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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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26. 国境の砦 8


ジルドは“北の移民”たちを伴って国境近くに広がる森の中へと入っていった。夜闇の中、深い森は全く光が入らない。それでも彼らは足を止めなかった。身体能力の高い彼らは速度を落とすことなく足場の悪い獣道を進み、多少開けた場所で立ち止まる。多少開けているとはいっても、周囲には木々が生い茂り視界も悪い。ジルドは足を止めて振り返ると、真っ暗な中で()()()()()()()騎士たちの顔を順に眺めた。


()()()()()()()()()()?」


漠然とした質問だが、ジルドに選ばれた騎士たちは寸分違わずその真意を悟った。イェオリを含んだ半数が手を挙げる。ジルドが尋ねたのは、ケニス辺境伯と副団長モーリス、そしてジルドが個室で交わした会話が聞こえたかどうかということだ。本来であれば決して漏れるはずのない声だが、今この場に居る者たちは半数程度がある程度聞こえたようだった。ただ、聞こえた範囲はそれぞれ違うらしい。ジルドは小さく頷くと声を潜めて簡単に状況を説明した。夜風が木々を揺らす音、夜行性の虫や動物が立てる音に紛れる程度の音量だ。だが誰一人としてその声を聞き逃さないように真剣な面持ちでジルドを凝視していた。

簡単な説明が終われば、集められた“北の移民”たちは納得をそれぞれの顔に浮かべる。その内の一人が片手を挙げた。ジルドが目をやると、彼は質問を口にする。


「つまり、敵陣に我々の同胞がいると?」

「恐らくは」

「しかし、それなら――我々のことは攻撃できないのではありませんか」


違和感を覚えているのか、質問を口にした騎士は眉根を寄せている。しかしジルドは首を振った。


「方法ならある。烙印が押されていると錯覚さえさせれば良いんだ」


途端に、年長者たちは顔を顰めた。イェオリやインニェボリなどの若手たちは意味が分からないというように首を傾げている。ジルドは更に言葉を重ねた。


「それに、もし相手が誓いを強要すれば? 今の俺たちは体力を奪われているんだ、抵抗する術はほとんどない」


途端に若手たちも含めて苦々しい空気がその場に満ちた。騎士の一人が溜息と共に吐き出す。


「――団長が同胞でさえあれば良かったのに」

「それは言っても仕方のねえことだろう」


ケニス辺境伯はスリベグランディア王国の人間であってアルヴァルディの子孫ではない。仮定は無意味だと言ってジルドは取り合わなかった。あっさりと言ってのけた彼に、騎士たちは視線を向けた。ジルドは平然と全員分の視線を受け止めて肩を竦めてみせる。


()()()俺が辺境伯とお前らの間に入る。俺の主は別だが、立ち位置的には悪かねぇはずだ」

「お言葉ですが、ジルド。その話を聞いた上で貴方を信用できるのか、私は今一つ納得できません」


騎士の一人が異議を唱える。彼らにとってジルドは突然現れた男だ。同胞であることは分かっているし、彼が自分たちを助けようとしているのだとも分かる。だが、敵側に同胞が居ると分かっている以上、ジルドも完全に信用できるとは思わなかった。

それだけではない。敵はアルヴァルディの子孫を無力化する方法を知っているのだ。別の騎士もまた訝し気な視線をジルドに向けた。


「それに、仮にあんたを信用できたとしても、だ。そもそも俺たちを連れ去ろうと考えている奴に対抗できるのか? あんたも分かってるだろうが、俺たちを無力化する方法は俺たちの中でも長老かその跡継ぎしか知らない。つまりそいつの能力は、恐らくここに居る誰よりも高いってことだ」


ジルドは黙って彼らの言い分を聞いていた。その口角が僅かに上がる。

ケニス辺境伯はどうやら、目の前に居る同胞たちの心をしっかりと掴んで離さないらしい。同胞よりもそれ以外の者を重視するその姿勢に、ジルドは愉快な気分を抑えきれなかった。にやりと笑んだ彼に気が付いた男たちが眉根を寄せる。一方的に詰問されているような状況にも関わらず何故笑うのか、理解できなかったに違いない。

