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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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28. 黒水晶と伝説 4


クライド・ベニート・クラークは、王宮の奥まった場所にある王太子ライリーの執務室の扉を叩いた。父が亡くなり公爵位を継いだクライドは、王太子の側近候補として頻繁に執務室へ足を運んでいる。突然の爵位継承だったため、当初は領地経営に専念するよう言われて足が遠のいていたが、二年経過した今はライリーの執務を手伝ったり国政に関する意見交換をしたりしている。そして同時に顧問会議に出席し三大公爵の一人としての仕事も任せられているから、かなり多忙だ。

そのせいもあって、ここ最近は妹リリアナとの時間も取れないでいた。尤も時間が取れないことだけが理由ではなかったが、会えば会うほど不信感を募らせるから足が遠のいてしまうのだとは口が裂けても言えない。


「入れ」

「失礼致します」


入室したクライドを見て、ライリーは小さく笑みを零す。そこにはオースティン・エアルドレッドも居た。王立騎士団に入団し二番隊の一員となってから、オースティンはかなり身長が伸びて体格も良くなった。このままでは追い抜かされるかもしれないと思いながら、クライドはライリーに促されるがままソファーに腰掛ける。


「久しぶりだな、クライド」

「ああ、オースティン。お前も相変わらず元気そうで何よりだ。女官や下女が騒いでいるのも分かる。先ほども女たちがお前の姿を見たと頬を染めて言い合っていたぞ」

「嫌味か?」


クライドの言葉にオースティンは片眉を上げてみせた。十四歳になった彼は顔つきも精悍になりつつあり、将来は美男になるだろうことが窺えた。三大公爵の弟であり、早々に王立騎士団二番隊に入隊した前途有望な少年だ。その上、容貌や体つきも将来性十分とあっては、王宮の女たちが騒ぐのも無理はなかった。しかし本人は一切気に留めていないらしい。


「お前の方が騒がれてるだろう、何て言ったってその年で公爵様だからな。妹も王太子妃目前だし、繋ぎを付けたいと考えている貴族は山ほどいるさ」


オースティンの指摘にクライドは肩を竦めた。高位貴族であるにも関わらず、クライドには未だ許嫁が居ない。尤もそれはオースティンも同じだったが、四歳から十一歳頃に婚約者を決める貴族社会では二人のような存在は珍しい。そのため、もしかしたら結婚できるかもしれないと考える者が後を絶たなかった。

クライドはオースティンの言葉には答えず、ライリーに目を向けた。


「殿下、この度はどのようなご用件でしょうか?」


笑いを堪えながらクライドとオースティンの会話を聞いていたライリーは、目元に笑みを残したまま「ああ」と頷いた。


「半年後に予定していたローランド皇子の来国だが、取りやめになった。下準備は済んでいたのだが、半年前に起こったケニス辺境伯領での諍いを受けて皇国内の貴族から反発があったらしい」

「そうなるでしょうね」


クライドは頷いた。オースティンも呆れたような顔を隠さない。クライドはそんな幼馴染の顔を横目で一瞥して肩を竦めた。


「彼の国は皇位継承で長くもめていますし、第一皇子の身辺が一層きな臭くなっているそうですから。最近台頭し始めたローランド皇子を擁立しようという動きもあるようですし、帰国できない危険性を憂慮してのことでしょう」


その言葉に、ライリーは驚いたように目を瞠った。


「さすがだな。そこまで掴んでいるか」

「殿下も既にご存知だったのでしょう。その上で私たちを呼ばれたのではありませんか」


ライリーが知らないはずはないと断言すれば、案の定“影”を使って調べさせていたらいしライリーは苦笑して頷いた。ただ一人そこまでの情報を掴んで居なかったオースティンだけが瞠目して二人の顔を順番に眺めている。


「ローランド皇子って、あの馬鹿皇子って噂だった? 次期皇帝に擁立しようって声があるのか?」

「不敬だぞ、オースティン」


口さがないオースティンの言いざまを聞いたクライドが窘める。オースティンは「悪い」と謝罪を口にするが、それよりもローランド皇子を皇太子として支持しようと考えている貴族たちが居ることの方が気に掛かる様子だった。

ライリーは視線をオースティンに転じて簡単に説明する。つまり、三年ほど前にスリベグランディア王国を訪れた後から人が変わったように貴族たちへの根回しを始めているという情報が流れて来ているのだ。それを聞いたオースティンは「へえ」と感心したような声を上げた。


