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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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26. 国境の砦 4


リリアナは珍しく息を切らしていた。

ゲルルフの手が首筋に伸びて来たのを見た瞬間、身の危険を感じたリリアナは咄嗟に転移の術を使っていた。普通は無詠唱で咄嗟に転移の術を使うことなど不可能だ。仮に挑戦してみたとしても、異空間に飛ばされかねない。リリアナが五年前から毎日のように魔術を使い、魔術の使い方が身に馴染んでいたからこそ出来る偉業だった。


「ここは――」


一体どこだろうかと周囲を見回す。そして直ぐに場所を把握すると、安堵の溜息を吐いた。

どうやらリリアナはケニス辺境伯領の国境を護る砦に戻って来たらしい。暮らし慣れた王都近郊の屋敷ではなかったところをみると、彼女の理性は無意識下でも仕事をしたようだ。

焦燥と緊張のあまり高鳴る心臓が落ち着き始めたところで、リリアナは深呼吸を二、三度繰り返して幻術を使う。姿を消して彼女は索敵(ズーハ)の術を使った。


「ちょうど良いですわね」


目当ての人物は傭兵たちが集まっている部屋の近くに居るらしい。だが幸いにも、彼は一人で部屋の外に座り込んでいる様子だった。リリアナは転移の術を使う。景色が変わったところで彼女は周囲に自分と相手以外いないことを確認した。術を解いて姿を現わし、一歩踏み出す。砂利を踏む音に、件の人物は振り向いた。わずかに目を瞠る。


「なんだ、嬢ちゃんか」

「驚きませんのね」

「人が来てることには気が付いてたからな」


どうやら姿を消してもジルドは気配を感じ取っていたらしい。彼は大きな樽の上に胡坐をかいて右手には酒をなみなみと注いだ木のコップを持っていた。ちびちびと飲み始めるジルドの横に立ち、リリアナは微笑の中にほんの僅かな苦笑を混ぜた。


「わたくしが砦に居ることは意外ではございませんでした?」

「だってあんた、転移の術使えるじゃねえか」


今更何を言うのだとジルドは笑う。確かにジルドの指摘通りだ。リリアナが転移の術を使えると知らないのであればまだしも、ジルドは比較的早くリリアナが高度な魔術を使えると知っていた。

普段のリリアナであれば口にするはずもない当然の問いだ。一拍遅れてその事実に気が付いたリリアナは内心で自嘲した。どうやら予想外の出来事に遭遇し、柄になく動揺しているらしい。

ジルドはそんなリリアナに気が付いたのか、器用に片眉を上げた。リリアナを見下ろす。


「何かあったのか」

「敵情視察に参りましたのよ」


気を取り直してリリアナは単刀直入に用件を告げる。そしてその台詞はジルドにとって全く予想もしていなかったことらしく、彼はリリアナを見下ろしたまま絶句し固まった。しばらくそのままの状態だったが、やがて恐る恐る口を開く。


「――まさかとは思うが、一人でか?」

「そうですわね」

「おい何してんだ、さすがに危ねぇだろ。いくら嬢ちゃんが魔術の天才だつっても、一人で突っ走って敵に取っ捕まったり殺されたりしたら洒落になんねぇぞ」


呆れ顔でジルドは言い募る。ぐうの音も出ないとはこのことだった。ジルドに突き付けられた正論は確かにその通りで、リリアナは反論もせずに神妙な顔で大人しく頷く。


「ええ、その通りだと身に沁みましたわ」


その言葉だけでジルドはリリアナが危険に晒されたと察したらしい。彼の呆れ返った表情を見たリリアナは居心地の悪さを覚えて身動いた。だが、今はその話をしている場合ではない。重要なことはゲルルフと呼ばれていた男の企みをジルドに伝えることだった。

リリアナは今、この場に居ないことになっている。辺境伯領の国境まで護衛もつけずに単身転移して来たと知っているのは現状、ジルドだけだ。勿論ゲルルフにもリリアナの存在は知られているが、名乗っていないのだから今はまだ身元も知られていないはずである。更に、正確にアルヴァルディの子孫について認識していて、かつリリアナの話を信じてくれそうな相手はジルドだけだった。


