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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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24. 誘い水と行く先 8


午後になって、王都のベン・ドラコ邸には二人の小さな客人が訪れていた。二階にあるベンの執務室に集まった双子のベラスタとタニアは顔を付き合わせて、真剣な表情で喧々諤々の議論を交わしながら魔術陣の構築に勤しんでいる。


「ベラスタ待ってよ、そんなんじゃ術が壊れちゃうじゃない」

「壊れないって。あ、馬鹿タニアそれそこじゃない」

「馬鹿いうな、馬鹿ベラスタ!」

「お前も言ってるだろ!」


口喧嘩を繰り広げながらも魔術陣と格闘する二人の様子を眺めていた家の主であるベン・ドラコは、自分の隣に座る赤紫色の髪をした魔導士ペトラ・ミューリュライネンの横顔を一瞥する。ペトラは未だに不機嫌さを滲ませていたが、表情には表れていなかった。それも当然だろうなと、これまた内心では苛立ちを覚えているベンは涼しい表情で紅茶を一口飲む。そんな二人の様子に気が付くこともなく、十歳になった双子は喜々として魔術陣を作り上げていた。


ベンは手を伸ばしてコップを卓上に戻す。その手首には、ここ三年ほど外せなかったブレスレットの()()()が残っていた。外した魔術封じの枷は封筒に入れて適当な引き出しに放り込んでいる。返却を求められるかもしれないが、わざわざ気を回して返してやろうという気にはなれなかった。

部屋の隅に控えていたポールが紅茶のお代わりを淹れてくれるが、その目が気遣わし気な色を浮かべている。彼がそんな顔をすること自体が珍しく、ベンは自嘲に似た苦笑を漏らした。まだベンとペトラが魔導省からの通知に苛立っていることに、有能な執事は気が付いているらしい。

一方で真剣な表情で魔術陣を確認していたベラスタは、顔を上げてベンの名を呼び口を開いた。


「兄貴、ここまでは一応出来たんだけど、上手く作動しないんだよ」

「固定の術だろ?」


ベンは頭を掻いて陣を覗き込む。尤もここまでの工程を間近で見ていたのだから、どのような構成になっているのかは既に把握しているのだが、だからといって直ぐに助言を与えられるようなものでもない。そしてベラスタは一瞬口籠った。


「固定の術――っていうか、それだけじゃないんだよ」

「さっき固定の術って言ってなかったか?」


ベラスタとタニアは顔を見合わせる。確かに最初、二人はベンとペトラに『新しい固定の術を開発したい』と告げた。現状、固定の術がないわけではない。上級魔術だが一般的には水魔術を使う。簡単に言えば物体を凍らせるのだ。だがベラスタが試してみたいと訴えた術は更に高度な複合魔術だった。


「水と風の複合魔術で固定、というのは分かったが風をどう使うんだ。この魔術陣だと水魔術は稼働するが風は動かないぞ」

「ええ……むしろ風魔術動いて貰わないと困るんだけどなあ」


ベラスタは不服そうだ。それも当然だろうとベンは思う。ベラスタの得意魔術は水であって、風魔術に対する適性は低い。ベラスタの研究を手伝っているタニアも得意魔術は土だから、やはりこちらも風魔術に関しては頼りにはならなかったのだろう。


「再現はできないのか? お前の得意分野だろう」

「五回に一回しか成功しないんだよ。なんかオレの知ってる魔術と比べて、魔力が全然違う動きしててさ。ちょっと力業使うしかないんだよな、こう――無理矢理、力を入れなきゃいけないっていうか。その加減が難しいんだよ」


言いながらベラスタは手を挙げて小さく詠唱を口ずさむ。途端に彼の手の周囲に風が巻き起こる。

昔はタニアが先んじて魔術を家庭教師に習い始めたと泣きそうになっていたベラスタだが、ポールに宥められて魔力制御の訓練を頑張った結果、ベラスタはドラコ一族の中でも優れた魔導士として頭角を現し始めた。彼が衆目を集めるようになった理由の一つが“目にした魔術の模倣”だ。


「あ、失敗した」


ベラスタは顔を顰める。幸いにも周囲に被害は出ていない。ベラスタは再び真剣な表情で詠唱を紡ぐ。タニアは心配そうな気配を滲ませながらベラスタを注視しているが、表情は不機嫌であるようにしか見えない。

