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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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25. 鼎立の兆し 3


ベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンは、実に三年振りの魔導省で奇異の視線に晒されながら仕事に勤しんでいた。ただし任せられる仕事は単調なものばかりで、二人の才能を活かすようなものではない。

それでも二人は文句一つ零さなかった。淡々と日々の仕事をこなしているのだが、それが気に入らないらしい長官ニコラス・バーグソンと副長官ソーン・グリードは詰まらない雑用ばかりをわざわざ作り出して二人に押し付ける。

しかし、そんなある日二人は長官室に呼び出された。無表情で長官の前に出た二人に、バーグソンはどこか機嫌良く声を掛ける。


「ああ、来たか」


呼んだのはお前だろうと二人とも心の中で突っ込むが口にはしない。無言でバーグソンの言葉を待つが、長官は二人の反応がなかったことに不快感を示した。不機嫌そうに唇をへの字に曲げるが、その程度で動じるような二人ではない。バーグソンは眉間に深く皺を刻んだまま尊大に腕を組んだ。


「仕事だ。ケニス辺境伯領から魔導士の派遣を依頼されている。先方から帰れと言われるまでは辺境伯領に居ろ」


端的だが全く意味を為さない依頼に、さすがのベンもわずかに目を細める。


「目的はなんです? 魔物の駆除なのか騎士の治癒なのか、それとも戦力なのかによって対応も持ち物も変わりますが」

「貴様らの仕事は向こうの指示に従うことだ、他は知らん。早急に派遣するように言われているからな、今から直ぐに発て」


全く話にならないとベンもペトラも内心で呆れ果てる。嫌がらせにしても幼稚すぎた。何故このような男が魔導省長官を務めているのかと天を仰ぎたくもなるが、今それを言っても仕方がない。

ベンとペトラは目を合わせて小さく首を振る。バーグソンに気が付かれる前に視線を戻したが、二人とも心は一つだった。今ここでバーグソンを問い質しても無意味な問答を繰り広げるだろうことは明らかだ。それならばもっと確実に情報を得る方法がある。二人は無言で一礼すると長官室を出た。二人が請け負っている雑用は放置していても問題はない。それならばさっさと荷造りをして魔導省を出た方が精神的にも楽だった。


二人は手早く荷造りをして宛がわれた部屋を出る。扉を閉めようとしたところで、一つの影が差した。ベンとペトラは足を止めるが、現れた人物を目にして嫌な顔になる。特にペトラの方が表情の変化が顕著だった。


「おや、これはこれは元副長官殿と赤毛の魔導士殿ではありませんか」


嘲るような表情で口を開いた若い魔導士――ソーン・グリードだ。身にまとう品は全て一級品で揃えられている。特に彼は赤い宝石(スピネル)の指輪が気に入っているらしく、どのような服装の時でも決して手放そうとはしない。左手に宝石(スピネル)を輝かせながら、ソーン・グリードは「ああ失礼」とわざとらしく大仰な仕草でペトラに一礼した。


「どうにも私は異国の名前は発音し辛いのですよ。お気を悪くなさいますな。尤も、異国の複雑な発音は前時代的に聞こえますが」


明らかに異国人であるペトラを嘲笑っている。毛唐と侮蔑を露わにする魔導士たちよりは多少言葉に気を遣っているが、実際はそれほど大差はない。そしてペトラも一々反応するのも馬鹿らしく、冷えた視線を向けるだけに留めた。そのまま無視して歩き出そうとしたが、ベンがペトラの前に腕を差し出し引き留める。訝し気な視線を向けるペトラの前で、ベンは異様なほどにこやかな表情でソーン・グリードへと挨拶をした。


「そういえば、ソーン・グリード殿にお会いするのも久しぶりですね」

「――ええ、そうですね」


ソーン・グリードは一瞬眉根を寄せる。まさかベンが丁寧に挨拶してくるとは思わなかったらしい。ベンはソーン・グリードの反応を気にした様子もなく「心配していたんですよ」と言った。


「は?」


何故心配されるのか分からない、という表情でソーン・グリードは問い返す。ベンはにこやかな笑みを浮かべたまま、真っ直ぐに目の前の男を凝視した。だがその両眼は一切笑みを浮かべていない。


「ええ、三年前の魔物襲撃(スタンピード)の際、私は居りませんでしたが、我が家にいらしたそうで。我が家には執事しかおりませんでしたが、彼は部屋の中を荒らされることが大の嫌いでしてね。勢い余って腕を引いてしまった、申し訳ないことをしたと言っていたのですが――()()()()()()()()()()()()


直ぐに治りましたか、と心配そうな表情を張り付けてベンはさらりと尋ねる。一瞬訝し気な表情を浮かべたソーン・グリードは、一瞬遅れて顔を蒼白にした。咄嗟に一歩、後ろへ下がる。

