29. 獅子身中の虫 2
※グロテスクな表現を含みます。
王宮と王立騎士団の敷地は隣接していると一言で表しても、徒歩で向かうには相当な距離がある。騎士ですら馬を使うほどだ。時間があれば徒歩で移動する者もいるが、王太子やその婚約者が歩くことはない。特に訓練場は王立騎士団の敷地の中でも王宮とは反対側に位置している。
ライリーとリリアナは、常と同じように王族用の馬車に乗り込み訓練場に向かった。
「昨日ケニス辺境伯から書簡を受け取ったんだよ」
馬車が動き出した後、先に口を開いたのはライリーだった。リリアナが視線を向けると、ライリーは小さく笑みを浮かべる。
「王立騎士団の増強と拡充を考えているという話は前にしただろう? 折角だから“北の移民”からも騎士を選抜したいと考えているんだ」
リリアナは頷いた。
騎士団の増強はかねてからライリーの悲願だ。元々は、隣国から攻め込まれた時に領主たちの協力を仰げなければ、迎撃に十分な戦力がないという懸念が発端だった。そして今の王国もあまり状況は宜しくない。表立ってはいないが、ライリーではなく大公を国王に据えるべきと考える一派は確実に居る。彼らは何かしらの理由を付けて騎士団の派遣を断る可能性もあった。
そのため、ライリーは構想の段階からリリアナに仔細を話し、意見を欲しがった。リリアナも軍略には詳しくないものの、思う所を口にした記憶は多々ある。当初は単なる理想論でしかなかったその構想も、ここ二年ほどは騎士団長トーマス・ヘガティや副団長マイルズ・スペンサーを巻き込んで徐々に具体的な形を持ちつつあった。
王立騎士団の増強には否定的な態度を持つ者もそれなりにいるし、増強は良いが“北の移民”を騎士に叙任するなどあり得ないと反発する者も多くいる。そのため、ライリーは確実な展望が見えるまでは信用のおける者にしか計画を伝えていない。その中にはリリアナの兄クライドや、ライリーの近衛騎士になりたいと幼少時から口にして憚らないオースティン・エアルドレッドも含まれていた。
「武闘大会でも彼らの実力は証明されているから、ヘガティ団長にも同意は貰っている。反対派はまだいるから直ぐには難しいけど、“北の移民”を迎え入れるに当たっての注意事項は早いうちに知っておいた方が良いからね」
「有用な助言はございましたか?」
「ああ、さすが辺境伯閣下だと思ったよ」
少し冗談めかした口調でリリアナの問いを肯定したライリーは、目を輝かせている。わずかに前のめりになって熱く語った。
「“北の移民”と私たちは一口に纏めてしまうが、実際その出自は違う国だったり民族だったりするということも分かった。明確な区分は分からないようだが、少なくとも身体能力の高い者たちは権力ではなく人で主を選ぶようだ」
ライリーの言葉は、生憎とリリアナには既知の事実だった。しかしそのことは口にせず、リリアナは「そうなのですね」と感心してみせた。ライリーは微笑を浮かべたままリリアナの顔を見る。その表情は「貴方は知っていたんじゃないのかな?」と問うているようでリリアナは目を細めた。リリアナが口角を上げてみせると、ライリーは押し殺した笑い声を立てる。
「やっぱり。貴方は知っていたんだね」
「まあ、何のことでございましょう」
「そういうところも貴方の良いところだと思うけど」
笑いを残した声でライリーは言った。リリアナは首を傾げる。ライリーがリリアナの反応を面白がっていることは分かるが、その理由は分からなかった。
一方のライリーは、それ以上詳しいことを言おうとはしない。笑みを残したまま「だから」と話をまとめた。
「彼らを王立騎士団に取り入れようと思えば、まずは私が彼らの尊重に足る者でなければならないというわけだ。王として――というよりも、人間として彼らに認められなければならない。その要件が分かれば良いんだが、残念ながらそれは辺境伯にも分からないらしい」
“北の移民”が自分たちとは違う価値観を持っていることは間違いがない。スリベグランディア王国で生まれ育った騎士が王家に忠誠を誓う理由と、“北の移民”たちが一人の人物を主として認める理由は全く違うのだろう。そして王国で生まれ育ったライリーにはそれが分からない。勿論リリアナも“北の移民”ではないから、彼らの感覚を理解できるはずがなかった。
「確かに難しゅうございますわね。ジルドに訊いてみましょうか」
「もし分かれば教えてくれ。多分、彼も私には教えてくれないと思うんだ」
まだどこか不思議そうな表情を残しているリリアナに礼を述べながら、ライリーは自分の対面に座る婚約者を眺める。可愛らしい容貌で一見したところ儚い少女だが、その芯は強い。
ライリーはリリアナが婚約者候補になってからずっと、間近でリリアナを見て来た。言葉を交わし、全てではないがある程度リリアナの考え方や価値観も知っている。その上で、リリアナ以外に生涯の伴侶はいないと確信した。
