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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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24. 誘い水と行く先 7


王都の一角に可愛らしい花々が植えられた屋敷がある。スリベグランディア王国でも名家と呼ばれる魔導士一族ドラコ家嫡男のベン・ドラコの邸宅で朝食を終えたベンに、ポールがいつも通り手紙を持って来た。だがその表情が僅かに硬い。ポールにしては珍しく、ベンは意外に思いながら尋ねた。


「どうした?」

「いえ――多少、苛とする相手からの手紙が入っておりましたので」


ポールの言葉にベンは更に目を丸くする。ポールが直接的に不快感を露わにすることも珍しい。首を傾げながら手紙を受け取ったベンは、そこに含まれていた一通の手紙を見て納得したように頷いた後、ポールと同じように顔を顰めた。同じ席で朝食を摂っていたペトラは首を傾げてベンの手元を覗き込む。そして封筒の封蝋にある紋章を見た瞬間思い切りげんなりとしてみせた。その気持ちに心底同意しながら、ベンはポールからペーパーナイフを受け取り封を開ける。


「――鍵が入ってる」


手応えから紙以外のものも入っていることは分かっていたが、鍵だとは思わなかった。それにベンはその鍵の形に見覚えがあった。嫌な予感が更に増し、ベンは紙に書かれた文字を追う。たった二文で構成された手紙を読み終えるのにそれほど時間は要さない。そしてベンの背後から同じように文面を読んでいたペトラははっきりと――口にするには憚られる罵詈雑言を吐き捨てた。


「私も拝見しても?」

「良いよ。大したことじゃない。謹慎が終了するっていう通知と、一般魔導士として復職するようにとの要請だけだから」


途端にポールの顔から表情が消えた。


「――魔導省の連中は面の皮が特注品のようですね。分厚すぎて防寒にも有用そうです」

「本音が出てるよ、ポール。まあその意見には概ね同感だけど」


ベンは苦笑してポールを窘めるが、その双眸は冷たく光っている。彼もまた魔導省の自分勝手な言い分には腹を立てていた。


三年前に起こった史上最大規模の魔物襲撃(スタンピード)――あの日を境に、ベンの人生は変わった。それまで魔導省副長官として働いていた彼は、転移陣に細工をした疑いを掛けられた。転移陣への細工は国家反逆罪に並ぶ重罪だ。特にあの日は魔物襲撃(スタンピード)を制圧するため王立騎士団二番隊が転移陣を使う予定だった。

国を滅ぼしかねない魔物襲撃(スタンピード)制圧を妨害したと思われても仕方のない状況だった。家宅捜索もされたがポールのお陰で有罪の証拠は見つからず、謀反人として処刑される最悪の未来は避けられた。だが結果的にベンは魔術封じの枷を付けられたまま副長官の座から追われ、無期限の謹慎処分となったのだ。謹慎自体は別に構わなかった。ベンは一族の(しがらみ)さえなければ魔導省に入省などしなくても良かった。魔術や呪術の研究さえ出来て居れば幸せだ。ただ魔術封じの枷だけは煩わしかった。少しでも魔術を使えば枷は反応する。そのため思うように研究も進まないし、ベンの周囲にいる人間も魔術を使えない。

体調不良を理由に長期休暇を取っているペトラは身の安全を確保するためにベンの家へ居候しているが、彼女もまたベンの家にいる限りは大好きな呪術の研究を行えなかった。


先の見えない不自由さに二人の精神状態は徐々に悪化していった。それでも完全に悪化しなかったのは、偏に日常生活を助けてくれるポールのお陰だった。それに二年ほど前からは、魔術を相殺する陣を施した布を枷に巻くことで事態は多少好転した。周囲の人間はそれほど魔力を消費しない簡単な魔術なら使っても問題なくなったし、ベン自身も多少なら魔術を扱えるようになった。

そして一年ほど前からは、本格的に魔術の勉強と研究を始めたベラスタとタニアが頻繁に屋敷を訪れては研究成果を披露し助言を求めて来るようになっている。だからここ最近のベンとペトラは機嫌が良かったのだが、さすがにこの手紙はベンを虚仮にしているとしか思えない。ペトラが不機嫌にぼやく。


「なんで今更戻って来いなんて言ってんだろうね。副長官が変わったって話は聞いてないけどな」


ベンが副長官から降格され謹慎された時、後釜に座ったのは昔からベンを敵視していたソーン・グリードだった。彼が副長官の座に就いている限りベンが復職する可能性は限りなく低いというのがベンたちの推測だったのだが、どうやらその推測は外れたらしい。


「何か面倒事を押し付けようと思ってるんじゃないか? あいつらの手に負えないことか、それか責任をかぶせて今度こそ処罰しようと企んでるのかは分からないけど」

「はあ? 普通に考えたら魔術封じの枷を付けて降格して無期限謹慎っていうだけで十分な処罰だと思うけど?」


考えを述べたベンにペトラが噛み付く。ベンは苦笑して「そうだよなあ」と頷いた。だがソーン・グリードの性格からして、ベンを徹底的に破滅させたいと考えていてもおかしな話ではない。ベンはソーン・グリードを相手にせず無視していたが、その態度すらもソーン・グリードには腹立たしい様子だった。

