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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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23. 双璧の後始末 7


リリアナはマリアンヌと護衛を伴い王宮図書館に向かった。リリアナが暮らしている王都近郊の屋敷と比べると蔵書は多くないが、それでも国内屈指の蔵書数を誇っている。王太子の婚約者候補として王宮に上がる度、リリアナは暇を見ては図書館で書物を手に取っていた。特に帯出を禁じられている書物はリリアナにとって喉から手が出るほど興味のあるものだ。だが、今日のリリアナは本を読むために図書館へ向かったのではなかった。


「ここで待っていてくださるかしら」


図書館に到着したリリアナはマリアンヌと護衛に告げる。彼女が入ろうとしているのは、禁帯出の書物が保管された一室だ。この一室は管理が厳しく許可を得た者しか入室を許可されていない。今この場で許可証を持っているのはリリアナだけだ。出入口は一ヵ所しかないため、護衛も異論は挟まなかった。

リリアナは一人で中に入る。扉を閉めると、彼女は適当に手にした書物を数冊卓上に置いた後、椅子に座って耳飾りを外した。手を翳して耳飾りに仕組まれた呪術陣を作動させる。すると、リリアナにだけ聞こえる音が室内に響いた。


『――それでは、クラーク公爵家リリアナ・アレクサンドラ様を王太子殿下の婚約者とする件に関しては、賛成多数とのことで可決致します』


成功したとリリアナは口角を上げる。流れ始めたのは、図書館とは違う棟で行われている顧問会議に参加している貴族たちの声だった。

元々諜報のために作った呪術の鼠は、拾った音声を記録し持ち帰ることしかできなかった。だが研究を重ねた結果、記録だけでなく離れた場所で音を聞くこともできるようになったのだ。既に何度か使ってはいたものの、防音の結界が張られているであろう場所の音を直接聞くことができるのかは試したことがなかった。


『後はクラーク公爵の妹君の声が出るようになれば、隣国から何か言われたところで問題はないでしょうな』

『ええ、その通りです。クラーク公爵家ですから国内屈指の医師を手配しているのでしょうから、今後治る可能性は低いのだろうとは思いますが、早々に殿下にはご対応頂きたいものですな』


誰かが囁き合う声が聞こえる。どうやらライリーもクライドも、リリアナが声を取り戻したとは言わなかったらしい。言う必要もないほど抵抗なくリリアナが婚約者に決定したのだろう。


『それでは次の議題に移ります。クラーク前公爵が身罷られ現在宰相の席が空いております。宰相代理として私が就いておりますが、いつまでも宰相代理が執務を行うわけにも参りません』


発言したのはメラーズ伯爵だった。次いで読み上げられたのは宰相として候補に挙がっている面々だ。その中には勿論メラーズ伯爵の名前もある。若手ではエアルドレッド公爵ユリシーズ、クラーク公爵クライドも候補に入っている。彼らはその才を認められたのではなく、家柄故に候補とせざるを得なかったのだろう。宰相として指名される可能性が高い者はメラーズ伯爵、次いでフィンチ侯爵だった。フィンチ侯爵は爵位こそメラーズ伯爵より高いが、実務能力では諸外国に広い人脈を持つメラーズ伯爵の方が宰相には相応しいと目されている。


『スコーン侯爵、発言をどうぞ』

『エアルドレッド公爵はまだお若い。宰相の任は重いのではないのですかな。クラーク公爵も爵位を継いだばかり、宰相を請け負うには経験が少なく負担ばかりが大きいでしょう』


すると『異議なし』という声が幾つか響く。だがメラーズ伯爵は当人たちの意見を取り入れるつもりがある様子だった。


『お二方は如何でしょうか』

『私も異議はありません』

『同じく。若輩者には務まらぬ職でしょう』


クライドが首を振ればユリシーズも淡々と答える。目先の利益に捉われない二人の反応にどこかで感心したような声が聞こえたが、誰も発言しようとはしなかった。

そしてその二人が候補から外れたら後はメラーズ伯爵とフィンチ侯爵の一騎打ちだ。フィンチ侯爵を推す貴族はアルカシア派に属する貴族であり、メラーズ伯爵を推す者は既存の枠組みに拘らない実力主義を好む若手に多い。勿論明確な意思を持たない者も相当数存在し、そのような者たちは事前の根回しによって立場を変える日和見主義者だった。


