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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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24. 誘い水と行く先 2


リリアナと別れて馬車に乗り込んだクライドは、動き出した車窓から外を眺めて小さく息を吐いた。

父を亡くしてから、彼の中で妹の印象が変わった。ずっと、クライドはリリアナのことを幼くてか弱い、守るべき存在として認識していた。だが、彼女がクライドと母ベリンダを守るために父を殺したあの日から、クライドは自分の抱いていた印象が間違っていたと気付きつつあった。

父に対して見せた厳しく凛とした、そして駆け引きに長けた性格が彼女の真の姿に違いない。


「また今日も、隠した様子だったな」


今回リリアナの元に立ち寄ったのはわざとだった。名目は妹との親交を深めるために顔を見せたのだが、その目的が本心だったのは最初の方だけだ。勿論今も兄妹として仲を深めたいとは思っている。だが、どちらかと言えばリリアナがどこまで物事を知り、考え、そしてそれをクライドに隠そうとするのか――それを確認する意図の方が強くなっている自覚があった。


今回用意した租税台帳から読み取れる疑惑は複数ある。その内の一つは、リリアナが口に出して指摘した農地と居住地区の拡大だ。その理由はクライドもまだ掴めていない。フィリップが何かを知っていることは確実だが、良からぬ意図であることは薄々分かっている。フィリップに尋ねる案を敢えて肯定すれば、リリアナは反論しなかった。

妹は愚かではない。他人のことも良く観察している。フィリップに尋ねても碌な答えがないどころか、クライドに対する監視が強くなる可能性には気が付いていただろう。それなのにその点をクライドに指摘しなかった。そのことがクライドの心に引っかかっていた。


そしてもう一つ――それが、鉄鉱石の購入量だった。祖父の葬祭を執り行った際、ユナティアン皇国のローランド皇子を鍛冶場に案内することに父エイブラムは強く反対した。その時には気が付くことができなかった可能性にも、今手元にある資料だけで気付くことはできる。実際にリリアナは、クライドが菓子を食べている前でその可能性に思い至った様子だった。それにも関わらず、リリアナは最後まで何も言わなかった。


「わざわざフィリップ(あの男)の目を盗んで写しを取った甲斐があったというべきなのか、それとも――」


それとも、唯一残された慈しむべき家族を疑わねばならない状況に陥りつつある事態を嘆くべきなのか。


クライドは自嘲の笑みを浮かべ、片手で顔を覆った。

どれほど厳しい父であろうと、妹を蔑ろにする母であろうと、クライドは疑ったことはなかった。少なくとも間違ったことはしていないのだと思っていた。家庭を顧みない父ではあっても“青炎の宰相”と呼ばれるクラーク公爵のことは尊敬していた。全く同じにはなれなくとも、少なくとも父に認められるほどの能力を身に付けたいと努力を続けて来た。

だがあの日、その前提が全て崩れた――実の両親を殺したと糾弾した母を一片の躊躇なく殺そうとした父は、エアルドレッド公爵を暗殺していた。そして実の娘を隷属させようと、楽し気な笑みすら浮かべて禁呪を唱えた。そして、母は壊れた。元から彼女の精神は壊れかけていたのかもしれないが、あの日に全てが崩れ去った。そして祖父が亡くなった今、祖父の妻として矜持を保っていた祖母は孫に興味がない。


クライドに残ったのは、妹のリリアナだけだった。

だが、その妹ですらクライドに心を開かない。如才なく笑顔を浮かべて受け答えはするものの、重要なことは隠し誤魔化す。最初は妹を疑うまいと己の心を殺しても、沸き起こる疑心暗鬼は無視できないほどになりつつある。


「僕は愚かなことをしているのだろうか」


妹を試すような真似をしていることは、あまり褒められたことではないのだろう。だがクライドはそうせずには居られなかった。

ポケットから小さな紙きれを取り出す。リリアナの暮らす屋敷で働いている侍女から渡されたものだ。出自は下位貴族だが、綺麗な文字を書く女性だった。短い文章を追ったクライドの目が細くなる。