「ただ一つ気になることがありましたの。ゲルルフという男をご存知かしら」

「ゲルルフゥ?」


ジルドは眉間に皺を寄せて考えたが、すぐに首を横に振った。リリアナが一体何を言わんとしているのか分からないせいか、訝し気な表情だ。


「知らねえな」

「そうですか。ゲルルフと呼ばれている男が居たのです。彼は領主とはそれほど親しくない様子でしたが、“北の移民”については良くご存知のようでした」


途端にジルドの表情が強張った。年端の行かない少女が何を伝えようとしたのか、彼はたったそれだけの言葉で理解した。


「――つまり、アルヴァルディの子孫について知っているということか?」

「ええ。それと、恐らく彼もまたアルヴァルディの子孫なのではないかと思いますの」


途端にジルドは愕然とした。目を丸く見開いてリリアナを凝視する。


「それは――何故だ」

「アルヴァルディの子孫に魔術は効かないのでしょう? 彼はわたくしの幻術を見破っていたのです。わたくしは姿を消していたのですが、姿を消していようがいまいが、彼には関係ない様子でしたわ」


徐々にリリアナの言葉が頭に浸透するにつれて、彼は深く考える顔つきになった。リリアナは横目でそんなジルドを眺めている。

対峙していた時はそこまで頭が回らなかったが、その可能性が高いのではないかと思った。ゲルルフがアルヴァルディの子孫であれば、弱点を知っているのも当然だ。ただ何故、ゲルルフがアルヴァルディの子孫を連れ去ろうとしているのかは分からない。ジルドを見ていればアルヴァルディの子孫は同胞愛が強いのだと分かる。もし何か考えがあるのであれば、誘拐のような真似をせずに説得するなり他の手段も取れたはずだ。だが、ゲルルフはそのような真似はしない。戦に乗じてアルヴァルディの子孫たちの戦闘能力を奪い、彼らだけを何処かへ連れ去ろうとしている。つまり、そこにはまだリリアナも知らない何らかの事実が隠されているはずだった。


暫く考え込んでいたジルドはおもむろに顔をリリアナの方に向けた。そして真横に置いていた樽から酒を木のコップに注いで一気に煽る。それでも彼の顔色は全く変わらない。ジルドは声を低めて囁いた。


「――俺たちアルヴァルディの子孫に魔術が効かねえのは事実だ」


少し考えてリリアナは自分たちの周辺に防音の結界を張る。ジルドを見て先を促すと、彼は小さく笑った。


「ただし、それも人によって差がある。――誰にも言うなよ」

「申しませんわ」


リリアナは力強く頷いた。どうやらジルドは、これまで伏せて来た事実を教えてくれる気になったらしい。ジルドは小さく頷くと「防音の結界は張ったか?」と聞いた。リリアナは首を傾げたがすぐに頷く。それを見たジルドは苦笑を漏らした。


「魔術が効かねぇだけじゃなく、目に見えない術は俺たちには見えねえ。色でも付いてりゃ別なんだが」


頬を人差し指で書いて、ジルドは少し考える。どうやら話す順番を考えているらしいと見て取ったリリアナは、無言で彼が話し出すのを待った。やがて整理がついたらしいジルドは言葉を選びながら話し始める。

それは、アルヴァルディの子孫が長らく隠し通して来た一族の秘密だった。


「アルヴァルディの子孫は他の“北の移民”とは違う。俺たちにはそれぞれに特化した能力がある。生まれつき持っている能力で、基本的に一人につき一つの異能力がある――例外もあるが。同時期に同じ能力を持っている奴は一人か、多くて数人。それも能力が使える程度(レベル)にまで発現するには、一定の条件が必要だ。それからその能力値を最大限まで発揮できるのも、ある条件下でと決まってる。まぁ最近は少しずつ、能力を持つ奴も減って来ているみたいだけどな」


リリアナは気付かれない程度に目を瞠る。


――――異能力を持つ、一族。それがアルヴァルディの子孫の正体だった。


そしてここからが肝心だが、とジルドは言った。


「その能力――俺たちは異能力と呼んでいるが、その能力が高い奴ほど魔術が効かねぇ。長老は“親和性が悪い”つってたな。俺たちが霊力(オーラ)って呼んでる――異能力の源みたいなもんだが、それと魔力ってのは相性が悪いらしい」


逆に言えば、異能力が弱ければ魔術が効くということだ。もしゲルルフが生活している家の門前に立っていた衛兵たちがアルヴァルディの子孫なのだとしたら、幻術に惑わされていた時点で異能力がそれほど高くない者たちだったのだろう。