ベンは卓上に転がっていた鍵をおもむろに手に取る。魔導省にとってベンは“謀反の疑いが未だに消えていない罪人”であるはずだ。その罪人に付けた魔術封じの枷を、魔導士も居ない場所で外すように指示を出すこと自体が不自然だった。だが手紙にも鍵にも不審なところはない。恐らく彼らは本気で、ベンに自分で魔術封じの枷を外せと言っている。

無意識にベンの口から深い溜息が漏れた。魔導省もお先真っ暗だと頭を抱えたくなる。しかし今の彼が気に掛けることではないと、ベンは首を振って気持ちを切り替えた。


「僕のところにこの通知が来たってことは、多分ミューリュライネンの方にも復職するようにって連絡が行ってるんじゃないか?」

「ええー?」


嫌だという表情を隠さないペトラにベンは苦笑する。ポールもわずかに苦笑を見せたが、彼はすぐに「少々お待ちください」と言って部屋を一旦出て行った。

ペトラの家は王都近郊にある。だが魔物襲撃(スタンピード)の一件以来、彼女は自宅に戻っていない。必要なものはポールが変装して取りに行き、彼女宛てに届けられた手紙は定期的にポールが確認しに行っていた。

少ししてポールが戻って来る。その手には一通の封筒が握られていた。


「ちょうど昨夜行ったところでした。これですね」


差し出された封筒を受け取ったペトラがげんなりとした表情になる。その封筒には、ベンが受け取った手紙と全く同じ封蝋が押されていた。

嫌な顔になりながらも、ペトラはベンからペーパーナイフを受け取って封を開ける。中に入っていた一枚の紙には非常に短い文章が書かれていて、ペトラは溜息混じりに「やっぱり」と呟いた。ベンはペトラから紙を受け取って一瞥すると、呆れ顔を崩さずポールに渡す。そしてポールもまた、やれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせた。


「やはり形振り構っていられないんでしょうね。一体何があるのかは分かりませんが」

「全く良い予感はしないけどね」


ペトラに宛てられた手紙に書いてあった文言はやはり復職を勧める内容だった。医師に一筆(したた)めて貰い休職しているものの、実際は健康そのものであると魔導省側も勘付いているのだろう。もし復職しないのであればそのまま離職するよう勧めながらも、その場合は魔導省の機密情報を持ち出せないよう必要な処置を取る必要があると何気なく記載されていた。明らかに碌でもないことを――例えば記憶を消したり身体を拘束するといった手段を考えているのだと分かる。


「他に選択肢を与えるつもりもないくせに、良く言うよ」


不快感を隠さずに吐き捨てるペトラを、ベンもポールも咎めない。二人ともペトラと心は同じだった。

ベンは無言でしばらく考えていたが、やがておもむろに手を伸ばすと卓上の鍵を取った。目を瞬かせたペトラは、ベンが鍵を手首に近づけるのを見て慌てる。ベンの右手を押さえ珍しく焦った口調で言い募った。


「待ってよ、もしかして外す気?」

「うん。どのみち他に選択肢はないだろ? この枷がない方がいざという時に身も守れるし良いこと尽くしじゃないか」


淡々と答えるベンは先ほどまでの怒りをあっという間に昇華させたように見える。だが、その実彼の中に未だ滾っている感情にペトラは気が付いていた。


「いや、それはそうだろうけど。でも魔導省の奴らが何を考えているのか分からない状況で、大人しく言うことを聞くつもりってわけ?」

「だからこそ従順さを示しておくんだよ。反抗する意思がないと思わせておけば良い。ここぞという時に力は蓄えておかないとね」


にこやかに答えるベンの指摘はある意味尤もだった。有無を言わせない口調にペトラは口籠り、ベンの右手を押さえていた手から力が抜ける。ベンはにっこりと笑ってみせたあと、さっさと両腕から魔術封じの枷を外す。久々に解放された腕に違和感があるのか、しばらく腕を回したり手首をさすったりしていたが、やがてこくりと頷いた。


「やっぱり枷はない方が良いね。体調も良くなりそうだ。魔力が上手く体の中に巡っている感覚がある。やっぱりこの枷は改良の余地があるな」


魔術封じの枷を付けていたせいで、ずっと体が怠かった。枷を開発したのはベンだが、本格的に運用する前に行った実験でも三年という長期間に渡って身に付けたことはなかった。結果的に、半年を経過したところで体の調子が悪くなっていることに気が付いた。どうやら体内を流れる魔力の動きが悪くなっていることが原因のようだった。勿論、体内にある魔力の循環を阻害していたのは魔術封じの枷だ。名前の通り封じるのは“魔力”ではなく“魔術の発動”だが、多少なりとも枷を付けている人間の魔力にも干渉してしまう。特にベンのような魔力量の多い人間にとって、魔力封じの枷による体内魔力の循環阻害は体調にすら影響するほどのものだった。