〈ペトラという方からお手紙を受け取っておられました〉


前回屋敷を訪れた時、クライドはその侍女に声を掛けた。妹を心配する兄の顔をして頼めば、甚く感激した侍女はリリアナの生活を逐一教えてくれると約束してくれた。


「ペトラ? ああ――ペトラ・ミューリュライネンか。彼女と面識があったとは知らなかったな」


勿論、妹の交友関係を詳らかに知るつもりはない。だが、ペトラ・ミューリュライネンという魔導士は今、魔導省でも微妙な立場に置かれている。

三年前に起きた魔物襲撃(スタンピード)を期に、彼女は副長官ベン・ドラコと共に魔導省から距離を置いた。まだ籍は残っているが、医師の診断を盾にのらりくらりと復職から逃れているらしい。本来であれば魔導省も離職を勧告するべきだが、そうしないのは魔導省側にも何らかの思惑があると推測できる。


「さて、どうしようか」


クライドは目を細める。その端正な横顔は、リリアナが前世の乙女ゲームで見ていた攻略対象者クライド・ベニート・クラークの表情そのものだった。



*****



リリアナは地図を広げたまま考え込んでいた。クラーク公爵領にある鍛冶場は複数ある。だがその中で大量の鉄鉱石を処理できる鍛冶場は一ヵ所だけだった。


(フォティア領からおよそ馬車で二週間――)


距離からおよその時間を算出する。馬を飛ばせば時間は短縮できるが、フィリップの目がある場所でわざわざ馬車ではなく馬を使うことはないだろう。

クライドは愚かではない。父エイブラムが居たせいで表立ってはいないが、その才能は同世代の中でも際立っている。だからこそライリーは()()()の息子でありながら、クライドを自陣営に取り込み側近にするため動いていた。経験を積めば他の追随を許さない能力を示すだろう。だからこそ、クライドが鉄鉱石の不自然な購入量に気が付いていないはずはない。知っていて敢えて口にしなかったのだろうとリリアナは踏んでいた。


「きっとフォティア領から直接向かうおつもりでしょうね」


クライドは“最初はフォティア領に向かう”と言っていた。他の場所に足を運ばないとは言っていない。

領地を治める拠点は各地にあるが、効率を考えれば必然的にフォティア領が最初の目的地になる。そして二番目が鍛冶場のある地域だ。父が亡くなってから一年と少しの間、リリアナたちは喪に服していた。その中でもクライドは領地のことを少しでも早く知ろうと昼夜奔走していた。それでもなかなか領地に足を向ける時間はなかったようで、王都とフォティア領の行き来ばかりだった。ちょうど一段落ついた今の時期が、領地を見て回るのに良い機会なのだろう。

それならばまだ余裕はあるとリリアナは内心で嘆息する。幸いにもリリアナは馬車や馬という手段を使う必要がない。鍛冶場までであれば、一人で転移できる自信がある。地図が不正確であれば出現地域に差異が出てしまうが、辿り着かなければ日を改めて再度試せば良いのだ。フォティア領までおよそ一週間、そしてそこから更に二週間。クライドが鍛冶場を訪れるまで、少なく見積もっても三週間必要だ。それだけあればリリアナが先に鍛冶場の内部を調査するに十分だった。


焦る必要はないと言い聞かせて、リリアナは地図を丸める。それを持てば慌ててマリアンヌが地図を受け取ってくれた。それならばと、ついでに適当に見繕った書物も幾つか部屋に持ち帰りたいと告げる。それほど冊数は必要ない。


「これを部屋にお持ちになるのですか?」

「ええ」


マリアンヌは書物の題字を見て納得した様子だった。リリアナが選んだ本は“ユナティアン皇国年代記”や“スリベグランディア王国建国史”といった歴史書ばかりだ。歴史を紐解く際に地図を見ると、文字情報を追うより多くのことが理解できる。

これまでもリリアナは書物を読みながら地図を参照することが良くあった。だからかマリアンヌは不審に思った様子もない。だが、リリアナは歴史の理解を深めるために地図を持ち帰るわけではない。その地図を元に転移先を特定し、鍛冶場に潜入するつもりだった。



*****



リリアナが行動を起こしたのは、その日の夜だった。姿を消せば昼間でも気付かれずに潜入できるかもしれないが、鍛冶場にどのような人間がいるのか把握できていない現時点では悪手だ。呪術の鼠の存在に勘付いた者のように、気配に聡い者が居ないとは限らない。