だがジルドは構わずに言ってのけた。


「気にすんなよ。こんな異国の地で、そこまでしても認められる主が見つかったことが他人事ながら嬉しいんだ。しかもアルヴァルディの子孫以外で、だ。そういう奴らは珍しいからな」


運が良いな、と言うジルドの本心を探るように全員がジルドを凝視する。ジルドに人身売買組織から助け出されたイェオリとインニェボリでさえ、ジルドのことを完全には信じていない視線を向けていた。

ジルドは更に笑みを深めてみせた。物騒な気配が漂う。その場の緊張が高まる。


「俺の名はジルド。だがむしろお前らはこっちの名の方を知っているんじゃないか?」


そう言い切って、彼はゆっくりと騎士たちの顔を見まわす。風だけが吹き抜け、異様な緊張感の中でジルドは低く告げた――物心ついてからは名乗ったことのない、その名を。


「我が名はフローズヴィトニルが息子マーナガルム」


途端に、騎士たちは息を飲む。それどころか一歩足を引いた。警戒が極限まで高まる。半数以上が身構えた。ジルドの体が膨れ上がる。圧倒的な覇気に、皆が気圧される。その様子をむしろ愉悦を込めて眺め、ジルドは言った。


「破壊者の烙印を押され裏切り者として地の果てに追放された、嘗ての英雄の息子だ」


辺りを静寂が包む。誰一人身動ぎしないその場を、一陣の風が吹き抜けていった。



*****



ちょうどその頃、モーリスの後を追ったリリアナは砦の一室に居た。モーリスはジルドが連れて行かなかった“北の移民”たちを砦の一部に匿い、その足で報告のためケニス辺境伯の部屋に向かった。

扉を叩いて入室の許可を得ると、モーリスは室内に入る。辺境伯は執務机に腰かけて報告書に目を通しているところだった。


「首尾は」

「“北の移民”の一部のみ、通常の警護にするよう言われましたので、彼らは砦の一室に保護しました。結界に関してはベン・ドラコ殿に一任しています」

「それで良い。――ジルドはどこだ?」

「大部分を連れて森の方角へ向かいました。さすがにそのまま行方を晦ますことはないと思いますが――団長もまだいらっしゃいますので」


“北の移民”たちがケニス辺境伯に傾倒していることはモーリスも良く知っている。彼らにとってはケニス辺境伯への憧憬こそが戦う理由になっていて、辺境伯領やスリベグランディア王国にはそれほど興味がない。副団長であるモーリスの指示に従っているのも、モーリスが辺境伯から全権を委任されているからだった。仮に辺境伯が団長から退いた後も“北の移民”たちがケニス騎士団に留まるかは疑問である。少なくとも、今モーリスの眼前で難しい顔をしている伯が命を落とせば、彼らはこの地に留まる理由もないと立ち去りそうな気がしてならなかった。


「お前はまだジルドを信用していないか」

「恐れながら」


揶揄うような視線を報告書からモーリスに移したケニス辺境伯に問われ、モーリスは僅かに顔を強張らせた。一旦は辺境伯の言葉を信じてジルドに任せることにした。疑念は拭い去ったつもりだが、それでも本当に信用に値する男なのかという気持ちだけは拭い去れない。副団長でしかないモーリスが疑うとは不敬だと思いながらも、一方でケニス騎士団を守るためには必要なことだとモーリスは自身を鼓舞する。少しだけ息を吸うと、モーリスは座っている辺境伯を真っ直ぐに見返した。


「クラーク公爵令嬢の護衛とは言っても、元を糺せば傭兵です。言葉は悪いですがそこら辺の破落戸と変わらない。今の段階で彼が我々を裏切るつもりはなくとも、状況が変わればすぐに敵に寝返る――それが傭兵というものです」


ケニス辺境伯は口角を僅かに上げて笑みの形を作ると「それで良い」と言った。


「無条件に信用されても困る」

「――それでは何故、団長は彼を信用しようと思われたのですか?」


モーリスは探るように座ったままの辺境伯を注視した。無条件に信用されては困る、ということは、辺境伯自身は何かしらの確信があってジルドを信用したに違いない。モーリスは辺境伯を信じているからこそ最終的には彼の判断に従ったし、もし本当にジルドが裏切らないのであればそれほど心強いこともない。モーリスも辺境伯と同じように、今日の戦闘でジルドが見せた目を瞠るほどの身体能力に驚嘆していた。


