表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
175/563

26. 国境の砦 11


中天に太陽が輝く中、砂塵が舞った。噎せ返るような血の臭いの中で、男たちは矢を(つが)える。


「――――放て!」


ケニス騎士団副団長モーリスの命令で次々と矢が放たれる。狙ったのは騎馬隊と歩兵、そして後衛の魔導士たちだ。遥か遠方に居る魔導士たちには、普通であれば矢は届かない。しかし魔術を込めた矢は不自然に遠くまで飛び、後衛の魔導士たちの命を散らしていった。途端に敵陣が騒がしくなる。敵陣の様子を注視していた一人の騎士は、伝令が城に向かって馬を飛ばしているのを確認した。恐らく城内に留まっている魔導士に応援を頼むのだろう。


そして隣国の領主が魔術で掛けた橋を小走りに渡って来ていた騎馬隊の騎士たちは次々と撃ち落され、主を失った馬たちはそのままケニス辺境伯領に単独駆けこんで来た。

歩兵ばかりと侮った敵兵たちは騎馬隊でケニス騎士団を蹴散らす心積もりだったらしいが、易々と思い通りにさせるモーリスではない。農民上がりの兵士のように見せかけていたケニス騎士団の精鋭たちは、鞍だけを乗せた馬にひらりひらりと飛び乗ると手綱を引いて方向を転換する。

矢を逃れた敵兵たちがぎょっとしたように一瞬怯むが、すぐに剣を構え応戦の姿勢を取った。


「掛かれ!!」


だがそこで怯むケニス騎士団ではない。勇猛果敢な彼らは、寧ろ危険が迫った時の方がその真価を発揮する。双方が鬨の声を上げ、川辺での混戦となった。

ぬかるんだ足場は非常に安定が悪く、馬も足を取られる。敵兵は次々と落馬するが、ケニス騎士団が乗る馬は固く均した地面を動き回るかのように危なげがない。ケニス騎士団の方が、元々の技量が勝っていることは事実だ。だが彼らが優位に立っている理由は、馬術と剣術の技量だけではなかった。

余裕のない敵兵たちは誰一人として気が付いていないが、ケニス騎士団が乗る馬の踏む地面だけが瞬時に固くなり、足が離れた途端元のぬかるみに戻っていく。当然固い地面の上で戦う方が本来の力も発揮しやすい。


明らかに不自然な現象を引き起こしている張本人は、第一戦で戦う騎士たちの遥か後方――砦の中でも最も高い見張り台を兼ねた塔に居た。


「ミューリュライネン、調子は?」

「ただただ面倒臭い」

「だろうな」


ウンザリとした表情で答えるペトラ・ミューリュライネンに、ベン・ドラコは肩を竦めて頷く。一つ一つは大した労力でなくとも、遠隔で大人数の戦闘を補助する魔術など極力避けたい仕事だ。だが“北の移民”の安全を優先し、最小限の人数で迅速に決着をつけるためには魔導士である二人の力が不可欠だった。


「いっそのことお嬢サマも連れて来て、魔術で一発どかーんとデカいの見舞ってやった方が手っ取り早く終わるんじゃないの。その方が被害も少ないでしょ?」


物騒なことを言ってのけたペトラにベンは呆れたような視線を向けた。ペトラが“お嬢サマ”と呼ぶのはただ一人、リリアナ・アレクサンドラ・クラークだけだ。彼女の魔術はベンやペトラが知る中でも最高峰である。リリアナが居れば相手に気取らせる間もなく、敵の戦力を奪い去り投降させることも可能だろう。ただ、それをするには幾つか問題がある。ペトラの気持ちは理解できなくもないがあまりにも無謀だった。出来るがしてはいけない事、というのは往々にして存在する。


「それは駄目だって話だっただろ。今回の件は領主の暴走だったと皇国側が結論付けるなら、こっちはあくまでも防衛戦に徹しないとならない。攻撃したと看做(みな)された瞬間、理は皇国側に移るからな。それなのにお前が言うように一発で決着を付けたら、防衛じゃなくて攻撃になるだろうが」

