23. 双璧の後始末 2
クライドは伝言を教えてくれた文官に礼を述べた後、さっさと指定された部屋に向かった。既に父エイブラム・クラークが死亡したことは貴族たちにも知れている。領地に引っ込んでいる貴族の中にはまだ知らない者もいるだろうが、王都に滞在している貴族であれば知らない方が少数派だった。
そのため、廊下ですれ違う人々は口々に悔やみの言葉を述べる。その内の何人が本心から言っていることかと内心で嘆息した。
エアルドレッド公爵が亡くなった時と比べると、王宮内の雰囲気は普段と全く変わらない。エアルドレッド公爵が病死したという知らせが齎された時、貴族だけではなく女官や侍従たちですらその死を嘆き悲しんだ。一人目の妻を亡くしてから領地に引きこもっていたとはいえ、必要があればエアルドレッド公爵は王都に出て来ていた。その時に彼は使用人たちにも丁寧に接していたため、身分を問わず信奉者が多い。一方でクライドの父であるクラーク公爵は、相手の身分によって態度を変えていた。息子であるクライドはその様を目の当たりにしていた。父にとって使用人は壁際の装飾品と変わらず、同じ人間であるとは考えていない様子だった。勿論、宰相という地位にあったからこそある程度は礼節を持って接していたものの、使用人たちも人間である。言葉の裏にある本心を察しないわけがない。最初は好印象を抱いても、接する時間が長くなればクラーク公爵の偽善に気付く者が多かった。
「失礼致します」
目当ての部屋に辿り着くと、扉の前には護衛が二人立っていた。顔馴染みの二人に会釈してクライドは室内に入る。中には予想通りの人物がクライドを待ち構えていた。
「突然呼び立てて申し訳ない」
「いえ、お気になさらないでください、殿下」
スリベグランディア王国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラード。クライドよりも三つ年下の彼は、年不相応の落ち着きを纏って嫣然と微笑んでいる。どうやら簡単な雑談を望んではいないらしい気配を察知して、クライドは苦笑を漏らす。そして促されるまま正面のソファーに腰かけた。途端に、防音の結界が部屋に張られる。
「クラーク前当主が安らかな眠りにつかれるよう、心より祈っている」
「過分なお言葉、恐縮に存じます」
ライリーの言葉にクライドは頭を下げた。あの父が安らかな眠りにつきたがるのかは疑問だったが、心遣いは有難かった。素直に頭を下げる。ライリーは時間を無駄にする気はないらしく、さっそく本題に入った。
「クラーク公爵――既に前当主だが、公爵夫人の魔力暴走に巻き込まれて死亡したと聞いた」
「はい、その通りです」
クライドは頷く。医師と魔導士の署名が入った書類も提出しているため、その点については幾らでも言い訳がたつ。だがライリーは意味深な目をクライドに向けた。
「故人のことを貶めるつもりは、私にはない。だが確認しなければならないことがあってね、足を運んでもらった」
「確認しなければならないこと――ですか」
迂遠なライリーの言葉にクライドは眉根を寄せる。あまり良い予感はしなかった。だがライリーはクライドの様子を気にする様子もなく、淡々と続ける。
「エアルドレッド公爵の死亡がクラーク公爵の陰謀であると信じている者が多くいる。彼らの怒りは激しい。本来であれば彼らの憤りはクラーク公爵本人に向かうところだったが、その当人が亡くなった今、全ての負の感情が君に向けられかねないんだ」
クライドは答えなかった。わずかに目を細めて眼前の王太子を見返す。ライリーはその睥睨にも似た強い視線を受け止めながらも、動揺一つ見せなかった。
「私は、そのようなことはあってはならないと思っている。君とお父上は別人であって同一視すべきではない。だがその区別を付けられない者も中にはいるんだ」
「――いるでしょうね」
何かを思い出すようなライリーの言葉に、クライドは心当たりはなかった。とはいえそのような人物は幾らでも居るだろうと想像がつく。ライリーはどうやらクライドを気に掛けてくれているらしい。自分より年下の王太子の気遣いに心の中で感嘆しながらも、クライドはライリーの言葉を待った。
「ちなみに――父上を亡くしたばかりの君に尋ねるのも酷だとは分かっているが、本当にクラーク公爵がエアルドレッド公爵を謀殺したと思うかい?」
