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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
145/563

23. 双璧の後始末 3


エアルドレッド公爵領は広大だ。その一部に広がる森の片隅に建てられた小城の一室で、知らせを受けた男は眉根を寄せた。


「エアルドレッド公爵に続いてクラーク公爵が亡くなった?」

「――はい、その通りにございます」

「そうか。三大公爵家の当主二人が立て続けに亡くなるとはな」


唸るような声に、手紙を持って来た男は深く首を垂れる。


「は。閣下におかれましては、今後の国政に関しご助言を頂きたく」

「――陛下のご容態も思わしくないのだったか」


プレイステッド卿と呼ばれている男は嘆息混じりに呟いた。エアルドレッド公爵の右腕とも囁かれる男は、アルカシア派の中で発言権の強い重鎮でもある。見た目は色気に満ちた優男で、社交界に一歩踏み入れたらその瞬間にご婦人方が興奮のあまり卒倒すると囁かれるほどだった。しかし今、普段であれば甘やかに微笑む双眸は鋭い光を湛えている。

緊張を隠せない使者は強張った声音で答えた。


「あと一年もないのではないか、と侍医が申しておりました」


使者の言葉にプレイステッド卿は眉根を寄せる。唇を人差し指で抑え、深く椅子に沈み込む。考え込む時の彼の癖だ。やがて彼は目を上げた。鋭い眼光に射貫かれて使者は生唾を飲み込む。プレイステッド卿はおもむろに口を開いた。


「陛下のご容態を確認しているのは医師だけか。呪術を疑い魔導士が診たとも聞いたが」

「は、魔導省長官ニコラス・バーグソンが確認し呪術ではないと確認が取れております」


バーグソンの名を聞いた瞬間、プレイステッド卿は鼻を鳴らした。嘲るような色が端正な双眸に浮かぶ。


「どうせ権力欲ばかりの無能(ニコラス・バーグソン)を指名したのは宰相だろう」


何故分かったのだ、と使者は驚きを露わにした。だがプレイステッド卿は答える気がない様子で口を噤む。目を眇めて何事か考えていたが、やがて「良いだろう」と呟いた。


「三大公爵家のうち二つの当主が代替わりか。どう考えても今の顧問会議は踊れど進まんだろうな」


揶揄するような言葉を聞いた使者は、無表情の中にも複雑そうな気配を浮かべる。否定はできないが立場上、肯定もできないのだろう。勿論プレイステッド卿は答えを期待していたわけではなかった。

エアルドレッド公爵とクラーク公爵が居ない今、顧問会議には影響力のある人物が居ない。議論は紛糾し結論が出ないまま、時間だけが過ぎるだろうことは想像に難くない。ケニス辺境伯が居れば鶴の一声もあり得るが、元々彼は武に秀でた人物である。他の貴族たちと比べると遥かに優秀な人物だとプレイステッド卿は評価しているが、それでも政略的な面には不安が残る。辺境伯本人もその自覚があるため、エアルドレッド公爵を始めとして複数の相手から色々と話を聞くよう心掛けているようだった。

だが、それでは緊急事態に対応できない。即座に判断を下さねばならない場面で結論が出ない可能性は少なからずあった。


「陛下の容体に関しては再度、こちらで手配した者に診察させる。その条件を飲むのであれば、顧問会議に伺おう」

「――御意に」


使者は深々と頭を下げた。


「ちなみに」


プレイステッド卿は何気なさを装って尋ねる。


「次の宰相は誰を立てる予定だ?」

「未定ですが、現在は宰相代理としてメラーズ伯爵が立っております」


まだ次期宰相は決まっていないのだろう。だが代理として立っている者がそのまま宰相を務めることは往々にしてある。プレイステッド卿は眉根を寄せた。


「――メラーズか」


プレイステッド卿は低く呟くと、「話はそれで終わりか」と言った。使者は頷き恭しく召喚状を差し出す。そこには顧問会議への出席要請と開催日時が書かれていた。一瞥して文面を読んだプレイステッド卿は署名し使者に渡す。一筆、条件を書き加えるのも忘れない。これで全ての準備は整った。

