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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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23. 双璧の後始末 10


王都の一角、下級貴族や裕福な商人が買い物に出る一画に、その料理屋はあった。表向きは普通の店だが、とある類の客は隠された特別室に案内される。滅多に使われないその部屋は、その日異様な雰囲気に包まれていた。


「こうして集まるのも久方振りですな」

「いかさま。ああ、メラーズ殿。此度はおめでとうございます」


楽し気に笑みを零した片眼鏡の男に頷き、口髭の男は右手に持った葡萄酒のグラスを掲げてみせた。メラーズ伯爵もまた手にしたグラスを掲げて礼に代える。そして丁寧な口調で二人の客人に微笑みかけた。


「こうしてお集まりいただけて何よりです。久方振りですので旧交を温めつつ、未来への希望を語り合おうではありませんか、スコーン侯爵閣下、グリード殿」

「メラーズ殿が宰相になられた今、我らの未来は明るく光り輝いていますよ」


毎日手入れを欠かさない自慢の口髭を指先で撫でつけ、スコーン侯爵は満足そうな笑みを零す。その隣に座るグリード伯爵は片眼鏡を掛け直し小さく笑いを零した。グリード伯爵はメラーズ伯爵と旧知の仲だった。だが、伯爵位しか持たず王宮でも重要な地位にない彼に、スコーン侯爵は冷たい。メラーズ伯爵と旧知でなければ、スコーン侯爵はグリード伯爵を一瞥すらしないだろう。だからこそ彼はスコーン侯爵の言葉には反応しない。メラーズ伯爵はそんなグリード伯爵を一瞥し、話題を変えた。


「そういえば、グリード殿。貴殿のご子息も魔導省副長官として活躍なさっているようですな」

「愚息の噂を貴殿もご存知とは、親としては嬉しいやら恥ずかしいやらですな。三男(アレ)は、私の息子の中ではあまり優秀とは言えぬもので」

「ご謙遜を」


およそ三年前の魔物襲撃(スタンピード)の際、当時魔導省副長官だったベン・ドラコが降格された後、その座に就いたのは常からベン・ドラコを敵視していたソーン・グリードだった。グリード伯爵の三男である。実際に伯爵は三男に興味がなかった。彼の関心は爵位を継ぐ優秀な長男にだけあった。息子が魔導省副長官になったと聞いた時、伯爵は小さく頷いただけだった。魔導省の副長官となったところで、大して意味はない。スリベグランディア王国で権力を持つ魔導士はドラコ家の者だけだ。長官であれば辛うじて認められるが、副長官程度の地位で自慢になると思われては敵わなかった。


「いえいえ、本心ですよ。それよりもスコーン侯爵閣下のご子息のように騎士団隊長を務めて貰う方が、私としてはどれだけ良かったかと思います」

「ブルーノですか。あいつは昔から頭だけは回りましたからね、適性があったのでしょう」


グリード伯爵の明らかなおべっかに気が付いているのだろう、スコーン侯爵は冷たく返した。

スコーン侯爵の次男ブルーノは王立騎士団八番隊の隊長を務めている。八番隊は隠密、間諜等に特化した部隊だ。国王が個人的に所有している“影”と呼ばれる諜報集団の中には、八番隊に属していた騎士も居るという。彼らは八番隊の中でも特に忠誠心が高く優秀な者だという噂だ。だからこそ、騎士としては異色な八番隊も一部には人気があった。

決して表に出ることはないが、王に認められることはこの上のない栄誉だ。“影”に所属すれば実家との縁は完全に切れるのだが、それでもなお血縁者を“影”にしようと目論む貴族は多い。血縁者に“影”が居れば王国の影の支配者になれる――そう錯覚する者が少なからずいる。スコーン侯爵も間違いなくその一人だった。


