26. 国境の砦 2
ケニス辺境伯領の屋敷に到着したジルドとマリアンヌは、ベンとペトラの居る応接間に通された。ケニス辺境伯は頭痛を堪えるように顔を顰めている。マリアンヌは僅かに居心地の悪そうな様子を見せながらも、ベンとペトラに挨拶をした後、リリアナから預かった書状を辺境伯に渡した。伯はジルドを一瞥すると書状に目を通す。簡潔だが礼節を重んじた文面の書状に辺境伯は低く唸った。差出人はリリアナ・アレクサンドラ・クラークとなっているが、少女は未だ十一という年頃だったはずだ。王太子妃教育を施されているとはいえ、大人顔負けの文面と内容に言葉を失う。
だが、リリアナが何を伝えたいのかは明白だった。ケニス辺境伯は顔を上げて、凶悪な顔つきの傭兵に目を向けた。
「ジルド、と言ったか」
ジルドは答えない。代わりに小さく頷いて肯定する。その態度に辺境伯は小さく笑みを零した。傭兵という職業の者を、辺境伯は良く知っていた。彼らは礼儀を知らない。だが傭兵に貴族らしさは無用だ。彼らに必要なのは確かな腕と裏切らない保証である。
「同胞を助けたいと言った、とこの書状には書いてあるが、相違ないか」
「ない」
端的な返答を聞いた辺境伯は満足気に頷く。戦場では礼節を重んじすぎて遠回しな表現になるよりも、多少無礼であろうが端的かつ分かりやすい表現の方が好まれる。そして何より立ち姿に全く隙がない。ジルドが優秀な傭兵であることを、ケニス辺境伯は短い対面の間に看破していた。
そしてもう一つの懸念事項である裏切りだが、リリアナ・アレクサンドラ・クラークの紹介状を持っているというためそれほど心配する必要もないだろう。ただ、それでも幾つか質問はしなければならない。
「同胞というのは“北の移民”か?」
「お前たちはそう呼んでいる」
微妙な言い回しだが、辺境伯は小さく頷く。彼の脳裏には四年前の出来事が蘇っていた。
ケニス辺境伯領で“北の移民”が失踪する事件が立て続けに起きた。辺境伯領では他領と異なり“北の移民”も積極的に登用し、騎士団ではすでになくてはならない存在になりつつある。そのため独自に調査した結果、その失踪は人身売買であり、犯人の根城が王都付近にあるらしいというところまで突き止めた。だが、残念なことに犯人の検挙には至らない。そのため末男とも仲のよいイェオリという少年を囮として、王都に来た。
その時にマリアンヌが気に掛けているからと王都の辺境伯邸を訪れたのが、他ならぬリリアナ・アレクサンドラ・クラークだ。彼女の助力もあってイェオリを始めとした被害者たちも救出できたが、その時に辺境伯は僅か七歳の少女に出し抜かれた。だからこそ、四年も経つというのにその出来事は記憶に鮮明だ。
「――なるほど」
辺境伯は再度ジルドをまじまじと見つめた。傭兵は居心地悪そうに体の重心を右足から左足に移動させる。
――四年前のあの日、辺境伯と堂々と渡り合った少女の後ろに控えていた護衛に違いない。
記憶を辿った辺境伯は確信した。当時誰も言及しなかった――辺境伯にしてみれば思ってもみなかったことだが、もしかしたらあの日リリアナが辺境伯邸を訪れた理由の一つに、ジルドの存在があったのかもしれないと目を細める。
“北の移民”の中でも特に目覚ましい才能を持つ者たちは、常人では想像できない能力を秘めていると確認出来ている。普通であれば遥か遠く王都に居ながらにして危機を感じとることはできないはずだが、彼らにとっては造作もないことなのだろう。
「危機、というほどではないが。確かに我がケニス騎士団は想定外に苦戦している。助力頂けるのであれば有難い」
「――あんたから指示を受けろと、言われた」
「ほう」
