25. 鼎立の兆し 4
ペトラからの連絡を受けたリリアナは、魔導石を袋に戻して暫く考え込んでいた。
ケニス辺境伯領に隣国領主が攻め込んだと知ったのは偶然だった。きな臭い話が聞こえて来たぜ、とオブシディアンが部屋を訪れたのだ。
『ケニス辺境伯領に隣国の領主勢が侵攻して来たらしいぜ。質は良くねえが量が多い、それから魔導士を取り揃えてる』
当然のことながら、まだマリアンヌの耳には届いていない。遅かれ早かれ彼女も知ることになるだろうが、わざわざ耳に入れて心労を与えようとは思わなかった。以前ケニス辺境伯が暗殺者に襲われた時のマリアンヌの狼狽振りを見れば、彼女がどれほど故郷と家族たちを心配するかは想像に難くない。
そんな自分の思考に気が付いたリリアナは小さく苦笑を浮かべた。どうしても脳裏に蘇るのは、二年弱前の自分の誕生日。その日リリアナは己の手で実父を殺した。仕方のないことだったし、仮に今同じ状況に陥っても決断を変えはしないだろう。その事に後悔はしていない。それでもマリアンヌと彼女の父であるケニス辺境伯との関係性を思えば、自分と父の関係性とのあまりの違いに失笑しか零れなかった。
(ゲームでは辺境伯領での小競り合いもありましたわね)
時期が定かでないものも含めて、数度発生したように記憶している。尤も、それはゲーム本編には大きく関係はしていなかった。本編に出て来た時も簡単に触れられる程度だったし、設定資料集でもほんの一文、書かれているだけだった。
記憶がそれほど定かではないものの、リリアナが前世で遊んだ乙女ゲームは攻略対象者たちの心の傷を癒しながら絆を深め、協力し合って謎を解いていく物語が中心だった。時折戦闘もあったが、どちらかと言えば攻略対象者たちとの対話を通して謎を解明していく方に重点が置かれている。必要な情報を集め、その情報をもとに攻略対象者たちと対話をし、正しい結論に導いていく。そうして得られる結論や途中で選ぶ選択肢によって物語の分岐が決まるため、頭を使わなければ攻略したいキャラクターのルートに辿り着かない可能性もあった。
戦闘シーンもあったが、購買層に配慮していたのか難易度はそれほど高くない。その場面に至るまでに各キャラクターの能力を一定等級以上まで上げておけば十分だった。
(確か、設定資料集に書かれていたケニス辺境伯領での戦闘は一つだけでしたわ)
設定資料集に書かれていたということは、即ちヒロインか攻略対象者に関係がある出来事ということになる。一体誰に関する話だっただろうかと考えながら、リリアナは違和感を覚えて眉根を寄せた。
「――妙ですわね。一年後、ではなかったの?」
ケニス辺境伯領に隣国の領主たちが侵攻して来た時に、一人の男が命を落とした――リリアナの脳裏に、前世のゲームで見た光景が蘇る。
『オレが――オレがあと四年早く生まれていたら、そうしたら兄貴と一緒に行けたのに』
そうしたら死ななかったかもしれない、悔やんでも悔やみきれないと泣きそうな顔で懺悔したのは、魔導士の家系に生まれたベラスタ・ドラコだった。つまり命を落とした男はベン・ドラコに違いない。
だが、それでは矛盾が生じる。ベラスタが“四年早く生まれていれば”と言ったのは、成人年齢に達しなければ戦に同行できないからだった。ベラスタはリリアナよりも一歳年下だ。つまりベン・ドラコが命を落とすのは、ベラスタが十一歳になる来年のはずだった。
(今回の戦ではないということかしら。それとも――)
ゲームの出来事と現実の出来事の時期がずれているのか。
もし時期がずれているのならば、今回の遠征でベン・ドラコは命を落とす可能性がある。普通に考えれば手助けは必要ないはずだ。リリアナが助けずとも、ベンの傍にはペトラも居る。ゲームの設定資料集にペトラは出て来なかったから比較もできないが、冷静に過去を振り返るとペトラが同行していた可能性は限りなく低い。ゲームのリリアナは三年前の魔物襲撃の時に単身向かったりはしていないだろうし、そうであればペトラは重傷を負って魔導士として現場に復帰できなかったはずだ。優秀な魔導士であるペトラが傍に居るというだけで、ベンの生存率は上がるに違いない。
それでも、リリアナはどうにも落ち着かず、手にした書物を開いたり閉じたりしていた。
*****
リリアナが一人悩んでいた翌日、リリアナの元を険しい表情のジルドが訪れた。
「いかがなさいました?」
「暫く休みをくれ」
唐突な台詞に、リリアナはきょとんと目を見開く。首を傾げてジルドを見つめていたが、おもむろに口を開いた。
「理由を伺っても宜しいかしら」