『それでは公正に無記名投票にて決定することで如何でしょう』


余裕綽々の様子で提案したのはメラーズ伯爵だった。だがフィンチ侯爵がすぐさま反論する。


『投票にて決することに異論はありませんが、それより先に各々で質疑応答するべきではありませんかな』

『質疑応答ですか』

『いかさま。まだ貴殿と私のいずれが適任か悩んでいる者もいるでしょう。それであれば投票前に全てを詳らかにすべく、宰相となった暁にどのようなことを為すつもりか、宰相として陛下や殿下、王国に対しどのような貢献をできるのか、皆々様の疑問に真摯に答える機会があっても宜しいのではありませんか』

『――――なるほど』


フィンチ侯爵の提案を聞いたメラーズ伯爵は低く唸るように答えた。侯爵の発言は理に適っていて反対する理由もない。メラーズ伯爵は一瞬沈黙したが、すぐに頷いた。


『確かにそのような機会を設けても良いでしょう。如何ですか、皆さま。この機会にぜひ、疑問点や不明点等を明らかにしていただけませんでしょうか』


高位貴族ばかりに囲まれているからか、メラーズ伯爵は低姿勢で皆に問う。すぐに答える者はなかったが、少しして『それでは私から』と口火を切る者が現れた。


『――プレイステッド卿、どうぞ』


メラーズ伯爵に指名されてプレイステッド卿は質問を口にした。


『宰相は陛下のご叡慮(えいりょ)に従い国政を為すことはご存知のことかと思います。陛下は王太子殿下に玉座をとご宸意(しんい)なされてあらせられますが、殿下は未だ年若くいらっしゃる。殿下が一刻も早く国政にてそのご才幹を発揮なされるよう努めるのが我ら臣下たる者の役目でしょう。そのために貴殿等が宰相として何をなさるおつもりでいらっしゃるのか、ぜひこの場で伺いたい』


沈黙が落ちる。二人とも何も考えていなかったらしいと、リリアナは僅かに苦笑する。

先に答えたのはフィンチ侯爵だった。侯爵夫人は以前からライリーとリリアナの教育係を務めている。そのためライリーの今後についても想像しやすいのかもしれなかった。


『殿下のご才幹が優れていらっしゃることはあまねく知られるところにございます。そのため私は殿下に、国内の諸侯のみならず隣国の諸侯とも繋ぎを付け、理想の王国を為す一助となりましょう』


自信に満ちたフィンチ侯爵の声は聞く者の身を震わせる。恐らく今の確信に満ちた言葉を聞いた日和見主義の貴族はフィンチ侯爵に票を投じようと心が動いたに違いない。

しかし、メラーズ伯爵も黙ってはいなかった。


『それでは私は、王国内外の諸侯への繋ぎに留まらず、皇国に根を張る商人たちから如何様に情報を得るか、といった暗黙知についても詳しくご覧にいれましょう』


貴族たちがざわめいた。リリアナには音しか聞こえないが、フィンチ侯爵は悔しさに歯噛みしているに違いない。

メラーズ伯爵が告げたのは彼の経験をライリーに伝えるということで、それは他の誰にも真似のできない貢献だった。フィンチ侯爵は王国内ではそれなりに権力を持っている。諸侯たちに影響を与えるという点ではメラーズ伯爵にも劣らない。だが国外への影響力は劣る。

メラーズ伯爵は若かりし頃には外交官として積極的に国外を回っていた。ここ数年は外交官の職から引退し国内に留まっているものの、未だに国外に豊富な人脈を持っている。だからこそ彼は伯爵という身分でありながらも顧問会議で進行役を仰せつかり、そして宰相代理にも任命されていた。一方のフィンチ侯爵は、貴族としての人脈は持っているものの、その広さも深さも外交官であったメラーズ伯爵には敵わない。同じ土俵で戦うと決めた時点で、フィンチ侯爵に勝ち目はなかった。


