24. 誘い水と行く先 6
父エイブラムが鍛冶場で武器を造り皇国に流していたと知っても、リリアナは驚きこそしたが意外には思わなかった。ただ思い返すにつけ彼の行動には矛盾が多いと眉根が寄る。
オブシディアンと共に王都近郊の屋敷へ戻ったリリアナは、ソファーに腰かけ物思いに耽っていた。平素であればさっさと退散するオブシディアンも、何を思ってかリリアナに付き合って対面のソファーに座っている。
「何を考えてんだ、お嬢?」
「色々なことよ」
さらりとオブシディアンの質問をかわし、リリアナは小さく息を吐く。
リリアナを王太子の婚約者候補から下ろしイーディス皇女を宛がおうとしたこと、政権を奪おうと目論んでいた皇国の将軍エルマー・ハーゲンと密通していたこと、皇族の紋章を記した武器を恐らく密輸していたこと、そしてエアルドレッド公爵を暗殺したこと。更に彼は母ベリンダの両親と実父のロドニーも殺害し、リリアナを隷属させようとした。
これらの情報を無理なく説明しようとしても、必ずどこかにズレが生じる。いっそ彼には大義などなかったのだと考えた方が説明が付く気がした。だがいずれにしても父のしていたことは許されることではない。亡きエアルドレッド公爵が自身の命を懸けてでもエイブラムの謀略を暴こうとしていた理由が分かった心持ちになり、リリアナは目を閉じる。むしろ、何故エアルドレッド公爵はあの段階で父の陰謀に勘付いていたのか――その方が気になり始めた。
それに、リリアナの頭を悩ませていることはそれだけではない。
発見した武器はそのままにして来たものの、それで良かったのだろうかと思う。もしあの武器が皇国に渡ってしまえば、皇国の戦力は更に高くなる。もし皇国に渡らずとも、あの武器がクラーク公爵領で造られたことが知られてしまえば謀反を企てた烙印が押され、あっという間にクラーク公爵家は没落するだろう。時機を見計らって処分すべきだろうが、適切な機会がいつなのかは判断が付かなかった。
もしクライドが発見すれば彼がどうにかするだろうが、もし見つけなかった場合はリリアナが処分すべきなのか。しかしあれだけの量を処分するとなると、リリアナの魔術を使っても困難だ。何よりあの小屋の中では魔術を使えない。
「考えても仕方がないことのような気がしてきたわ」
リリアナは僅かに眉根を寄せて呟く。オブシディアンは無言で片眉を上げた。気にはなるものの、リリアナが何を考えていたのか詳しく訊くつもりはないらしい。代わりに彼は別の話題を口にした。
「人身売買のネタ掴んで来たんだけど、聞くか?」
「人身売買?」
ピクリとリリアナは反応する。彼女にとっては非常に時宜を得た話題だった。リリアナが反応したことが意外だったのか、オブシディアンは目を瞬かせる。しかしすぐに頷いた。
「ああ、今日の昼頃に見たんだよ。多分あれは皇国の商人だろうな。伯爵は気が付いてなかったが、発音に訛りがあった」
そう言ってオブシディアンが口にした伯爵の名前に、リリアナは覚えがあった。三年ほど前にライリーの生誕祭が開かれた時、会場に居た三人組の一人だ。彼らは高位貴族たちに媚を売るあまり好意的に受け入れて貰えず、あの時はタナー侯爵家嫡男にすり寄ろうとしていた記憶がある。長身の伯爵はもうじき爵位と領地を返還しなければならないほど財政が逼迫しているらしいと噂だったが、確かにその後爵位や領地を返還したという話は聞いていなかった。恐らくその頃にオブシディアンが見たという皇国の男から声を掛けられ、金に目が眩んで協力を申し出たに違いない。
難しい表情を浮かべるリリアナを見てオブシディアンは更に情報を付け加えた。
「どうやらその伯爵が、タナー侯爵を引き込んだらしいぜ。息子の方だ」
「ショーン・タナーね」
リリアナは納得した。兄妹であるショーンとマルヴィナは、実の両親とは正反対の気質だった。二人とも上昇志向が強く権力を好む。ショーンが顧問会議に席を得たいと奔走しているという話は、ライリーからも直接聞いていた。
リリアナは脳裏にスリベグランディア王国の地図を思い浮かべた。確かに伯爵の領地とタナー侯爵領は位置関係が良い。他に数人の領主に協力して貰えたら、何者かは気兼ねなく商品を国外へ持ち出せるだろう。尤もこの場合の商品は“人間”だから決して良いことではない。
そして残念なことに、候補となる領地を治める諸侯たちはこぞって貴族としての自尊心が悪い意味で高い者ばかりだった。金を貰って下賤の民を王国から追い出せるとなれば、喜び勇んで協力するに違いない。オブシディアンは人身売買の被害者が特定の者だとは思っていない様子だったが、リリアナの脳裏には今日の昼間にジルドが告白したアルヴァルディの子孫の件がこびりついて離れなかった。この二つが無関係であるとは言い切れない以上、可能性の一つとして検討する必要があるだろう。