念のために姿を消して転移の術を使う。一瞬の浮遊感を覚えた後、リリアナは自分を囲む空気が変わったことに気が付いた。ほぼ同時に視界が真っ暗闇を捉える。

夜半過ぎ、月明かりすらない外は酷く暗い。空を見上げれば満天の星が煌めいているが、地上にある物体は間近にあるもの以外認識できなかった。リリアナは小さく詠唱する。


「【索敵(ズーハ)】」


熱源と魔力を探知する彼女独自の術を発動すれば、暗闇でも物体を認識できる。幸い近くに人はいないらしく、魔力の反応はない。だが少し離れたところに建物らしき影がある。その裏手には広大な森が広がっていた。鍛冶場だろうかと見当を付けて、リリアナはそちらに向かって慎重に歩みを進める。

魔術や呪術の仕掛けが施されていないことを確認し、リリアナは魔術で周囲を明るく照らした。ほっと安堵の息を漏らす。


確かにそこは鍛冶場だった。建物のように見えていたそこは、熱を逃がすためか開放的な造りをしている。中を見て回ると、鉄鉱石や木炭といった材料を保管する倉庫、精錬炉や火炉のある作業場に分かれていた。少し離れた場所に完成品を保管している倉庫もある。だが置いてある材料も倉庫に収められている完成品も、明らかに鉄鉱石の購入量に釣り合わない。


「――まさかこれだけということはございませんわよね。作った物をどこに置いているのかしら」


他にも保管庫があるのではないかとリリアナは眉根を寄せる。

既に売り払った可能性も否定できなくはないが、他にも保管場所があると考えて捜索した方が良さそうだ。特にリリアナが調査の候補として最初に上げたこの鍛冶場は鉄鉱石の購入量が最も多い。実際にリリアナが目にした火炉は相当な大きさだった。即ち有輪犂といった大物も手掛けているはずである。それにも関わらず、リリアナが見つけた保管庫に置いてあるものは刃物や鍋、鋏、釘といった小物が殆どだった。有輪犂はたったの一機しか置いていない。


もう一度索敵(ズーハ)の術を使ってリリアナは周囲を良く検分する。それでも気に掛かるものは見つからず、更に捜索範囲を広げた。


「――あら」


リリアナは視線を森の方角へ向けた。製鉄のためには木炭が必要だ。そのため鍛冶場の近くにあるこの森には奥まで手が入っているのだろう。だから森の中に小屋があることは不自然ではない。伐採した木を保管したり木こりが道具を置いておくために、掘っ立て小屋を作ることは良くある。それでも、リリアナが気が付いたその小屋は不自然に大きかった。少し裕福な農民が暮らす程度の家だ。この周囲に住まう人々はそれほど裕福ではない。鍛冶場のお陰で食うに困ることはないが、他に特産と言えるものもなく、日々の食事以上の贅沢はできない。そのような地域で“少し裕福な農民が暮らす程度の家”が森の中に建っているなど普通に考えればあり得なかった。


不自然な建物の存在に気が付いた瞬間にそこまで思考したリリアナは迷わなかった。夜中の森を歩くよりは安全だろうと転移の術を使う。瞬きをする間もなく、リリアナは森の中に居た。魔術で周囲を照らす。案の定、リリアナが見つけた建物は立派な造りだった。掘っ立て小屋などとは口が裂けても言えない。


リリアナは大きな扉を前に溜息を吐いた。薄々予想していたことではあるが、扉には頑丈な閂が掛けられている。錠前もリリアナの両手に余る大きさで酷く重い。更に問題なのは、建物全体に術が施されてある点だった。気付かれないよう巧妙に掛けられたその術は、明らかに外部からの侵入を防ぐ目的だ。鍵が破壊されても、魔術や呪術を使って建物の中に侵入しようとしても、建物を守るために張り巡らされている術は反応してしまう。反応した結果、何が起こるのかまではリリアナにも分からない。いずれにせよ碌な未来は待っていないだろう。

だが、その警戒心の高さが逆にリリアナの疑惑を裏付けていた。


「明らかに怪しんでくれと言っているようなものですわね」


この中には他人に知られたくない大切な何かがあるのだと声高に叫んでいるようなものである。そしてリリアナは、ここまで来て引くつもりはなかった。

鍵を破壊しても魔術を使っても張り巡らされた防御術は反応する――即ち、()()()鍵を開ければ良いのだ。リリアナに解錠の技術はない。だが、その能力を持つ協力者は居る。


「――明日にでも連れて来ましょう」


リリアナは小さく笑みを零し、転移の術を使った。あっという間に姿は掻き消え、彼女は王都近郊の屋敷に戻る。紙に短く伝言を認めた彼女は、私室の窓を開けて口笛を吹いた。独特の音が夜空に響き、次いで羽ばたく音が聞こえる。すぐにやって来た漆黒の烏を見て、リリアナは目を細めた。


