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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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24. 誘い水と行く先 1


エイブラム・クラーク公爵が亡くなり、公爵夫人であったベリンダは療養という名目で王都からだいぶ離れた領地に暮らすようになってから一年――。

リリアナの兄クライドは頻繁にリリアナの暮らす王都近郊の屋敷を訪れるようになった。その日も朝食を終え自室でゆったりと本を読んでいたリリアナは、マリアンヌの言葉を聞いて目を丸くした。


「お嬢様、公爵閣下がいらっしゃいました」

「まあ」


またなの、とリリアナは呟く。

父エイブラムを殺害した後、声が出る事実をクライドに知られたリリアナは、マリアンヌやオルガ、ジルド、そして屋敷の使用人たちに声を掛けることにした。使用人たちが皆涙ながらに喜んでくれたことはリリアナにとって予想外で、どうすれば良いのか狼狽してしまった。未だに使用人たちはリリアナが話す度嬉しそうな顔をする。

そして一番リリアナと接する時間が長いマリアンヌは最近ようやくリリアナが話すことに慣れた。小さな主が思わずといったように零した言葉を拾い上げて宥めるような言葉を口にする。


「お嬢様のことをご心配なさっているのですよ」

「そうね」


リリアナは素直に頷いた。だが完全に同意しているわけではない。クライドが自分を気遣ってくれていることは分かるが、他人を気に掛けることは彼の性質だ。他にすべきこともあるのだから、わざわざリリアナの様子を見に来なくても良い。一度だけ思うがままに告げれば、クライドは眉根を寄せて『僕が来ない方が嬉しい?』と尋ねて来た。実際にクライドが来ればリリアナは自由な時間が減る。そうすると秘密裏に行っている各地の屋敷の捜索も捗らない。だからといって迷惑だと言えるわけもなかった。言えば何故迷惑なのかと問われることは確実で、面倒事になることは明らかだ。結局、クライドは定期的にリリアナの元へ通って来る。予定がなくとも、リリアナが王宮でライリーと会った帰り道、偶々出くわしたクライドが「一緒に帰ろう」と誘うこともあった。これまで忙しいとはいえ一人きままに暮らしていたリリアナにとっては若干負担だ。


「準備が整いましたので、応接間に参りましょう」


マリアンヌに促されてリリアナは椅子から立ち上がる。髪は綺麗に結い上げられ、服装は簡素ながらも質の良いものだ。階段を下りて応接間に向かうと、そこには既にクライドが座っていた。予想通り忙しいらしく、テーブルの上には書類が置いてある。挨拶をしたリリアナは苦笑を漏らした。


「相変わらずお忙しいのですね。少しお休みになられたら宜しいのに」

「仕事にかまけて家族を蔑ろにするのも、あまり良くないと思うんだ」


クライドの言葉を聞いたリリアナは微苦笑を浮かべたままソファーに腰を下ろす。何気なく卓上の書類に目をやりながら口を開いた。


「オースティン様に影響されていらっしゃいますわね」

「良いと思ったことは取り入れるべきだよ」


確かにクライドは様々な考え方や知識を取り入れては実践している。特に彼が今拘っていることは、リリアナとの会話を重ねることだった。だが元々会話のなかった兄妹が突然盛り上がることなどできるはずもない。興味の対象も普段触れているものも違う。それでもクライドは構わずリリアナに関わろうとしていた。


「今日は何をしていたの?」

「本を読んでおりました。お兄様はこれから領地に向かわれるのですか?」

「ああ、最初はフォティア領に向かう。領地の一部で疫病が流行り始めたらしくてね」


クライドは深刻な顔で頷いた。フォティア領には執事のフィリップが居る。クライドは王都の公爵邸とフォティア領の屋敷を行ったり来たりしているが、フィリップは基本的にフォティア領から動かない。王都の公爵邸にも必要な資料は多少揃っている。だが非常に広大な領地を把握し管理するためには、直営地の拠点の一つであるフォティア領に向かわねばならない。


「フィリップにお会いになるのですね」

「そうだ。疫病についても彼なら何か知っているかもしれないだろう」

「どのような疫病なのですか?」


リリアナが尋ねれば、クライドは淡々と答える。発熱、脱力感、頭痛から始まる病で、やがて肌は黒色に染まり死に至るという。クライドは目を瞬かせて「何か知っている?」と尋ねた。リリアナは一瞬躊躇ったが、小さく頷いた。