「外遊中に何か思うところでもあったのかな?」

「さあ、それは分からないが――少なくとも、外遊に来た当初と帰国間際ではだいぶ印象が違ったことは確かだ」


控え目に付け加えたライリーはちらりとクライドを見やる。意味深な視線にクライドは首を傾げるが、ライリーが何を考えているのかは読めなかった。そしてライリーは詳しいことを話すつもりはないようで、さっさと話題を戻してしまう。


「それに合わせて、来年の私の“立太子の儀”に関しても再考すべきところがあるのではないかと思ったんだ。それに関して意見を聞きたい」

「つまり、ユナティアン皇国からの客人をどうするかということか?」


オースティンの問いにライリーは真剣な表情で頷いた。

ユナティアン皇国から人を呼ばないという選択肢はない。他の国の使者は招くのに、皇国には書簡を出さないというのもあり得ない話だ。しかし、ここでケニス辺境伯領で起きた国境侵犯の問題が出て来る。

勿論一通り片が付きケニス辺境伯から報告を受けたライリーは、その書状を元にユナティアン皇国へと苦情を申し立てる使者を立てた。その結果は、当初ライリーたちが予想していた通りだった。即ち、此度の件は国境領主が勝手にしたことであり皇帝の本意ではなく誠に遺憾である――という返答だったのだ。書簡を持ち帰った使者は不服そうに、しかし他に出来ることもなかったと報告した。


「とある筋からの情報だが、元々先方は第一皇子を使者として派遣するつもりだったらしい。たかが“立太子の儀”だというのに大仰なことだと思うが」

「ですが、皇太子ではありません」


通常、皇族が足を運ぶ公式行事は戴冠式や祝勝会のような、大々的なものである。一国の王子が王太子となる程度の行事に皇族は参列しない。特にそれが皇帝や国王、皇太子や王太子であれば尚更だ。皇位継承権の低い皇子や皇女であれば、まだあり得ない話ではない。

そしてユナティアン皇国の第一皇子といえば未だ立太子はしていないものの、皇太子として最有力と目されている人物である。そのため、第一皇子が“立太子の儀”に派遣される可能性が高いという知らせを受けた時、さしもの彼も驚きを隠せなかった。

だが、呆れた口調のライリーにクライドが反論する。ライリーは更に呆れ果てた視線をクライドに向けた。


「皇太子の最有力候補だ、似たようなものだろう」

「ええ、ですが現段階では数多いる皇子の内の一人でしかありませんし、()()()()我が国と友好関係を築こうとしている数少ない皇子ですから。“立太子の儀”に参列するにはちょうど良いと考えられているのかと思います」


クライドの指摘にライリーも頷いた。

ライリーの手元にある情報もそれほど多くはないが、彼もまたクライドとおおよそ同じ推測に至っている。問題は、第一皇子の友好的な態度があくまでも表面的なものだという点だ。第一皇子と直接の面識はないが、彼が本当にスリベグランディア王国を独立した一国として尊重してくれているかどうかは疑わしい。何らかの手段で吸収するか属国にしようと考えているのではないかと、ライリーは推察していた。


「そこで齎されたのが、第一皇子の身辺がいよいよ危うくなってきたという情報だ。そのため第一皇子以外に誰かが来国する可能性も視野に入れなければならないだろう」


はっきりと言葉にはしないが、ライリーは第一皇子が暗殺される可能性を危惧していた。そうなった場合、皇国から派遣されるのは一体誰なのか。

それまで黙っていたオースティンが低い声音で口を挟んだ。


「文官ならともかく、別の皇族だったらまた面倒だぞ」


王立騎士団は“立太子の儀”の期間は、会場全体の警備や王族、そして他国からの来賓の身辺警護に当たることが決まっている。警備の厚さは来賓の位によって決まるため、皇族が来国すれば滞在する部屋や警護に当たる騎士の人数等、検討課題が格段に増えてしまう。その上、皇族は良くも悪くもこだわりが強い。そのため、彼らが伴う皇国の近衛兵との折衝も頭を悩ませる問題だった。


「ああ、分かっている。もし皇族が来るのであれば、年齢と資質からして考えられるのは第二皇子(ローランド殿)か第三皇子だろう。第一皇女は――ないだろうな」


ライリーの言葉にクライドもオースティンも頷く。ユナティアン皇国の第一皇女は、スリベグランディア王国でも武闘派として知られていた。父である皇帝と張るほど苛烈な性格で、不機嫌な時には臣下の足音一つで首を刎ねるという噂だ。多少の誇張は混じっているだろうが、少なくとも他の皇族より攻撃的であることは確かなのだろう。