辺境伯は片眉を上げる。ジルドの言い草を聞けば、恐らく出立前に主であるリリアナから釘を刺されたというところだろう。そうでなければこの傭兵は、仲間を守るためだけに単身戦場に飛び込み、ケニス騎士団の都合も考えず暴れ回って敵を殲滅したかもしれない。内心で少女の気遣いに感謝しつつ、辺境伯は重々しく頷いてみせた。
「そうだな。貴殿は一時的に我がケニス騎士団に所属して貰うこととしよう。正規の騎士ではなく傭兵としてだ。つまり衣食と武器の提供だけでなく、戦果に応じて褒賞を出す」
ジルドが目を丸くする。だが、辺境伯の提案はジルドに取って渡りに船だった。
彼がケニス辺境伯領で戦っている間、リリアナの護衛としての仕事は休みになる。長期になるためその期間は無給だ。勿論、ジルドにとって否やはない。寧ろ戦が終わった後に戻って来て良いと席が確保されていることは安堵に繋がる。ただ、どれほど長引くか分からない戦に身を投じるのであれば、傭兵として雇われた方が良いに決まっていた。
そんなジルドを見やってにやりと笑みを零した辺境伯は具体的な金額を提示する。打ち取った相手が敵将であれば最高額、そして一兵卒であれば最低額だ。敵を討ち取れば討ち取るほど、金も手に入る。文句のつけようがない。
「それで良い」
ジルドは即決した。辺境伯は頷くと執事を手招きして書面を認めておくよう命じる。そしてテーブルに立て掛けていた杖を手に取ると、わずかによろめきながら立ち上がった。
「それでは行くとしようか――ドラコ殿、頼む」
「承知しました」
マリアンヌは屋敷に留まるが、ベンとペトラ、ジルドは辺境伯と共に国境沿いの砦まで転移する。そこが戦の本陣だ。
ベンが転移陣を描いて詠唱を唱える。次の瞬間、四人の姿は屋敷から消えていた。
*****
ジルドとマリアンヌをケニス辺境伯領の屋敷に送り出したリリアナは、一人王都近郊の屋敷で地図を広げていた。
(今回の戦場は――ここですわね)
ケニス辺境伯領の地図を広げて場所を確認する。ケニス辺境伯領で起こった戦の情報を持って帰ったのはオブシディアンだが、詳細な場所を知っていたのはジルドだった。どうやらアルヴァルディの子孫はリリアナたちも知らない情報網を持っている様子だが、詳しくは教えてくれない。恐らく彼らの秘密なのだろう。
しかも、ジルドは“危機が迫っている”と言った。現時点ではそれほど危機的状況ではないということなのだろう。だが、気に掛かることはある。
アルヴァルディの子孫の戦闘能力が高いことは既に分かっている。その彼らが危険に晒される状況は限られるはずだ。即ち、敵が予想外に強いか、もしくは彼らの弱点を良く知っている人物が敵側に居るかのどちらかだ。前者であれば戦力を増やせば対応できるだろうが、後者だった場合はジルドが参加しても苦戦することに変わりはない。
「――また一から護衛を探すのも面倒ですものねえ」
ジルドが戦場で命を落とせば、護衛の数が足りなくなる。オルガ一人でリリアナの護衛をするのは現実的に不可能だ。公爵令嬢でありながら専属の護衛が二人しかついていないというのも、異例の状況である。王太子の婚約者であることも踏まえれば、異例どころか異常だ。だが、リリアナ自身あまり護衛の数が増えるのを良しとしていない。正直に言えば信用の置けない人間が傍に居ることの方が苦痛だった。自分の身を護るはずの護衛に警戒して日々を過ごすなど本末転倒である。
「とりあえず、参りましょうか」
戦場の位置を確認したリリアナは小さく呟いて地図を丸めた。そして姿を消し、転移の術を発動させる。自室からあっという間に姿を消したリリアナは、次の瞬間自分が戦場に転移したことを知った。
――鼻を付く血の臭いと腐臭、怒号、剣戟の音。
目を開けると、見渡す限り死屍累々の地獄絵図だった。だが、恐らくこれでも戦場としてはマシな方なのだろう。
リリアナは顔を巡らせる。だが目当ての人物は視界の中に居ない。
(【索敵】)