使者が立ち去った後、プレイステッド卿は立ち上がって窓から外を眺める。眼下に広がる森はどこまでも広がっている。


二年前に開かれた王太子の生誕祭で発生した魔物襲撃(スタンピード)以来、大規模なものは起こらなくなった。その代わり小規模な魔物襲撃(スタンピード)の数は増えている。王国のどこかで毎日報告が上がっている状況だ。今プレイステッド卿が眺めている森も、常時監視しなければならない。エアルドレッド公爵領はまだ魔導士や騎士団が十分に機能しているから領民たちに被害は出ていないが、魔導士が居なかったり騎士団が存在しなかったりする領では少なからず死傷者が出ているそうだ。

大半のぬるま湯に首まで浸かった貴族たちは、もう大規模な魔物襲撃(スタンピード)は起こらないと考えているらしい。だが危険はどこに転がっているか分からないと、プレイステッド卿は思う。


苛立たしく息を吐いて、プレイステッド卿は苦々しく呟いた。


「メラーズが宰相、とはな」


宰相になる人物は能力があれば爵位はそれほど重要視されない。同等の能力であれば勿論爵位が上の者が登用されるが、歴史を紐解けば侍従だった男がその能力を買われ、外交官を経て宰相になったこともある。

確かに今の顧問会議の面々や文官の顔ぶれを考えても、宰相の適任者はあまりいない。長く顧問会議の進行役を務めていたメラーズ伯爵が宰相代理に指名されることも、それほどおかしな話ではない。だが宰相になるとなれば話は別だ。もし彼が宰相になったら、とプレイステッド卿は様々な可能性を考える。


「――国が、荒れるぞ」


だが他に相応しい人物もいない。候補者は数人脳裏に浮かぶが、メラーズ伯爵と比べると誰もが見劣りしてしまう。付きまとう嫌な予感に、彼は痛む頭を押さえた。



*****



エイブラム・クラークの葬式も恙なく終わり、リリアナたちは喪に服している。母ベリンダは療養と称して早々に領地にある別荘へ移ったが、クライドは次期当主として忙しくしていた。リリアナも極力兄を手伝ってはいるものの、やはり妹という立場で出来ることには限りがある。クラーク公爵家の仕事はその殆どを、執事のフィリップとクライドが分担して対応しているらしい。

そのため、リリアナは人目を忍んで引き続きエイブラムの犯罪を示す証拠となりそうなものを探していた。これまでは王都の公爵邸やフォティア領の屋敷に侵入することも難しかったが、エイブラムが居なくなったため以前よりも捜索がしやすい。


「――見つけましたわ」


その日、リリアナは夜半過ぎに忍び込んだ公爵邸の執務室でようやく一つ目の手掛かりを見つけた。それが今、彼女が手にしている黒革で製本された日記帳である。古びた日記帳は執務机の引き出しに誂えられた隠し収納にあった。分厚い日記帳はエイブラムが若い時に書かれたもので、最近のものではない。しかし彼の原点を知ることは、何を目論んでいたのか把握する際に有用だろう。

リリアナは日記帳を開き、目当ての単語を探す。そしてそれは存外早い段階で出て来た。


〈ベルナルド・チャド・エアルドレッド――卑劣な手で伸し上った粗忽者〉


エイブラムが暗殺した、今は亡きエアルドレッド公爵の名前は至るところで出て来る。リリアナの父は基本的に他人を見下しているらしく、他人を褒め称える言葉はほぼ出て来ない。出て来たと思えば、それはエイブラムを褒め称えたり良い影響を与える言動を取った場合に限られていた。

そんなエイブラムの日記の中でも、ベルナルドに関して書いている文章は頻出していた。その上、彼を讃える言葉は一切存在していない。ただひたすら、ベルナルドに関しては悪意と憎悪に満ちていた。


