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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません

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26. 国境の砦 12


衝撃がペトラの体を襲う。自身が張った魔術の結界が破られた、それだけは分かった。


「一体、何が――」


起こったというのか。一瞬の混乱を押し留めてペトラは隣に立つベンに視線をやった。


「結界が破られた」

「魔導士? それとも“北の移民”?」


“北の移民”の中には魔術が通じない者がいるという話は、二人ともリリアナから聞いていた。どうやらジルドもその一人らしいと知り驚いたものの、身近に居るのだから敵側に居てもおかしくはないと納得するにはちょうど良い証人だった。

首を傾げるベンにペトラは「分からない」と答える。ただ一つ確かなのは、結界を破る魔術、つまり解術された気配は感じられなかった点だ。


「それなら“北の移民”の可能性が高いね。辺境伯が心配だ」

「本当に魔術が効かないなら、あたしたちが行っても意味ないかもしれないけど。それにこの結界を破ったっていうなら、呪術も効かない可能性が高いってことになる」


ペトラは悔し気に呟いた。だが“北の移民”に呪術が効かないというのは理論的にはおかしな話ではない。現在の呪術は魔力に似た力を発生させているからだ。魔術との違いは、術者本人の魔力を使うか使わないかという一点だけと言っても間違ってはいない。


ペトラとベンは転移の術でケニス辺境伯の元に向かう。

左半身不随の状態から徐々に回復したといっても、辺境伯は未だ杖なしでは一人で歩けない。そんな状態で敵に囲まれては碌に抵抗もできない。そのため騎士が二名ほど辺境伯の傍に付いているが、その二人が辺境伯を“北の移民”から完全に守れるかと言えば可能性は五分五分だった。その場に敵方の魔導士も居れば、辺境伯の護衛が勝つ見込みはほぼない。もし魔導士が居るのであれば、せめてそちらだけでも相手をしようと二人は頷きあった。


リリアナが居れば更に心強いが、元々彼女はこの戦いには直接関係がない。恐らくジルド達の方に居るだろうとは思うが、こちらの異変に気が付くかどうかは微妙なところである。来るかどうか分からない戦力を当てにするよりは確実に敵を倒す方策を考えた方が良い。


ペトラとベンは転移したが、戦闘のど真ん中に転移するわけにもいかないため、辺境伯が居る部屋から少し離れた場所に姿を現した。武器の保管庫で奥まった場所だからか、幸いにも周囲に敵の気配はない。二人は暗い部屋の扉を開けて外を覗いた。念のため魔術で周囲を探りながら、小走りで辺境伯の元へと急ぐ。少し進めばすぐに敵兵を発見した。


「とりあえず魔力は温存ってことで」


小さく呟いたペトラがローブの下から呪術陣が描かれた札を取り出す。ベンは小さく笑った。


「本領発揮だね」


ペトラは魔術にも秀でている。だが彼女の本分は呪術だ。呪術を使うには道具が必要で、その道具を持ち運べない時や不十分な時は魔術を使う。しかし戦場に行くと事前に分かっていたから、彼女は呪術の道具を十分すぎるほど持ち込んでいた。魔導省長官からの指示だけでは不十分だったが、リリアナから情報を貰っていたからこそ出来たことだ。そうでなければ今頃は自分の体力を心配しながら魔術を駆使する他なかっただろう。


「折角作った呪術の術式がちゃんと発動するか、気になるじゃん? それに、魔術が効かないという噂の人たちに()()()()呪術が効くのかどうかも興味がある」


スリベグランディア王国では呪術は忌避されているが、全く使われていないわけではない。その数少ない呪術が使っている力が魔力に似た性質というだけで、ペトラの呪術は理論からして異なる。ペトラが作った呪術であれば効くのではないかと、一縷の望みが残されていた。


「まあそうだね。呪術が効くなら対処もしやすい」


気持ちは分かるよ、とベンは頷く。そういうベンは呪術よりも魔術の方が得意だ。魔力が足りなくなった時のために、特別に誂えた魔導石も持参している。

二人は同時に物陰から飛び出すと、視界に捉えた敵兵に向けて一斉に術を放った。



*****



リリアナ・アレクサンドラ・クラークは、ペトラ・ミューリュライネンとベン・ドラコが張り巡らした最高級の結界を破った者たちを眺めながら小さく息を吐いた。念のために昼前を目掛けて国境の砦に転移して来たが、その時も自分が手出しをする必要はないだろうと考えていた。


