23. 双璧の後始末 6
リリアナはクライドと共に王宮の廊下を歩いていた。これまで護衛を連れてはいたものの、リリアナは一人で王宮を訪れることが多かった。一室に呼び出されクライドと会うことはあったが、公爵邸を出る段階からクライドと行動を共にするのは今回が初めてである。彼はずっとリリアナに気を遣っていて、歩調も少し遅すぎるのではないかと思えるほどゆったりとしていた。
「途中一人にさせてしまうけど、帰りは一緒に帰ろうね」
「ええ、マリアンヌもおりますから大丈夫ですわ」
申し訳なさそうな表情のクライドに微笑みを返せば、兄はほっとしたように表情を緩める。
今日は二人の父であるエイブラムが亡くなってから初めて顧問会議が開かれる。三大公爵家の新当主であるクライドも出席の要請を受けていた。クライドは同年代の中では落ち着いている方だが、御前会議に次ぐ王国最高峰の場を控え、さすがに緊張を隠せていない。議題は事前に知らされているものの、リリアナの進退に関わる問題や確実に紛糾する内容が含まれていた。顧問会議で扱われる内容によっては対立意見が出ることもなくあっさりと終わることもある。それを考えるとある意味、クライドにとっては不幸なタイミングでの爵位継承だったが、一方で父公爵の作為にリリアナが振り回されないという点では幸運だった。
二人はやがてライリーの執務室に到着する。護衛は二人の来訪を知らされていたらしく、クライドとリリアナに挨拶をしてから執務室の扉を叩いた。中からライリーの声が聞こえる。二人の来訪を告げると、入室するようにという返事があった。先にクライドが入り、その後からリリアナが足を踏み入れる。ライリーは執務室から立ち上がり二人を出迎えてくれた。
「良く来てくれたね。リリアナ嬢も久しぶりだ」
「殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
クライドが簡単に挨拶をするが、ライリーは苦笑を漏らして首を振る。
「ああ、取り立てて変わったことはない。というよりもクライド、こういう場では畏まった挨拶は不要だ」
「親しき中にも礼儀ありと言いますよ」
「それは礼儀の話じゃないだろう」
砕けた口調で指摘したクライドにライリーは反論する。クライドもライリーの希望に抗ってまで礼儀作法を固辞する気はなかった様子で、小さく笑みを零した。
「今日は報告がありまして」
「良い知らせか?」
「ええ、お喜び頂けるかと」
ライリーに促されるがままクライドとリリアナはソファーに腰かける。一体何事だ、と問う視線を向けるライリーに、クライドが一番の話題を述べた。
「妹が声を取り戻しました」
途端にライリーは目を瞠る。驚いたようにリリアナへ視線を移し「本当か!?」と問う。リリアナは微笑を湛えたまま頷いた。
「ええ、気が付いたら出ておりましたの」
「ああ――それが貴方の声なんだね」
実に四年ぶりにリリアナの声を聞いたライリーは心底嬉しそうに顔を綻ばせる。リリアナはクライドが口を開く前にと言葉を重ねた。
「諸事情により、殿下にもお伝えしておりませんでしたことを謹んでお詫び申し上げます。声が出ると気が付きましてからはそのことを伏せ、個人的に魔術も学んでおりました。この度懸念がある程度なくなったと判断いたしましたので、わたくしの声が出ると知らせても問題ないと考えた次第にございます」
リリアナは流暢に事情を説明する。クライドには声を取り戻した具体的な時期を告げたが、ライリーに対しては明言する気はなかった。クライドに説明した“およそ一年前”という時期はライリーにとっては遅すぎる。恐らくライリーはそれより前にリリアナが魔術を使えると――即ち声が出ると勘付いているはずだ。リリアナが勘付かれている可能性に気が付いたのは、二年前の魔物襲撃の時だった。クライドにした説明はライリーの認識している事実と矛盾するはずだ。