さすがに今の状況下で、そのような皇女をスリベグランディア王国に派遣するはずはない。ただでさえ国境領主がスリベグランディア王国に侵攻し、撃退されているのだ。皇女が王都で暴れてしまえば、スリベグランディア王国に対する同情が他国から寄せられるだろう。その程度で揺らぐ皇国ではないが、彼の国にとっても一国だけと敵対する方が、複数国を相手取るより良いに決まっている。


「ローランド殿下であれば良いですね。一度いらしていますから、警護に関してもある程度は勝手が分かるでしょう」


クライドの言葉にオースティンも頷く。しかしライリーは浮かない表情だった。それに気が付いたオースティンとクライドは問い質したげな視線を王太子に向ける。


「どうしたんだ、ライリー。何か懸念でもあるのか」

「いや、懸念はない」

「それじゃあ何でそんな顔してるんだよ」


咄嗟にライリーは自分の頬を触る。どうやら浮かない表情は無意識だったらしい。オースティンとクライドしかいないため気が抜けていたのだろうが、それでも最近の彼にしては珍しかった。気まずげに眉根を寄せて口籠っていたが、ライリーは溜息混じりに呟く。


「――個人的な話だ。ローランド殿は以前の外遊から皇国に戻られる時、妙にサーシャに話し掛けようとしていたなと思い出したんだ」


どうやらローランドがリリアナを気に入っていたことを思い出して不機嫌になったらしい、と悟ったオースティンとクライドは互いに顔を見合わせた。特にクライドは妹に対する王太子の執着を見せつけられた気分になったのか、複雑な表情である。クライドは取り繕うように口を開いた。


「……殿下が妹をお気に召しているようで、何よりです」

「サーシャは得難い女性だよ。頭の回転の速さや察しの良さも、それに性格も好ましい。ただ全てを一人で抱え込む性質なのが気に掛かる」


何かを思い返しているのか、ライリーは僅かに目を伏せる。しかしそれほどリリアナと交流がないオースティンも、そして父を亡くしてからリリアナと距離を取るようになってしまったクライドも、ライリーが何を懸念しているのか掴めなかった。

オースティンは気まずそうに視線を彷徨わせたが、ふと何かを思いついたようにライリーに尋ねた。


「ブロムベルク公爵夫人はいらっしゃるのか?」


ブロムベルク公爵夫人は現国王の姉、つまりライリーの伯母である。若い頃にユナティアン皇国に嫁いでからは事あるごとに贈り物をしてくれるため、菓子が送られて来た時はオースティンも時折相伴に預かっていた。


「ああ、私信にぜひ参列して頂けるよう書いておいた。どうやら公爵もいらしてくださるようだ」

「そうか、久しぶりにお会いできるんだな」


オースティンは嬉しそうに笑う。ブロムベルク公爵夫人に会ったことのないクライドは目を瞬かせて、そんなオースティンを眺める。今、執務室に居る三人の中では一番女性に対して当たりが柔らかいオースティンだが、誰か特別に好いている相手が居る様子はない。もしかして――と思っていると、その視線に気が付いたオースティンが眉根を寄せた。


「おい、クライド。お前が何を考えているのか何となく分かるから言っておくが、別にブロムベルク公爵夫人は俺の初恋の人とか、そういうんじゃないからな」

「そうなのか」

「やっぱり誤解してたな、お前」


目を丸くしたクライドにオースティンは肩を落とす。

ブロムベルク公爵夫人は元々オースティンの両親や父の前妻とも親交があった。そのためオースティンも物心つく前から公爵夫人と面識があり可愛がってもらった。お陰で夫人と言えば条件反射的に“素敵なものをくれる良い人”という印象が思い浮かぶのだ。

それを言えば、クライドは僅かに憐れむような視線を向けた。どうやらオースティンを“物で釣られる可哀想な奴”だと思ったらしい。


「違うからな?」

「私は何も言っていない」

「目が語ってんだよ!! お前、他の奴らの前で見せてる鉄壁の笑顔を俺たちの前でも使えよ、全く」


クライドが抱いた感想がオースティンには不服だったのか、とうとう彼は下唇を突き出して膨れっ面になってしまう。クライドは、いつも感情の読めない笑みを浮かべている。それが良いのだと少女たちは噂し合っているが、何故かライリーやオースティンの前では鉄壁の微笑が崩れてしまうのだ。そして長年付き合いのある二人は、難なくクライドの心中を読み取ってしまう。