ペトラはしばらく魔術陣を確認していたが、ぽつりと呟いた。


「陣の形自体は綺麗なんだけどねぇ……」


通常は他人の使う魔術を見ても、それがどのような術式で発動しているのか読み取ることはできない。ベンやペトラともなれば大枠は理解できるが、詳細までは分からない。そのため、一般に知られた術式を用いない魔術――たとえばリリアナが使う一部の魔術はリリアナ自身に術式を書き出して貰わなければならなかった。そして書き出して貰った術式の中で一般的に理解できない部分を特定し、その術式を理解できる形に書き直すという作業が必要となる。そうすることで、ようやくベンもペトラもリリアナと同じ効果を有する魔術を発動させることができるのだ。ただし術式を書き換えた結果、膨大な魔力が必要になってしまい、誰も使えない魔術式になることも多々ある。その場合は更に術式に手を加えるか、魔力を補充した魔導石を利用するか、もしくは消費魔力量を減らすために魔術陣や呪術陣を開発する。


しかし、ベラスタにそのような作業は一切不要だった。彼は一般的に理解できない術式を使っている魔術であろうが、そのまま模倣することができるのだ。勿論膨大な魔力量が必要な術は使えないし、得意とする水魔術以外の術は成功率が多少下がるが、十分驚異的な才能だった。

そのベラスタをして再現が難しい魔術――その術をベラスタが見たのは、全くの偶然だった。三年前に起こった史上最大規模の魔物襲撃(スタンピード)に、ペトラとベラスタ、そしてタニアは巻き込まれた。双子が居なければペトラも逃れられたかもしれないが、双子を守りながら戦うには魔物が強すぎた。ペトラも魔物の攻撃に倒れ、そして当時七歳だった双子は碌な対抗策を持たない。もうここで死ぬしかないと覚悟を決めた時、ローブを纏い顔を隠した()()()は現れた。その魔導士は三人を襲っていた魔物たちを退治してペトラに応急処置を施し、更には転移の術で三人を今いる王都の屋敷にまで飛ばしてくれた。ペトラたちにとっては正真正銘、命の恩人だ。


だが、その術を行使した魔導士の存在を知る者は双子とペトラ、そしてベンだけだった。ベラスタとタニアはその魔導士が何者なのか知らない。その場に居合わせたペトラは魔導士の正体に気が付いていたものの、双子には教えなかった。魔物襲撃(スタンピード)が終わり体力も回復したところでようやくベンにだけ事情を打ち明けた。だから現場に居なかったベンも、その魔導士がリリアナ・アレクサンドラ・クラークだと知っている。だからこそ、ベラスタが“五回に一回しか成功しない”風魔術が存在しても驚きはしない。寧ろ()()()()の術を一回でも模倣できるというだけで、驚きを通り越し呆れ果ててしまう。


弟の魔術を眺めながら思いを馳せていたベンは僅かに目を瞠る。四人の前で、ベラスタは見事に一つの術を発動させていた。ベラスタが嬉しそうに頬を紅潮させてベンに顔を向ける。


「できた! 兄貴、今の見てた? 完全に同じではないんだけど、大体こんな感じだったんだ」

「見てた」


見ていたからといって理解できるわけではない、とベンは溜息を吐く。完全に同じではないというからには、リリアナの使っている魔術式のうちベラスタが理解できなかった部分は自己流で埋めたということなのだろう。感覚派のベラスタは実際に使う魔術を術式に落とし込むのがベンほど得意ではない。

ベンは腕を組んで、目の前で行われた魔術を頭に思い浮かべる。


「空中に存在する“何か”を風魔術で集めてるんだな。問題は集めている物質が一体何なのかというところだが、お前はその物質をどう定義してるんだ?」


だが、ベラスタは困ったように首を振る。


「それが分からないから困ってるんじゃないか。そこが一番の力業なんだよ」

「それで五回に一回しか成功しない――か。つまり集める物質の定義がこの魔術の要なんだろうな」


ベンは結論を口にしながら、難しい表情を崩さなかった。恐らくベラスタが再現したがっている魔術は、リリアナ本人に術式を書いて貰ったところで、実用化できない類のものだ。リリアナが使う魔術の中でも物質の定義が重要となる術は術式の書き起こしが非常に難しかった。最終的に、術式の開発を諦めた魔術も多くある。彼女が認識している物質の範囲は、ベンやペトラたちが認識しているそれよりも遥かに広いのではないかと思うことが多々あった。認識できない物質を定義することなど不可能だ。


