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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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24. 誘い水と行く先 3


オブシディアンが見下ろす先で、情報屋テンレックとジルドは顔を突き合わせ、声を潜めて何事か話し合っている。耳をそばだてても彼らの声は聞こえない。一体何を話しているのかと胡乱な目をするオブシディアンは、しばらくしてテンレックが折りたたまれた紙をジルドに手渡した。ジルドは一瞬だけ紙を広げると、すぐに元通りに畳み直してポケットに突っ込む。そのままジルドは不機嫌な表情で倉庫を出て行った。


(情報を頼んでたのか――?)


だがジルドはテンレックに情報料を支払っていなかった。普通、情報の提供を依頼したのであれば、金は情報を受け取った時に支払う。一つの仕事に時間がかかる暗殺とは違う点だ。依頼人側は情報を貰う前に支払って結局情報が手に入らなくなることを防ぐためであり、そして情報屋側は情報を与えたものの支払いがなかったという状況を避けるためでもあった。だがそれがなかったということは、その情報は継続して与えられるものだったか、もしくはテンレックがジルドに何らかの依頼をしたということになる。


(いや、まさかな)


ジルドは暗殺者や間諜を生業とする者ではない。限りなく黒に近いが、辛うじて表の世界に属する存在だ。傭兵だから後ろ暗いこともあるだろうし、過去に色々とやらかしたことはあるようだが、オブシディアンやテンレックから見れば裏社会の人間だとは言い切れない。

だからこそテンレックがジルドに何らかの依頼を流すとは考えられなかった。何よりも今のジルドはリリアナ・アレクサンドラ・クラークの護衛である。十分な給金が支払われ衣食住も提供されているのだから、わざわざテンレックから怪しげな依頼を受ける必要はない。

そしてオブシディアンが知る限り、リリアナはジルドに何らかの情報を得るよう頼んではいない。情報が欲しければオブシディアンに頼めば良いことだからだ。それに彼女は呪術の鼠を使って独自に情報収集している。


(だが、あの男(ジルド)が一体何の情報を欲しがってるんだ?)


全く想像がつかない。内心で色々と考えながら首を捻っていると、テンレックが動いた。倉庫から出て行くのを見て、オブシディアンも明り取りの窓から外へ出る。急いで表に向かうと、テンレックは表通りに出るところだった。視界に入るぎりぎりの距離でオブシディアンはテンレックの尾行を続ける。

だが、途中でオブシディアンは眉根を寄せた。


(なんでこんなところに用があるんだ)


テンレックが足を踏み入れたのは、王都の貴族たちが住まう区画だった。その区画に入った途端、テンレックの気配がかなり薄くなる。目で見ているはずなのに、その姿さえも消えたかのように()()。完全に周囲の景色と同化する――それがテンレックの能力だった。

彼は裏社会の情報屋らしく、自分から行動を取ることは滅多にない。彼が“子鼠”と呼んでいる手下たちが実働部隊だ。そしてテンレックの客に貴族は居なくはないが、彼は積極的に関わろうとしない。オブシディアンが属している大禍の一族とテンレックは、顧客を分けることで裏社会のすみわけを図っていた。


その手下たちを動かさずに自分で動く――それも貴族を相手取るとなると、あまり良い予感はしない。厄介事の気配を感じ取り、一瞬オブシディアンは躊躇した。極力関わりたくないというのが本音だ。だが、すぐに彼は気持ちを切り替えた。

これまでのオブシディアンであれば、特に興味もないままテンレックの動向に注意を払うこともしなかっただろう。彼の動きで自分の属する組織が壊れたところで、全く気にはならない。一族の者たちは路頭に迷うか絶望して自ら命を絶つかもしれないが、オブシディアンは次の“生きる場所”を見つけるだけである。だが今、彼はリリアナの指示に従って様々な仕事をしている。テンレックが貴族に関わろうとしているのであれば、公爵家の令嬢であるリリアナにも関わる話である可能性もあった。


テンレックはとある屋敷に堂々と表門から入る。庭には番犬が歩き回っていたが、侵入者の存在に気が付いた様子はない。犬の嗅覚さえ誤魔化すテンレックに相変わらずの能力だと呆れ顔になりながら、オブシディアンは裏手に回った。人の目を盗んで敷地内に侵入する。