「ブルーノ殿が上手く事を運んでくだされば良いのですが。ヘガティ団長は王太子殿下に忠誠を誓っています」


メラーズ伯爵が淡々と言葉を紡ぐ。その言葉を聞いたスコーン侯爵は苛立たし気に首を振った。

王立騎士団長トーマス・ヘガティは国王に忠誠を誓う典型的な騎士だ。故に王太子であるライリーにも臣従している。その心根は真っ直ぐで、良く言えば実直であり悪く言えば融通が利かない。彼の忠誠心は如何様にしても崩れない。その上、彼の騎士としての腕は一流だ。単なる騎士ではなく、魔導騎士という存在であることもメラーズ伯爵たちにとっては頭痛の種である。更にヘガティは隊士たちの信頼も一身に集めている。たとえ上層部から命じられたとしても、ヘガティが諾と言わねば隊士たちも動かないに違いない。八番隊の隊長はスコーン侯爵の息子が務めているが、団長が命じれば八番隊の騎士たちも隊長の命令に背く可能性が高かった。他の隊であればそのようなことにはならないが、八番隊はその職責上、個人主義の騎士たちが多い。他の隊とは違って協調性はそれほど求められない特性が、メラーズ伯爵たちにとっては難点だった。


「全く、魔物襲撃(スタンピード)の時に攻めきれなかったことが悔やまれますな。あれ以来大規模な魔物襲撃(スタンピード)は起こっていませんし、騎士団の不始末もない。ブルーノ(あれ)も色々と探っているようですが、未だ目ぼしい知らせはないようです」

魔物襲撃(スタンピード)も、幾ら望んでも我らにはどうしようもない自然現象ですからね。それに彼には女の噂もないようですな。以前、夜会で一人女を差し向けてみましたが、けんもほろろの対応で女が怒っていましたよ」


相槌を打ったのはグリード伯爵だ。メラーズ伯爵は深く溜息を吐いた。

男が失敗するといえば、酒か女か賭博と相場が決まっている。だがトーマス・ヘガティは女にも賭博にも興味はなく、酒には滅法強い。酒に薬を混ぜることも考えたが、どうやら魔術に長けた彼は多少の薬であれば全く効かない体質らしかった。


「女が駄目なら、男ならどうです。確かポルニ通りに男娼を扱う店があったでしょう」


ふと思いついたようにグリード伯爵が口を開いた。ポルニ通りは娼婦や男娼を扱う店が集まった区画である。予想外のことを聞いたというようにメラーズ伯爵は目を瞠り、スコーン侯爵は不快感を覚えたのか思い切り顔を顰めた。


「男ですと?」

「ええ、そういう嗜好の者も居ると聞きます」


メラーズ伯爵はあっさりと肩を竦めた。それを受けたグリード伯爵は首を傾げたが、すぐに否定する。


「それもないようですね、非常に禁欲的だという話ですよ」

「――何が楽しくて生きているのだ」


男娼と聞いた瞬間は嫌悪に表情を歪めていたスコーン侯爵だったが、グリード伯爵の私見を聞いて今度は解せないと言いたげに眉根を寄せる。メラーズ伯爵は思わず苦笑を漏らした。そして「そちらの件も追々考えるべきですが」と話題を変える。


「今の段階でお二人にお知らせすべきことがあります」

「良い知らせですかな?」


気を取り直したスコーン侯爵がにやりと笑う。グリード伯爵は探るような視線を向けた。メラーズ伯爵は小さく溜息を吐く。


「あまり宜しくない知らせです」

「ほう?」

「陛下の治療法が見つかりました」


メラーズ伯爵の言葉を聞いたスコーン侯爵とグリード伯爵は言葉を失う。二人にとっては全く予想だにしていない情報だった。この五年、ずっと原因も治療法も不明だとされて来たのだ。突然治療法が見つかったと言われても、咄嗟には理解できない。ようやく口を開いたのはグリード伯爵だった。


「な、何故今になって――?」

「そ――そうとも。バーグソンが上手くやっていたのではないのか」


スコーン侯爵も便乗する。普段は丁寧さを取り繕っている口調が、動揺のせいか崩れている。二人から責めるような眼差しを向けられ、メラーズ伯爵は僅かに顔を顰めた。しかし外交官時代に培った精神力で申し訳なさそうな表情を取り繕う。


「ええ、バーグソン殿に上手くやるよう頼んだとクラーク公爵に――前公爵ですが、言われておりましたのでね。私もそれを信じておりましたが、ここに来てとんだ伏兵がいたのですよ」


嘆息混じりにメラーズ伯爵はプレイステッド卿が送り込んで来た魔導士のことを話す。無言で聞いていた二人は、やがて重苦しい息を吐いた。特にスコーン侯爵は舌打ちせんばかりの勢いである。