〈何もかもを知っていると自惚れている。目障りでしかない、何故あの虚構に誰もが騙されるのか。陛下ですら、あの男がまさに“賢者”だとお考えになっている。あまりにも下らない〉


だがその本心は決して口には出来ない。それほどまでに、王国の貴族たちは若きエアルドレッド公爵長男に傾倒していた。


〈チェスの多面指しで他を圧倒したからと言って、それが能力の高さを示すと盲信する愚者共と話をするのは疲れる〉


たったの五歳差だった。エイブラムはベルナルドよりも若い。その差で自分は正当に認められていないのだと、若きクラーク公爵は鬱屈した気持ちを徐々に育てて行った。

エイブラムが何かを発言しても、自分たちの親世代にあたる貴族たちはベルナルドの言葉を重用する。勿論、エイブラム自身の能力も認められてはいた。そうでなければ彼が提案した政策が採用されるはずはない。だが彼にとっては誰もがベルナルドを贔屓しているようにしか思えなかったようだ。


〈何故、私の行く手に現われ邪魔立てするのか。あの男は私が治めるべき世界の秩序を乱すことしか考えていないのか。あの男の居るべき場所など何処にもないと言うのに――今ある居場所ですら全て、この手で奪い取ってやりたい〉


やがて日記は雰囲気を変える。その変わり目は、ベルナルドの一人目の妻が亡くなった日の一週間前だった。


〈あともう少しで、あの男は全てが終わる。私を嘲弄することも出来なくなる。あの男の名誉が汚される日も近い。もう逃がしてやるものか、ベルナルド・チャド・エアルドレッド――貴様の破滅は目の前だ。妻殺しの汚名を背負って存分に苦しめた後に、貴様自身は私自身の手で粛清してやろう〉


そして、エイブラムはベルナルドの妻が死んだと狂喜乱舞の言葉を残す。


〈誰もが諸手を上げて讃えるその頭脳を持っていても、あの男は信ずる神にすら見捨てられたのだ。ただ一人の死に全てを投げ出すなど、やはりあの男に“賢者”の名は相応しくなかったのだ〉


妻を亡くしたベルナルド・チャド・エアルドレッドが領地に引きこもった後、エイブラムの日記は明るさを取り戻す。宰相に登用された日、彼の喜びは顕著だった。


〈やはり私は正しかったのだ。全てを為すべく道が自然と開けていく。もう事は動き出した。領地に引きこもり錆びついた頭では、私の崇高な志など理解できるはずもない。未来を読めると讃えられた偽賢者のあの男など取るに足らん。今の私はまさに神も同然。誰も私を止めることなどできはしない〉


それでもベルナルドへの怨嗟は止まらないようで、頻度は減ったものの事あるごとに憎き男として名前が出て来る。


〈何もかもを承知していると言いたげな、あの涼し気な顔が瞼に焼き付いている。夢に出ては私を苛む。その顔を切り刻む日を思い描いては留飲を下げるしかない。憎い、憎い、憎い――――今すぐにでも殺してやりたい〉


領地に引きこもったベルナルドに満足していたのも、最初だけだった。時間が経てば経つほど、憎悪は増し憤怒が身を焦がす。


〈顔も服も吐息も、影すらも憎い。生きていると思うだけで腹の底から苛立たしさが溢れ出て来る。苦しみ藻掻き這い蹲り、涙と鼻水に濡れた顔で私に許しを請うあの男の姿を見たい。あの男の手足を千切り、子供の前で魔物の餌にしてやれば気が晴れるだろうか――〉


領地に引きこもっても、妻を殺したという噂が社交界に蔓延しても、ベルナルド・チャド・エアルドレッドの評判はそれほど落ちなかった。彼の為人を知る人たちは、妻を殺したという噂を信じなかったし否定した。だからその噂はすぐに立ち消えた。そのことも、エイブラムの怒りを更に煽った。