三年前に起きた魔物襲撃(スタンピード)の時、ソーン・グリードはベン・ドラコに謀反の罪を着せるため偽の証拠を用意した。結局その証拠は何故かただの紙切れへと変わってしまったが、屋敷に居た屈強な執事のことは覚えている。その男は執事の分際でありながら、グリード伯爵家三男であるソーンの左腕を掴んだ。万力で挟まれたと思うほど力強く、身動き一つ取れなかった。怒りよりも先に恐怖が立ち、そしてソーン・グリードの左腕には暫くの間痣が残ってしまったのだ。


「――あ、」


掠れた声を上げたソーン・グリードを見て笑みを深めたベンは「ああ、しまった」とわざとらしく声を上げる。


「急げと長官に言われていたのを忘れていました。それではこれで失礼」


慇懃無礼に見えるほど丁寧に礼をし、ベンはペトラを促してその場を立ち去る。その場に立ち尽くしていたソーン・グリードはしばらく呆然としていたが、二人の姿が見えなくなったところでようやく我に返った。


「――っ!」


思い出した恐怖が過ぎ去れば、残るは腹の底から燃え上がるような怒りだけだ。悪魔のような形相で二人が消え去った方角を睨みつけ、ソーン・グリードは足音も荒く副長官室に向かう。


「――――あんな奴ら、くたばってしまえば良いのに」


強く握った拳を部屋の壁に叩きつける。苛立ちが消えないまま部屋の中を歩き回っていたが、やがて彼は何かに気が付いたように足を止めた。


「そうだ、あいつらが行く現場は――辺境伯領じゃないか」


良いことを思い付いたと言わんばかりに、ソーン・グリードは急ぎ手紙を(したた)める。辺境伯領で今起こっている出来事を、彼は小耳に挟んでいた。王都からも遠く不穏な空気の漂っている辺境伯領でならば、魔導士の一人や二人、命を落とすこともあるだろう。それはとても良い案に思えた。



*****



魔導省を出た二人は、確実な情報を集めるために一旦王都の屋敷に戻ることにした。普通であればケニス辺境伯領までの馬車なり馬なりが用意されているはずだがそれもない。バーグソンに要請したところで自分で用意するよう言われるだろうから、二人は自分たちで移動する気だった。


「あたし一人だったら絶対に、(とん)ずら()いてるわ」

「そう?」


首を傾げたベンにペトラは頷く。


「うん、その自信ある。ベンが居なかったら魔導省にも残ってないしね」

「そうかあ、じゃあ僕も魔導省辞めた方がよかったかな」


ベンは半ば本気の様子で呟くが、ペトラは呆れ果てた視線を向けるだけだった。言外に「無茶を言うな」と告げているのが分かり、ベンは苦笑を漏らす。


「本気なんだけどなあ」

「希望と現実は違うでしょ。双子をこの魔窟に放り込むつもり?」

「ミューリュライネンって僕には冷たいよね」


溜息混じりにベンは呟く。ペトラはそれには答えずポケットから魔導石を取り出した。ペトラが魔力を流し詠唱を小さく唱えると、魔導石が光を放つ。少しして、魔導石からは少女の声が響いた。


『いかがなさいました?』

「久しぶりだね、お嬢サマ。手紙は出してたけど」

『ええ、お元気そうで何よりですわ。魔導省に復帰なさったご様子ですが、どのような状況かと気に掛けておりましたのよ』


流れて来たのはリリアナ・アレクサンドラ・クラークの声だ。ベンは黙ってペトラとリリアナの会話に聞き入り、そしてペトラは淡々と閑職に追いやられている現状を伝える。しかし本人に悲壮感がないため、それほど深刻にも聞こえない。そのせいかリリアナの返答にも苦笑が滲んでいた。


『まあ、大変なことになっていらっしゃいますのね』

「そうでもないけどね。家に帰って研究した方が余程有意義だなとは思うけど」


ペトラらしい言い草にリリアナはくすくすと声を殺して笑う。そこでようやくペトラは本題に入った。


「それでさ、今日からベンと二人でケニス辺境伯領に行けって言われたんだよね。でも魔導士を呼ぶ理由が分からなくて。何か知ってる?」

『ケニス辺境伯領――でございますか』


途端にリリアナの口調に緊張が滲む。どうやらあまり良い話ではないらしいと、ベンは眉根を寄せた。ペトラも横目でベンを一瞥したが、その表情は僅かに強張っている。


『わたくしも、正式に聞いたわけではございませんが――隣国の領主が攻め入ったと耳にしたばかりですわ』

「なんだって?」


咄嗟に訊き返したペトラを誰も責められないだろう。そんな話は一切、王都では聞こえて来ていない。一方でリリアナは淡々としていた。


『早馬を飛ばしても、王都にまだ知らせは届きませんでしょう。今朝方、攻め入られたばかりのようでございますから』


勿論、辺境伯領から飛ばしたのでは間に合うわけがない。ケニス辺境伯に限らず、辺境に侵攻があった場合は狼煙があげられる。その狼煙は王都からは見えないが、辛うじて見える距離の領地には常に衛兵が配備されている。狼煙が上がれば、その領地から王都へ早馬が飛ばされるのだ。それでもさすがに、今朝攻め入られたばかりという情報を昼すぎの今手に入れることはできないはずだった。