「彼を信用できるのであれば間違いなく我らが騎士団の攻撃力は上がります。一部の者たちのように体力が低下していないのであれば良いのですが、仮に低下しているのであれば、彼本来の動きは脅威的です。今回の相手など一両日中に殲滅できるでしょう――その気になれば、ですが」


“北の移民”たちでさえ通常の騎士よりも高い身体能力を持っている。百戦錬磨の高名な騎士であるケニス辺境伯やモーリスにはまだ敵わないが、一般的な訓練を数年している程度の騎士であれば、その類稀なる身体能力で勝利を収めることができるのだ。

しかし、ジルドの強さはそんな彼らを軽く凌駕していた。対戦はしたことがないが、恐らくモーリスどころかケニス辺境伯を相手にしても彼は善戦するだろう。もしかしたら自分は負けるかもしれないと、モーリスは心のどこかで思っていた。


「そうだな。どうして信用したのか――か」


呟いたケニス辺境伯は何かを考えるように腕を組んだ。半眼で宙を睨む。しばらくそうしていたが、やがて彼は落ち着いた視線で信頼する部下を見やった。


「詳細は話せん。だが一つ確信がある。ジルドは――ほぼ間違いなく、彼らの同胞だ」


モーリスは目を瞠った。全く予想していなかったことを聞かされた時の反応だった。


「つまり彼が“北の移民”だと?」

「そうだ。“北の移民”と我々はまとめて呼んでいるが、必ずしも同じ国から来たわけではないのだろう。恐らくその中に、特に身体能力の高い者たちが居る。イェオリやインニェボリといった戦闘能力が高い者たちがその一族だと私は踏んでいるが、恐らくジルドもその一族だと思う」

「ジルドが“北の移民”全員を連れて行かなかったのは――」

「自分の一族以外の者を省いたのだろうな。恐らく奴が取ろうとしている手段は、一族以外の者には効力を発揮しないのだろう」


そこまで説明してケニス辺境伯は少し沈黙した。モーリスの反応を窺っている。衝撃を受けた様子だったモーリスだが、副団長として長く勤めているだけあって直ぐに立ち直った。深々と息を吐いて頷く。


「そして貴方は、敵陣に居る何者かもその一族を狙っているとお考えなのですね」


モーリスは辺境伯が何を考えているのかすぐに理解していなかった。ジルドは単に“北の移民”としか説明していなかったが、その中の特定の集団が狙われていて、かつジルドがその集団に属す者だったのであれば彼の行動にも納得できる。元々“北の移民”たちも同胞意識が強く、王国に住む者たちを拒絶するわけではないがどこかよそよそしさが残っていた。

ケニス辺境伯は頷いてみせた。


「その点に関しては確証はない。だがその可能性は高いと踏んでいる」

「――承知いたしました」


ようやくモーリスは腑に落ちた。ケニス辺境伯はモーリスよりも慎重なところがある。特に騎士団や領地を危険に晒すような判断は決してしない。それにも関わらず、何故唐突に現れたジルドという傭兵を受け入れようと判断したのか理解できなかった。


「彼がこの国やケニス騎士団、辺境伯、そして団長に忠誠を誓っていると信ずるのではなく――同胞を守らんとするその心を信用なさったということですね」


ケニス辺境伯は、正解だとでも言うようににやりと笑う。ようやく肩から力を抜いたモーリスは「御意」と頭を下げた。


「それならばこれ以上、私から申し上げることはありません。私は彼――ジルドの補助に努めます」

「ああ、頼んだ」


モーリスは満足したらしく踵を返して執務室を出る。姿を消したままのリリアナは、一旦ケニス辺境伯領の屋敷に立ち寄ってから自分の家に帰ることにした。戦闘の状況は逐一確認するつもりだが、基本的にリリアナができることはない。本来であればリリアナがこの場に居ることもあり得ないのだ。

ケニス辺境伯の執務室を後にしたリリアナは、念のため人気のない場所で転移の術を使う。あっという間に視界が切り替わり、リリアナはケニス辺境伯領にある、寝静まった屋敷に移動していた。


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