「この件はわたくしが預かっても宜しいかしら」
「ああ、良いぜ。俺は引き続き情報収集でもすれば良いか?」
「お願いするわ。特に人身売買に関わっている者の名前と、売人が誰なのかを探って来て頂戴」
「了解」
オブシディアンの提案には素直に頷く。情報を収集してくれるのであればこれほど力強いことはない。リリアナは微笑を浮かべてオブシディアンに礼を告げた。
*****
クライド・ベニート・クラークは、フォティア領の屋敷から次の領地へ向かうとフィリップに告げた。父エイブラムに仕えていた執事は恭しく礼をして見送ってくれる。その姿が遠くなったところで、クライドは一人馬車の中嘆息した。
(リリーはどうしたかな)
既にリリアナの屋敷を発ってから一週間以上経過している。フォティア領の屋敷でも仕事は大量にあった。未だに家政を全て譲ろうとしないフィリップのお陰で負担はそれほど多くないが、父が亡くなって一年経った今でも完全に慣れたとは言い切れない。それでもクライドはかなり早く仕事に慣れ始めていた。だからこそ、フィリップが席を外した隙に彼が見せようとしない様々な書類に目を通すことができる。幼少期から短時間で多くの書物を読まなければならなかった経験がここで生きるとは思っていなかった。
フィリップは黒死病の発生については問題視していたものの、解決策は持っていなかった。彼もまた病が瘴気によって齎されるものだと考えていたのだ。そして、貧民が死のうが仕方のない犠牲だという価値観も垣間見えた。父エイブラムに仕えていたからか、フィリップの価値観はエイブラムに似ている気がしてならない。
疲労を覚えたクライドは深く溜息を吐いて車窓から外を眺めた。
(あの子は転移陣を持っていると言っていたから、やろうと思えば一足先に鍛冶場へ行っているだろう)
租税台帳の写しを見せた時にリリアナはその事実に気が付いたはずだ。そして彼女の性格からして、自ら調査に向かっているに違いない。
クライドにその心を打ち明けることも相談することも頼ることもない妹がもどかしく、そして同時に何を企んでいるのかと疑心が湧き出す。ずっとリリアナが可愛らしく無垢な存在と信じて疑っていなかったから、彼女がエイブラムを返り討ちにした時に受けた衝撃は言葉に表せないほどだった。当初はリリアナが心に負っただろう傷を思って心配になったが、平然としているリリアナの姿にやがて違和感の方が強くなる。
唯一の妹に対して抱く感情ではないと自責に駆られながらも、クライドは冷えた頭のどこかで、リリアナの行動や思考を分析しようとしていた。
おもむろに彼は手元の書類に目を落とす。領地の食料備蓄に関しての報告書だ。父エイブラムが爵位を継いでから、食料の備蓄に関しては厳格な規則が決められた。魔術の力も借りて食料の保管期限の延長に成功し、他領と比べても飢饉に備えが出来ている領と言えるだろう。だがそれだけでは足りない。
「環境の整備と医師の派遣も視野に入れる必要があるな」
クライドはぽつりと呟く。環境の整備に関しては、最後に会った時リリアナが口にしていた課題だった。不衛生な環境では病になりやすいという話は、クライドも寡聞にして知らなかったし、黒死病の原因が目に見えないほど小さな虫だという話も初めて聞いた。
一体リリアナがどの書物を読んで知ったのか分からないが、試してみる価値はあるはずだ。排泄物や動物の死骸、残飯を適正に処理することで環境はだいぶ改善するに違いない。黒死病を発症した者に対しては隔離し、限られた人間のみ接触を許す。たとえ家族であろうと患者がいる家には入れない。接触する者は全身を布で覆い、指定された場所で布を取り払い焼き払う。布が勿体ないが、病を広げるよりは遥かにマシだ。そして魔導士に浄化の術を掛けて貰えば良いだろう。
揺れる馬車の中でクライドはペンを取る。目的地である鍛冶場に到着するまで、彼はひたすら仕事に励んでいた。
*****
ケニス騎士団の副団長モーリスは、数人の部下を引き連れ国境近辺を見回っていた。それぞれが愛馬に跨り、気が緩んだ様子を装い雑談を交わしながらも視線は鋭く周囲の様子を窺っている。ふとモーリスは手綱を引いて馬を止めた。
「副団長?」
部下の一人が訝し気に呼びかけるが、モーリスは片手を挙げて部下を黙らせる。部下は目を瞬かせたが、モーリスの緊張した様子を見て表情を引き締めた。そしてモーリスの視線を辿り、わずかに首を傾げた後周囲を警戒する。視界の端でそんな部下を捉えながら、聡い部下に満足気な笑みを漏らした。
「ビリー、この穴は何の跡か分かるか?」