その屋敷はとある伯爵家のものだった。それなりに広いがクラーク公爵家ほどではない。天井裏を少し歩き回れば、簡単にテンレックの居場所が分かった。彼は物陰に身を潜めて室内の様子を窺っている。室内には、二人の男が座っていた。屋敷の主人である伯爵と客人の若い男だ。客人は簡素ではあるが良い仕立ての服を着ている。貴族にしては纏う雰囲気が平民のようだが、身に付けている品は貴族が持つようなものばかりだった。室内に置かれた家具はちぐはぐで、古いものと新しいものが混在している。金策に尽きて家具や置物を売り払い、そして金が入った後で売り払ったものを買い戻したり、買い戻せなかったものに関しては新しいものを買い求めたような風情だった。


伯爵は見るからに嬉しそうな表情で手元の手紙に目を落としていた。客人の若い男はにこやかにその様子を眺めているが、目は笑っていない。どこか嘲弄に似た光が滲んでいるが、伯爵は気が付いていない様子だった。若い男は口を開く。


「伯爵がタナー侯爵をご紹介くださったお陰で、我らの商売も本格的に軌道に乗せることができそうで感謝しておりますよ。我が主も伯爵の献身に甚く感謝しておりました」

「そうですか、そうですか。それは宜しい。貴方の主には私も随分と世話になりましたからね。お陰でこの家も取り戻すことができました。爵位を返上する必要もなくなりましたし、更に謝礼も定期的に頂けるというのですから、ご紹介することくらい何のことはないですよ」


一体何の話をしているのかと、オブシディアンは伯爵が手にしている手紙を注視する。だが影になっていて良く読めない。だが、男が口にした“タナー侯爵”は爵位を継いだ息子のことだろうことは想像がついた。息子に家督を譲って引退した前侯爵は今領地の隅で悠々自適の隠居生活を送っているはずだ。


「ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領では街道の監視が強まりましたから、我々としても商売あがったりでして。他ならぬ貴方にタナー侯爵に取り次いでいただけたからこそ、今後商売の拡大もできると確信しております」

「それは良いことですな。私の領は小さいですが、場所柄ユナティアン皇国との交易にも都合が宜しいですから、お役に立てると思いますよ。尤も、タナー侯爵の協力があってこそ我が領の立地も役立つというものですが」

「ええ。だからこそ、今回の協定では貴方へお支払いする金子を上乗せすると我が主は仰せです。能力と年齢に応じて多少増減はしますが、大人一人で金二枚、子供一人で金一枚。女になればその半額ずつ」


男の言葉を聞いて伯爵は相好を崩すが、慌てて引き締める。さすがにニヤケ面は不味いと思ったのだろう。

そしてオブシディアンは眉間に皺を寄せた。どう考えても二人が話をしているのは人身売買だ。しかも売る先は隣国ユナティアン皇国である。ちらりと陰に隠れたテンレックを見やれば、彼は表情を消していた。その双眸には怒りが滲んでいる。その様子を見たオブシディアンは一つの可能性に思い至ったが、すぐに視線を男たちに向けた。


「ええ、異論はありません。あのような者たちが居ては、我がスリベグランディア王国の品格は落ちるばかりですからな」


にこやかに伯爵は答える。その台詞を聞いた若い男の顔にはほんの一瞬、明らかに侮蔑の色が宿ったが、すぐに掻き消えた。幸か不幸か、伯爵が気付いた様子はない。男はそそくさと立ち上がった。


「それでは伯爵、これにてお暇させていただきます。また主より言付かりましたらご連絡しますよ」

「宜しくお伝えいただけますかな」

「勿論です」


にこやかに答えた男はそのまま部屋を出る。それを見送り、伯爵は鼻歌を歌いながら手紙を机の引き出しにしまった。


「いやはや、三年前は一体どうなることかと思ったが」


伯爵は小さく呟く。

三年前までずっと彼は金策に走っていた。領地の近い二人の伯爵たちも同じ悩みを抱えていた。彼らの領地はそれほど広くもなく、そして地質もそれほど農業向きではない。他の領地で行っているような三圃制も取り入れてはみたが、そもそもの収穫量が少ないのだ。そのせいか、暮らしている領民も一部の若者たちは外へ出稼ぎに行ってしまう。

