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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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26. 国境の砦 3


この世界での戦は基本的に昼に行われる。たとえ魔導士がいようとそれは変わらない。夜中に月明りだけで戦をすることは、人間には不可能だ。できるとしたら魔物だけである。ただ、そんな漆黒の闇で活動する者も居た。刺客、間諜、斥候――そして。


(取り敢えず転移して来ましたけれど、異臭がしますわね。木を燃やしたような――臭いかしら)


人々が寝静まった頃合いを見計らったリリアナは単身、河を越えて敵陣に潜入していた。なだらかな丘の下には外壁が張り巡らされ、その周囲には濠が巡らされている。中央には石造りの天守が作られていて簡素ではあるが規模は大きい。裏手には外壁に囲まれた土地に住居が建ち並んでいた。外壁の外側に領民たちの家が広がっているから、内部は全て領主か重要人物たちの生活区域なのだろう。昔であれば外壁内に領民たちも住んでいただろうが、農具が改革され農産物が増えた途端増加し始めた人口に外壁の拡張が追い付かない。そのため、大半の領地では外壁の内部に権力者、外部に農民と居住区を分けるようになっていた。

この城もその例に洩れない。ただ他と違うのは、国防の拠点として増改築が繰り返されたことだった。中心部の基本的な構造は遥か昔に建てられた城そのままだが、その時よりも外壁の位置は外側に移動してまさに要塞といった風情になっている。古い木材や石で出来た部分と、新しい石で造られた部分が明確に分かれていた。


(ということは、現在使われていない隠し通路や地下室もあるのかしら)


敵の本陣は丘を下りた場所に張られている。領民たちの住まう区画とは反対側だ。そのため敵陣に奇襲をかけても領民の家が巻き込まれることはない。そして物資や人員が今リリアナが歩いている城から敵陣に補充されていることは確かだった。

ただ、ケニス辺境伯に報告をしていた騎士が言う通り、城や倉庫の大きさに比べて補充されている物資や人員の数が多すぎる。何か絡繰りがあるに違いない。ただそれが一体何なのか、現状ではケニス騎士団も掴めていなかった。ベンとペトラも調査を開始している様子だが、未だに敵陣や城内に関しては手を付けられていない。現状では敵勢に紛れ込んでいる魔導士を炙り出し捕える方に重点を置いている。


(恐らく敵陣には大した情報も転がっていないでしょう)


城から物資や兵の補充が行われているということは、戦況を見て逐一指示を出している者がいるはずだ。その人物は敵陣と城の二ヵ所にいると考えるのが一般的だろうが、より重要な拠点は城にあるに違いない。

リリアナが忍び込んだのは城の天守にある一画だった。


(【解除(フライゼッツォン)】)


幾重にも掛けられた結界を解除して侵入する。一つ一つの結界はそれほど難しいものでもない。初心者が最初に習う術の一つだ。だが、それも数を重ねれば強力な結界になり得る。ただリリアナの前には児戯にも等しい。


(この程度の術しか使えない魔導士しかいないのでしたら、解術しても気付かなさそうですわね)


結界を張る術にも難易度に差がある。難易度が高いものであれば結界を解除するだけでなく、近づいただけで術者に知られてしまう場合もあった。だが現時点ではその心配はしなくても良さそうだ。

そうして天守の中にある狭い石の螺旋階段を上る。辿り着いたのは、仕切りのない広い部屋だった。そこには机や椅子などの家具が運び込まれ、居心地の良い空間に仕上がっている。簡易だが質の良い寝具も置いてあり、それなりに地位のある人物が居るのだと分かる。そしてその部屋の主は、部屋の端に置いてあるソファーに腰かけていた。対面にも人影がある。