「これを貴方の主に持って行ってくださいな」


細長く折りたたんだ手紙を烏の足に括りつける。烏は了解したというように一度だけ頭を下げ、そして飛び立つ。あっという間に暗闇へ姿を消した烏を見送って、リリアナは窓を閉める。少し冷えた体を温めようと、リリアナはさっさと寝台のシーツに潜り込んだ。



*****



リリアナが鍛冶場の地図を調べていた頃、オブシディアンは王都西部にあるアントルポ地区で見知った顔を見つけていた。


「――珍しいな」


裏社会では情報屋として有名な男――テンレックだ。彼と最後に会ったのは確か三年前だったはずだが、連絡自体はその後も何度か貰っている。

スリベグランディア王国のとある貴族が専属の刺客を探しているという情報を無視した後、テンレックからは一切の接触がなかった。恐らくその貴族がリリアナの父親エイブラム・クラークだったのだろうと見当は付けているが、確認したことはないしこれからもするつもりはない。


見知った顔とすれ違っても知らぬ振りをするのがオブシディアンたちにとっての礼儀である。だからオブシディアンも普段であればテンレックを無視するのだが、この時興味を引かれたのはテンレックが珍しく険しい表情を浮かべていたからだった。

オブシディアンの知るテンレックは常に飄々とした態度を崩さない、抜け目のない男だ。金が好きで非情にもなるが義理立てするところもあり、情報屋として敵対している者たちの間を上手く渡り歩いている。彼の情報収集能力を買って仲間になるよう勧誘する者もかつては居たが、テンレックは決して特定の派閥に与そうとはしなかった。

淡々と情報を集めて何に対しても熱くならない男――それが、テンレックだった。その彼が、眉間に皺を寄せている。これ以上面白いことはなさそうだ、とオブシディアンは口角を上げた。


「ちょっと探ってみるか」


そう決めたのは単に好奇心を掻き立てられたからだ。気配を消して白昼堂々テンレックを尾行する。慎重な情報屋を相手にそのような豪胆な真似ができる者はオブシディアン以外に居ない。テンレックが情報屋と呼ばれるようになった切っ掛けは、存在感の薄さと気配に対する敏感さだ。そこに居ると気付かれないまま存在し、そして自分に意識を向けている存在にいち早く勘付く。だからこそ彼を尾行することは酷く困難だ。

だが、オブシディアンは構わずに人混みに紛れながらもテンレックの後を追った。


暫く歩くと、テンレックは倉庫ばかりが集まった地区に足を踏み入れた。途端に周囲を歩く人が少なくなる。元々教会や民家だった場所を倉庫に改装しているため、倉庫とは言っても様々な形がある。そこには西部の港町から運ばれた物資が多く貯蔵されていた。


オブシディアンは、テンレックが入った倉庫の手前で足を止める。中に入るつもりはない。倉庫もそれほど大きくはない。ここまでせっかく気付かれずに尾行していたのに、中に入れば存在を知られることになってしまう。かといって外で手をこまねいていれば、テンレックが一体何故あのように険しい顔をしていたのか突き止めることはできない。

オブシディアンは倉庫の裏手に回る。テンレックが入った倉庫は一階建てだったが、天井が他と比べるとかなり高かった。上の方には明り取りのための窓がある。それほど大きい窓ではないが、小さすぎもしない。平坦な壁には十分な取っ掛かりもないが、オブシディアンはにとっては子供の遊び場のようなものだった。


「いっちょ上がってみるか」


小さく呟くと、ローブを目深に被る。少し離れた場所から助走をつけて軽く地面を蹴る。指先が掛かるか掛からないかといったわずかな窪みを利用してあっという間に小さな窓まで辿り着くと、彼はそこから倉庫の中に身を滑り込ませた。普通の人間であれば通り抜けられない大きさの窓だったが、オブシディアンであれば辛うじて通り抜けられる。そのまま天上に張り付く形でオブシディアンはテンレックの姿を探した。

どうやらテンレックは人を待っているらしい。しばらくして、倉庫の扉が開く。テンレックの待ち人が来たようだ。その人物を見てオブシディアンは目を瞠った。


「――――まじかよ」


思わず声が漏れる。その人物を、オブシディアンは見たことがあった。


「なんでそいつが居るんだ?」


テンレックが会った男。それはリリアナの護衛をしている傭兵、ジルドだった。



19-10

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