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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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26. 国境の砦 6


ジルドは辺境伯の後を付いて部屋を出る。二人が向かったのは、騎士たちの詰所だった。そこに“北の移民”たちも居る。彼らは辺境伯が姿を見せた瞬間、それぞれがしていた作業を放り投げて小走りに近づいて来た。


「団長! お加減、いかがですか!?」


その中にはイェオリやインニェボリなどの若い“北の移民”も含まれている。彼らは皆一様に、ケニス辺境伯を心から慕っている様子だった。きらきらと顔を輝かせている者もいるし、表情に出さないまでも尊敬や憧憬を瞳に滲ませている者が大半だ。

ケニス辺境伯は騎士たちを安心させるように左手を挙げる。麻痺していたはずの左手を動かしたことで、騎士たちの間に安堵の空気が広がった。静かになった瞬間を見計らい、辺境伯は一番近くに居た小姓に尋ねた。


「大事ない。――モーリスは居るか?」

「あ、はい、少々お待ちください! 呼んできますね!!」


たまたまだろうか、その場に居た小姓が走って何処かへ行く。少しして、少年は副団長モーリスを連れて戻って来た。今ケニス辺境伯が来るとは思っていなかったのか、モーリスは驚いたように目を瞠っている。少し焦った様子で近づいて来たモーリスに、ケニス辺境伯を囲んでいた者たちは道を開けた。


「団長、如何なさいました、こんなところまで。まだお体も万全ではないでしょうに――」


最後の一言は辺境伯にしか聞こえない程度の音量で囁かれる。ケニス辺境伯は首を振った。


「構わん。お前に話があって来た」

「御意。場所を変えましょう」


辺境伯の表情を見たモーリスは僅かに目つきを鋭くした。彼に先導され、辺境伯とジルドは場所を移す。ジルドの背中には“何故あんなぽっと出の男が団長のお傍に控えているのだ”という嫉妬に似た視線が突き刺さっていたが、彼は全く意に介していなかった。


二人がモーリスに案内されたのは、詰所の奥に位置する簡易に整えられた個室だった。詰所は基本的に大部屋で騎士たちもごろ寝する状態だが、隔離された空間が必要な時のために用意されているのだろう。椅子と机だけでなく、少し手狭ではあるが仮眠のための寝台が誂えられている。薬草を煎じた香りが残っていて、どうやら最近騎士がこの部屋で怪我の手当てをされたらしいことが窺えた。


「それで、団長。お話とは」


辺境伯は時間を無駄にはしなかった。モーリスに勧められた椅子に腰かけると、端的に答える。それは、つい先ほどジルドやベン、ペトラから聞いた内容と全く同じだった。


「“北の移民”のことだ。どうやら此度の戦に乗じて拐かそうと企んでいる輩が敵陣にいるらしい」

「――それは」


モーリスは瞠目する。俄かには信じられない様子だが、かといって頭から否定するわけではない。彼の双眸は主の心を探るように辺境伯の顔を見つめている。それを静かに見返し、辺境伯は頷いた。


「ベン・ドラコ殿とペトラ・ミューリュライネン殿も確かだと言っていた。確かにこれまで上がって来た報告とも合致する」

「それは――確かにその通りですが。何故、奴らが――?」

「卑劣な奴らの考えなど分かるものか。だが、少なくとも奴らが“北の移民”の卓越した戦闘能力を把握していることは間違いがない。何らかの方法で拐かした“北の移民”たちを自軍に引き入れ、我らにぶつけて来る可能性は高いと考えた方が良いだろう。そうなるとケニス騎士団は苦戦を強いられ戦は長引く」


淡々と説明された内容に、モーリスは低く唸った。まさしくケニス辺境伯が指摘した通りだった。“北の移民”の戦闘能力の高さについては、モーリスも良く知っている。現場で彼らと訓練を共にしているため、一人一人の能力についてはケニス騎士団の誰よりも熟知しているという自負があった。だからこそ余計に、仲間の騎士たちが敵軍として現れた場合、どれほど自分たちの脅威になるかも実感として理解できる。


「それでは彼らを守らなければなりませんね。通常でしたら魔導士に結界を張ってもらうところですが」


モーリスは言いながらケニス辺境伯の顔色を窺う。辺境伯がジルドを伴っていることから、通常の方法では“北の移民”たちを守り切れない可能性に思い至っていたらしい。優秀な副団長に満足気な笑みを一瞬漏らしたケニス辺境伯はすぐ真顔に戻り、腕を組んで頷いてみせた。