術を発動すると、視界に現われた魔力を示す色が縦横無尽に動き回っていた。次の瞬間、見えていた幾つかの色が消える。恐らく命を落とした騎士だろう。
(――いらっしゃるわね。そこが本陣かしら)
数多ある印の中から、リリアナは目当ての魔力を見つけた。戦場の全体像を把握するためには、ケニス辺境伯の元に行けば良いだろう。全ての情報は辺境伯の元に集められるはずだ。それから必要に応じて自分の取る行動を決めれば良い。
今回リリアナが内密に辺境伯領に来たのは、ベン・ドラコとジルドの死亡を回避するためだ。だがそれに次いで、隣国の戦力や情報収集能力を把握する良い機会だと踏んだ。特に、未だ謎に包まれているアルヴァルディの子孫に関してどの程度把握しているのかが気に掛かる。
(ゲームのシナリオに沿って身の破滅を迎えることは勿論避けたいところですけれど、それ以外の理由で死ぬ羽目になっても本末転倒ですわ)
特にユナティアン皇国との間で戦争が起これば、リリアナも無事では済まない可能性もある。
リリアナの父エイブラムを殺害した時点で、ゲームとは大きな違いが出てしまった。その影響がどの程度リリアナの未来を変えるのかも分からない。だからこそ、リリアナは今できる限りのことをせねばならなかった。
詠唱すらなしに、リリアナは本陣へ転移する。戦場のど真ん中から本陣に移動すれば、音や臭いからは多少遠ざかる。
ケニス辺境伯の姿を認めたリリアナは周囲を見回した。どうやら砦の中に誂えられた一室のようだ。辺境伯領の屋敷よりも更に物が少なく質素剛健な気風が漂っている。その室内には、辺境伯だけでなく数人の騎士が詰めていた。どうやら戦況を報告しているらしい。
「敵の攻撃は止みません。次から次へと兵が出て来ます。城の大きさに見合わない人数で、違和感があります」
「どこから補充しているのか、把握は出来ているのか」
「それが――城の出入りを監視させていたのですが、まるで城から湧き出て来るかのようだったと」
報告している騎士の顔がわずかに青白い。恐怖を覚えていることは確からしい。だが辺境伯はどっしりと構え、一切の動揺を見せていなかった。
「なるほど。どこかに隠し通路があるのかもしれんな。それか、もしくは――」
辺境伯が何かを考え口を噤む。しかしその続きを言葉にすることなく、彼は再び視線を報告している騎士に向けた。
「魔導士の姿は確認できたか」
「それらしき人物は三名確認していますが、他にも兵の中に紛れ込んでいる可能性があります」
「そうか。他にも紛れ込んでいたら厄介だな。魔導士に関してはドラコ殿とミューリュライネン殿に頼めば調査に協力いただけるだろう。できれば捕獲もして欲しいと頼んでくれ」
「御意」
一人が頷いて部屋を出て行く。隣室にベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンが控えているらしい。辺境伯は「次」と言う。すると、別の騎士が一歩前に踏み出した。若い男は黙礼して口を開く。
「珍しく“北の移民”が苦戦しています。イェオリに確認したところ、体力の低下が著しいと」
「――魔導士の仕業か?」
「その可能性は――低いかと思います」
報告している騎士は言い澱む。そして言いづらそうな表情で、彼は辺境伯に告げた。
「我々の中には魔術が効き辛い体質の者がおります。私もイェオリもその体質なのですが、どうやら体力の低下が著しいのは――」
「お前たちだけ、か」
「は」
その通りです、と騎士は頷く。
姿を消して話を聞いていたリリアナは、眉を寄せた。報告している騎士の発言から推察するに、イェオリだけでなくその騎士もアルヴァルディの子孫なのだろう。つまりジルドの“同胞”だ。
自分の嫌な予感が当たったことを、彼女はその時悟っていた。
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