「先に国境越えて来たのは向こうだっていうのに、お貴族様の戦いってこれだから面倒臭い」


何度目か分からない“面倒くさい”という言葉を口にするペトラだが、その間にも彼女は魔術を操り次々とケニス騎士団を補助する。多少敵兵の戦力を削るべく、こちら側に魔導士がいると悟らせない程度に手を出したりもした。お陰で戦況は確実にケニス騎士団側に傾いている。この分だと一両日も経たずに決着できるだろう――敵側に思わぬ伏兵が居なければ。


そして、いわゆる“伏兵”が居るという情報は既にリリアナから齎されている。正規の騎士団には所属していない存在で、かつ未だに敵陣に姿を見せていない存在――ゲルルフと彼の部下たちだ。

一縷の望みは、その伏兵が“北の移民”の誘拐にしか興味を持っていない可能性だった。戦闘には関わらずジルドたちの潜伏する塔へ行き、誘拐を断念して取って返すことがケニス辺境伯側にとっては最善の筋書きだ。


「いちゃもん付けようと思えば幾らでも付けられるからな。極力そういう手間は省こうって魂胆だろ」

「強い方が勝ちで良いよ、もう」


投げやりなペトラの言葉にベンは苦笑を零した。溜息混じりに呟く。


「たまにお前ってビックリするほど雑だよな」

「豪胆って言ってくれる?」

「豪胆っていうのは辺境伯みたいな人のことを言うんだろ」


それは確かにね、とペトラは肩を竦めた。そしてふと、身にまとう気配を変えて目を眇める。二人が居る塔とは別の尖塔に視線をやり、ぽつりとその一言を口にした。


「――お嬢サマ、来てるかな」


ベンもまたペトラが見つめた方角を一瞥し、そしておもむろに頷く。


「来ない訳がないだろ。あのお嬢様は肝心なところほど自分でしたがる性分だ」

「確かに。他人任せにするわけがないか」


納得したように頷いたペトラは、再び戦場へと視線を転じる。敵兵たちは劣勢で、恐らく数合わせのために駆り出されたのだろう兵士たちは泡を食って逃走を始めていた。彼らは元々農夫で、本格的に戦う訓練などしたこともない。金を貰ったか、もしくは領主の命令だから参戦しただけで、本気で忠誠を捧げるつもりもない。彼らの信条は命あっての物種だ。

それが分かっているからこそ、ケニス騎士団は脱走兵たちを追う気はなかった。それに今回の戦は防衛戦だ。深追いはモーリスからも禁じられていた。


「無事だと良いけどな」

「お嬢サマだし、大丈夫でしょ」


ベンの言葉に軽くペトラは返す。しかしその声音の裏に滲んだ真剣さは、わずかな焦燥と憂虞を含んでいた。



*****



ペトラとベンが魔術でケニス騎士団の後援をしているのと同時刻、ジルドはピクリと眉を反応させた。それに気が付いたトシュテンが声を潜めて尋ねる。


「来たか」

「ああ」


心しろよ、とジルドに告げられて、その場に集ったアルヴァルディの子孫たちは警戒を高めた。敵は自分たちを無力化するトネリコの樹皮を持っているのだ。ジルドのお陰で誓いの儀を行い能力を高められたと言っても、それがどこまで通用するのかは分からない。

珍しくジルドも緊張を滲ませていた。何より()()リリアナの魔術を見破った男だ。ジルドと同程度かそれ以上の異能力者であることは間違いない。更にこちらの戦力を削ぐために、トネリコの樹皮を燻す以外にも何らかの手段を用意している可能性は否めなかった。


「――っ!」


鼻を付く独特な臭い――やはり、とジルドは頬を歪める。ジルドたちがこの場所に居ることは、敵も既に調査していたに違いない。トネリコの樹皮を燃やした煙が室内に充満する。誓いの儀を行う前であれば覿面に体力を奪われていただろうが、今はまだ余裕がある。

ジルドは全身の神経を尖らせ侵入者の気配を探った。


「アルヴァルディの子孫か――」


低く呟く。感じ取った霊力(オーラ)は間違いなく同胞のものだった。恐らくこれがリリアナの会ったゲルルフという男だろうと、ジルドは見当を付ける。

ただ、姿も見えない段階で判別できるほどの霊力(オーラ)となると尋常ではない。何らかの方法で異能力を高めているか、もしくは覇気を纏うほど元々の異能力が異常に高いのか。もし後者ならばジルドもトシュテンも名前くらいは把握しているはずだ。だがゲルルフという名に聞き覚えはなかった。