モーリスは部下に声を掛ける。ビリーと呼ばれた彼は、ケニス辺境伯の末の息子だった。辺境伯がイェオリを囮とし“北の移民”を誘拐した者たちを吊り上げようとした時彼はまだ十四歳だったが、四年経った今では体も成長し顔つきも変わっている。鍛えられた体つきと優し気だが引き締まった風貌は、女性たちにも人気が高い。だが彼は専ら鍛錬にばかり興味があり、女性に対してはそれほど関心を持てない様子だった。そのせいか、彼の騎士としての腕前はめきめきと上達している。
ビリーはモーリスの示す地面を見下ろし淡々と答えた。
「矢が射られた痕のように見えます」
「標的を外した矢が突き刺さったわけじゃなく、か?」
試すような副団長の言葉に、しかしビリーは生真面目に首を振った。
標的から外れた矢が突き刺さったのであれば、痕はそれほど深く抉れていないか、もしくは角度が不自然になるはずだ。だが今し方ビリーが見つけた小さな穴は深く抉れ、抜くのにも一苦労しただろうと思えるほどだった。この近辺に標的となる物もなく、何者かがこの地面を目掛けて矢を射ったと考える方が自然である。その目的は今一つ分からないが、しかし角度から考えると川向う――つまりユナティアン皇国の領地から放たれたとしか思えない。
「妙ですね。こんなところに矢を射ったところで何の意味もないでしょう」
訝し気に眉根を寄せてビリーは呟く。だがモーリスは頷かなかった。川の対岸を睨みつけながら、険しい表情で考え込んでいる。二人を緊張した面持ちで見つめる残りの部下たちも、影響を受けたのか顔を強張らせていた。
「とりあえず一旦引こう。そして斥候を飛ばす」
モーリスは言いながら馬首を返す。ビリーたちは顔を見合わせたが、モーリスの言葉に素直に従った。
ケニス騎士団の特徴は質実剛健と実直だが、それは偏に騎士たちが団長であるケニス辺境伯と副団長であるモーリスを愚直なまでに信頼しているからこそ成り立つ性質だった。勿論平常時では違和感を覚えたり異論があれば意見を述べることも許されるが、戦場では少しの躊躇が死に繋がる。そのため、司令官が優秀であれば、その命令に寸分の狂いなく即座に従う者が生き残るとされていた。そして幸いにも、ケニス騎士団の団長も副団長も戦いに関する勘は非常に鋭い。付き合いが長い騎士ほど、団長と副団長の咄嗟の判断に信頼を寄せていた。
駆け足で砦に向かい走り出したモーリスに付き従いながら、ビリーは息も切らさず尋ねる。
「斥候ということは、敵がそろそろ腰を上げるのではないかということでしょうか」
「あの穴を見て違和感はなかったか?」
「違和感は――ありました。普通に矢が刺さるよりも深く突き刺さっていたように思います」
ビリーの言葉にモーリスは頷く。だがそれだけではないと、彼は付け加えた。
「放たれた矢は縦弓よりも大きい。恐らく大型弩砲を使ったんだ」
その言葉にビリーだけでなく、他の騎士たちも絶句した。大型弩砲は戦の時に使われる据え置き型の十字弓で、大きな弓を放つこともできるが投石も可能にするというものだった。白兵戦で敵を殲滅するために補助的に使われたり、攻城戦で敵の城を破壊するために使われたりする。近年では小回りの悪さから使われなくなっているが、使い道は戦場だけではない。
「大型弩砲で縄をかけた鉄矢を二本飛ばす。その縄の端を対岸に置いて木を括りつけ、縄を引っ張ることで即席の橋を作れる。騎馬隊までは難しいかもしれないが歩兵なら簡単に川を渡れるようになるだろう」
そしてその木と呪術、もしくは魔術を組み合わせれば、簡単に騎馬隊も通れるほどしっかりとした橋を作れるかもしれない。もし反撃されて形勢が不利になったとみれば味方を戻した後、即席の橋を破壊すれば良い。一から丁寧に造った橋とは違って簡単に壊せるはずだ。そうすればもはやケニス騎士団は敵を追い詰めることもできず、ただ防戦一方になる。
一つの可能性を示唆してみせたモーリスに、二人の部下は訝し気な表情を浮かべた。荒唐無稽な妄想ではないかと、半信半疑の様子だ。だがビリーだけは顔色を変える。モーリスの仮定が全くのでたらめではないのだと、彼は直感していた――否、可能だと確信していた。
「副団長。父に――いえ、団長にご判断を仰いだ方が宜しいですね」
それは問いではなく確認だった。モーリスは頷く。
「そのつもりだ」
彼も戦の経験はある。だが魔術や呪術まで絡むと途端に自信はなくなる。特に平穏が崩されようとしている時には、その不穏を排除するためにも確実性の高い、あらゆる可能性を想定する必要がある。だからこそ、モーリスは専門家に尋ねるつもりだった。
「閣下から連絡をすれば、彼の人もすぐに答えてくださるに違いない」
モーリスの言葉にビリーは目を瞬かせる。副団長が一体誰を脳裏に思い浮かべているのかは分からないが、辺境伯領に芽吹いた不穏の目を摘む助けになることだけは、間違いがなかった。
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