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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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23. 双璧の後始末 1


オブシディアンが王都のクラーク公爵邸に辿り着いた時、既に屋敷は騒然としていた。暗闇に身を潜ませて、一体何があったのかと様子を窺う。

蒼白な顔の使用人たちは医師と魔導士を呼び、そして医師と魔導士は真剣な面持ちでクラーク公爵の遺体を検分していた。その傍で顔色を失った長男が医師と魔導士の言葉を聞いている。彼らの話を聞く限り、どうやら現在別室で休んでいる妻ベリンダが夫婦喧嘩の際に魔力暴走を起こし、不意を突かれた公爵が魔力を相殺し損ねて死亡したらしい。

医師と魔導士は違和感を覚えていない様子だが、オブシディアンは釈然としない気持ちで顔を顰めた。


「――魔力暴走で死んだァ?」


んな馬鹿な話があるか、と口をへの字に曲げる。

魔力量は普通に見ても分からない。だがこれまで入手した情報から考えても、魔力暴走を起こしたと言われているベリンダ・クラーク公爵夫人の魔力量はそれほど多いとは思えなかった。それにクラーク公爵家の執務室には様々な仕掛けが施してある。他人の魔力を抑制し、当主であるクラーク公爵の魔力を増幅させる呪術陣の存在にも、オブシディアンは気が付いていた。

それだけではない。証拠は遺体にしっかりと残っていた。遺体の損傷が激しく医者や魔導士ですら気が付かなかったようだが、遺体に残された傷は体内から付けられたものだった。魔力暴走を止められずに付いた傷ならば、体の外側から内側に向かって傷が残るはずだ。


「てことは、お嬢が親父さんを殺したってところだろうな。兄貴が誤魔化してるってことは共犯か」


あっさりと真実に辿り着いたオブシディアンは納得したように頷いた。魔術が使えることを極力隠していたリリアナがクライドの前で魔術を使ったことには驚いたが、それよりもエイブラムの命を奪うことのほうがリリアナにとっては重要だったのだろう。


「案外、お嬢もエアルドレッド公爵が殺されたことに腹立ててたのか?」


リリアナの性格を考えれば、エアルドレッド公爵暗殺の黒幕がクラーク公爵であろうと、正式な裁きにかけると思っていた。だからこそ違和感が拭えない。一体何があったのかオブシディアンには分からないが、恐らくは王都近郊の屋敷にリリアナは戻ったはずだ。気がかりを覚えてさっさと彼はその場を立ち去ることに決めた。


「――取り敢えず戻ってみるか」


そしてリリアナの様子を窺おうと呟く。オブシディアンは再び夜の闇に身を潜ませて、来た道を走り始めた。



*****



リリアナが王都近郊の屋敷に転移の術で戻った時、そこには既にオブシディアンの姿はなかった。がっかりしたような、ほっとしたような複雑な気分に陥る。リリアナはそのまま寝台の上に転がった。

父との対決は精神的な疲労感が強かった。かつてリリアナは史上最大規模と言われた魔物襲撃(スタンピード)で魔物たちと対峙したが、あの時よりも魔力が削られていく感覚は強かった。魔物たちを前にした時は、少しでも気を抜けば死ぬと分かっていたから一切容赦しなかったし、使う術もそれほど複雑ではなかった。あの時と比べると、父である公爵と対峙するには圧倒的な魔力量と高度な魔術が必要だった上に、リリアナは最後まで父の命を奪うべきかどうか悩んでいた。


「本当に、良かったのかしら」


陰鬱な口調でリリアナはぽつりと呟く。父を前にした自分を振り返るほど、あの時の自分は理性的ではなかったと思う。多少傷付けても捕えて公正な裁きに掛けるべきか、それともこのまま殺害した方が良いのか。そう考えてはいたものの、生け捕りは難しいだろうと薄々感じていた。

最終的に父を殺す術を発動させた切っ掛けは隷属の呪文を耳にしたからだ。隷属の呪いと呼ばれる呪術は、対象者の自我を殺すことができる。死体を動かす傀儡術と結果的には同じものだとして、禁術に指定されている。だからこそクライドはリリアナの行動が“正当防衛だった”と言って慰めた。だが、あのまま進んでいればリリアナは隷属の呪文を聞かずとも父を手に掛けていたに違いない。