ライリーは苦笑を浮かべて二人のやり取りを眺めていたが、そろそろ頃合いだと思ったのか口を挟んだ。


「二人とも落ち着いてくれ。とにかく、ブロムベルク公爵夫人からは参加に前向きな返事があった。だがその手紙に面白いことが書いてあってね」

「面白いこと?」


オースティンは直ぐに気を取り直して身を乗り出す。その様子を眺めながら、クライドは感心していた。こういう切り替えの早さがオースティンの持ち味だ。一つのことに拘り、いつまでも引きずってしまうクライドとは全く違う。その気質が羨ましくもあり、時には苛立たしくもあった。もしオースティンのような性格であれば、もしかしたら(リリアナ)とも上手くやれたのかもしれないと思ってしまう。

しかし今は個人的な悩みを考えている場合ではないと、クライドは無理矢理ライリーに意識を戻した。


「そう。皇国の国宝、黒水晶って知っているかな」

「黒水晶――? ああ、あの初代皇帝が自分に反抗する魔導士たちを閉じ込めたっていう」


オースティンは一瞬考えたが、すぐに思い出す。

黒水晶は有名なおとぎ話に出て来る巨大な宝石だった。

魔の三百年も後半に差し掛かった頃、とある男がユナティアン皇国の前身であるユナティアン帝国を打ち立てた。彼はこの地に暗黒時代を齎した魔王であり、当初は瘴気を撒き散らすだけ撒き散らして放置していたが、やがて自分に反抗的な人間が増えたことに煩わしさを覚え、自ら国を打ち立てることにした。その時に魔王を封じ込めようとした魔導士たちを黒水晶に閉じ込めたと言い伝えられている。


だが、オースティンの回答を聞いたライリーは小さく首を振った。


「半分正解だが、半分は不正解だ」

「ん?」


どういうことだ、とオースティンは首を傾げる。クライドも不思議そうな表情になったが、少ししてから二人は時を同じくして一つの答えに辿り着いた。


「そうか、なるほど。この国では正解ですが、皇国では違う物語ですね」

「確か向こうじゃ、魔王じゃなくて魔王を討伐した英雄だったって話だったか?」


クライドが頷けば、オースティンも納得したように声を上げる。ライリーは頷いた。


「その通り。面白いほど真逆の物語として伝わっているわけだが、お陰でその黒水晶は皇国で国宝として厳重に管理されている」


だが、最近その黒水晶について不穏な噂が皇国の貴族たちの間に広まり始めているのだと、ブロムベルク公爵夫人は手紙の中でライリーに教えてくれた。


「その黒水晶を盗もうと狙っている輩がいるそうだ」

「へえ」


オースティンは興味を失ったようだった。皇国の国宝が盗まれようが、スリベグランディア王国には関係がない。だが、クライドは違った。何故この場面でそのようなことをライリーが口にしたのか、そして何故ブロムベルク公爵夫人が手紙でわざわざライリーに教えて来たのか、それが気に掛かる。

ライリーはゆっくりと二人の顔を順に眺め、クライドの表情の変化を認めてゆっくりと笑みを浮かべた。

やがてクライドの目が見開かれる。それを確認してライリーは頷いてみせた。


「どうやら国宝を狙っている不届き者はスリベグランディア王国の者らしい。これが本当になれば、皇国は我々に戦を仕掛ける口実が出来るというわけだ」


クライドは息を飲む。オースティンもまた絶句していた。


「そんな――」


馬鹿な話があるかと、オースティンは掠れた声で呟く。しかし彼も良く理解していた。

黒水晶は、スリベグランディア王国ではそれほど重要視されていない。しかしユナティアン皇国では、皇族の正当性を示す非常に重要な国宝だ。奪われるわけにはいかないし、仮に奪われたとすれば皇威に掛けて取り戻そうとするだろう。その場合、どれほど血が流れても気にしないに違いない。


「隣国を探るのは至難の業ではありますが、調査が必要でしょう」

「ああ、そう思う」


クライドは低く告げ、ライリーも短く同意を示す。オースティンもまた神妙な顔で頷いた。


「何か分かれば適宜知らせてくれ」


ライリーは信頼のおける二人の側近に告げる。クライドとオースティンは、一も二もなく頷いた。



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