(それにしても何故、フィンチ侯爵が対抗馬として擁立されたのでしょう)


リリアナは首を傾げた。当初はフィンチ侯爵が候補者に名を連ねる予定ではなかったはずだ。次期宰相の選抜は議題に上がったものの、反対意見もないままメラーズ伯爵に決定することになっていた。今いる人材を見ても、彼以上に宰相に相応しい()()を持つ者はいない。それにも関わらず敢えてフィンチ侯爵が対抗馬として擁立されたということは、何者かの思惑が絡んでいるに違いない。


(一体誰がフィンチ侯爵を推したのか分かれば、その思惑も推測できるでしょうけれど)


可能性として最もあり得るのは同じアルカシア派であるプレイステッド卿だ。エアルドレッド公爵となったユリシーズも可能性は否定できないが、フィンチ侯爵に打診し頷かせられる者、そしてほぼ確定していた人事に口を出せる権力者と考えれば彼は候補から除外される。プレイステッド卿であればその二つの条件を満たす。

深く思索に耽りそうになっていたリリアナの意識を引き戻したのは、プレイステッド卿の声だった。


『なるほど。お二方共に陛下のご叡慮に従い、殿下の御為にその身を奉ずる御心があること、()()()()()()()()()()()()。いずれが宰相となられようと陛下と王太子殿下の御世は安泰となりましょう』


感極まったように告げるその言葉に、リリアナはピンと来る。フィンチ侯爵を擁立したのはプレイステッド卿に違いないと確信した。

最後に彼が告げた言葉はある意味脅しだ。彼は国王とライリーを裏切らないようにと、メラーズ伯爵に念を押した。もし叛意があるのであれば容赦しないと正面切って告げるために、わざわざ茶番とも思える場を用意したのだろう。だが、何故メラーズ伯爵に念を押す必要があるのかリリアナには分からない。メラーズ伯爵は忠臣と名高く、先代国王にも現国王にも真摯に仕えている。


(むしろ怪しむべきはフィンチ侯爵ですわ)


リリアナは三年前にフィンチ侯爵夫人と大公フランクリン・スリベグラードが逢引きしている場面を目撃した。それも彼らが密会していたのはフィンチ侯爵邸だった。侯爵が知らない可能性も否定できないが、自らの邸宅を使っている時点で侯爵も承知している可能性がある。この世界では貴族が家庭とは別に愛人を持つことも咎められない。フィンチ侯爵が夫人の不貞を黙認していたとしても、全くおかしな話ではなかった。

それを考えると、大公を贔屓しライリーの王位継承権を剥奪する可能性が高いのはメラーズ伯爵ではなくフィンチ侯爵のように思える。実際にリリアナは三年前のあの日、フィンチ侯爵家の背信行為を疑った。その後自分なりに調査しても目ぼしい情報は得られなかったため確信はないままだが、疑念は変わらず残っている。


『他に何かございますか? ないようでしたら、投票に移りたく存じます』


メラーズ伯爵が場を仕切っている。誰も口を開かない。そのまま投票に移り、しばらくしてから開票作業が行われる。


『恐らくメラーズ伯爵で決まりでしょうな』

『ええ、私もそう思います』


結果を待つ間に貴族たちが囁き合っていた。下馬評はメラーズ伯爵が優勢だ。やがて集計が終わったところで、メラーズ伯爵ではない声が響いた。


『次期宰相は、賛成多数でメラーズ伯爵に決定いたしました』


拍手が沸き起こる。メラーズ伯爵は謙虚な姿勢を崩さず、前向きな抱負を口にした。

他に議題はない。もうすぐすればクライドとライリーが戻って来るはずだ。そうなれば侍女が呼びに来るだろう。リリアナは耳飾りに手を翳して陣の発動を終了させる。元通りに耳に付けると、適当に積んだ書物を手に取る。後ろの方のページを開いて読み始める。これでリリアナが書物を読んでいたと誰もが信じるだろう。そうして、リリアナは侍女が呼びに来るまでの時間を潰した。



