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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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28. 黒水晶と伝説 2


ユナティアン皇国の皇都トゥテラリィから馬車で三日ほど離れた場所にある離宮で、少女は本を読んでいた。爽やかな風が開放的な室内を吹き抜ける心地よさに、皇女イーディス・ダーラ・ユナカイティスは顔を上げる。

室内には女官も侍女もいない。しかしそれがイーディスには居心地が良かった。


「イーディ」

「兄さま!」


親しんだ声に呼ばれたイーディスは嬉しそうに頬を染めて顔を上げる。視線の先には、扉を開けたばかりの兄皇子ローランドが立っていた。


「本を読んでいたのか」

「ええ、ブロムベルク公爵夫人に貸して頂いたの」


イーディスは手にしていた本の表紙をローランドに見せる。一瞬で題名を読み取った皇子は目を丸くして感心したような声を上げた。


「『スリベグランディア王国と伝説』か。隣国の書物も読んでいるとは思わなかった」


彼女が読んでいたのは隣国スリベグランディア王国で語り継がれている伝説を、物語調で記したものだった。ユナティアン皇国とスリベグランディア王国は隣接している上に、遥か昔は一国だったこともあって、共通する伝説や物語が多い。そのため、ユナティアン皇国では敢えて王国の伝承を知ろうとする者は殆ど居なかった。イーディス皇女も間違いなくその一人だったのだが、ローランド皇子にブロムベルク公爵夫人を家庭教師として紹介されてからは、王国に伝わる話や王国で書かれた書物も読むようになっている。


「ブロムベルク公爵夫人はとてもお優しい方なのよ。たくさん質問すればするだけ、私のことを褒めてくださるの」


目を輝かせるイーディス皇女はとても楽しそうだ。ローランドはそんな妹姫を優しく見つめながら、対面のソファーに腰掛けた。

これまでイーディスに付けられていた家庭教師は、彼女が自分で考えて質問することを酷く嫌った。何か尋ねれば慇懃無礼に「知る必要のないことです」と切り捨てる。それだけではなく、イーディスの周囲には彼女に“自分で考えさせる”よう教育する者は皆無だった。そして、父である皇帝の言葉が絶対であり、それは無条件に信じるべきだと教えられ続けて来たのだ。


そんなイーディス皇女にローランド皇子が危機感を覚えたのは、三年前に二人でスリベグランディア王国に外遊に訪れた時だった。当初はイーディスの庇護先を探していたローランドだったが、結局彼は翻意してイーディス自身を変えることにした。その方が生き延びられる可能性が高いと考えてのことだった。

だが、イーディスを変えられるかどうかは賭けだった。自身が変わるのであればともかく、他人の考えや価値観を変えることほど難しいことはない。馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないとは良く言ったものだ。


「前はどのようなことを質問したのだ?」


ローランドは優しく尋ねる。質問をする、ということはイーディスが自発的に物事を考え始めるようになったということだ。考えることも訓練だからすぐに出来るようになるわけではないが、皇女も時間を掛ければ色々な疑問を思い付くようになったらしい。

感慨深い想いを抱えている兄には気が付かず、イーディスは少し恥ずかしそうに「この本のことなのよ」と手に持っている書物を示した。


「ユナティアン皇国の黒水晶のお話あるでしょう?」

「ああ、初代皇帝の話か」

「ええ」


黒水晶と言えば、ユナティアン皇国では皆、初代皇帝の伝説を思い浮かべる。

暗黒時代と呼ばれた魔の三百年、この地には小さな国々が乱立し常に争っていた。しかし後半に差し掛かった時、一人の男が立ちあがった。それがユナティアン帝国の礎を作った初代皇帝だった。彼は小さな国を次々と征服し大陸を統一したのだ。紛争は絶えなかったが、それでも初代皇帝の権力は絶大だった。帝国が大きくなるにつれて大規模な戦争は姿を消し、小競り合いは残ったものの大陸には安寧が訪れた。

魔の三百年は元々魔王がこの地に降臨したことから始まったと言われている。そのため、どれほど領土を広げ戦を減らしても、地上に蔓延した瘴気は無くならない。魔王がばら撒いた瘴気は人間が束になっても浄化することはできなかった。


「魔王が地上に残した瘴気をどうするべきかと三日三晩話し合い、そして巨大な銀水晶があれば良いのではないかという結論に落ち着いた。幸いにもその水晶は見つかり、大陸中の瘴気を殆ど吸収することができた。瘴気を吸収し終えた銀水晶は漆黒の水晶に変わった」


あっさりと伝承を諳んじてみせたローランドに、イーディスは破顔した。この話は幼い頃から何度も何度も寝物語に聞かされて来たから、ローランドにとってはうんざりするような内容だ。しかしローランドにとっては不思議なことに、イーディスはこの物語が大好きらしい。