それでは商業を――と思いはしたものの、領内で出来ることといえば木炭を作ることぐらいで、他に他領へ売れるような製品もそうそうない。どうにか捻り出した木彫りの細工も可愛らしいと賞賛されるものの、領を富ませるほどの商品にはならなかった。どうにか高位貴族に気に入って貰うことで販路を確保しようとしたが、木彫りの作品を褒める者はいても、伯爵が提示する額を聞いた瞬間皆曖昧に笑って引いて行く。共同事業の話を持ちかけても、以前は乗ってくれる人物も居たが、三年ほど前には皆伯爵の姿を見るだけでこぞって遠ざかるようになった。


本来であれば生活の程度を落とすべきだったのかもしれないが、生まれた時から伯爵家で育って来た彼にとって清貧に甘んじるなど矜持が許さない。その結果、気が付けば社交界で爵位や領地を国へ返還するに違いないと噂されるほどに、領地経営は逼迫していたのである。せめて文官として王宮で働いていればよかったのかもしれないが、文官となるには実務能力がなければならない。あいにくとそのような能力には恵まれていなかった上に、一国一城の領主である彼は自分より爵位が下の上司や同僚と仕事をするなど考えられなかった。


そこで彼が仲間と共に目を付けたのが、有能と名高い当時のタナー侯爵家嫡男ショーンである。


「王太子殿下の生誕祭で声を掛けたのが最初だったか――」


執務椅子に深く腰かけた伯爵は、肘掛けに両肘を載せて両手を組む。目を細めて過去に思いを馳せる彼の口角は笑みの形に歪んでいた。

王太子ライリーが十歳を迎えた生誕祭で、伯爵は仲間二人と共にタナー侯爵に声を掛けた。目当ては侯爵本人ではなく、脇に控えていた息子の方である。当時の当主は野望のない、のほほんとした()()()だった。だが、息子の方はその商才故に社交界でも既に評判だった。

彼が力を入れて特産品を開発していたことは、既にその時には有名だった。タナー侯爵家は三大公爵家程ではないものの、豊かな領地として広く知られるようになったのである。実際にその時にショーンが開発していた特産品の一つである香水は、一昨年にユナティアン皇国から皇子と皇女が外遊で来た際、品評会で優勝候補に残っている。その品評会から更に香水は国内外に名を馳せていると聞く。


だから三年前のあの日、伯爵が仲間と共にタナー侯爵へ声を掛けたことは間違っていなかった。伯爵は仲間に黙ってあの後もショーンと連絡を取り続けた。そしてたまたま知り合った若い男に商売を持ちかけられ、これ幸いと話に乗った。商売は殆ど若い男の“主”とやらが考えてくれているから、伯爵がすることは自領を通る商人に扮した怪しい男たちに気が付かなかった振りをすることと、男の“主”から手紙を受け取った時に通行許可証を渡すことの二つだけだ。それだけで十二分な金が入るのだから、とても楽な商売だった。これまでのように高位貴族へ世辞を言って媚び諂ったり、収穫高に頭を悩ませる必要もない。


そして二年ほど前に、若い男の“主”は男を使って手紙を寄越した。それが、諸々の条件を満たす貴族を紹介して欲しいというものである。伯爵も愚かではない。条件を見れば一体何を望まれているのか、推察するくらいのことは出来た。

即ち、男の商売が上手く行くように()()を運搬する道を確保したいのだ。思い当たる人物は数少なく、かつ伯爵が口を利ける――即ち紹介する貴族とある程度の関係性を確保できている相手といえば、更に限られた。それが代替わりしたタナー侯爵だった。


「お陰で更に金が手に入る」


一時は先祖代々受け継がれて来た家財を売り払うところまで追い詰められた。苦渋の選択だったが、爵位と領地を返還することを考えれば簡単だった。それが今や、売り払った家財を買い戻すところまで来たのである。あいにくと全てを取り戻すことはできなかったが、それでも伯爵は満足だった。

社交界で自分を馬鹿にしたように笑う高位貴族たちを見返すことが出来るかもしれない――そんな夢さえ胸に抱き、伯爵は満足そうな息を細長く吐く。

その彼が気付かない内に、屋敷に潜んでいた二つの影――テンレックとオブシディアンの二人は、伯爵邸を後にした。



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