「ということは、異能力がそれほど高くない方は、魔術の影響を全て受けるということでしょうか?」


ふと思った疑問をリリアナは口にする。しかしジルドは首を振った。


「いや、異能力値が低いからって魔術が全部効くってわけじゃねえし、逆に異能力値が高くても魔術が全部効かねぇわけじゃねえ」


ジルドは一旦そこで言葉を切って酒を注ぐ。一口飲んで唇を潤すと、ぺろりと零れた酒を舐めて言葉を続けた。


「どんだけ異能力値が低くても、こっちを攻撃する魔術は全部効かねぇんだよ。でも、害がないと分かってる魔術に関しては効く。確かイェオリとインニェボリはそうだったろ。あの時、あの二人は自分が辺境伯ン所に行くんだって分かってた。だから転移の術で他の場所に移せたんだ。同じように、どれだけ異能力値が高くても、この魔術に――なんつーかな、()()()、と思えば効くんだよ」


あまり説明することが得意ではないせいか、ジルドの説明は感覚的だ。それでもリリアナは頭の中でジルドの言葉を咀嚼する。そして自分の中である程度道筋を付けたところで、質問を言葉にした。


「つまり、異能力値が高い方であっても、例えば一緒に転移をしようと思えば転移の術で他の場所へ移動できると――そのようなことでしょうか」

「ああ、そういうことだ」


ジルドは頷く。リリアナは納得した。傭兵として働いていたジルドは、リリアナに雇われるまではしばらくの間オルガと行動を共にしていたと聞いた。オルガは魔導剣士だ。二人が組んでいたのは、魔導剣士であるオルガの能力と、彼女の使う魔術が肉体的にも精神的にも影響しないジルドの体質が上手く組み合わさったからだろう。魔導剣士は非常に有能だが、戦闘中では時折味方が魔導剣士の攻撃に巻き込まれ負傷するという事故も起こる。その点、魔術が効かないジルドは事故になり得ないどころか、それを加味した戦い方ができるのだ。そしてこれは敵の意表を突くという意味で、戦術的に有効だった。

リリアナはここまで聞いたのだからともう一歩踏み込むことにした。


「差し支えなければ、貴方の異能力を伺っても宜しいかしら。以前イェオリとインニェボリを助けた時の様子を思えば、身体強化のようなものかと思ったのですけれど――」

「ああ、俺は基本的に肉体派だからな。肉体系の異能力を持ってる奴は、異能力を使う時に肉体がデカくなんだよ」


リリアナは目を瞬かせた。肉体系、と言われてもピンと来ない。首を傾げるリリアナを見て小さく笑ったジルドは「条件も揃ってるし、ちょうど良いか」と呟いた。にやりと笑えば鋭く尖った犬歯が見える。リリアナは違和感を覚えた。


――ジルドの歯は、これほど鋭かっただろうか。


凝視するリリアナの前で、ジルドの体が膨れ上がる。リリアナの知る彼よりもおよそ二倍ほど大きくなった彼の服はびりびりに破け、鍛え抜かれた裸体が月光の下で露わになる。幸いにも下半身にはマントを巻いていたから、リリアナは叫ばずに済んだ。だがリリアナはそれよりも、ジルドの顔に目が釘付けだった。


「これが俺の異能力だ。身体能力はどれだけ上がってるか、本気出したことねぇから分からねぇけど。確実に速度も筋力も普段の五十倍程度には上がってるぜ」


普段の声よりも一段と低い声音が()()()()()

肉体は人だが、ジルドの顔は金色の瞳をした狼に変わっていた。木のコップを持つ手は人の手だが、どうやら彼の意志に従って獣の前足になったりもするらしい。

次の瞬間、ふっと威圧感が失われてリリアナは息を吐いた。いつの間にか人間の姿をしたジルドに戻っている。腰に巻いたマントをそのままに、半裸の状態で楽し気にリリアナを眺めていた。珍しく驚きを露わにしたリリアナを見て楽しかったのか、笑みで頬が緩んでいる。リリアナは苦笑を浮かべた。


「狼人間でしたのね」

「一応な。だから昔馴染みの中には、俺のことを狼狩人(クズリ)って呼んでる奴が居る。今は顔だけを変えたが、最終形態は全身狼だ。一番力を発揮できるのもその(なり)だな」