「ああ、どうやら敵軍に魔術の効かない者がいるらしい」

「魔術を使わずに防衛せねばらない、ということですか」


半ば予想していたのか、それほど意外そうな顔も見せずにモーリスは答えた。しかし面倒だと思っていることは確かで、その表情は苦々しい。ケニス辺境伯はちらりと隣に立つジルドを一瞥した。


「その通り。その方法はここに居るジルドが承知している。一時的にこの者にはお前の下に入って貰い、“北の移民”を統括させることにする」

「この者が――ですか」


モーリスがジルドを見る目は厳しい。モーリスからすればぽっと出て来たどこの馬の骨ともつかない男だ。クラーク公爵令嬢の護衛という点では信頼がおけるが、戦場ではほんの僅かな隙が致命的な結果に繋がりかねない。警戒するのも仕方がないといえた。ジルドもそれを承知しているのか、不快感も見せない。モーリスは低く、ジルドに尋ねる。


「貴方は一体どのような対策を取るおつもりですか?」

「“北の移民”の中で特に戦闘能力が高い奴を選んで、そっちに敵を誘導する。戦闘能力が高い奴らには一つ試させたい手段がある。敵が使っているのは一種の麻薬だ。一般の騎士には効果がないが、一部の“北の移民”には絶大な効果を発揮する。俺の考えている手を打てば、少しはその影響もマシになるはずだ」


ジルドはそれだけ告げると口を噤んだ。対策はそれで終わりだと言わんばかりの態度で、モーリスは顔を顰めた。それだけであればジルドがモーリスの下に入って“北の移民”を統括する必要もないと言いたいのだろう。だが、ケニス辺境伯がそれを許可したというのであればそれなりの理由があるのだろうと、すぐに反対する気はない様子だ。問うような視線を辺境伯に向ける。その目を静かに見返し、ケニス辺境伯は頷いてみせる。たったそれだけの仕草で、モーリスの表情からは逡巡と疑念が消えた。


「わかった。ジルド、詳細は話せるか?」

「――できれば話したくはない」


静かに答えるジルドに、モーリスは一瞬だけ顔を顰める。だが、すぐに彼は頷いた。


「団長にも内密にされるのでしょうか。団長はケニス騎士団を統べ、この国境を長年守られて来た方です。その方にも詳しく説明することなく、ただ要求するだけなど無礼かと思いますが」

()()()()()()


これで反発するのであれば辺境伯の意に反してでも反対しようと考えていたモーリスは、ジルドの微妙な言い回しに眉根を寄せた。

言葉通りに受け取れば、ジルドは無理だが他に辺境伯に詳細を話せる人間がいるということになる。モーリスだけでなく、辺境伯も意外だったのかわずかに目を瞠った。しかし次の瞬間、辺境伯は一瞬だけ表層に現れた驚愕を無表情の下に押し隠す。しかしジルドはそれ以上、口を開こうとはしない。モーリスは小さく溜息を吐いた。


「承知いたしました。話せる段階になった時点で、話せる方に教えていただければそれで構いません。やはり自分の縄張りで、知らない事柄が推し進められていることほど不愉快なことはありませんので」


僅かに棘が含まれた言い方だが、ジルドに気分を害した様子はなかった。元々それほど興味がないのか、モーリスに何を思われようと関係ないと考えているのか、仔細は定かでない。ただジルドは肩をすくめ、小さく頷いただけだった。

モーリスは立ち上がると、ジルドに目を向ける。今後は自分の部下になるため丁寧な態度は控えることにしたらしく、口調が変わった。


「それではこれから騎士たちに貴方を紹介する。その後は貴方に任せるが、最低一日に一度は状況を報告すること。この点を守れないようであれば、副団長権限で貴方をこの任から外すこととする」

「わかった」


どうやらジルドに否やはないらしい。彼はあっさりと頷くと、モーリスに付き従い個室を出ていく。ケニス辺境伯も二人の後から小部屋を出て、モーリスが騎士たちにジルドを紹介する様子を眺めていた。驚いたことに、“北の移民”たちの中でも特に戦闘能力の高い者たちはモーリスの話を聞いてもそれほど意外そうな様子はない。ジルドを見てどこか得心したような顔をしている。一方で、一般の騎士や“北の移民”の中でもそれほど突出した戦闘能力がない者たちは、訝しげな目でジルドをじろじろと凝視していた。