「承知いたしましたわ。わたくしが尋ねても答えてくれるかどうかは、分かりかねますが」
昔からリリアナは秘密主義だった。声が出なかった期間は長かったが、それなりに早い段階で声も出るようになっていたはずだとライリーは踏んでいる。その上彼女の魔術は王国でも一、二を争う水準だろう。だが、リリアナは決してそのことを口にしない。良く言えば奥ゆかしく、悪くいえば腹に一物ありそうな人物だということになる。
ライリーは長らくリリアナと共に過ごして来たせいか、彼女の言動から薄々察せられるようになってはいるものの、どうやらそれが出来る人物は他にいない様子だった。ジルドはそもそも気にしていないようだが、リリアナの兄クライドはここ最近妹に対して猜疑心を抱き始めている素振りすらあった。
クライドはどこか完璧主義で潔癖なところがある。幼い頃から跡継ぎとしてあのクラーク公爵に育てられて来たからか、相手の期待に応えようと過剰に努力し、そして相手にも同じものを求める。恐らく彼は父公爵亡き後、妹に寄り添おうとして失敗したのだ。リリアナはその程度のことでは本音を口にしない。それは彼女が生まれ持った資質であり、そして王太子妃教育の賜物でもあった。そしてクライドは自分に本心を告げないリリアナが心を開いてくれないのだと勘違いし、そして自分もまた妹を信じられなくなったのだろう。
だからといってライリーが口を出しても、二人の関係が改善するとは思えなかった。二人とも兄妹なだけあって、存外頑固だ。しかし自身が王太子として本格的に動き始める前にはどうにかせねばと、ライリーは心に決めていた。
「ただ、何となく分かるような気がしなくもない。ケニス騎士団に入団した“北の移民”たちは皆辺境伯を主と認めているはずだ。つまり、少なくとも辺境伯のような人物は彼らの主足り得るということになる」
「抽象的すぎますわね」
一言で“ケニス辺境伯のような人物”と言っても、重要な要素が何なのかは分からない。たいていの場合人を好きになる時は複数の要因が組み合わさっているはずだから、可能性は多岐に渡る。
溜息を吐いて頷こうとしたライリーは、突如真剣な表情になって横に置いた剣へ手を伸ばした。同時にリリアナも馬車の外を見る。二人とも、微かに響いた金属音に気が付いていた。
二人の乗っている馬車はまだ道半ばである。王宮の敷地を出て騎士団の敷地に入り、森に沿って作られた裏道を通っている途中だった。
がく、と馬車が突然止まる。車窓から外を確認すると、前後に列を成していたはずの護衛の姿が見えない。険しい表情を浮かべたライリーがリリアナに囁いた。リリアナの小さな手を軽く握り締めて真剣な声で囁く。
「サーシャ、出ては駄目だよ」
「ええ」
勿論リリアナは今の段階で外に出る気はなかった。馬車が襲われている状況で不用意に外へ出ることは命を危険に晒すことと同義だ。
離れた場所から高い金属音が響く。襲撃されていることは間違いがないようが、それにしても妙だった。剣を合わせる金属音が遠く、そして軽い。
(【索敵】)
リリアナは警戒しながらも術を放ち、周囲の状況を確認する。護衛たちが乗っている馬は随分と後方に引き離されているように見えた。そして、いつの間にか御者が消えている。
「ウィル――ッ!」
嫌な予感に総毛立ったリリアナは咄嗟に叫んだ。どうしたのかと目を瞠ったライリーは、馬車に残っているリリアナを振り返った。そして次の瞬間剣を構える。それと同時に、馬車の周囲にはそれまで居なかったはずの黒ずくめの集団が出現していた。
「転移陣か!」
的確に状況を読み取ったライリーは低く唸る。そしてリリアナも躊躇わなかった。
「【解除】」
恐らく二人が乗っている馬車に刻まれていたのだろう転移陣を、リリアナは無効化する。目に見える範囲に不審な文様はなかったから、目に入らない床底か天井裏にでも書かれていたに違いない。だが転移陣を使えなくすれば、新たな刺客は出て来ないはずだった。
その上でリリアナは、敵が内部の様子を窺えないよう馬車全体に幻術を張った。
「敵は八名おりますわ」
「――分かった」
一瞬、ライリーは物問いた気にリリアナを見た。“何故正確な人数が分かるのか”と尋ねたかったに違いない。しかしそれが魔術であることはほぼ確実で、彼は口を噤み刺客の出方を窺う。まだ敵に動きは見えない。恐らく馬車の中が見えないせいで攻撃の初手をどうするか、考えあぐねているのだろう。
「御者は姿を消しております。護衛は遥か後方で足止めされておりますので、駆け付けて来る可能性はないものと考えた方が宜しゅうございますわ」
「それも魔術かな?」
「ええ」