(ゲルルフの目当ては、こちらでしたか)


てっきりアルヴァルディの子孫の誘拐が主目的であり、砦を落とすことは彼にとっては“ついで”だと思っていた。ゲルルフと敵国領主の会話を聞いていればそう思っても仕方がない。だが考えてみれば、あの時既にゲルルフはリリアナの存在に気が付いていた可能性がある。その時にスリベグランディア王国の間諜だと思い至らない訳がない。となれば、偽の情報を掴ませて裏を掻く――戦術としては基本中の基本だ。


(わたくしとしたことが)


動転していたのは確かだが、それにしても考えなしだったと内心で歯噛みする。

ゲルルフに魔術は効かない。だがジルドの話を信じれば、それほど異能力が高くないゲルルフ以外の者であれば、リリアナが駆使する難易度の高い魔術が効く可能性は残っている。ただ、それもどの程度効くのかは分からない。

敵情視察と称してリリアナが敵城に潜入した時、姿を消したリリアナにゲルルフ以外の者は気が付いていなかった。だが、それはリリアナの魔力や術の難易度のせいではなく、単に彼らを害する術ではなかったからという可能性もある。

敵に自分の魔術が効くのか不明確な現段階では、不用意に実験の真似事はできない。下手をすれば味方を巻き込んでしまうことも考えられた。


その時、大きな魔力を感じる。覚えのあるその気配に、リリアナはペトラとベンがケニス辺境伯の元へ駆け付けたことを知った。


(さすがですわね。なかなかの威力ですわ)


恐らく呪術も使っているのだろうが、二人分とは言え相当な衝撃を敵に与えたはずである。


(アルヴァルディの子孫でなければ、の話ですけれど)


ただし、と心の中で付け加えながらリリアナは恐らくベンたちが居るだろう方向へと足を向けた。

まだ確定はしていないが、今回の戦でベンが命を落とす可能性がある。ケニス辺境伯に関しては、そもそもゲームに顔も年齢も出て来ないから判断のしようがない。ペトラも辺境伯と同様だ。彼女はゲームにも設定資料集にも名前は出て来なかった。だからベンだけでなく、二人がこの戦で生き抜けるのかどうかも分からない。


(わたくしがどこまで手を出すのかも――悩ましいところですわね)


リリアナは心中でぼやく。リリアナの最終目標はゲームの自身が迎えた破滅を避けることだが、ゲームには存在していなかった人物や起こらなかった出来事がどの程度リリアナの未来に影響するのか、判断が付かない。だからといって助けられる人を見殺しにしてしまえば、それは倫理的にも不味いだろう。それに、たとえ感情がないと言っても、自分が助けなかったために親しくしていた人たちが亡くなるというのはあまり良い気持ちにはなれなかった。


(あら、いらっしゃいますわね)


そこでようやくリリアナはベンとペトラの姿を見つけた。案の定、二人はケニス辺境伯を守るようにして侵入してきた敵兵と戦っている。だが戦況は芳しくない。辺境伯を守っていた二人の騎士は満身創痍だ。侵入してきた敵兵はそれほど人数も多くない。

だが、川沿いで騎士団と戦っていた敵兵と比べるとその実力は雲泥の差だった。少数精鋭が砦に侵入して来たとしか思えない。


(魔導士と騎士、それから――恐らく彼らがアルヴァルディの子孫)


物陰に身を潜めたリリアナは敵の様子を窺う。

どうやら敵兵は、騎士が前衛、魔導士が後衛、そしてアルヴァルディの子孫たちは遊撃と決めているらしい。彼らの能力を考えると確かにその方法が効果的であることは間違いない。


ベンとペトラは魔導士たちの力を削ぐことに注力しているが、それをアルヴァルディの子孫たちが邪魔する。ベンとペトラは辺境伯と護衛騎士を傷つけるわけにはいかない。だが、魔導士は前衛に居る騎士さえ傷つけなければ縦横無尽に魔術を振るえる――アルヴァルディの子孫に魔術は効かないからだ。だが、ペトラが駆使している呪術は僅かにアルヴァルディの子孫の力を削っていた。