「その病は書物で読んだことがございますわ。歴史書にも度々登場いたしますもの」


だからクライドも知っているはずだとリリアナは目を向ける。妹に無言で尋ねられたクライドはしばらくリリアナの目を見つめていたが、やがて苦笑と共に嘆息して肩を落とした。


「――黒死病だね」

「ええ、わたくしもそう思いますわ」

「でも対処法は分からない。患者を隔離する他に方法はないと聞くけど、でもそれでは防ぎ切れないと歴史が証明している」


それも当然だとリリアナは頷く。黒死病はペスト菌と呼ばれる菌が原因として発症する。主に鼠や犬、猫、ノミから感染するのだから、抗生物質が存在しないこの世界で対処するのであれば患者を隔離するだけでは足りない。ペスト菌を有する動物の駆除とノミの殲滅――つまり衛生環境を整えることが最優先だ。特に多いと考えられるのがノミやシラミを介した人同士の感染だから、動物に関しては後回しでも構わない。獣に触れる可能性の高い貧民から対処すれば対応は間に合うはずだ。


「そうですわね。患者の隔離も重要ですが、それに加えて衛生環境を整えるべきでございましょう」

「――衛生環境?」

「ええ」


リリアナは頷いた。黒死病はリリアナの記憶にある前世でも根絶していなかった。予防薬もなく、発症すれば抗生物質による治療と支持療法で乗り切るしかない。その治療を受けることが出来れば致死率は下がるものの、治療を受けられなければほぼ確実に死に至る病だ。

それでもあの世界で黒死病の流行が局所的になるまで抑えられたのは、他でもない衛生環境を整えたからだった。ペスト菌を有するノミを徹底的に駆除したのである。


問題は、この世界に“菌”や“ウイルス”の概念がないことだった。魔物の発する瘴気によって引き起こされる病だと考えられて来た。そのため、黒死病の患者が出た地域には遅かれ早かれ魔物襲撃(スタンピード)が発生すると言われている。歴史書を紐解いてもそのような因果関係は認められないが、それを事実として認識している者は貴族の中でもごく少数だった。


「黒死病の原因は目に見えないほど小さな虫だという話ですわ。その虫は獣についておりますの。獣に触れた人が発症し、その人に触れた別の人が発症するということですから」


リリアナの指摘にクライドは真顔で考え込んだ。

貴族や金のある商人たちは野生の獣に触れることは滅多にない。そのため黒死病の感染は()()()。だが、感染しないわけではない。貴族や裕福な商人たちが口にする食料は貧しい農民が収穫したものだし、彼らが身に付ける衣服は貧しい者たちが染めたり織ったりした生地から出来ている。衛生観念が薄いこの世界では、一々食料や衣服を殺菌したりはしない。貧しい者たちは多少熱が出たところで働くのを止めないから、彼らが気付かない内にノミは広がっていく。


淡々としたリリアナの説明は理路整然としていて、非常に分かりやすい。クライドは喉の奥で唸った。


「確かに確証はないが、一理ありそうだね。リリーは一体どこでその知識を得たんだい?」

「――かつて、他国で病の原因が目に見えぬ生物のせいだと記した方がいらしたのです」


その書物を読む機会に恵まれたので、とリリアナは控え目に答える。クライドは目を瞬かせた。


「そんな書籍が屋敷にあった?」

「ええ、屋敷にあったように思いますわ。以前一度読んだきりですので、どこにあったかは記憶が曖昧なのですが」


適当に言葉を濁せば、クライドはそれ以上追及しようとはしてこなかった。勿論リリアナも自分の説明でクライドが納得するとは思っていない。瘴気や魔力によって大半の病を説明するこの世界にあって、リリアナの発言は異端と非難され得るものだった。むしろクライドが素直に受け入れてくれた方が驚きだ。これ以上知識の出自について問い詰めて欲しくないとリリアナが思っていると、クライドは僅かに声音を変えて話題を変えた。


「そういえば、これなんだけど」


言いながら、クライドは鞄を開ける。


「貰った資料で幾つか不明な点があったんだ」

「不明な点?」


リリアナは首を傾げた。クライドは「そう」と答える。そして彼がリリアナに差し出した書類を受け取る。それは租税台帳の一部を書き写したもの。リリアナにはそこに記されている数字に()()()()()()()