魔術に関することとなれば寝食を忘れるほど没頭するベン()()()言葉に、ポールは苦笑を漏らす。ここ三年ほとんど見ることが出来なかった主の様子に喜びを覚えていることは確かだったが、それを口にはしない。黙ってベンとペトラから封書を回収する。


「ベン様は魔導省の通知に従われるということですね。ペトラ様は如何なさいますか」


途端にペトラは苦虫を嚙み潰したような表情になる。しばらく沈黙していたが、やがて唸るように低く答えた。


「――――ベンが戻るなら、あたしも戻る」

「承知いたしました。それでは返事をお二方分(したた)めますが、返信時期は如何致しましょう」


その問いに答えたのはペトラではなくベンだった。


「すぐにじゃなくて良いよ。待ち侘びてたと思われるのも心外だ」

「それでしたら、一週間後にでも致しましょう。復職時期は一ヶ月後を目途にするよう適当に調整しようと思いますが、宜しいですか」


どのように()()()調()()()()のか、ペトラもベンも尋ねなかった。恐らくポールのことだから、たとえ魔導省が相手だとしても上手くやるには違いない。その詳細は知る必要のないことだった。だからベンは素直に頷いて感謝の気持ちを示す。


「それで良いよ。頼りになる執事が居て有難いなあ」


だが、生憎とベンの感謝はポールには通じなかったらしい。胡散臭いとでも言いたげに片眉を上げたポールは、冷ややかに言い放った。


「心にも思っていないことを仰らずとも、給金に上乗せいただくだけで結構ですよ」


ベンは悲愴な表情になってわざとらしく頭を抱えてみせる。長い付き合いだからポールの台詞が半分冗談であることは分かっているが、残りの半分は本気だった。確かにポールには頭が上がらないほど世話になっている自覚もある。だが、だからといって簡単に給金を上げられるわけではない。非難するような口調になったのは致し方のないことだった。


「うわあ、世知辛いこと言うね。この三年、魔導省からの給料がないこと知ってるくせに」

「主が不遇に陥っても見捨てない理想的な執事に報いる気持ちがあっても罰は当たりませんよ」


さらりと言ってのけたポールは一瞬ニヤリと笑い、一礼して部屋を出る。恐らく魔導省に対する返信を認め、ベンとペトラがおよそ一ヶ月後に復職できるよう各所に手を回すのだろう。

ベンとペトラは立ち上がる。魔術封じの枷が外れた今、二人がすることは決まっている。

足取りも軽く二人は二階へ上がり、ベンの執務室に向かった。そこには魔術や呪術の研究に必要な書籍や道具が十分揃っている。


「今日の午後からベラスタとタニアが来るんだっけ?」


口を開いたのはペトラだった。テーブルの上に散乱した書籍を一ヵ所に纏めている彼女に、ベンは頷く。


「うん。新しい魔術陣を作ったから見てくれって手紙が来た。見るだけのつもりだったけど、枷も外れたし実験まで手伝っても良いかもしれないね。ミューリュライネンはどうする? 付き合う?」

「付き合った方が良いでしょ? ベラスタが再現しようとしてる魔術を直接見たことあるのって、双子とあたしだけだし」


今年で十歳の誕生日を迎えた末っ子の双子ベラスタとタニアは、同年代の子供たちと比べると優れた魔術の才能を見せていた。ベンも天才と持て囃されたが、ベラスタとタニアはベンとも違う才能を持っている。それぞれがそれぞれの得意分野で大の大人を唸らせる能力を見せていた。恐らく年を重ねればベンも負けるだろうが、今は年の功で二人に助言を与えられる程度には先んじている。そしてペトラも、助言を与える側として双子と接していた。

ペトラの提案を聞いたベンは素直に頷いた。少し嬉しそうに頬が緩んでいる。


「付き合ってくれると助かるよ。やっぱり僕も自分の目で見てたら理解しやすいんだけど、双子の話から想像を膨らませるっていうのはかなりの無理難題だ」

「まだ十歳だから――言葉が良く分からないっていうのは認める」


ペトラは肩を竦めて双子の言語能力を冷静に判断する。ベラスタもタニアも優れた魔導士の卵だが、十歳という年齢のせいか、頭の中にある考えを正確に言葉にするのは苦手らしかった。その点はベンと似ているとも言えるから、もしかしたら年齢ではなく血筋なのかもしれない。

いずれにせよ、ベンとペトラはベラスタとタニアがどのようなことをしたいのか、実験の目的を明確にするところから慎重に取り組まなければならない。

今日の午後に双子が持ち寄る実験は一体どのようなものなのかと、戦々恐々とする二人は無言で部屋の片づけを始めた。



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