「薬で能力を高めるなんざ、三下のやることだぜ」


それならば人為的に異能力を高めているのだろうと断じたジルドは吐き捨てる。だからといって油断は大敵だ。特に薬で能力を高めているのなら、こちらが想定しない動きをする可能性もある。

ジルドは意識して全身に霊力(オーラ)を行き渡らせる。途端に彼の胸部から頭部は狼へと変化した。隣に立つトシュテンもまた己の異能力を高める。自身の身体能力がトシュテンの異能力によって()()強化されたことを感じ取り、ジルドは小さく笑みを浮かべた。だが、既に狼の面になっているジルドの喉からは低い唸り声が漏れるだけだ。


次の瞬間、ジルドはその場から動いていた。塔の部屋から小さな物見窓をすり抜け外へと躍り出る。鈍い金属音が響いた瞬間、宙に浮いたジルドは抜き放った剣を闖入者と合わせ弾いていた。反動で後ろに身を翻し、()()()()()()()()()。途端視界に映った黒いローブの集団に、ジルドはニヤリと牙を見せた。


敵は全員、宙に浮いている。


どうやら向こう側にも空間を操る類の異能力者がいるらしい。予想外に人数は多いが、負ける気はしない。今し方ジルドが刃を交えた相手は確かに非常に高い異能力を持っているようだが、他はそれほど強くない。異能力の種類にもよるが、その強弱だけでいえばケニス騎士団の同胞たちの方が遥かに強い。なるほど、だからトネリコの樹皮を燻した煙を使わなければならなかったのかと、ジルドは内心で納得した。詰まるところは敵も戦力的に不利だと理解していたに違いない。


「その程度で勝とうなんざ、随分と甘い見込み違いをやらかしたもんだなあ?」


嘲弄と共にジルドの体は一回り大きくなる。一層膨れ上がったジルドの霊力(オーラ)に威圧され、黒ローブたちは一斉に怯んだ様子だった。しかし、ただ一人だけは全く意に介していない。ジルドはその男に視線を向けた。その顔にはやはり見覚えはないが、恐らくこの男が“ゲルルフ”なのだろう。しかしリリアナとの関係は伏せたい。そのためにはゲルルフという言葉を口にしてはならなかった。


「――お前、名前は?」

「名乗るならそちらから名乗れ、狼男め」

「それぁ誉め言葉だな。だがどちらかと言やあ、俺は(追われる方)じゃなくて狼狩人(追う方)だ」


ジルドの返答を聞いた男の眉がぴくりと痙攣した。凝視していても気が付かないほど僅かな変化だったが、半身を狼に変えたジルドの高い動体視力は難なくその変化を見抜く。

次の瞬間、ジルドの周囲に無数の槍が出現した。認識する間もなく槍がジルドへ向かって降り注ぐ。その時、ゲルルフらしき男は巻き込まれないようにするためか、一瞬にして仲間たちの後方へ移動していた。

しかしジルドも一筋縄では倒されない。身を翻して外壁を走り槍を避ける。しかし、走った先にも切っ先を向けた槍が現われた。ジルドは更にそれも避ける。


そうしながら、彼の目は槍を出現させた異能力者の位置を探っていた。恐らく槍を出現させた者が持つ異能力は、ただそれだけだ。空中に槍を出して敵を攻撃する。一対複数で戦う時には敵の意表を突けて有効だろうが、一人を相手に使う能力としては単に()()だ。


「あれ、か?」


空中を動き回るついでに、自身を追いかける槍を捕まえ近場に居た敵の異能力者数人を無力化する。どうやら異能力が低いと見切ったジルドは正しいらしく、彼らは碌に自分の能力すら十分に扱えないようだった。その中でも、周囲に護られるようにして位置を動いている者が二人いた。一人は槍を操る者で、もう一人は彼らを宙に浮かせている者に違いない。それほど異能力が高くない者がこれだけの人数を宙に浮かし続けることは酷く体力を使うはずだ。即ち、まだ多少余裕が残っている方が槍使いに違いない。短時間でそれだけ判断したジルドは、敵に気付かれぬように小さく手で印を切り仲間の名を呼ぶ。