「物質の定義が難しいなら、その魔術の術式を確立することは諦めた方が良い。特に今回お前が模倣しようとしている魔術の中核は特定の物質だ、その定義が出来ない事には代入する術式の検討も難しいぞ。広大な森の中から、たった一枚の葉を見つけようとしているようなものだ」

「あー、そうだよなあ。でもこう――なんていうんだろう、風の中に水よりも固まりにくい物質があって――それを集めているような感じ?」


ベラスタは考え込みながら、手を丸くして空中から何かを集めるような仕草をする。ふわふわとした言い草だが、ベンは僅かに目を瞠った。


「水よりも固まりにくい? どういうことだ」

「だから、良く分からないんだって」


寒い場所の水が凍ることは周知の事実だ。スリベグランディア王国も北部に行けば真冬に湖の水が凍ることがあるし、北の国々には一年を通じて溶けることのない氷があると聞く。風の中に物質があるという考え方も俄かには実感し難いが、その水よりも固まりにくい物質が存在するという発言も簡単には理解できないものだった。

しかしベラスタにはそれ以外の表現が見つからないらしい。両手で頭をくしゃくしゃにしながら「あー」と唸ると、そのままテーブルの上に突っ伏した。

そんな弟をベンは優しく、しかし苦笑と共に見つめる。


「だがな、ベラスタ。手段は違うが、これは一歩間違えれば時を止める魔術にもなり得る。そこまでいけば禁術になるから注意しろよ」

「分かってるよ」


尊敬する兄に窘められたベラスタは唇を尖らせて抗議する。

しかしベンは譲らなかった。固定の魔術とは即ち“物を凍らせる”魔術だが、もし“凍らせる”対象が“時間”になってしまえば途端に禁術に分類される魔術になってしまう。魔導省に見つかれば身柄を拘束されるだろうし、捕まらなかったとしても一体どんな悪影響が世界やベラスタに及ぶか分からない。


「お前はドラコ家の気質がそのまま出てるからな、興味を持てばそのまま突き進む性質(タイプ)だろ。今回のこの術だって色々と試行錯誤した結果、禁術に触れる可能性もあるんだ。だからこの研究は一人でやるな、絶対に僕かミューリュライネンが居るところでやること。それを守れないならこの術式は全部没収する」


そう言いながらベンが魔術陣の書かれた紙に手を伸ばすと、ベラスタは慌てて取られまいと体で紙に覆いかぶさる。


「わかってる! わかってるから、取ろうとすんなよ!」

「お前には前科あるからな」


ベンは敢えて呆れた視線をベラスタに向けた。するとベラスタは気まずそうに顔を顰める。

魔術の勉強を本格的に初めて頭角を現し始めたベラスタは、ドラコ家の人間らしく喜々として魔術の研究に明け暮れ始めた。そして魔術の模倣に関して天才的な才能を見せたベラスタは、楽しさのあまり興味の赴くまま様々なことに手を出し、禁術にも取り組もうとした。ただ、禁術に手を出そうとしたことが事前に発覚したためベンにお小言を食らうだけで済んだのだ。

彼が手を出そうとした禁術が異空間に関するものだったため、一歩間違えればベラスタは存在ごとこの世から消滅していたに違いない。


そして散々ベラスタを叱ったベンは、何か研究するのであれば必ずベンかペトラの監督下で行うことという約束を交わした。尤もそれはベラスタにとっても好機だったことは間違いがない。ベラスタは模倣に関しては天才的だが、魔術を体系化し術式を開発することは“優れている”程度の水準(レベル)だ。術式や体系化に関してはベンの方が一日の長がある。そのため、ベラスタが模倣したり考え付いた魔術の術式を、ベンやペトラが協力して作り出すという流れが出来上がっていた。


「皆さま、だいぶ長時間議論なさっていますので、そろそろ休憩されてはいかがですか」


段々とベラスタが煮詰まって来たのが分かったのか、会話が落ち着いた頃合いを見計らってポールが声を掛けて来る。どうやら四人分の菓子と茶を用意してくれているらしい。勿論、要らないという人間はこの場にはいない。だいぶ疲労が溜まっていたらしいタニアが真っ先に跳び上がって、「食べる!」と喜びの声を上げた。


10-2

15-5

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