表舞台から立ち去ったベルナルドの代わりに宰相となったエイブラムだが、仕事をすれば随所にベルナルドの気配を感じた。時折「エアルドレッド公爵が居れば」という囁き声が聞こえた。「彼ならばどうするだろうか」と言い合う者も居た。汚名を抱えても尚、彼の頭脳は貴族たちの心を捉えて離さない。

それでも、エイブラムの評判と権威は確実に上昇していた。だが、彼の能力はエアルドレッド公爵と同等と評価されるだけで、決してエアルドレッド公爵よりも優れているとは言われない。


それが、エイブラム・クラークの矜持を傷つけていた。


〈目障りな男だ――〉


憤怒が憎悪に変わるのに、時間は必要ない。ただ邪魔で仕方がない。

そして、エアルドレッド公爵が表舞台に出て来た時――その時には、クラーク公爵の準備は整っていた。指示を出せばいつでもその命を奪えるほどに状況は整っていたのだ。


――その藻掻き苦しむ姿を、この目で見たかったものだ。今日という最高の日に、そしてあの男の無様な死にざまに、この日のため取っておいた葡萄酒で献杯しよう。


リリアナの手元にある日記は若い頃のものだ。だが、もし公爵が先日のエアルドレッド公爵暗殺を日記に書いていたら、きっとそう書いていただろう。容易くできる想像に、リリアナは深く息を吐く。

憎悪に塗れた日記を読むのは骨が折れた。心が重たい。それほど時間は経っていないのに、酷く疲れている。リリアナは日記帳を元の場所に戻した。


「愚かな人ですわね」


憎悪ばかりを育てて、身勝手な怨恨に一生を費やした。なんと無駄な人生か。

人生をどう過ごすべきなのかは価値観によって違う。それでも父の生き様はあまりにも虚しい。きっと彼は生きていても罪を償うことはしなかった。ただ自分を破滅に追い込んだ相手を恨み、他人を踏み台にして返り咲くことだけを考えただろう。

暗い気持ちになるくらいならば、日記帳を読むべきではなかったという後悔が一瞬だけ過る。しかし同時にリリアナは確信を持った。


普段の言動だけでなく、若い頃の日記から読み取れるエイブラムの性格――冷酷で残忍な利己主義者。共感性に欠け嘘を吐くことを躊躇わない。罪悪感もなく自尊心は過大。そして何より、口達者で周囲の者から賞賛される。

今生ではその定義に当てはまる概念は存在していないが、前世の記憶には正しく相応しい言葉があった。


「――お父様はサイコパスでしたのね」


薄っすらと感じていた可能性が正しかったのだと確信を持ったリリアナは嘆息する。今ではもう、エイブラムと結婚したベリンダには同情しか覚えない。きっと父に嫁がなければ、ベリンダは普通の女性だった。リリアナのことを罵倒したり無碍に扱うこともなく、クライドと同じように可愛がってくれたのだろう。今ではもはや可能性の話でしかないし、理解したところで歩み寄れるかと問われたら答えは否だ。ベリンダはリリアナを受け入れないし、リリアナもベリンダとの関係を改善したいとは思えない。


「お父様がサイコパスだったなら、どこかに証拠は残っているはずですわ」


気持ちを切り替えるようにリリアナは呟く。サイコパスの特質は“罪悪感のなさ”であり、残虐な殺人を犯したとしても反省の色が見られることはない。そして自身の正当性を信じている彼らは時折、犯罪に関する手記を発表する。その事実から推察すれば、エイブラムは自身の行動を犯罪とは認識していないはずだ。となれば証拠品は隠滅せずに、どこかに残している。エアルドレッド公爵がプレイステッド卿に宛てた手紙に書いていた推察は的を射ていた。


「もう一度、一から探しましょう」


リリアナは気合いを入れる。まずは証拠品を手に入れて、父の謀略の全体像を把握する。そうしなければ先には進めない。リリアナは直感していた。


――父が死んでも、彼の影響は未だ至る所に残っているはずだ。



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