「それを見て何か思わないかい?」


クライドがリリアナの顔色を窺いながら尋ねる。リリアナは感情の読めない表情を浮かべておっとりと答えた。


「農地と居住地区がだいぶ広がっておりますのね」

「そうだ。でもここ最近それほど農地改革は進めて居ないはずなんだよ。それに農耕具も画期的な進歩はない」


クラーク公爵家の治める土地で使っている農具は他の領地のものとは違う。鍛冶職人の元に魔術を使える職人を増やし、より頑丈な鉄車輪を使った犂を量産することに成功した。そのお陰で三圃制も他領より早く根付き、人手が足りないとなったところで農地拡大は一旦完了したのだ。


「それから人も増えてはいないんだ――書類上は」


クラーク公爵領は租税台帳を作り領民たちを管理している。スリベグランディア王国でも精度の高い租税台帳を管理している領地は稀だが、クラーク公爵家はその稀な領主の一つだった。だが、それでもすべての領民を把握できるわけではない。領主が知らない内に領内に住み着いている者もいる。代表的な例は“北の移民”だが、傭兵や他領から逃れて来た者、隣国の者も中には存在していた。


「――お兄様は、何者かが我が領内に住み着いているとお考えなのでしょうか?」


リリアナは尋ねる。だがそれはあり得ない。土地が増えていると把握しているのであれば、必然的にそこに住んでいる者も把握できる――即ち全ての者が租税台帳に記されるはずだ。それにも関わらず人が増えていないということは、何らかの意図を持って開拓していると考えた方が自然だった。

案の定クライドは首を振ってリリアナの問いを否定する。


「いや、それならば増えた人員が租税台帳に記載されて然るべきだ。だが、人は増えているという記載がない。何故農地と居住地区を広げたのか、フィリップなら理由を知っているかもしれないと思ったんだ」

「フィリップにお尋ねになるつもりですのね」


それは止めておいた方が良いのではないかと思いつつも、リリアナはクライドを止めない。

以前からフィリップはクライドに非協力的だった。最近は多少クライドを認めているような素振りを見せているが、それでも親切とは言い難い。この件に関しては亡父も知っているはずであり、必然的にフィリップが認識していないわけはない。だが、だからといって正直に教えてくれるとは到底思えなかった。

同じ結論に至っているのか、クライドはすぐには頷かない。少し考えていたが、やがてやおら首を振った。


「直接尋ねても教えてはくれないと思う。だから他に手立てを考えようと思うんだが、思い付かない。本音を言えば、フィリップが居ない時を狙って執務室の書類を全て確認したいんだけどね」


苦笑混じりにクライドは肩を落とす。リリアナは曖昧に頷いてみせた。

フィリップの目を盗んで書類を確認することは難しいだろう。フォティア領の屋敷は彼の監視下にある。大量の書類に目を通していれば、必ずフィリップの知るところとなる。勿論リリアナは人が居ない時に忍び込んで書類を調べているから気が付かれていないはずだ。だが、こちらの存在を気取られないように注意して調査をすれば時間ばかりが掛かる。未だにリリアナも全ての書類は確認できていない。だいぶ残りも減ったが、やはり表に置いてある書類では大したことが分からないという結論に至りつつあった。


「――そうですか」


リリアナは困ったように小首を傾げてみせる。一つ、リリアナには心当たりがあった。

父エイブラムの謀略の全てを明らかにするためには、恐らく主だった屋敷にあるだろう隠し部屋に侵入し、そこに保管されているだろう書類あるいは日記の類を見つけなければならない。問題はその隠し部屋への侵入が、リリアナの能力でも難しいということだった。

隠し部屋の場所と入室方法が分かっているフォティア領の屋敷で何度か試しているが、隠し部屋だけでなく出入りする扉にまで高度な魔術と呪術が掛けられている。リリアナも見たことのない術式が使われていた上に、複雑すぎて簡単に解析できるようなものではない。扉を開ける“鍵”自体が個人を認識するようになっていて、認められた者でなければ扉の“鍵”に触れることすらできなかった。