「そもそもなぜプレイステッド卿が顧問会議に招聘されたのですか」

「顧問会議で決議が出てしまえば、まだ宰相ではなかった私には為す術もありませんよ。エアルドレッド公爵もクラーク公爵もまだお若く、ケニス辺境伯もご子息を代理を立てている状況で、更にはカルヴァート辺境伯は変わらず出席なさらない。重要事項が議題に上がった場合に経験豊富な者がいないことに不安を覚えた者が多かったのでしょう。殿下もプレイステッド卿の出席をと口添えなさいましたし、存外顧問会議はアルカシア派の影響力が強いのですよ」


もしその時点で自分が宰相になっていればプレイステッド卿を顧問会議に迎え入れることなどしなかったでしょう、とメラーズ伯爵は告げる。苦虫を嚙み潰したようなスコーン侯爵の様子を窺いながら、メラーズ伯爵は自分が宰相になれたことに改めて安堵の溜息を吐いていた。

フィンチ侯爵が宰相の対抗馬として擁立されたと事前に知った時、彼は自分の思い描いた未来に影が差したと気が付いた。顧問会議はアルカシア派、即ちエアルドレッド公爵家一門の力が強い。フィンチ侯爵はアルカシア派の一人であり、派閥と爵位だけで考えればメラーズ伯爵はフィンチ侯爵に勝てない。

だが、彼は諦めなかった。メラーズ伯爵の武器は外交官としての経験と幅広い人脈だ。血統と爵位でしか優位に立てないフィンチ侯爵に負けるなど、自尊心が許さない。だからこそ、事前の根回しは予定していた以上に慎重かつ執拗に行った。アルカシア派に属していても、そこまで派閥に思い入れのない貴族もいる。元々メラーズ伯爵と懇意にしている者や中立派だけでなく、アルカシア派の中でも自陣営に組み込めそうな者には片っ端から声を掛けた。


その結果宰相という地位はメラーズ伯爵の手中に転がり込んで来たが、国王を治癒できると断言した魔導士の存在は彼にとって全くの想定外だった。

スコーン侯爵は神経質に口髭を触る。


「それで、どうするのだ。陛下が治癒されるのを、手をこまねいて眺めるだけですか?」

「陛下に関しては、不用意に手を出さない方が良いのではないかと思います」

「軟弱な」


メラーズ伯爵の答えに納得ができなかったのか、スコーン侯爵は吐き捨てる。伯爵は僅かに不快感を覚えたが、彼が口を開くより先にグリード伯爵が小さく笑みを浮かべて言葉を挟んだ。


「陛下に関してはそれほど気にする必要もないでしょう。陛下が国政に深く携わったことはないと聞きます。元々(まつりごと)よりも音楽や絵画といったことに興味をお持ちの方ですからね。それよりも王太子殿下の方が問題ではないですか、メラーズ殿」

「――まあ、確かにそうかもしれませんね」


淡々としたグリード伯爵の指摘に、考え込んでいたメラーズ伯爵は先ほどまでの沈鬱さを消して頷いた。

国政に興味がなく、そして即位した後も時の宰相であったクラーク公爵に主立った執務は任せていた国王である。病が快癒したとしても、国政には深く関わって来ないだろうと思われた。むしろ王太子であるライリーの方が国政には積極的だ。成人前から大人を唸らせる施策を次々と提案している。まだ甘い部分もあるが年齢を考えると驚嘆すべき内容だった。成人すれば王太子としての執務も本格的に始まる。そうなれば国王はライリーに全権を任せる可能性があった。


だからこそライリーの後ろ盾に三大公爵のエアルドレッド公爵とクラーク公爵が居ることになっては面倒だ。ライリーの王太子としての地位が確固たるものになるだけである。それを避ける意味でも当初はタナー侯爵令嬢マルヴィナを婚約者に据える予定だったが、皇子と皇女が外遊で来た際に衆人環視の中見せた振る舞いが婚約者候補から降ろす決定打となった。

それならばイーディス皇女であれば新たな婚約者として最適だろうと考えたのだが、メラーズ伯爵もスコーン侯爵もグリード伯爵も皇国におもねるつもりは全くない。ケニス辺境伯の名代として顧問会議に参加しているルシアン・ケニスが齎した皇女の性格は、彼らにとって大きな誤算だった。