そして、次にライリーが口にした質問はリリアナの思惑通りだった。
「懸念? 声が出るようになったことを伏せていた理由があるのか?」
「ええ」
国王と公爵の密約を口にした途端、ライリーは僅かに苦い表情を浮かべた。誰も気が付かない程度の変化だが、リリアナから見れば明らかだった。声が出なくなった理由も、そして再び話せるようになった時期も問題ではない。喋ることができるようになった事実を伏せる理由が最も関心を引くと、リリアナは分かっていた。
「父は――ご存知の通り、あのような方でございましたから。もしわたくしが話せるようになったと知れましたら、婚約者候補から外すためにどのようなことをなさることか」
淡々と、しかし憂鬱な気配も滲ませながらクライドに告げた話を繰り返す。ただし、エアルドレッド前公爵の暗殺に関しては伏せた。前公爵を殺害した黒幕が父である可能性を示唆され恐怖を覚えたとすると、時期が合わない。リリアナはクライドに、その可能性を示唆された時隣にライリーが居たとは言わなかった。クラーク公爵家の醜聞ともなる噂話をライリーの耳に入れないことは、クライドにとっても不自然ではないはずだった。案の定、クライドは無言を保ったままリリアナの隣に腰を落ち着けている。
ライリーは難しい顔でリリアナの説明を聞いていたが、リリアナが一息ついたところで頷いた。
「事情は分かった。それで、リリアナ嬢。貴方はどうしたい?」
「どうしたい、とは――?」
「声を取り戻したと広く知らしめるか、それとも敢えて触れずにいるか」
もうこれ以上伏せる気はないのだろうが、とライリーは楽し気に目を細める。それは奇しくも先日リリアナとクライドが話し合った内容だった。そしてリリアナは、ここでもクライドと事前に取り決めた通りの内容を告げた。
「殿下のご意見も賜りたく存じますが、わたくしは敢えてお知らせせずとも宜しいかと存じます。問われたら答える、という形にしておきましたら十分かと」
リリアナの答えを聞いたライリーは、しかしすぐには頷かなかった。一見儚い婚約者となる令嬢を、目を眇めて眺める。そうしながら彼はリリアナの本心がどこにあるか探ろうとしている様子だった。やがてライリーはにやりと笑った。
「もしかして、我が婚約者殿は公爵家と王家に叛意を持つ者を炙り出すつもりかな?」
「申し上げるほど上手く見つかるとは思えませんが、手段の一つとしては考慮すべきかと拝察いたしております」
「一理ある」
ライリーは腕を組んで頷いた。二人のやり取りを呆れた顔でクライドは眺めていたが、やおら口を開く。
「どうやら殿下は私よりも妹のことを良くご存知のようですね」
「そうだろうか。まだまだ知らないことも多いから、ぜひともリリアナ嬢には胸襟を開いて打ち明け話をして欲しいものだな」
クライドの言葉に平然と答えたライリーは、意味深な視線をリリアナに向けた。どうやらクライドを気にして口にしない疑問があるらしい。しかしリリアナは答えずに微笑を湛えたまま、ライリーに小首を傾げてみせた。ライリーも今の段階で疑問を口にする気はないらしく、話を元に戻した。
「だがそれなら余計に、身辺には気を付けてくれ。できればこちらの“影”を付けたいが――」
「お心遣い痛みいります。ですが、オルガもおりますから、十分ですわ。“影”は本来の役割に従い、殿下のためにお役立てくださいませ」
オルガの実力は武闘大会で保証されている。彼女の実力をその目で見たライリーも、オルガの名前を出されたら折れる他ない。苦笑して頷いたがすぐに真剣な表情に戻った。
「今日の顧問会議で、貴方が正式に私の婚約者として認められる。婚約発表を兼ねた婚約式は数ヶ月後を予定しているが、書類は本日の顧問会議後、早急に用意し確定させる予定だ」
「承知いたしました」
通常であれば、婚約に関する書類は婚約式の際に承認され婚約者としての立場が確定する。だが、ライリーは書類を整え婚約式より前に立場を確定させたいと考えていた。