(通常の呪術は効かずとも、ペトラの呪術体系であれば多少の効果は見込めますのね)


だが、あくまでも“多少”だ。ペトラの呪術攻撃を受けているアルヴァルディの子孫は、煩わしそうに顔を顰めはするものの、それほど打撃(ダメージ)を受けていないように見えた。少なくとも、攻撃力や身体能力は一切低下していない。


一方で、辺境伯を守る二人の騎士は果敢にも前衛の騎士から伯を守っている。だが体力の限界が近づいているようだった。全身に傷を負い血塗れで息が荒い。ベンとペトラは魔導士たちを片手間に片付けてアルヴァルディの子孫を攻撃しているが、二人の本領は魔術と呪術にある。騎士たちを助けるほどの戦闘力はなかった。


(【鎌風(エリーガンストーム)】)


リリアナは先に、騎士を片付けることにした。辺境伯の身柄を奪われてしまえば完全にこちらの負けだ。それだけは何としても避けなければならない。

物陰に身を潜めたまま魔術を使えば、鋭い刃となった風が室内を大きく舞って敵兵を地に沈める。満身創痍になっていた護衛二人は、つい今し方まで自分たちの命を取ろうとしていた敵兵が一瞬にして物言わぬ骸になったのを目を剥いて凝視した。杖を持って構えていた辺境伯も絶句する。


だが、その隙をアルヴァルディの子孫たちは見逃さなかった。


辺境伯の首を狙って一人が跳躍し、二人の護衛の頭上を飛び越える。その男を捕獲しようとしたリリアナは、次の瞬間小さく顔を顰めた――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


咄嗟に、リリアナは辺境伯を転移させる。宙を飛んだ男が握ったナイフが辺境伯の首を捉えようとしたその瞬間、辺境伯の体はそこから消えていた。目を剥いた男の後ろに、辺境伯の姿が現れる。男から見れば伯が驚異的な身体能力を発揮して、一瞬で移動したようにしか見えなかっただろう。


(――間に合いましたわ)


ほっとリリアナは安堵の溜息を吐いた。間一髪だった。咄嗟の判断だったため、辺境伯を確実に安全な場所――例えば辺境伯領の屋敷に転移させることはできなかった。集中力を欠いた状況で転移させて、万が一失敗しては目も当てられない。多少座標がずれるだけならまだマシだが、異空間にでも飛ばしてしまえば取り返しがつかない。


敵の攻撃を防御するように剣を構えていたケニス辺境伯は、自分の居場所が突然移動したことに驚いた様子だが、一瞬にして無表情に戻っていた。ベンかペトラが自分を守るために何らかの術を使ったと考えたのか、伯は離れた場所で魔導士たちを相手取る二人を一瞥する。

リリアナは完全に気を抜くことなく、敵が再びケニス辺境伯を狙う前に護衛二人へと術を放った。


(【治癒(ヘイルン)回復(ゲニーズン)】)


見る間に二人の体に付けられた傷が消えて、顔色も良くなる。二人は愕然としたが、すぐに真剣な表情で敵兵を睨み据えた。何故、突然傷が治り体力も回復したのか理解できなかったようだが、今はそれよりも眼前の敵を倒す方を優先すべきだと判断したらしい。騎士らしい切り替えの良さに、リリアナは微笑を浮かべた。

アルヴァルディの子孫に魔術は効かない。それならば騎士二人に剣技で頑張って貰わねばならなかった。そうすれば彼らが戦っている間に、リリアナはベンとペトラを援護できる。


(ベン・ドラコ様もペトラもだいぶお疲れのご様子)


ちらりと二人に視線をやったリリアナは、ベンとペトラにも回復(ゲニーズン)の術を送る。途端に顔色が良くなるものの、二人は騎士と違って全く驚いた様子がない。もしかしたら、既にリリアナの魔術を感じ取っているのかもしれなかった。


(【魔術(マギス)無効化(ストロームアウスファ)】)


リリアナは敵側の魔導士に術を放つ。途端に、魔導士たちが放っていた攻撃魔術が消滅する。眉根を寄せた魔導士たちは更に攻撃魔術を発動しようとするが、リリアナはそれよりも先に魔術を無効化する術で作った結界を彼らの体に纏わりつかせた。理論上は可能でも、普通はそのような芸当はできない。結界とは体から一定距離を保った場所に張るもので、体にぴったりと沿うように作るものではないからだ。