*****



姿を消したリリアナは、詰所の外に待機したまま遠耳(アプヒューロン)の術を使ってジルドが騎士たちに挨拶する様子を窺っていた。ケニス辺境伯がベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンから報告を受けている時からここまで、リリアナはずっと他に気づかれないよう細心の注意を払いながらもジルドの傍に居た。何かあればすぐに手助けできるようにと考えてのことだったが、詰所にはアルヴァルディの子孫が複数居る。その全員ではなくとも、一部はリリアナの術が効かず姿を目撃してしまうかもしれなかった。

だからこそ彼女は外にいたのだが、それでも騎士たちがケニス辺境伯を慕っていることは非常に良く分かった。

恐らくイェオリやインニェボリも、辺境伯を慕っているからこそ騎士団に入団したのだろう。リリアナはアルヴァルディの子孫についてそれほど詳しいわけではないが、ジルドの話や態度から考えても、彼らが自ら主を選ぶらしいことは薄々察している。ケニス騎士団に騎士として入団したのは、彼らが偏に辺境伯を心の底から慕い、付き従おうと思っているからだろう。


(それに、ケニス辺境伯は何かを知っているご様子でしたわ)


リリアナは内心で呟いた。

辺境伯の性格から考えても、彼がこれほど早くジルドを受け入れ現場で活用しようと決意するとは思っていなかった。普通であればもう少し慎重に、ジルドが信用できるかどうか精査するはずだ。だが辺境伯は、ジルドの全く意味を成さない話を聞いてあっさりと仕事を任せると答えた。モーリスがジルドを受け入れたのは、偏に辺境伯が決定したからだ。決してモーリスはジルドを信用したわけではない。彼が信を置いている辺境伯の判断を尊重しただけだった。


(普通であればモーリスの反応が当然ですもの)


たとえ貴族の後押しがあったとしても、突然訪れた外部の人間に重要な騎士たちの命運を任せることなどできるはずもない。モーリスすら知らない()()を、辺境伯は知っているに違いなかった。


挨拶を終えたジルドは、モーリスと十数人の騎士を引き連れ詰所から出てくる。どうやらモーリスを除いた全員が“北の移民”らしい。そのうちの何人がアルヴァルディの子孫かリリアナにはわからないが、きっとジルドは分かっているのだろう。

物陰に隠れたリリアナは、そっと騎士たちの姿を眺めていた。


「今から二つに分ける。俺が指名する奴らは右手に、それ以外は左手に移れ」


ジルドはそう告げると、一切逡巡せずに騎士たちを指名していく。ジルドに肩を叩かれた騎士たちは一見したところ年齢もバラバラで一貫性が見えない。しかし、肩を叩かれた騎士たちは薄く笑みを浮かべて何かに納得した様子だった。その中には、一部の“北の移民”の体力が落ちていると辺境伯に報告した騎士もいる。


全員を確認して指名を終えたジルドは、一つ頷くとモーリスに顔を向けた。


「これで良い。こっちの奴らは通常の保護をしてくれ。今俺が指名した奴らは別の方法を試す」

「わかった」


モーリスは頷くと、指名されなかった騎士たちに砦へ向かうよう指示する。彼らは不服そうな表情を見せたが、敵軍に命を狙われている可能性を示唆され、足を引っ張るくらいであればと了承した。一方、ジルドに指名された騎士たちはジルドに先導されるまま詰所から離れた森の中へと向かう。

リリアナは逡巡した。本音を言えばジルドたちを追いたい。だが、ジルドはリリアナにアルヴァルディの子孫の秘密をある程度打ち明けてくれた。ケニス辺境伯やモーリスに対する説明を聞けば、リリアナに教えてくれた内容も本来であれば告げることのないものだったと分かる。それにも関わらず彼らの秘密を覗き見るような真似をすれば、ジルドはリリアナに失望するだろう。


(やはり止めておきましょう)


リリアナは小さく息を吐いた。そしてモーリスたちの様子を探ることにする。後ろ髪を引かれる思いで振り向けば、ジルドたちはあっという間にその場から立ち去っていた。


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