だがジルドは答えない。厳しい表情のまま、部屋の隅に控えているマリアンヌを一瞥する。どうやらマリアンヌは今朝方辺境伯領からの知らせを受け取ったらしく、蒼白な顔でも気丈に仕事を務めていた。一旦戻りたいと訴えるかと思ったが、さすがに戻っても自分には何もできないと分かっているのか、淡々と日々の仕事をこなしている。
リリアナは常日頃浮かべている微笑を保ったままマリアンヌを振り返ると、一旦部屋の外に出ているよう告げる。マリアンヌは一瞬躊躇ったが、わずかな扉の隙間を残して退室した。
「これで宜しいかしら?」
「――ああ」
低くジルドは頷く。それでもなお言い澱んでいたが、ようやく彼は重い口を開いた。耐え難い苦難を忍ぶように、ジルドの両手は強く握りしめられている。
「――――同胞がやべえんだ。だから俺は――、一族の掟に則って行かなきゃならねえ」
「それは、アルヴァルディの子孫の掟ですか」
「そうだ」
恐らく一族以外の者に告げるには多大なる勇気が必要なのだろうと、リリアナはジルドの様子を見ながら推察する。それでもリリアナにだけ教えてくれるのは、リリアナがジルドをアルヴァルディの子孫と知りながらも決して他言せず、そして一族であることを逆手にとって無茶な命令を下したりもしないからだろう。以前よりは信用されているのだろうかと内心で思いながら、リリアナは変わらぬ表情で頷いた。
「分かりました」
途端にジルドの顔が輝く。分かりやすい変化に苦笑を滲ませながら、リリアナは付け加えた。
「ただし、条件があります」
「条件、だぁ?」
輝かせていた顔を一転、ジルドは訝し気に眉根を寄せた。片眉を跳ね上げて口をへの字に曲げる。非常に分かりやすい態度に笑みを深め、リリアナは僅かに首を傾げた。
状況から考えて、ジルドはケニス辺境伯領に向かうつもりに違いない。ケニス騎士団にはアルヴァルディの子孫であるイェオリとインニェボリが居る。彼らの戦闘能力の高さは、リリアナも良く知っていた。何より二年前の武闘大会で“北の移民”と呼ばれる彼らは好成績を修めた。王太子ライリーもその身体能力の高さは認めているし、ケニス騎士団と同様、王立騎士団にも“北の移民”を所属させたいと考えるほどだ。だが、それほど戦闘能力に優れたアルヴァルディの子孫が危機に陥るとは穏やかではない。報告では“国境領主たちが侵攻して来た”とだけ聞いていたが、裏がありそうだった。
「ええ。マリアンヌも連れて行ってくださいませんこと?」
「――――ぁあ?」
ジルドが物騒に唸る。剣呑に両眼を光らせるが、リリアナは平然とジルドの睥睨を受け止めた。
マリアンヌはずっと故郷と家族の無事を心配している。それならばいっそ家族の近くに居た方が安心はできるに違いない。身に迫る危険の度合いは王都近郊に居る時と比べ段違いに高い。だが、リリアナはマリアンヌを危険に晒すつもりは全くなかった。打つ手はある。そしてマリアンヌを同行させろと告げたのは、それだけが理由ではない。
一方でジルドは納得できなかったようだ。唸るようにリリアナに噛み付いた。
「あんたはともかく、あの嬢ちゃんは戦場では直ぐに死ぬぞ」
「まあ、わたくしのことは買ってくださるのですね」
「今はその話はしてねえ」
あくまでも嬉しそうな素振りをして見せるリリアナに、ジルドは憮然とした表情を返す。リリアナの意図を探るように睨みつけるが、リリアナの表情は常と変わらない。
「貴方一人が向かったところで、門前払いされるのは目に見えております。戦場に突入するにしろ、最初はケニス騎士団も貴方が味方かどうか判別がつきません。最悪の場合、敵と見做されて貴方が攻撃される恐れもあります。そうなれば貴方自身も危険に晒されますし、ケニス騎士団にも被害が生じます。それをわたくしが許すとお思いですか?」
リリアナの言葉にジルドは苦虫を嚙み潰したような表情になった。指揮を取っている辺境伯に一言の断りもなく、戦場に乱入する気だったことは確かだ。だからといって辺境伯に味方すると申し出たところで、傭兵のジルドを何の疑いもなく受け入れてくれるはずはない。
だからこそ、リリアナはマリアンヌを連れて行くようにと命じたのだ。
「わたくしの書状を持てば受け入れては頂けるでしょう。ですが、わたくしはまだ未成年ですし、そもそも家督を継ぐ身でもございません。状況からして受け入れては頂けるでしょうが、最初は本物の書状かお疑いになられるでしょうね」