その上クラーク公爵家の当代はライリーの側近として目されているクライド・ベニート・クラークが継いでいる。状況はメラーズ伯爵たちにとってあまり良いものとは言えない。


「殿下が陛下より全権――までとは言わずとも、国政を任せられるようになりましたら、少々厄介なことになるでしょうね」


メラーズ伯爵はぽつりと呟く。グリード伯爵も重々しく頷いた。


「でしょうね。御前会議も復活するのではないですか。殿下の裁可は厳しいと聞き及んでいます。メラーズ殿が宰相となられても以前のクラーク公爵の頃のようにはいかないでしょう」


部屋に沈黙が落ちる。しばらくしてメラーズ伯爵が落ち着いた声で現状をまとめた。


「バーグソン殿にも声を掛けましたし、魔導省はこちらの掌中と考えて良いでしょう。陛下に関しても、治癒後に何かしらの後遺症が残る可能性もありますから、今真剣に考える必要はありません。残るは騎士団長と殿下の処遇ですね」

「アルカシア派はどうするおつもりですか。エアルドレッド前公爵とプレイステッド卿が殿下を支持した今、アルカシア派は我らの敵ですよ」


口を挟んだのはグリード伯爵だった。しかしメラーズ伯爵は動じない。静かに首を振ると、抜かりはないと口元を緩めてみせた。


「大公閣下ご自身が、情報源を確保していらっしゃいます。長らく懇意にされているご夫人が、寝物語に色々と語っていらっしゃるようですよ」

「長らく懇意にされた夫人――? どなたのことですかな?」


訝し気に眉根を寄せたのはスコーン侯爵だった。グリード伯爵も心当たりがなかったのか、不思議そうな顔をしている。その様子を見て二人が知らないのだと気が付いたらしく、メラーズ伯爵は「ああそうでした」と呟いた。


「これは知られていないことでしたね。フィンチ侯爵夫人と大公は以前から親しくなさっているのですよ」

「フィンチ侯爵夫人と――!?」


()()クラーク前公爵ですら知らなかった事実だから、二人が知らないのも当然だった。フィンチ侯爵夫人と聞いた二人は愕然と目を瞠る。全く想像していなかったらしい。メラーズ伯爵は笑いを含んだ声で「そうですよ」と肯定する。しばらく絶句していたスコーン侯爵だったが、やがて「なるほど、なるほど」と楽し気な笑い声を漏らす。


「賢夫人と名高い侯爵夫人も所詮は女だったというわけですな」


フィンチ侯爵夫人は、社交界ではその美しさと賢明さで知られている。夫であるフィンチ侯爵とは完全なる政略結婚であることは良く知られていたが、社交界で二人は適切な距離感を保ち、仲も悪いようには見えなかった。落ち着いた穏やかな夫婦関係なのだろうと、スコーン侯爵もグリード伯爵も考えていた。だが夫人は大公の愛人であるという。もしかしたら侯爵に不満を持っていたのかもしれない。

大公は王族としての資質や能力はともかく、女性に対する甘やかな言葉選びと既婚未婚問わず女性を惹き付ける美しい(かんばせ)は良く知られている。理想の貴婦人と呼ばれる侯爵夫人も大公の魅力には抗えないようだ。

満足して頷くグリード伯爵を見て、メラーズ伯爵は視線をスコーン侯爵に向ける。何か疑問点等はないかと問えば、侯爵は首を振った。


「貴殿の為すことに抜かりはないと信じておりますからな。クラーク公爵が亡くなってどうなることかと一時期は思いましたが、貴方という懐刀を残してくださっていたことには感謝せねばならんでしょう」

「そこまで持ち上げて頂くような者ではありませんよ。お二方には今後もご助力を頂かねばなりません」


頼りにしておりますと告げるメラーズ伯爵に、スコーン侯爵は僅かに小鼻を膨らませ「無論だ」と胸を張る。


「それでは、我らがフランクリン・スリベグラード大公閣下の栄えある未来を祈って」


三人はグラスを掲げる。残っていた葡萄酒を飲み干し立ち上がると、外套を羽織って帽子を目深に被る。最初にスコーン侯爵が立ち去り、時間差をつけて三人は料理屋を後にした。三人が密談していることを知られるわけにはいかない。

そして慎重を期す彼らの姿を見た者は、居なかった。



15-13

S-7

19-9

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