ペトラの顔が引き攣った。


「――お嬢サマ、今あんたどこに居るの?」

『あら。家におりましてよ』


ペトラとベンは棒を飲み込んだような顔になる。リリアナの言う“家”は王都近郊にある屋敷に違いない。王都とも非常に近い距離で、馬車でのんびりと道を進んでもほんの数時間しか掛からない。それにも関わらず、王都にまだ届くはずのない情報を握っているリリアナに、二人とも言葉を失った。以前から一風変わったお嬢様だとは思っていたが、今は底知れない何かを感じる。だがリリアナは二人の様子が気にならないかのように言葉を続けた。


『隣国ではなく、国境沿いの領主というところが妙でございますわね。恐らく大事(おおごと)にはしたくないのでしょうけれど、持つ武器は一領主のものとは思えぬほどだと聞き及んでおりますわ。それから――魔導士も、雇い入れていらっしゃるご様子。魔導士を二名派遣せよという連絡は、恐らく鷹を通したか、もしくは魔導士が連絡を取った可能性がございますわね』


つまり、それほど切迫した状況だということだ。

リリアナの言葉に唖然としていた二人だったが、徐々に気を取り直すと神妙な表情になる。

恐らく隣国は今回の小競り合いでスリベグランディア王国の国力を少しでも削りたい狙いがあるのだろう。そして一部でもケニス辺境伯領を奪い取ることが出来れば僥倖と考えているに違いない。万が一撃退されたとしても、国境沿いの領主が一存で行ったことだと主張すれば、皇国としての責任を取る必要はない。領主の首一つで片は付く。

だからこそ、ケニス辺境伯は自領の騎士団で対処しなければならない。ただ問題は、敵軍に魔導士が居るという事実だった。

ぽつりとベンが声を漏らす。


「辺境伯領にいる魔導士は、確か治癒が専門だったな」


どうやらその声を拾ったらしいリリアナが声を上げた。


『まあ、ベン・ドラコ様もいらっしゃいますの?』

「うん、いるよ。挨拶が遅くなったね、ごめん。久し振り」

『お久しゅうございます、お変わりのないご様子でよろしゅうございましたわ』


穏やかなリリアナの口調にベンは苦笑を漏らす。しかしすぐに真剣な表情に戻り、ペトラとリリアナに聞こえる程度の声音で言葉を続けた。


「辺境伯領に居る魔導士は治癒専門だ。恐らく僕らを呼んだのは、騎士団に混じって戦闘に参加できる魔導士が欲しかったからだろう。バーグソンが僕とミューリュライネンを選んだのは、その意味では幸運だった」

「多分、あいつとしてはあたしらが戦場で死ねば良いとでも思ってるんだろうけどね」


ケニス辺境伯領のことを考えれば、ベンとペトラが行けば百人力だと思うだろう。今の魔導省に、二人ほど優れた魔導士は居ない。長官のバーグソンは勿論、副長官のソーン・グリードでさえ魔導士の能力としては二人の足元にも及ばない。

しかし、バーグソンが二人の能力を適正に評価したなどとは到底思えなかった。二人が魔導省から距離を置く切っ掛けとなった三年前の魔導襲撃(スタンピード)以前も、バーグソンは特にペトラに対して無茶な仕事を割り当てていた。本来であれば数人で行うような仕事もペトラ一人で当たらせた。中にはペトラでなければ命を落としかねないものも多くあった。今回もその時と同じように、あわよくばペトラが怪我をするようにと仕事を割り当てた可能性が高い。そしてベンを追いやるにも都合が良かった、ということだろう。


「分かった」


ペトラが重々しく頷く。いずれにせよ、バーグソンが無意味に派遣を遅らせなかった点はケニス辺境伯領にとって幸運だった。後から知られるところとなれば長官の責任問題となるからだろうが、この際理由はどうでも良い。


「攻撃用の魔道具と呪術陣、山ほど持って行ってやろ」

「暫く実験も出来なかったから、思い切り実験できそうだね」


魔術と呪術に目のない二人は、本来の主旨からずれた野望を語って目を輝かせている。その音声だけを聞いていたリリアナはしばらく沈黙していたが、通信を切る直前、苦笑混じりに二人へ声を掛けた。


『ほどほどになさってくださいね』


遥か年下の少女から加減をしろと言われたのだが、ベンもペトラも魔術と呪術に関しては同類である。即ち、集中しだすと周りが見えなくなる悪癖の持ち主だ。そして残念なことに、二人ともその事実を認識していない。だからこそ、ペトラは明るく頷いて元気よく答えた。


「そりゃあ、勿論。仕事で行くんだからね、分は弁えてるさ」

『――ご健闘をお祈り申し上げておりますわ』


リリアナが苦笑混じりに告げ、通信は切れる。ペトラとベンは王都の屋敷に一旦戻って魔道具や呪術陣、魔術陣を袋に突っ込むと二人手を繋ぐ。隣国の領主が攻めて来ている――というのであれば、急いだほうが良いに違いない。二人は交互に転移の術を使って、ケニス辺境伯領まで向かうことにした。


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