リリアナは姿を消したまま一定の距離を保ち、二人の会話に耳をそばだてた。


「状況はどうです、男爵」

其方(そなた)の見立て通り進んでおるようだが、言うほど強敵という訳でもないようだな。特に北の移民も大したことはないではないか」

「それはこちらで対処しているからですよ。北の移民が使えない状況では如何なケニス騎士団と言えど脅威にはなり得ません」


蝋燭の炎に照らし出された二人の顔ははっきりとは見えない。だが、男爵と呼ばれた初老の男は細身で神経質そうな顔をしていた。

一方、若い男は仕立ての良い服を着て葉巻のようなものを吸っている。左手の親指と人差し指の間に目立つ傷があり、左手の中指には指輪が嵌っていた。着ている服は騎士服のようにも見えるが、敵兵の中に同じような服装の者は見かけていない。領主が有している騎士団よりも豪奢な服装は、むしろ皇帝直轄の騎士団に所属している騎士であると言われた方が納得できる気がした。領主と異なり強靭な肉体なのだと、服を着ていても分かる。どこかジルドと似た雰囲気を感じ取り、リリアナは僅かに首を傾げた。


(服装と雰囲気が合っておりませんわ)


若い男は端整な顔であるものの、どことなく粗野な気配が感じられる。皇帝直轄の騎士団に属しているとしても、貴族階級でないだろうことは予想が付いた。どこか相手を馬鹿にしているような表情で、その態度が鼻に着くのか男爵もあまり好意的な様子ではない。だが拒否することも出来ないらしく、男爵は肩を竦めた。


「そうなのかもしれんな。北の移民が脅威になるという話自体、眉唾物だが。所詮は蛮族だ、大した技術もないだろうに」

「ええ、そう思われるのも無理はないかもしれませんね」


言葉では同意に似た表現をしつつ、若い男は鼻で笑った。男爵がぴくりと反応するが、口には出さない。代わりに男爵はわざとらしく首を傾げてみせた。


「あー……なんと言ったかな、其方は。ゲロルフか?」

「ゲルルフですよ、男爵」

「ああ、そうだった。ゲルルフ、な。まあ名前なぞ大して問題ではないのだが」


恐らく名を間違えたのはわざとだろう。お前など取るに足らない存在なのだと言わんばかりの態度だが、ゲルルフと呼ばれた若い男はにこやかな表情を崩さない。しかしその双眸には明らかに相手を侮蔑する光が宿っていた。


仲間――というよりは味方同士であるにも関わらず、友好的な雰囲気は全くない。男爵の態度からしてゲルルフと呼ばれた若い男は爵位がないのだろう。リリアナは今初めて男爵を知ったにも関わらず、領主である彼は自分より身分が下の相手を歯牙にもかけないだろうことが分かった。本来であれば、男爵はゲルルフのような男など相手にもしないに違いない。それにも関わらず夜も更けた時刻に対応しているということは、ゲルルフの後ろ盾が無視できない存在なのだろう。だが完全に態度を取り繕わないところを見ると、その後ろ盾の威光もそれほど大きくないのかもしれなかった。

ゲルルフは感情を読ませない表情を浮かべたまま口を開く。


「北の移民の身柄に関しては全てこちらで引き受けます。その他のことは男爵のお好きになさってください」

「当然だ。肥沃なケニス辺境伯領が我が掌中に収まれば、陞爵も夢ではなかろう。エベーネ平原はさすがに我が男爵家が管理させて頂きたいが――さすがに陛下も、この国境を護っている我が一族の功績を認めてくださるに違いない。他の領主共は食糧と兵だけ貸し出して、その領地に戦禍は及ばんのだからな。我が一族が最大の忠臣であることは間違いない」


男爵は鼻を鳴らす。当然のことだと言わんばかりの態度だった。エベーネ平原はケニス辺境伯領の中でも重要な拠点だ。肥沃な広原で農作物も良く育つ。それ故に有史以来、エベーネ平原を巡った争いは絶えないと聞く。

姿を消したままのリリアナは眉根を寄せる。男爵の発言は荒唐無稽にしか思えない。仮にエベーネ平原を手に入れることが出来たとしても、皇帝が男爵に管理を一任するとは到底思えない。優秀な官吏か手の内の者を派遣し治めさせるだろう。

一方でゲルルフは“北の移民”にしか興味がないようで、男爵の言葉には全く反応を見せなかった。怒りも同意も憐憫も、何の感情も垣間見せない。それはそれで異様である。普通ならば多少の反応を示しそうなものだ。


(――まさか)