だからマリアンヌが必要なのだ。さすがに辺境伯も実の娘が――それも侍女としてリリアナに仕えているマリアンヌが書状を持っていれば、疑うことはないに違いない。下手な使者を立てるよりも効率的だ。リリアナ自身が持って行くことも考えたが、公爵令嬢が戦地であるケニス辺境伯領に赴くなど論外だと辺境伯からも反発されるだろう。それに、戦では人も物も入用だ。食い扶持を無為に増やすわけにもいかない。
苦い顔つきで説明を聞いていたジルドは、渋々と頷いた。
「――――分かった。だがどうする、馬車だと時間が」
足りないぞ、と続けようとしたジルドの言葉が途切れる。彼は何かに気が付いた様子で絶句した。目を見開きリリアナを凝視する。リリアナは僅かに心配そうな表情を作って小首を傾げる。
「アルヴァルディの子孫に魔術は効かないと伺いましたが、転移の術は使えましたわよね?」
「ああ――――、一応使えるはず、だけど、よ」
「それはようございました。以前イェオリ様を転移させたことはございましたけれど、貴方がどうかは分かりませんでしたから。念のためと思いましたの」
あっけらかんと頷くリリアナに、ジルドは目を瞬かせる。そして気遣わし気な視線を一瞬扉の方に向け、声を潜めた。
「俺は構やしねえけどよ。一応、あんたの侍女は一般人なんだろ? ここから辺境伯領まで飛べる転移陣は――いや、転移の術は魔導省に届け出てなきゃいけねえんじゃねえって、気付かれたら不味いぞ」
「まるでわたくしが一般人ではないような言い草ですわね」
「違うとでも抜かす気か」
ジルドはリリアナの抗議を一刀両断する。リリアナは僅かに目を細めたが、それには答えずに肩を竦めた。
「その点は緊急事態ですから、マリアンヌには目を瞑っていただくしかありませんわね。時間もございませんし、行きはわたくしが送り届けますわ」
「――本当に目を瞑ってくれるってのか?」
「嘘をついてどう致しますの」
リリアナは小さく笑みを零した。マリアンヌはケニス辺境伯家令嬢だ。多少のことでは動じないし、白黒をはっきりと付けたがる性質でもない。リリアナのことを心配して口煩くなる傾向はあるが、転移に関しては問題ないだろうと踏んでいた。
「マリアンヌを呼んでいただける?」
リリアナはジルドに頼む。頷いたジルドがマリアンヌを呼びに行く後姿を見送り、リリアナは小さく息を吐き出した。
少しして、ジルドに呼ばれたマリアンヌが部屋に戻って来る。その顔を見たリリアナは困ったように眉根を寄せた。
「もしかして、ジルドから聞いたの?」
「お嬢様、本気でいらっしゃいますか」
小さい時からリリアナの世話をしてくれていたマリアンヌは、侍女でありながらリリアナに遠慮なく意見を述べる。その彼女が肩を怒らせて座るリリアナを睨みつけた。
「ええ、本気よ。安心なさいな。わたくしはあなた方を送り届けるだけで、この屋敷におります。貴方はしばらくご家族と旧交を温めていらっしゃい。しばらく帰っていなかったでしょう」
だがマリアンヌは渋い表情のままだ。リリアナを置いて実家に戻ることを躊躇しているらしい。だからリリアナは先ほどジルドに言って聞かせた話を再度繰り返し、穏やかな微笑を浮かべてマリアンヌの背中を押した。
「貴方も気に掛かっているでしょう? 戦闘地域はごく一部ですもの、心配には及びませんわ。こちらに火の手がかかることも暫くございませんし、わたくしも暫くは王太子妃教育で王宮に上がるだけですから。オルガもおりますし、気になさらないで」
「ですが――」
「時間がないことは確かですもの、これは緊急措置ですわ」
マリアンヌの懸命の説得にもリリアナは折れない。くすりと苦笑を漏らしたリリアナは肩を竦めて「仕方がないわね」と言ってみせた。
「そこまで言うなら、マリアンヌはここで留守番なさいな。わたくしがジルドを送り届けるついでに、書状を辺境伯にお渡しして参ります」
「お嬢様!」
さすがにマリアンヌは声を上げる。しかしリリアナは平然としたまま穏やかにマリアンヌを見つめていた。睨み合いになり、先に折れたのはマリアンヌだった。がっくりと肩を落とし「――承知いたしました」と頷く。
「ですが! 家族の無事を確認したらすぐに戻って参ります。このような時に戻るなど父にも叱られてしまいますので」
「ええ、分かったわ」
リリアナは嫣然と頷いてみせた。勿論、マリアンヌは直ぐに戻って来ようとするだろう。だが帰りは行きと違って馬車に乗らなければならない。王都近郊のこの屋敷に戻るまでは相当の日数を要する。それだけの時間があれば、リリアナには十分だった。
機嫌の悪いジルドとマリアンヌが王都近郊の屋敷から姿を消したのは、翌朝のことだった。
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