「そうよ! その黒水晶も宮殿にあるもの、きっと本当の話だと思うの」

「ああ、そうだな」


ローランドは妹の言葉に頷いた。国宝であるため厳重に管理されているが、確かに黒水晶は代々皇族が護って来ている。何よりも、魔王が支配する人の住めない大地を浄化した伝説の水晶だ。それは即ち、皇家ユナカイティスの権力の象徴でもあった。

英雄伝説は基本的に後世の人間が脚色するため、どこまでが真実なのか判断することはとても難しい。しかし、少なくとも黒水晶があることは確かだ。更にその黒水晶を鑑定すると、圧縮された高濃度の魔力が内部にあることも分かっている。そのため、黒水晶と初代皇帝の伝説は、それなりに信憑性があると考えられていた。


「だから、この地に平和をもたらした初代皇帝は英雄でしょう?」


イーディスはこてんと首を傾げる。いとけない仕草は実年齢よりも彼女を幼く見せたが、ローランドは気にしなかった。寧ろ、イーディスがこれから言おうとしていることに気を取られてしまう。


もし彼女が自分で()()()()に気が付いたのであれば、まさにそれはローランドの勝利だった。そして同時に、ブロムベルク公爵夫人の“思考すること”を教える能力に感嘆せずにはいられない。

生唾を飲み込んだローランドの前で、イーディスは不思議そうな声音で疑問を口にした。


「それなのに、スリベグランディア王国では初代皇帝こそを魔王だと言うのよ。これって、一体どういうことなのかしら?」


ローランドは笑みを深めた。

その問いに対する答えは確かに存在している。だが用意されている答えは、ユナティアン帝国に有利なものだ。それを疑うような言葉を口にすることは、この国では許されていない。一言でも口にしたが最後、皇国の裏切り者として目を付けられ、遅かれ早かれ命を落とすことになるだろう。今のユナカイティス皇家は初代皇帝に繋がる血筋だ。そのため、初代皇帝の正当性を疑うことは皇家に対して二心ありと公言するようなものだった。


だが、ローランドは皇国で言われている回答を教えるつもりはなかった。恐らくイーディスは同じ疑問をブロムベルク公爵夫人に投げかけたはずだ。だから、彼は隣国で最高峰の教育を受けて来たはずの公爵夫人がどのように答えたのか興味があった。


「お前はどう考えた?」

「私? 考えても分からなかったから、公爵夫人に伺ったのよ」

「ほう」


得た知識の矛盾点に気が付き疑問を覚えることはできても、それに対する回答を自分なりに導き出すことは未だ難しいらしい。そして長い間自分で考えることをせずに、与えられる答えだけを覚えて生きて来たイーディスにとって、長時間かけて物事を考えたり調べたりすることは精神的な負担になるようだった。

それが分かっているのか、公爵夫人もイーディスが疑問を口にした時にすぐに窘めたりはせず、一度褒め言葉を挟む。そして会話の中で、イーディス自身が答えを見つけるように誘導してくれるらしい。


「公爵夫人は何と言った?」

「何故、ユナティアン帝国では初代皇帝が英雄とされているのか、考えてみましょうって。それから、スリベグランディア王国では魔王と言われている理由も、一緒に考えてみましょうって仰っていたわ」

「なるほどな」


ローランドは満足気な笑みを浮かべた。ブロムベルク公爵夫人はスリベグランディア王国で生まれ育った人だから、スリベグランディア王国に有利な話をイーディスに吹き込む可能性もあった。しかし、夫人はそれよりもイーディスの教育を重視してくれたらしい。

人選は間違っていなかったのだと、ローランドは安堵の息を漏らす。


「お前はどう思った?」

「それが、まだ分からないの。だからもう一度、本を読み直しているところなの」


はあ、と物憂げな溜息を吐いたイーディスはローランドに目を向ける。そして縋るような目つきで敬愛する兄に尋ねた。


「兄さまはどうお考えになる?」

「俺か? そうだな」


ローランドは考える素振りを見せた。他の皇子や皇女たちは分からないが、ローランドは皇国で実しやかに囁かれている“理由”は信じていない。どこまで正確かは分からないが、彼なりに一つの仮説を立てていた。しかしその仮説を口にしたことは今まで一度もない。

少し考えて、ローランドはにっこりと優しい笑みを浮かべてみせた。


「俺が今ここで言ってしまえば、お前はその考えに取りつかれてしまうだろう。それでは詰まらないからな。お前が自分なりに答えを出した時に、俺も俺の考えを教えることにしよう。それから、何冊か参考になる書物を見繕って送ろう」