一つの可能性に、リリアナは思い至った。次々とこれまでに得ていた情報が一つの糸で繋ぎ合わさっていく。


ジルドが言っていた、呪術陣を施した布を売りばら撒くことで、恐らくアルヴァルディの子孫を探していたユナティアン皇国の商人たち。

オブシディアンが教えてくれた、タナー侯爵を抱きこんで王国から皇国への――恐らく人身売買の販路を確保した商人。

“北の移民”の失踪が取り沙汰されていたのはケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯の二つ。この二つの辺境伯領では“北の移民”を他の領民と同じく租税台帳に記載して、仕事を斡旋したり能力があれば騎士団に抜擢したりしていた――つまり、いずれの領地でも能力のある“北の移民”が()()()()()()()()()()()()()()()()。ケニス辺境伯領の場合は騎士団だ。騎士となりケニス辺境伯に忠誠を誓っている“北の移民”のうち何割がアルヴァルディの子孫か分からないが、大多数がそうだと考えて間違いはないだろう。


リリアナは唇を引き結んだ。


(――ゲルルフの狙いはアルヴァルディの子孫)


はっきりと言葉にはしていないが、ゲルルフがアルヴァルディの子孫に関する情報を握っていることは確かだ。どれほど能力が高いかは勿論、彼らの弱点までも承知している。リリアナは未だにアルヴァルディの子孫の体力を奪う術を知らない。

だが、彼は男爵にもアルヴァルディの子孫について詳しくは話していない様子だった。男爵が“アルヴァルディの子孫”ではなく“北の移民”と繰り返していることがその証左だ。ゲルルフが“アルヴァルディの子孫”と認識しているのか、それとも“北の移民”の中で能力が高い者たちと把握しているだけなのかはまだ分からない。

ただ確かなことは、ケニス騎士団の中でも特に“北の移民”は狙われているということだった。当然ジルドの身も危険だ。


「それでは明朝、宜しくお願いします」


ゲルルフは一言それだけ告げてソファーから立ち上がる。男爵は座ったまま尊大に一つ頷いてみせた。しかし気にすることなく、ゲルルフはリリアナが居る方へと歩いて来る。姿を消しているとはいっても勘付かれては不味い。リリアナは念のため物陰に隠れた。

幸いにもゲルルフはリリアナの気配に気が付くことなく、石造りの螺旋階段を下りる。リリアナは逡巡したが、男爵の様子を窺うのではなくゲルルフの後を付けることにした。



*****



天守を出たゲルルフが向かったのは外壁内にある屋敷の一つだった。どうやらそこに滞在しているらしい。門を守る衛兵二人に黙礼し、ゲルルフは屋内に入った。リリアナも気配と魔力を消して中に入る。衛兵の一人がぴくりと眉を動かし訝し気にリリアナの方を見たが、そのまま何も言わずに正面へ顔を向けた。

ゲルルフは部屋の中に入ると、どかっと音をさせて寝台に腰かける。短くなった葉巻を床に落として踏みつぶし、新しい葉巻を取り出した。火をつけて美味そうな顔でくゆらせる。


(葉巻ってこんな香りだったかしら)


リリアナは僅かに眉根を寄せた。この世界では葉巻もパイプも一般的ではない。水煙草が遥か南の国で使われていると書物には書いてあったが、少なくともスリベグランディア王国では一般的ではなかった。だからこの世界の葉巻はどのような香りなのかリリアナは知らないが、前世の記憶を辿れば、ゲルルフが吸っている葉巻は違う香りを漂わせているように思える。


しかし考えても埒が明かない。そう判断したリリアナは部屋を見回した。

簡素で物も殆ど置いていない。だが、部屋の隅に積み重ねられた樹皮が異様な雰囲気を醸し出していた。一体何の樹皮だろうかと目をやったリリアナは、次の瞬間耳に飛び込んで来たゲルルフの言葉に思わず振り向いた。


「それで、いつまでそうやって隠れたつもりになってるんだ? お嬢ちゃん」


にやにやと笑いながら、ゲルルフは真っ直ぐにリリアナを見つめている。先ほど男爵と対峙していた時に浮かべていた人の良さそうな表情は完全に消え去っている。その場で微動だにしないリリアナに、男は尚も話し掛けて来た。