尤もこの世界ではそれほど公式の裁判は重要視されていない。裁判は地方であればその地を治めている領主が行い、それに不服があれば王都にある神殿に訴え出ることになっている。王都で起こった事件や貴族同士の諍いに関しては神殿が裁きを下し、貴族間の争いには国王が介入することも度々ある。だが必ずしも全ての争いが領主や神殿に持ち込まれているわけではなく、私刑も同時に存在していた。

例えば一族の若者が別の一族に属する若者に殺害された場合、被害者の一族は加害者の一族の中から誰か一人を殺害することが出来る。加害者の一族は若者を庇うこともできるが、明らかに罪があると認めれば決して彼を助けてはならない。この世界で一族の庇護を失うことは、本人に武術や魔術等何らかの才能がない限りは死を意味していた。

仮に一族の庇護を失ったうえで生き延びられたとしても、被害者の一族には常に命を狙われる。追手を撒き、時には反撃して生き続けることは酷く難しい。それでもどうにか生き残れる者がいれば、その人物は間違いなく傭兵として名を馳せることになるだろう。勿論そのような例はごく稀だ。


いずれにせよ、リリアナが実父のクラーク公爵を殺害した事実はそれだけで有罪になるものではない。彼が死刑に値する罪を犯したことが白日の下に晒されたら、リリアナの行ったことは正当であるとして無罪と判断されるだろう。だが、それと評判や噂は別の話だし、リリアナとしても素直に開き直る気持ちにはなれなかった。

父を殺した自分の判断が感情に根差したものではないという確信を、リリアナは持てないでいた。


確かにリリアナは、クラーク公爵を殺してやりたいと思った。堪え切れない怒りがあった。何故あの人を――エアルドレッド公爵を殺した男がのうのうと生きているのか――そんな気持ちがなかったとは言い切れない。


「――そんなこと、わたくしがゲーム通りであるということの証左ではないの」


低く呟いた声はリリアナの鼓膜を揺らし、彼女は華奢な手で強く枕を掴んだ。

ゲームのリリアナは嫉妬に駆られ、ヒロインであるエミリア・ネイビーと婚約者である王太子の仲を引き裂こうと――ゲームの言葉を引用するのなら――“闇魔術”に手を染める。攻略対象者がライリーでない場合でも、エミリアは大なり小なりライリーと関わりを持つことになるため、リリアナは必ず破滅の道を辿る。その根本的な問題は、リリアナ本人が嫉妬と憤怒、そして憎悪に支配されてしまうことだった。

ゲームのリリアナと今の自分は違う存在だと思って生きて来たが、今し方経験した出来事を振り返れば振り返るほど、結局どちらも同じだという事実を示している気がしてならない。


「それに、結局はゲームのシナリオ通りに事が進み始めているように思えてならないわ」


もう一つ、リリアナの心を悩ます問題があった。

ずっと彼女は身の破滅を避けるために、ゲームのシナリオから外れるよう行動を選んで来た。声を失った振りをしてライリーの婚約者から外れるよう努めていたこともその一つだ。だが結局、リリアナはライリーの婚約者となることがほぼ決定している。二人の婚約に反対していた最大勢力のクラーク公爵が死亡した今、その決定は容易には覆らないだろう。

そして兄クライドの性格が変わった原因が母の死にあるとリリアナは仮定したが、それが正しい保証はどこにもない。それどころか、目の前で妹が実父を殺害した現場を目撃した彼の心境は穏やかではないだろう。今回の件を切っ掛けに彼の性格が変われば、それもまたリリアナの破滅の要因となり得る。


リリアナは両手で顔を覆った。暗く覆われた視界の中で、事切れる間際の父の姿が鮮明に蘇った。ぞくりとした感覚に身を震わせる。

父を殺めたということに罪悪感はない。心の中は空虚で、申し訳ないという気持ちは沸き起こって来ない。人を殺めることに躊躇いもなく、そしてその事自体に後悔も覚えない。そんな自分がリリアナは恐ろしかった。足元から這い上がる暗闇に飲み込まれそうな心地に小さく喘ぐ。震えそうになる体を誤魔化して、リリアナは自分に魔術を掛ける。