「今のところ幸いにも気配はないが、いつまた皇国から横槍が入るか分かったものではないからな」
苦々しい台詞に、ローランド皇子とイーディス皇女が外遊のため来国した時の苦労が偲ばれる。
外遊を終え二人が帰国した後、しばらくライリーは皇国からの書簡に敏感だった。彼はリリアナとローランド皇子の会話を知らない。だから、皇子が妹姫をライリーに嫁がせる気がなくなっていると知らない。月日が流れても婚約打診の書状が来ないことに多少安心してはいるが、いつ皇帝の気が変わるか分からないと戦々恐々としている。
イーディス皇女との婚約を支持する筆頭であったエイブラム・クラークが死亡したことで、王国内の貴族に警戒をする必要はなくなった。だが、未だに皇国に対しての警戒心は解けない。
「書類はすでに整っています。後は殿下とリリアナの署名があれば婚約者として確定しますので、ご安心ください」
クライドが言えば、ライリーは僅かに頬を緩めた。口角が微笑の形に上がる。
リリアナが今日王宮を訪れた目的が婚約の書類で全て達成される。顧問会議が終われば、ライリーとクライド、そしてリリアナで夕食を摂ることになっていた。
暫く歓談した後、ライリーとクライドは立ち上がり顧問会議出席のために部屋を出る。二人を見送ったリリアナは、マリアンヌを連れて図書館へと向かった。
*****
エイブラム・クラーク前公爵が死亡してから初めて開かれる顧問会議には、初見の顔が幾つかあった。
エアルドレッド公爵家の若き当主ユリシーズ・パット・エアルドレッド、補佐役としてアルカシア派を束ねるプレイステッド卿。そしてクラーク公爵家の当主となったばかりのクライド・ベニート・クラーク。
最年少はクライドだが、ケニス辺境伯の代理として参加しているルシアン・ケニスも若手の部類に入る。ルシアンは何を考えているか分からないにやけた笑いを浮かべてクライドを見ていた。クライドは挨拶をして着席する。その落ち着き払った様子に、ルシアン・ケニスは意外そうに僅かに目を瞠った。
全員が揃ったところで、メラーズ伯爵が口を開く。
「皆さま揃われたようですので、顧問会議を始めたく存じます。まずは新しく顧問会議にご出席なさった方をご紹介いたしましょう」
最初に示されたのはプレイステッド卿だった。妖艶な色気を醸し出す顔は感情を映していない。社交界に名を馳せる彼は自己紹介をすることもなく、ただ他の貴族たちに会釈して挨拶を済ませた。不遜な態度だが、文句を言う者はない。
次いで名を呼ばれたのはクライドだった。社交界でも新参者の彼は律義に立ち上がり、礼儀作法を守った挨拶の口上を述べる。椅子に腰かけた貴族たちは大まかに、無関心な者とクライドを推し量ろうとする者、そして好意的な視線を向ける者に分けられた。
「この短い期間で次々と世代交代がされましたな。それも有力な高位貴族ばかりですが」
ぽつりと呟いたのはフィンチ侯爵だった。彼がエアルドレッド公爵家とクラーク公爵家、そしてケニス辺境伯家のことを示唆したのは明らかだった。プレイステッド卿が静かに目を向けると、彼は気まずそうに口を噤む。無言で一人の男を黙らせたプレイステッド卿は腕を組んだまま、顔を前に向けた。
「それでは、最初の議題を――」
メラーズ伯爵が切り出す。
今日の顧問会議で扱われる議題は二つ――王太子の婚約者を決定し、そして次の宰相を誰にするか。
エイブラム・クラーク公爵は秘書官は付けていたものの、宰相補佐は指名していなかった。本来であれば宰相補佐が宰相の不在を埋め、場合によっては繰り上がって宰相を務めるはずだ。だが現状ではそのような人材がいない。他国との折衝もあるため、早急に次の宰相を決定する必要があった。
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