「なかなか精巧な魔術だけど、残念ながら()()()()()()()()。こんな夜中に他人様の家に入って来るんだから、それなりの礼儀は見せて欲しいもンだなァ?」


その言葉を聞いたリリアナは悟る。恐らくゲルルフはアルヴァルディの子孫だ。ジルドは“俺たちに魔術は効かない”と言っていた。転移の術で転移させることが出来たから姿を消せば見えないと思っていたが、どうやらそれはリリアナの思い過ごしだったらしい。

慎重に術を解く。姿を現わしても、ゲルルフの様子は変わらなかった。リリアナは小さく笑みを見せる。


「――わたくしの姿が見えていたのでしたら、魔術を使っていようがいまいが、貴方には関係ないのではございません?」

「そりゃあ気分の問題さ。初対面なんだから、ちゃあんと()()()()()()()礼儀正しく、姿を見せて挨拶くらいしねえとな」

「そのような礼節を重んじる方だとは思いませんでしたわ」


ゲルルフの言葉にリリアナは僅かに失笑を漏らす。しかし彼は気にした様子もなく肩を竦めた。嫌味な笑みを消した瞬間、ぞっと総毛立つような殺気がゲルルフから漏れ出る。


「俺はそんなもん気にしねえが、あんたらは気にするんだろ?」

「場合によりますわよ」


しかしリリアナは動じない。真正面から殺気の籠った視線を受け止めて表情一つ変えなかった。その様子を凝視したゲルルフは、ふっと肩から力を抜く。途端に部屋に満ちていた殺気が消えた。途端に外から騒がしい気配が近づいて来る。


「ゲルルフ様!? 如何なされましたか!」


どうやら先ほど見かけた衛兵がゲルルフの放った殺気に気が付いたらしい。だが衛兵たちが部屋に踏み込むより速く、ゲルルフが「なんでもねえ」と答えた。


「気にすんな、とっとと持ち場に戻れ」

「は――は、はい、分かりました」


不愛想な言葉に怯んだ声が答え、そそくさと気配が遠ざかる。その間もゲルルフとリリアナは互いに視線を逸らさなかった。特にリリアナの気分的には、肉食の野生動物と対峙した時と同じ心境だ。目を逸らせば殺されると直感が囁いている。

衛兵たちの気配が遠ざかり静寂が満ちる。静謐な空気を破ったのはリリアナだった。


「貴方は魔術が効かない方ですのね」


途端にゲルルフの眉がぴくりと動いた。わずかに首を傾げて探るような視線をリリアナに向ける。腕を組んだまま彼は答えない。気にせずにリリアナは問いを重ねた。


「衛兵の方々は気が付いていらっしゃらなかったようですけれど」

「――あいつらは下の下だからな」


嘲弄に似た笑みを零しながらそんな言葉を吐き捨てる。一体どういう意味で“下の下”と言ったのか、リリアナには分からない。しかしゲルルフは詳しく説明する気がない様子だった。代わりに彼もまたリリアナに質問を投げかける。


「あんたはこっちの人間じゃねえだろ? 見覚えがねえもんな。スリベグランディア王国の人間か?」


リリアナはふっと口角を上げた。首を傾げて目を細めてみせる。緊迫した雰囲気が二人の間に漂った。


「確信なさっていらっしゃるのでは?」

「確信はしてねえが、自信はあるぜ。ただ解せねえのは、あんたみてェなチビが何でこんな戦場に居るのかってことだ。()()()()の人間じゃねえもんな」


俺たち側の人間、というのは“ユナティアン皇国側の人間”という意味だろうか。それとも“アルヴァルディの子孫”ということか。判断がつかず、リリアナは無言を貫く。お互いに身動き一つ取らない。リリアナはじっとりとした汗を掌に感じていた。

次の瞬間――離れた場所に座っていたはずのゲルルフが至近距離に立っていた。目にも止まらぬ速さだ。吐息さえも感じられるほどの近さに、リリアナは息を飲んだ。ゲルルフは壮絶に笑って、手をリリアナの首筋に伸ばす。


「なあ、お嬢さんよォ――あんた、面白い臭いさせてんな?」


ゲルルフの手がリリアナの首筋に触れる――その瞬間、リリアナは無意識に術を発動させていた。


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