クライドは沈黙した。すぐに答えられるような内容ではない。一番の懸念は、何故ライリーが突然そのようなことを質問したのか、という点だった。クライドやリリアナ、そしてクラーク公爵家にとって良い結果に繋がるのであればまだしも、悪影響があるような目的であれば阻止しなければならない。
意図を問うようなクライドの視線を受けたライリーは僅かに苦笑を漏らした。
「そんな顔をしないでくれ。決して君やリリアナ嬢に悪いようにはしないと誓う」
穏やかな言葉を受けて、クライドは静かにゆっくりと息を吐き出した。
確かにクライドは、父がエアルドレッド公爵の死に何らかの関係があるのだろうと予想していた。リリアナと父が対峙して居た時の会話を聞く限り、エアルドレッド公爵は病死ではなく暗殺であり、それを指示したのが父である可能性は非常に高い。だが、それを証明する手段は一切なかった。たとえ父が生きていたとしても、青炎の宰相と呼ばれたあの人が尻尾を掴ませるような真似をするはずがない。
そして父はエアルドレッド公爵だけでなく、母方の祖父母の死にも関係していた。だがこれもまた、証拠はない。
「――分かりません」
逡巡の末、クライドは正直な感想を口にした。未だ自分の中で整理できていない。妹は何かを知っていそうな気配がしているが、未だ二人きりで話をする時間も設けられていなかった。声を出せない振りをしていた妹が何を考えていたのか知るまでは、将来仕える主君といえど軽々しく事実を明らかにするつもりもない。王太子に虚偽を告げたと知れたら叛意を疑われ処罰されるに違いないが、クライドは躊躇わずに事実を隠蔽する道を選んだ。
そうか、と頷くライリーは更に問いを重ねる。
「公爵が亡くなった時、その場に居たのは公爵夫人と君とリリアナ嬢の三人だったかな?」
「――いえ、同室に居たのは母のみで、私は別室におりました。父に用があったので入室したところ、魔力暴走を起こした母が倒れ、そして父が事切れていたという状況です。リリアナは王都近郊の屋敷におりましたので、そもそも王都の公爵邸には足を踏み入れてはおりません」
「ああ、そうだった」
ライリーは目を細めて何事かを考えながら頷く。
「それなら、仮に公爵が死に間際何かを言い残していたとしても、誰も分からないということか」
「ええ。母も――連絡致しました通り、精神に異常を来している状態ですので」
「不幸は重なるものだね」
「本当に、そう思います」
しみじみと噛み締めるように同意を示せば、ライリーもまた嘆息した。
「エアルドレッド公爵の信奉者が全員、君に敵意を持っているとは限らない。だが、アルカシア派には気を付けた方が良いだろう。きな臭い噂が耳に入って来ている」
「――ありがとうございます」
恐らくライリーの情報元は国王が有している“影”と呼ばれる諜報集団に違いない。深く訊かない方が良いのだろうが、貴重な情報であることは確かだ。素直に礼を言ったクライドに、ライリーは笑みを見せた。
「また何かあればすぐに連絡をくれ」
「お気遣い、痛み入ります」
それ以上、用はないらしい。ライリーに辞去の挨拶を告げ、クライドは部屋を出る。顔見知りの護衛に会釈して、彼は公爵邸に戻るため廊下を歩いた。
すべきことはまだ山ほどある。知らず溜息が漏れるが、ふとあることに思い至ったクライドは眉根を寄せた。
――もしかしたら。ライリーは、リリアナが魔術を使えると気が付いていたのだろうか。
可能性としては否定できない。彼が有する“影”にどの程度の諜報能力があるのかクライドは知らない。だが、何らかの情報を秘密裏に入手した可能性もある。今回敢えてクライドを呼びつけて私的に父が死亡した件について尋ねたということは、クライドが報告した父の死因に何らかの疑念を抱いたのではなかろうか。
クライドは頭痛を堪えるように眉根を寄せて小さく頭を振る。
考えても仕方のないことだった。仮にライリーが真実を悟っていたとしても、今のクライドにできることはない。粛々と事務手続きを進めて葬祭を終え、父への怒りを自分やリリアナに向ける貴族たちをあしらうこと――それが今のクライドがすべきことだ。
そして同時に、リリアナにも話を聞かねばならないだろう。
馬車に乗り込んだクライドは、眉間を人差し指で抑え揉み解す。動き出した揺れを感じながら、屋敷までの道すがら、クライドは仮眠を取ることにした。