狼の姿を持ちながら呼び名が“狩人”とは妙だと思ったものの、リリアナは口を挟まなかった。今はもっと重要なことがある。この場で問い質すような内容ではない。

一旦言葉を切ったジルドは少し考えて「だから」と話題を戻した。


「そのゲルルフって奴。あんたの幻術を見破れたってなら相当の異能力者だ。下手すりゃあ、俺と張れる」


その台詞にリリアナは目を瞬かせた。ジルドを疑っていたわけではない。だが、今彼が口にした言い分を聞けば、ジルドは非常に高い異能力を持っているように受け取れる。


「――もしかして、貴方は異能力が高い方ですの?」

「あ? ああ、そうだ」


ジルドは頷いた。そして何の気なしに、淡々とその事実を告げる。どこか遠くを見るような瞳で、彼は呟いた。


「俺の親父は一族の中で一、二を争う異能力者だった」


そしてその血を継いだジルドは言わずもがな能力値は高いらしい。

ジルドは薄く笑う。これまで何度も見せて来た軽薄な笑みではなく、どこか凄惨な、虚ろな笑みだった。どうやら触れてはいけないところだと悟り、リリアナはまだ告げていない情報を口にする。それはゲルルフが“北の移民”――それも恐らくアルヴァルディの子孫を捕え連れて行こうと考えている、ということだった。


「恐らくゲルルフは何かしらの方法を知っているのだと思います。わたくしにはそれが何か、分からなかったのですが――」

「ああ、それは俺が分かるから大丈夫だ。いや、大丈夫じゃねえけど、一応何をしたのかは分かる」


リリアナが首を傾げると、ジルドは口角を上げてリリアナに尋ねた。


「ゲルルフって奴、何か棒みてぇなもの吸ってなかったか?」

「ええ、葉巻のような――葉を丸めて棒状にしたものを常に咥えていらっしゃいましたわね」


葉巻と言っても分からないだろうと、リリアナは言い直す。ジルドは「やっぱりな」と頷くと更に質問を重ねた。


「あいつの部屋に入ったんだろ? そこに、木の皮みてぇなもんなかったか?」

「壁際に積んであったのを見かけましたわ」

「それだ」


ジルドは頷く。どうやら彼の思った通りのものをゲルルフは持っていたらしい。わずかな緊張を浮かべてジルドの言葉を待つリリアナに、ジルドは言った。


「アルヴァルディの子孫はとある木の皮を燃やした煙で異能力を発揮できなくなる。だが、その煙の中でも、俺たちが金林檎と呼んでる木の葉を吸ってりゃあ影響はなくなるんだ」

「ということは、その葉を持って参りましたら皆さまに影響はなくなると――そういうことでしょうか?」

「ああ、だがその木はアルヴァルディの子孫が暮らしている山にしかないんだ。他の場所では見たことがねえ」


それならばすぐに持ってくるのは難しいだろうと、リリアナは肩を落とす。勿論、転移でその場所に行くことも難しいが不可能ではない。正確な北方の地図がない以上、転移しても想定通りの場所に到着する可能性は低かった。それでもジルドに同行して貰えれば目的地には辿り着くに違いない。

だが事は一刻を争う。今二人が居るのは戦場で、おいそれと抜け出せるようなものではない。金林檎と呼ばれる植物の葉を探しに行っている間に、イェオリたちアルヴァルディの子孫が連れ去られる可能性が高かった。


「それでしたら、その葉に頼らない方法で解決策を考えるべきですわね。できればケニス辺境伯にお伝えすべきでしょうが――」

「俺が話すのかぁ?」


ジルドが顔を顰める。上手く伝えられる自信がないのだろう。かといって、リリアナが顔を出すわけにもいかない。それならば残された手段は限られている。


「――ベン・ドラコ様がいらっしゃいましたわね。まだ起きていらっしゃるでしょうか」

「夜中に押し掛ける気かよ」


途端にジルドが爆笑する。淑女にあるまじき振る舞いだと思っているのかもしれないが、背に腹は代えられない。リリアナは平然と頷いた。


「勿論、ペトラもいらっしゃいますから彼女もお呼び致しますわ。勿論貴方もご同席くださいね、ジルド」

「へっ!?」


俺もかよ、とジルドが叫ぶ。にっこりと笑ったリリアナは問答無用で転移の術を使う。それに巻き込まれる形でリリアナと共にベンに宛がわれた部屋の前に移動したジルドを見て、リリアナは気が付かれないように苦笑した。

ジルドの説明を聞けば、ジルドが嫌だと思えば転移の術で移動するのはリリアナだけになるはずだ。それにも関わらずジルドも共に移動して来たということは、口ではともかく彼自身リリアナの提案に乗ろうと思ってくれていたということである。

素直ではない護衛に、特別手当でも渡した方が良いのかと柄にもないことを思いながら、リリアナはベンの部屋に通じる扉を叩いた。



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