「インニェボリ、恐らく小太りの方だ」


それは誓いの儀を立てた相手にだけ伝わる、アルヴァルディの子孫独自の伝達方法だった。その手法を使えば、たとえ敵方に聴力に特化した異能力者が居たとしても、会話を盗み聞かれることはない。


「――っ!」


次の瞬間、敵が動揺する。それも当然だろう、砦に映った自分たちの影から人が出て来たのだから。

姿を現したのはイェオリと、彼に手を繋がれたインニェボリだった。敵が動揺から立ち直る前にインニェボリは小太りの男に目を向け、にやりと笑う。それと同時に、敵の周囲に無数の槍が出現した。


「模倣だと――!?」


愕然とした誰かが叫んだ。

異能力の模倣――それがインニェボリの異能力だった。異能力だけでなく、相対した相手の身体能力もインニェボリは模倣できる。更にその能力を高める異能力を持つトシュテンが傍に居る以上、負ける可能性は万に一つもなかった。

槍は敵に反撃の暇を与える間もなく、次々に敵を屠って行く。最初に体を貫かれた者が空間を操る異能力者だったらしく、半数以上は槍に貫かれる前に悲鳴を上げて地面に墜落して行った。だが、その中にゲルルフは居ない。つい先ほどまで宙に浮かんでいたはずの彼は、ジルドたちが瞬きをする一瞬の隙に姿を消していた。


「――どこに消えた?」


ジルドは小さく呟く。どれほど感覚を研ぎ澄ませても周囲にはケニス騎士団以外の霊力(オーラ)を感じられない。正真正銘、ゲルルフの気配は一瞬にして消失していた。


「嫌な予感がしやがるな」


塔の外壁に取り着いたジルドは遥か眼下を見下ろしながらぼやく。地面の上では、わらわらと集まったケニス騎士団が事切れた敵兵――間違いなく敵側のアルヴァルディの子孫だが――の後始末をしていた。

どうしようもなく胸騒ぎがする。しかし今はこれ以上することもないと、ジルドは息を吐いてイェオリとインニェボリの後ろから塔の中に入った。待ち構えていた同胞たちはジルドたちを見てほっとしたような表情になった。

外での戦闘を影ながら支えてくれていた“他者を飛翔させる”異能力を持つ騎士は僅かに疲れた顔をしていたが、どうにか切り抜けられた高揚からか僅かに頬を紅潮させている。彼を筆頭として皆にねぎらいの声を掛けていたジルドだが、ふと異音を捉えて目付きを鋭くした。


「ガルム? どうした」


ジルドの様子に気が付いたトシュテンが首を傾げる。すると、ジルドは痛烈な舌打ちを漏らした。


「しくじった」

「え?」


イェオリが目を瞬かせる。ジルドは低い唸り声と共に吐き出した。


「こっちが囮だ。本命はあっちの塔――辺境伯と魔導士共が居る方だ」


途端に、騎士たちの間に緊張が走る。

確かに手応えがないと思った。ゲルルフという男がアルヴァルディの子孫たちの誘拐を企みながら、あっさりと手を引いたことも違和感があった。


「急げ!」


アルヴァルディの子孫たちは一斉に、隠れていた砦から飛び出した。もう一つの塔、ケニス辺境伯とベン・ドラコ、そしてペトラ・ミューリュライネンが居る方角からは火の手が上がっている。特に身体能力が高いジルドは集団を引き離す勢いで地面を蹴る。砦は広い。強化された身体能力を使っても限界はある。


「僕が先に行きます!」

「一人なら連れて行けんだろ、連れて行け!」


影を移動する異能力を持つイェオリが叫べば、ジルドも答えた。迷いなくインニェボリがイェオリに手を伸ばす。イェオリはインニェボリの手を掴んだ瞬間、手近な影に飛び込んだ。

相対した相手の異能力を模倣できるインニェボリならば、少なくとも負けることはない。トシュテンが居なければ勝てない可能性もあるが、少なくとも負けなければ援軍を待つまで耐えられる。


「団長――っ!」


引き裂くような騎士の悲鳴が、ジルドの耳に届いた――気が、した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