26. 国境の砦 7
ケニス辺境伯は、モーリスとジルドを詰所に残して一人砦に戻った。ジルドの説明を聞いたモーリスの反応を思い出して、小さく笑みをこぼす。彼の反応を辺境伯は予想していた。
長年副団長としてケニス騎士団を支えてきたモーリスにとって、今回の辺境伯の決定は不服だったに違いない。モーリスの若い頃を良く知る辺境伯にとって、穏やかに見える彼の表情がジルドへの警戒と緊張に満ちていると気付くことは非常に容易かった。
「彼らの期待と信頼を裏切ることはできんからな……」
部屋の椅子に腰かけた辺境伯は寛ぎながら、ぽつりとそんなことを呟く。脳裏に浮かぶ光景は、彼の半身が動かなくなる前――まだ騎士団長として第一線で活躍していた時の訓練場だった。
その時、そこには“北の移民”ばかりが居た。入団したばかりの彼らは他の騎士と打ち解けることも難しいらしく、また、個々人の能力は高くとも集団戦は苦手のようだった。そのためケニス辺境伯は“北の移民”たちだけを集めて特別訓練を行うことにしたのだ。
特別訓練は通常騎士に課す訓練とは違い、仲間と連帯して何かを成し遂げることを目的とした訓練だ。そのため辺境伯は、彼らを二つに分けて競わせることにした。
大将を決め、最終的に大将または全員が胸元に括り付けた小さな皿を割られてしまえば負け、という至極単純な試合だ。ただし皿を割るための手段は問わない。試合を行うに当たり動ける範囲も決めた。その範囲には騎士団の宿舎も含まれていた。他者の所有物に触れない、他の騎士たちの邪魔をしないという条件を守れば、彼らが寝起きしている部屋に隠れても良いこととした。ただし、普通の騎士であれば部屋に隠れるなど正々堂々とした態度ではないとして勝つための手段には含めない。その点もどのように考え対処するのか、辺境伯は“北の移民”たちの態度も確認するつもりだった。
『まだ決着はつかないのか』
事態は辺境伯が想定していた以上に良かった。当初彼と副団長モーリスは、いずれのチームも大将を守り切ることができずに早々に決着がつくのではないかと想定していた。だが、彼らは大将の皿を守ることに終始し、徹底抗戦の構えを見せた。普段の訓練で彼らが見せる、協力的ではあるものの騎士団への帰属意識がそれほど高くないという態度は全くない。それだけでなく、彼らのうち戦闘能力が特に高い者たちはなかなか倒されず、夜半も過ぎ朝日を迎えることになったのだ。これでは通常訓練に差し障りが出ると、辺境伯は強制的に試合を終了させた。皿を割られた騎士も同数で結局引き分けとなったことに騎士たちはわずかに不満そうな表情を見せていたが、辺境伯はまた別に機会を設けると約束することで彼らを納得させた。
だが、それでも謎は残る。特にこれまで行ってきた通常訓練や、国境での小競り合いの時には見ることのできなかった戦い方や態度に違和感を覚えた辺境伯は、特にその変化が顕著だった者を数人選びだして個別に話を聞くことにした。その中には当時最年少だったイェオリもいた。
『それは、大将を守るという目標があったからですよ』
辺境伯が個別に話を聞いた者たちは皆、口を揃えて同じことを言った。事前に辺境伯がどのような質問をするのかも知らせていなかったし、勿論個別に面談をすることも告げていなかった。それにも関わらず異口同音の回答を告げる彼らに、辺境伯は眉根を寄せてさらに質問を重ねることになった。
『我々ケニス騎士団には国境を守るという使命がある。それでは足りんというわけか?』
途端に、騎士たちは困り顔になった。もちろんその使命はよく理解しているつもりだ、と彼らは言う。だが彼らの重い口を割らせてみれば、本意ではないものの、“国境を守る”という使命だけでは能力を最大限に引き出せないということのようだった。
『それでは能力を最大限に発揮するには何が必要だ?』
しばらく考えた末に、辺境伯は騎士となった“北の移民”たちに問うた。
訓練や国境での小さな戦闘の時と比べて、“北の移民”たちの中でも特に戦闘能力が高い者は動きが格段に良くなっていた。勿論、彼らも訓練や実戦の時に手を抜いているわけではない。そのことは辺境伯も良く分かっている。緊張感の差かとも思ったが、訓練よりも試合の方が緊張感の度合いは高いはずだ。そう考えると、緊張感の高低が戦闘能力に差が出る理由になるとは思えない。
途端に、問われた騎士たちは皆、一様に顔を強張らせた。どうしようかと、本当のことを告げても良いものだろうかという逡巡が表情に垣間見えた。
ケニス辺境伯は決して急かさなかった。“北の移民”たちの戦闘能力は、その時すでにケニス騎士団にとってなくてはならないものになりつつあった。彼らの信頼を損ね失うよりも、自分たちの疑問は残しながらも彼らの信頼を着実に得て内に取り込む方が、遥かに利があった。
だが、彼らはいずれも随分と長い間悩んだ末に重い口を開いた。
『――“北の移民”であっても種族が異なる者がいます。その中でも特に我々は、場所や権力ではなく“人”との繋がりを重視します。信頼、敬愛、尊敬、憧憬に値する人物を一丸となって守り抜く、例えばそのような時に我々の能力は強く発揮されるようになるのです』
なるほど、と辺境伯は納得した。確かに“人”を重視するのであれば“国境を守る”という使命は本気で守ろうとも思えないものなのだろう。そこでふと辺境伯は気にかかったことを尋ねた。