とうとうライリーが心に抱えていたらしい質問を口にする。否定するのもおかしいとリリアナが肯定すれば、彼は唇に深く笑みを刻みながらリリアナを流し見て、満足そうに頷いた。
「さすが、我が婚約者殿だ」
次の瞬間、ライリーは馬車の扉を蹴破り外へ飛び出す。それと同時にライリーは馬車へ防御の結界を掛けた。
まさか標的の一人である王太子が自ら飛び出して来るとは思わなかったのか、一瞬敵が怯む。その隙をついて、ライリーは剣を一閃し二人を薙ぎ払った。骨が折れる鈍い音に次いで血飛沫が上がる。
最初はライリーとリリアナ二人を狙った刺客だと思ったが、どうやら刺客の狙いはライリー一人らしい。彼らは馬車には目もくれずライリーに斬り掛かって来る。
「ぐぅ――っ!」
「貴様、何を!?」
呻き声と驚愕の悲鳴が上がる。たかが十四歳の少年が出せる力ではない。しかしライリーは脅威的な脚力を活かして跳躍すると、我に返って斬り掛かろうとしてきた敵の背後に着地した。そのまま下から斜め上に切っ先を跳ね上げると、勢いをつけて体を反転させ背後から迫っていた剣を受け止める。敵は屈強な体つきの男だった。顔は隠しているが、剣筋と体格からして正規の訓練を受けた騎士だと分かる。
「――貴方はどこの騎士団の者かな?」
「答える義理はない」
「北部訛りだね。となると、」
鎬を削りながら力比べという状況でありながら、ライリーは平然としている。対する男はライリーの何倍という体格でありながら、歯を食いしばり脂汗を流していた。そして男は、ライリーが口にした幾つかの騎士団の名を耳にして僅かに蒼褪める。
「そうか。ご協力、感謝するよ」
ライリーは小さく笑う。背後から刺客の一人が襲い掛かったその瞬間、ライリーの姿はそこから消えた。勢い余った刺客の剣が仲間の体を切り裂く。だが、刺客は仲間を斬り捨てたにも関わらず一切動じなかった。ライリーの行方を探して顔を巡らせる。男が標的を見つけるより早く、幼い声が刺客の鼓膜を揺らした。
「ここだ」
背後、と思った瞬間刺客は振り向きざまに暗器を放つ。しかし手応えはない。まさかと振り返れば、視線の先に、優雅に微笑む王太子の姿があった。武器を構える時間すら与えられず、刺客はライリーの剣に沈む。
立て続けに四人を屠ってもライリーの動きは止まらない。五人目に手を掛けようとした時、ライリーは視界の端に馬車へ乗り込む男の姿を認めた。
「サーシャ!」
ライリーは顔色を失った。
馬車を守りながら戦っていたつもりではあったし、馬車自体にも防御の結界を掛けた。しかし敵側には腕の立つ魔導士が居たらしい。結界が破壊されている。刺客たちが転移陣を使っていた時点で魔導士が居る可能性は考えていたが、あっさりと結界を破壊されるとは思わなかった。
五人目の刺客の胸を突き刺し一瞬で絶命させたライリーは馬車へと走り寄る。しかし、六人目がライリーの行く手を阻むように暗器を投げて来た。それを魔術で防ぎ、ライリーはリリアナの無事を確かめようとした。
馬車の中から、リリアナを腕に捕えた男が出て来る。勝利を確信しているのか、深くかぶったフードの下から覗く口元は弧を描いていた。
「この娘の命が惜しくば剣を捨てろ」
「――サーシャ」
ありふれた脅迫にも関わらず、ライリーは肩を落として婚約者を見つめる。しかし、その表情には、心配よりも困惑の方が大きく表れている。普通であれば狼狽し慌てふためくはずだが、二人の様子は一般的な反応とは程遠かった。
「えっと――何をしてるのかな?」
「捕えられておりますわ」
剣を捨てることもなく問うたライリーに、リリアナは至極真面目な表情で答える。
「いや、それは見たら分かるんだけどね」
「おい貴様ら、俺の話が聞こえなかったのか?」
苛とした様子で刺客が唸るが、ライリーもリリアナも全く動じない。
「貴方ならその程度はどうにかなるんじゃないかと――思っていたんだけど」
「そうですわね。本当ならその通りなのですが」
気付いていらっしゃいますか、とリリアナはライリーに問う。首を傾げるライリーに、リリアナは何気なく――今日の天気の話をするほどの気安さで告げた。
「つい今し方、この周囲一帯に、魔術が使えないよう陣が張られましたの」
ライリーは目を瞠る。その様子を見た刺客は勝利を確信したのか、にやりと楽し気に笑った。そして短剣の切っ先をリリアナの首筋に突き付ける。少しでも動けば血が流れるだろう。
「分かったか。分かったなら、今すぐその武器を寄越せ」
残っている三人の刺客たちが徐々に距離を詰めて来る。ライリーは唇を引き結んだ。今ここで投降するわけにはいかない。だからといってリリアナを見殺しにするつもりもない。そして護衛たちは頼りにならず、魔術が使えない現状でリリアナを守りながら三人を相手取るのは間違いなく不利だ。
――さあ、どうするか。
鋭く光るライリーの瞳とリリアナの目が、宙で交差した。