それでどうだ、と問えばイーディス皇女は不服そうに頬を膨らませる。


「また本を読むの?」

「いやか?」


質問には答えずに尋ね返すと、イーディスは少し考えて首を振った。


「いやじゃないわ。大変だし疲れるけれど、知らないことを知るのは楽しいもの」


そんな妹姫の答えにローランドは満足気な笑みを浮かべる。イーディスが変わるかどうかは賭けだったが、予想以上に成長が目覚ましい。この調子ならば安心して自分の仕事に専念できそうだとローランドは内心で安堵の溜息を吐く。

そんなローランドに朗らかな笑みを向けたイーディスは楽し気に告げた。


「次に兄さまがいらっしゃる時までに新しい本を読んで、私なりに考えておくわ。でも兄さまは意地悪ね、少しくらい手掛かりをくれても良いのに」


しかし皇女は直ぐに拗ねた口調になると、再び書物を開き読み始める。どうやら妹姫は少し御立腹のようだと苦笑して、ローランドは「分かった、分かったから」と答えた。


「そんな顔をするな。俺はお前がどんなことを考えているのか、それを知るのが楽しいんだ。今までは教えてくれなかっただろう」


ローランドの言葉を聞いたイーディスは顔を上げて、きょとんと眼を瞬かせる。しばらく黙ってローランドの言葉を噛み砕いていたが、やがて「そうね」と笑った。


「私も、自分が何を思って考えているのかを言葉にして、兄さまや公爵夫人が答えを返してくれるのが好きよ。なんだか分からないけれど、わくわくするわ」

「そうか、それは良かった」

「考えすぎると、頭が痛くなるのだけれど」


苦笑してイーディスは肩を竦める。頭が痛くなった時は美味しいものを食べたり気分転換に庭に出たりするのだと付け加え、悪戯っぽい表情で兄を見上げた。ローランドは優しい目でそんな妹を見つめている。そして小さく息を吐くとソファーから立ち上がった。


「もうそろそろ俺は行く。また時間が出来たら立ち寄ろう。その時にはまたお前の話を聞かせてくれ」

「ええ、分かったわ」


ローランドは皇子としての公務がある。スリベグランディア王国と比べると王位継承者が多いため、割り振られている公務は隣国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードと比べると遥かに少ない。それでも、のんべんだらりと妹姫との時間を過ごすほど暇ではなかった。

イーディスも兄皇子の多忙さを理解しているから、僅かな寂しさを瞳に滲ませながらも引き留めはしない。もっと幼い頃は泣いて縋ったこともあったのに成長したものだと、ローランドは一切表面には出さず心の中だけで懐かしく思う。


「それじゃあ」

「ええ、また」


後ろ髪を引かれるような思いで、ローランドは離宮を後にする。

離宮の門前には馬車と護衛たちが待っていた。ローランドが出て来たのを見て、ドルミル・バトラーが馬車の扉を開ける。


「皇女殿下は如何お過ごしでしたか」

「相変わらず元気だった」

「それは宜しゅうございました」


丁寧な言葉でありながら、どこか慇懃無礼な響きがするのは昔から変わらない。ローランドが馬車に乗り込むと、バトラーも乗り込んで扉を閉める。そして御者側の窓を三回叩き合図を送ると、ゆっくりと馬車が動き始めた。


「バトラー、この後話がある。時間は取れるか」

「承知いたしました」


ローランドの言葉にバトラーは頷いた。少し考えて、優秀な宰相補佐は一つの質問を口にする。


「スリベグランディア王国への外遊が中止になったこと、に関してでしょうか」

「そうだ」


本来であれば、この時期にローランドはスリベグランディア王国へ赴くことになっていた。三年振りだが内々に話は進み、後は正式に書簡を出す手筈になっていた。しかし昨年国境で起こった小競り合いを皮切りに、両国は緊張状態に陥っている。

来年王国で開かれる王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードの立太子の儀に皇族が赴くのだから、今年の外遊は控えるべきだと有力貴族たちが声を揃えて主張した。


「一体有力貴族たち(ばかものども)に何があったのか、詳しく教えろ」

「――御意」


ローランドの言葉に、一切表情を変えずにバトラーは頷く。それを確認した皇子は車窓から外を眺めた。どこまでも広がる青空が眩しくて目を細める。

公務だけでなく、考えるべきことが非常に多い。皇位を簒奪すると三年前に決めた彼はバトラーの協力を得て少しずつ人脈を広げ、影響力を行使できるよう根回しを始めている。しかしその分、神経を尖らせなければならないことも多い。知らず知らずのうちに、ローランドの口からは溜息が漏れていた。



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