、魔術を剣技に組み合わせることはできないが、別々ならば実戦に耐え得るだけの能力を持つという者もいるのだ。
そして彼らは魔術で敵を攪乱しながら、同時に自分たちは敵の魔術を見破り弱点を見極めるという戦い方をしていた。訓練でありながら実戦にしか見えない対戦は迫力満点で、ライリーもリリアナも息を飲んで凝視していた。
「七番隊が実力主義と言われる理由が分かったような気がするよ」
ライリーは未だに興奮が冷めやらぬ様子で頬を僅かに紅潮させている。
七番隊は確かに個々人の能力が高い。だが、それ以上に彼らを実力集団たらしめているのは、団体戦になった時の息の合わせ方や戦い方だった。個々人の得意分野を最大限に生かし、機動力を落とさないまま先制攻撃を信条とする。勇猛果敢と言えばそれまでだが、ケニス騎士団とはまた違う強さを持っていた。
言うなれば、ケニス騎士団は“堅牢に国境を護ること”を主軸とし、七番隊は“縦横無尽に敵を攪乱し瓦解させていくこと”に重きを置いている。
リリアナはライリーに相槌を打ちながらも、嘗て間近で見たケニス騎士団の戦い振りを思い出していた。
(ケニス騎士団と七番隊が組めば、最強の布陣になるような気が致しますわね)
仮に共闘する場面があったとして、それぞれの騎士たちが協力できるのかという問題はあるものの、もし彼らが互いに手を取り合うのであれば皇国も苦戦を強いられるに違いない。
その時、執務室の扉が叩かれた。ライリーが入室を許可すると、姿を現したのは王立騎士団副団長マイルズ・スペンサーだった。彼は緊張した面持ちで室内に入り、きっちりと扉を閉める。室内に居るのがライリーとリリアナ、そしてジルドだけであることを確認すると、彼はライリーに向き直った。
「どうした、スペンサー」
ライリーが尋ねる。発言の許可を得たスペンサーは軽く頭を下げて「ご報告申し上げます」と単刀直入に告げた。今、スペンサーがこの場に居る理由は一つしか思いつかない。ライリーもリリアナも、そして恐らくジルドも、スペンサーの用件を悟っていた。
「刺客の件か」
「はい」
スペンサーは頷く。彼は顔を上げたが、その表情は酷く硬かった。どうやら良い知らせではないらしい。そう思ったライリーは、無言でスペンサーの顔を見つめる。
「何があった」
沈黙が部屋を支配した。