「リリーは何か思い浮かぶ案はない?」

「残念ながら」


お役に立てずに申し訳ございません、とリリアナは頭を下げる。クライドは苦笑して首を振った。


「謝るようなことじゃないよ、リリー。ありがとう。でもそうか、リリー()()思い付かないのか」


微妙な言い回しに、リリアナはほんのわずかに目を細めた。頭を上げて兄を見れば、優しい笑みを浮かべながらも双眸には油断ならない光を浮かべてリリアナを見つめている。彼女が違和感を覚えたと同時に、クライドは完璧に優しい兄の顔に戻った。

リリアナはクライドの眼差しに気が付かなかった振りをしてお茶と菓子を勧める。クライドは笑って菓子を一つ摘まんだ。リリアナは滅多に菓子を食べない。来客もほとんどないこの屋敷には、これまで菓子は常備されていなかった。来客があると分かってから準備しても十分間に合ったからだ。それが、クライドが来るようになってからは客人用の菓子も常備されている。料理人は腕をふるう甲斐があるとやる気に満ち溢れ、若い侍女や下女たちはおこぼれが貰えるかもしれないと喜んでいるそうだ。


それほど甘味を好まないリリアナはクライドに付き合って一口食べたが、それで満足した。茶を飲んで口の中から甘さを消しながら、何気なく先ほど受け取った租税台帳の写しをめくる。

写しは以前フォティア領の屋敷へリリアナが侵入した時に確認した租税台帳からの抜粋で、情報はその時よりも増えている。そこでリリアナはふと奇妙な動きに気が付いた。


(――そういえば、何故一年を通して鉄鉱石の購入量に変化がないのかしら)


鉄鉱石の使いどころは限られている。勿論農具を作るためだけに用いられているわけではないが、魔術を使える職人を雇ったところで、現在の製鉄技術や知識には限界があった。その上、必要に迫られて何らかの発明をするという機会もそれほど多くはない。基本的に諸侯も領民たちも今の生活に満足しているし、何か画期的な発明をして生活をより快適にしようと考えるほど余裕がある者も少ない。生活を快適にするよりも病や怪我の治癒の方が余程重要だ。


それを考えると、一年を通して鉄鉱石の購入量が変わらないというのはおかしな話だった。数年間の変遷を見ると、一定どころか僅かながら増加している。

農具は消耗品だが、毎年同数必要になるようなものではない。一度作ればどれほど荒い使い方をしても、修理をしながら数年は使える。農地は広がっているが人は増えていない。となると必要な農具が増えるわけではない。更に、仮に作った農具がすぐに使えなくなる不良品だったとしても、一年を通して生産が必要になるはずがなかった。三圃制はその名の通り一年を三期に分けて農地を有効活用する方法だ。夏場と冬場は作物を植えるが、残りの時期は休閑期として放置する。つまり休閑期に新たな農具は必要ないはずだ。


(一体何のためにこれほどの鉄鉱石を購入しているのでしょう)


ふと脳裏に生前の父の姿が蘇る。祖父ロドニーが亡くなった時、会食の席でクライドは隣国のローランド皇子の視察先について話した。候補の一つとして公爵領の鍛冶場を上げた息子に、父は『鍛冶場は許可できない』と告げ頑として譲らなかった。

その時リリアナとクライドは、武器を造ることができる鍛冶場を見せることで、ローランド皇子をクラーク公爵家が支持していると思われる危険性を憂慮してのことだと理解した。だが、もし他に理由があったのだとしたら――何故エイブラム・クラークは、鍛冶場を視察することに反対したのだろうか。


リリアナは何気ない仕草で書類を元に戻す。顔を上げるとクライドがリリアナを注視していた。その視線を正面から受け止めて、リリアナはにっこりと笑んだ。


「お菓子はお気に召しまして、お兄様?」

「うん、美味しい。ここの料理人は腕が良いんだね。また食べに来るよ」


クライドも穏やかに答える。二人は和やかに取り留めのない会話を続けた。殆どクライドが質問してリリアナが言葉少なに応じる状態だったが、いつものことだと二人は気に留めない。クライドは泊まるつもりはなかったらしく、昼食の前に屋敷を発つ。その姿を見送ったリリアナは、一旦図書館に向かった。そこには公爵領の地図がある。リリアナは鍛冶場の場所を確認するつもりだった。


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