*****
ライリーがクライド・ベニート・クラークを呼びつけたのは、確認したいことがあったからだった。だがその問いを直接ぶつけるわけにはいかない。ライリーが選んだのは、迂遠な問いでクライドの反応を確認する方法だった。
「――私の予想が当たっている可能性が高いな」
クライドが退室し一人になった部屋で、ライリーはぽつりと呟く。
最初にクラーク公爵が夫人の魔力暴走により命を落としたという報告を受けた時、ライリーは耳を疑った。クラーク公爵は“青炎の宰相”と呼ばれるほどの人物だ。今では知る者も少なくなっているが、彼が前国王に認められ宰相に上り詰める契機となったのは、その魔術の能力故だった。
今からおよそ二十年前に起こった政変では、前国王の指揮により反乱軍が鎮圧されたことだけが声高に取り沙汰されている。だが当時の戦いは決して楽なものではなかった。反乱軍は政府軍よりも人数も小さかったが、一つの信念の元で決起した者たちの団結力は目を瞠るものがあった。彼らの勢いは凄まじく、一時は反乱軍が王都を制圧するほどだったという。王宮すら反乱軍の手に落ちそうになった時、王宮に乗り込んできた反乱軍の精鋭たちを鎮圧したのが他ならぬ若きクラーク公爵だった。
――エイブラム・クラークの火の魔術は反乱軍の兵士たちを火だるまにし、彼らの武器を悉く焼き尽くした。
苦痛に悲鳴を上げる兵士たちを冷たく見下ろしながら凄惨な現場に佇む青年は、青白い光にその身を照らし出されていた。その時からクラーク公爵は“青炎の公爵”と呼ばれるようになり、宰相の座についてからは“青炎の宰相”と名を変えた。
一方で、彼の妻となったベリンダ・クラークはどこにでも居る普通の令嬢だった。生家はごく普通の伯爵家で一族の中には特別魔力がある者もいない。本人も際立った才能があるわけではなく、そしてリリアナが産まれてからは滅多に社交界にも姿を現わさなかった。一言でまとめるならば、ありふれた公爵夫人だった。
魔力暴走を起こす例は限られている。魔力制御が苦手な三条件のうち、魔力量が膨大な人間が感情の制御をできなくなった時に引き起こす。残りの二条件である“元からセンスがない者”や“攻撃魔法が得意な者”であっても、魔力量が多くなければ暴走と呼ばれる状態には陥らない。
即ち、クラーク公爵夫人が魔力暴走を引き起こしたという報告自体も妙だし、仮にそれが事実であったとしても、青炎との呼び名を持つクラーク公爵が魔力暴走を抑え損ねて命を落とすなど考えられなかった。
「言わないだろうとは思っていたが、案の定口が堅い」
ライリーは微苦笑を漏らす。クライドの軽々しく何でも口にしない点は、ライリーにとっても好ましく、そして信用に値する美徳だった。
「宰相に対抗し得るのは、消去法で――サーシャだろうな」
ベリンダは勿論のこと、クライドも候補から外れる。彼が魔術を使うところは何度か見たことがあるが、クラーク公爵を倒すことができるとは到底思えなかった。尤も、リリアナが魔術を使うところをライリーは見たことがない。だが二年前に起きた史上最大規模の魔物襲撃の時、リリアナは防音の結界と己の幻影を作り上げたまま、その場から姿を消していた。滅多な魔力量でできる仕業ではない。彼女ならばあるいは、クラーク公爵を倒すことが出来るだろう。そして虚偽の申告をしているクライドは、間違いなく妹が父に手を下したと知っているに違いない。
だが、それでもなお疑問は残る。
自分を誘拐した男たちを前にしても、正当な裁判にかけるよう進言した彼女が私刑に走った。その理由を考えるが、ライリーには分からない。エアルドレッド公爵をクラーク公爵が殺害したと確証があったのであれば、リリアナが父を殺した理由にもなるのかもしれない。確かにフィンチ侯爵が押しかけてリリアナを見当違いの理由で糾弾した時、彼女はエアルドレッド公爵の死に衝撃を受けていた。気絶すらしたが、それでも彼女はすぐに平静を取り戻していた。
それ以上に彼女を怒りに駆り立てる何かがあったのか、それとも反撃しなければならないほど何かに追い詰められていたのか――――。
「サーシャ。君は今、一人で一体何を考えている――?」
まだ幼い少女が、本当に実父を殺したのだとしたら。その精神的な衝撃は計り知れないだろう。それでもきっと、リリアナは誰にも頼ろうとせず一人で耐えるに違いない。
寂寥を滲ませ呟いた声は誰に聞かれることもなく、静かな部屋に響く。すぐにでも駆け付けたいのにそれが出来ない自身が歯痒いと、ライリーは唇を噛み締めた。
10-2
15-6
21-9