『国境を守ることはスリベグランディア王国の者たちを守ることに繋がる。それでは不服か?』
『残念ながら、たった一人を頂に仰いで一つに集うことこそが、我らの悲願なのです』
『ケニス騎士団は国王陛下を唯一の主と仰いでいる。そう考えればどうだ?』
困ったように答えていた騎士たちの中の数人が、辺境伯のその言葉を聞いた瞬間双眸に冷たい光を一瞬だけ浮かべた。尤もその光はすぐに掻き消えたが、ケニス辺境伯は見逃さなかった。
『恐れ多くも、国王陛下は雲の上の存在ですので、考えるだけで不敬になるのではないかと愚慮する次第です』
全く同じ言い回しではなかったが、辺境伯が面談を実施した全員が遠回しに“国王のためには全力を出すことはできない”と告げたのだ。それは生まれた時から国境と王家を守り抜くと誓い育ってきた辺境伯にとって驚くべき事実だったが、しかし同時に心のどこかで納得したのも確かだった。
『つまり仕えたいと自分で決めた主を守るためであれば、能力を発揮できるというわけだな』
『その通りです』
『それならば尋ねるが、なぜ我がケニス騎士団に入団した? その道理であれば騎士団に入団するのではなく、護衛として働く方が性に合うだろうに』
彼らが意味することが、騎士が主に誓う忠誠心と同じでないことは理解した。恐らく、騎士の忠誠心よりももっと身近なものであるに違いない。今の王国では、騎士は好きな相手に忠誠を誓うことは滅多にない。騎士団は各地に存在していて、そこに入団しなければ騎士としての叙任式も受けられない。そのため一人の人間に忠誠を誓いたいと強く願いその相手の騎士になるという、本来あるべき姿はほとんど形骸化している。
信頼に値する人物を守りたいのであれば、特殊な事情がない限りその人物の護衛になる方が自然だ。
だが、辺境伯の質問を聞いた途端に騎士たちは柔らかく微笑んだ。
『そんなことはありません。私はすでに仕えるべき主を見つけています』
『――なに?』
辺境伯にとってはさすがに看過できない発言だった。訝し気に眉根を寄せた辺境伯を落ち着かせるように、彼らは告げた。
『ご安心ください、その方がいらっしゃる限り私は裏切ることはしませんし、国境のみならずケニス騎士団も守り抜くことを誓います』
そしてその疑問は、最後に面談したイェオリが教えてくれた。彼は照れたように笑って『それは勿論、辺境伯様ですよ』と答えた。まっすぐに見つめてくる衒いのない視線に、辺境伯は瞠目した。
『辺境伯様がいらっしゃるから、僕はケニス騎士団に入団しようと思ったんです。同胞であればもっと力が出るんでそれは残念なんですけど、でも僕は辺境伯様が良いと思ったから。辺境伯様だけだったんです、僕らと同じ目線で、他の人たちと同じ態度で接してくれたのは』
確かにケニス辺境伯は“北の移民”たちが領内に居ると報告を受けた時、彼らが暮らしている界隈に自ら足を運んだ。そして直接本人たちから話を聞き、彼らが暮らしやすいよう手筈を整えたのだ。全く異なる地域から家族や仲間と共に、長い道のりを苦労して辿り着いた彼らを、決してケニス辺境伯は蔑ろにしなかった。基本的には殆どの対応を部下に任せていたものの、要所要所では必ず自らの目と耳で確かめた。その態度に感銘を受けた、腕に覚えのある者たちは皆、こぞって騎士団に入団したいと申し出たのだ。その理由は勿論、ケニス辺境伯の役に立ちたいという純粋な思いだった。
だが、彼らは素直に事情を打ち明けた後、申し訳なさそうに辺境伯に頭を下げた。曰く、このことは彼らにとって非常に繊細な問題であり、多くには打ち明けないで欲しいということだ。そのため辺境伯は己の胸一つに収め誰にも告げようとはしなかった。信頼している副団長のモーリスでさえ何も知らない。
過去を思い出していたケニス辺境伯は、深く溜息を吐いた。
イェオリがぽろりと漏らした言葉を思い出したのは、今回の件で辺境伯に直談判したジルドが“俺が彼らの上に、一時的に立つ許可が欲しい”と告げた時だった。
イェオリは確かに、辺境伯に告げた――“同胞であればもっと力が出る”と。
ジルドがイェオリたちの同類であることは、彼が実戦に出る前から薄々気が付いていた。そして実際に敵と戦う姿を見て、辺境伯は確信を持った――ジルドはイェオリたちの同胞だ。
イェオリたちがケニス辺境伯を仕えるべき主と見定めたのと同様に、ジルドはリリアナ・アレクサンドラ・クラークを己の主と心に決めたのだろう。そうでなければあれほどの男が護衛という立場に甘んじているはずがない。
“北の移民”の中でも特に戦闘能力が高い者を狙っているらしい、敵軍の男。彼はイェオリたちの弱点を熟知しているようだ。それに対抗するためには、恐らく彼らの能力を最大限に引き出す必要があるのだろう。
ケニス辺境伯を主と見定めていても、辺境伯は彼らの同胞ではない。だから彼らは能力を最大限に発揮できない。だが、辺境伯の下に彼らを統括する能力のある“同胞”が存在していたら――もしかしたら、彼らの能力は飛躍的に向上し敵の姦計から逃れることもできるのかもしれない。
「――悪いな、モーリス」
今ここにはいない副団長に、辺境伯は小さく謝罪を述べる。それは信頼しながらも全てを打ち明けることはできない戦友への、懺悔だった。
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