*****



顧問会議が終了し、貴族たちが次々と部屋から出て行く。プレイステッド卿は椅子に座ったまま難しい顔で黙り込んでいた。隣に座っているユリシーズが気遣わし気な視線を向けていることに気が付いていたが、彼は口を開かなかった。

プレイステッド卿とユリシーズだけが部屋に取り残される。


「プレイステッド卿?」


ユリシーズは不思議そうに首を傾げているが、彼は構わずに指輪を外す。そして床に向けてそれを投げた。予想だにしない行動に、ユリシーズは目を丸くする。だがプレイステッド卿は構わなかった。

彼が放った指輪は一瞬姿を消す。再び現れた時、指輪は腕輪ほどの大きさになり鼠を一匹捕らえていた。


「鼠、ですか」

「普通の鼠でないことは確かだな」


プレイステッド卿は小さく呟いて立ち上がると、捕えた鼠を手にする。じっくりと鼠を眺めていたが、忌々しそうに舌打ちを漏らした。


「――“鼠”か」


その単語が生物としての意味合いでないことは明らかだった。ユリシーズは愕然とする。

まさか間諜が王宮に忍び込んでいるとは思わなかった。それも呪術で作られた鼠だ。王宮は魔術で保護されており、その防衛の高さは王国内でも随一だ。皇国にも引けを取らない確信がある。それにも関わらず、何者かは一切感知されることなく、王宮内部に鼠を放ち情報を持ち帰ろうとしていた。鼠を作った者も優れた能力の持ち主には違いないが、その思惑を考えれば恐ろしい可能性に思い至る。下手をすれば国家は簡単に転覆させられるだろう。一体何者の仕業なのかと、背筋を冷たい汗が流れる。


今の段階では余計なことを口にすべきではないと判断し、彼は口を引き結んだ。横目で若きエアルドレッド公爵の反応を一瞥したプレイステッド卿は満足気に一瞬笑ったが、すぐに真顔に戻った。懐から取り出した小さな袋に鼠を押し込む。袋は鼠よりも小さかったが、鼠は難なく収まった。


「もう話しても問題ない」


プレイステッド卿の許しを得たユリシーズは僅かに緊張した面持ちで尋ねる。


「持ち帰られるのですか」

「私たちが気が付いたと知られるわけにはいかない。記録を操作し術を分析し、誰の手によるものか探知の術を掛けて放す」


なるほどとユリシーズは頷いた。確かにそれが最も良い選択のように思える。そして彼は確信を持ってプレイステッド卿に確認した。


「叔父上に頼まれるのですね」


ユリシーズの叔父は数人いるが、三男が魔術や呪術、魔道具に詳しい。研究者肌で人嫌いな叔父は滅多に自分の領地から出て来ず、たまに姿を現したかと思えばローブを目深に被って素顔を見せない。甥や姪にも殆ど口を利かず、その素顔を知る者は彼の兄弟だけらしい。だが、その能力は高いと評判だった。酷い人嫌いでなければ魔導省に入っていただろうが、彼は領地で好き勝手に研究することを好んだ。そして頼まれたら幾らでも魔道具を作ってくれる。プレイステッド卿が投げた指輪も、鼠を閉じ込めた小さな袋も、全て彼が手ずから作ったものに違いない。

プレイステッド卿はにやりと笑って小さく頷いた。


「あいつも喜ぶだろうからな」

「目に見えるようです」


滅多に口を開かない叔父が喜ぶ場面は非常に限られている。その一つが、これまで見たことのない魔術や呪術を目にした時だ。それを解析できるとなると更に興奮する。ユリシーズにもその気持ちは分からなくはない。だからこそ、知らず頬が緩んだ。


「プレイステッド卿、差し支えなければ結果を共有して頂けると嬉しいです」

「ああ、お前も既にエアルドレッド公爵家当主だからな。情報は与えよう」


プレイステッド卿の返事に、ユリシーズは神妙な顔で頷いた。

情報は与えるが、恐らくプレイステッド卿がしてくれるのはそれだけだ。助言や意見交換は望めない。彼は情報を与えられたユリシーズがどう振る舞うのかを確かめて、当主としての資質を図ろうとしている。それが分かるからこそ、ユリシーズは緊張を隠せなかった。



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