だからこそ、魔導士たちは自分の体に何が起こったのか分からない。発動させた魔術を無効化する術があると知っていても、そもそも魔術を発動できなくなる術など彼らは知らなかった。厳密には彼らは魔術を発動しているのだが、それを視認するより先に無効化の術が攻撃魔術を消滅させているだけだ。結果的に、彼らは術を発動している感覚はあるのに発動できない、という摩訶不思議な状況に陥っていた。普通ならあり得ない状態だ。


顔色を青くして呆然と、しかし恐れるような目でベンとペトラを凝視する。どうやら自分たちが魔術を発動できなくなったのは眼前に居る二人のせいだと思ったようだ。

その隙を見逃すベンとペトラではない。二人は互いを一瞥すらせずに、にやりと笑って同時に動いた。二人とも、目の前の現象がリリアナの仕業だと気が付いていた。

動きの鈍った魔導士たちを手早く拘束し、魔術を使っても抜けられないよう呪術の札を張る。これで敵兵で残ったのはアルヴァルディの子孫が三人だけだ。攻撃を行っているのはその内の一人だが、残りの二人が傍観し続けるとは限らない。寧ろ騎士と魔導士が倒された時点で、動き始める可能性が高かった。


「ちぃ――っ!」


痛烈な舌打ちがリリアナの耳に届く。そちらへ視線を向けると、それは先ほどから執拗な攻撃を辺境伯と彼の護衛二人に仕掛けていたアルヴァルディの子孫だった。ゲルルフではないが、彼もまた身体能力は群を抜いて高いようだ。そして恐らく――否、間違いなく、異能力も高い。

男は魔術で姿を消し、更に物陰に隠れているリリアナの方を睨み据えていた。苛立ったように歯を剥き出しにして威嚇する様子に、リリアナは知らず背筋が震える。純粋な殺気を真正面からぶつけられるのは、これが初めてだった。暗殺者には何度か対峙したことがあるが、彼らは決して殺気を外には漏らさない。騎士や傭兵とは全く違う種類(タイプ)の者だ。


「――――全員、コロス」


男は低く唸る。途端に男の体が一回り大きく膨らんだ。ジルドが狼に変化した時と同じだ。だが、男は狼にはならなかった。牙が伸び、両腕が大きな鎌に変わる。


「――っ!」


護衛の一人が息を飲む。異形――と叫ばなかったのは、偏に彼の理性の賜物だろう。だが、圧倒的な覇気に剣を持つ手が震えている。


(――どうすれば)


どうすれば良いのか。ジルドのところに転移し、無理矢理彼をここまで連れて来れば良いのか。

リリアナは必死で考えた。だが、直感で分かってしまう。転移をする時間はない。その間に、あの男はこの場に居る全員を殺してしまうだろう。リリアナは無事だが、辺境伯は勿論、ベンやペトラもここで命を落とすに違いない。


(ああ、そうなのね)


リリアナは唐突に理解した。やはりゲームでも、ベン・ドラコはこの場で死ぬのだ。ペトラもここで命を落としたかもしれないし、もしかしたら三年前の魔物襲撃(スタンピード)で怪我をした彼女は前線に出ることはできず、ベンの訃報を王都で聞いたのかもしれない。

ペトラは、ベンが居るから魔導省に居るのだと言って憚らなかった。もしゲームの彼女も同じように考えていたのなら、ベンが喪われたスリベグランディア王国に用はないだろう。そう考えると、ゲームでペトラがケニス辺境伯領での戦闘に加わっていようがいまいが、ゲーム本編に彼女の姿が全く出て来なかったことも理解できる。


「そこに居る奴も出て来い、まずはテメェからだ」


男が低く唸る。全員の意識が、隠れているリリアナの方に向く。リリアナは息を飲んだ。

もしこの場で殺されるのであれば、最後に試してみるのもありだろう。


(わたくしが生きていた前の世界では、三十六計逃げるに如かずと申しましたわね)


これだけの人数と同時に転移した経験はない。だが、しなければ皆が死ぬ。リリアナは覚悟を決めて姿を消していた術を解く。そして物陰から一歩出た、その瞬間――ぴくりと、男の眉が動いた。



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