やがてゆっくりと彼女の意識は睡魔に飲み込まれ、部屋に組み込まれた魔術と呪術は主の安寧を護るため部屋中に目に見えない蔦を張り巡らせた。ありとあらゆるものの侵入を阻む防御の結界は、やがて訪れた黒い影すらも拒む。


「――お嬢?」


これまでになく精巧な結界に、駆け付けたオブシディアンは戸惑いを隠せなかった。今までの結界であれば、結果的にリリアナを起こすことにはなったが侵入はできた。だが今目の前にある結界は一切の侵入を拒むものだった。オブシディアンには、手も足もでない。


「一体何が――」


あったのかと戸惑うが、一歩も踏み入れられない状況ではリリアナ本人に確認を取ることもできない。不穏な様子にうろたえるがどうにもできず、オブシディアンはリリアナの部屋からほど近い屋根裏で一夜を明かすことにした。




――翌日、オブシディアンはリリアナの寝室に近づいた。だが、相変わらず張られた結界は綿密で侵入する隙がない。無理に入り込むこともオブシディアンであれば出来るが、自分だけでなくリリアナの身にも悪影響がある可能性がある。彼にしては珍しくじりじりと何もできないまま、限界まで近付いてリリアナに会える時を待った。

どうやらマリアンヌたちには体調が悪いと伝えたらしく、その日一日リリアナは部屋に籠っていた。階下ではクラーク公爵の死が伝えられたらしく、使用人たちが騒然となっている。だがオブシディアンは使用人たちの動揺よりも、リリアナの方が気がかりだった。


そして更にその翌日。クラーク公爵が亡くなった三日後、リリアナは体調が良くなったと姿を現した。部屋に張り巡らされていた結界も解けている。ほっとしたオブシディアンは使用人たちが見ていない隙を狙って、リリアナの前に姿を現した。


「よお、お嬢」

「シディ、母がフォティア領を出たと教えてくださったこと、感謝致しますわ」


まさかリリアナから切り出されるとは思わず、オブシディアンは黙り込む。しかしリリアナは気にした様子もなく、普段と同じ微笑を浮かべて言葉を続けた。


「貴方がお母様のことを教えてくださったお陰で、お父様とお母様の元に駆け付けることができましたの」


オブシディアンは言葉に詰まる。父親を殺したのはリリアナなのか、そして部屋に閉じこもっていたのは何故なのか――尋ねたいことは山ほどある。だが尋ねて良いものかどうか、オブシディアンには分からない。一般的な感覚を、オブシディアンは知らない。

だが、オブシディアンは考えていても仕方がないとあっさり思考を放棄した。


「あんたが親父さんを殺したんだな?」


それは質問ではなく確認する口調だった。リリアナは笑みを深める。そして小首を傾げて、穏やかに答えた。


「ご想像にお任せ致しますわ」


どうやらまともに答える気はないらしい。オブシディアンは溜息を吐くのを堪えた。


「それじゃあ、昨日一日部屋に閉じこもってたのは? 本当に体調不良だったのか?」

「ええ、どうやら疲れが出たようですわね」


如才ない返答は、どこか空虚に聞こえる。オブシディアンは眉根を寄せたが、リリアナの表情は変わらない。彼女は人形のように代わり映えのない微笑を張り付けたまま、穏やかに座っていた。



*****



王宮に向かう馬車に揺られながら、クライドは深々と息を吐いた。父の死からたった数日しか経過していないが、酷く疲れていた。

父であるクラーク公爵の死因が妻ベリンダの魔力暴走であることが認められ、ベリンダについては心神耗弱の診断が下された。王都の公爵邸は夫の気配がそこかしこに残っているせいか、クライドの予想通りベリンダは全く落ち着かなかった。事あるごとに夫を罵りリリアナを化け物と叫び、そしてクライドに共に逃げるよう説得を繰り返す。葬式には同席して貰おうと思っていたものの、ほんの一晩でクライドは計画を変更することにした。


療養と称して早々に母をクラーク公爵領の端にある屋敷に引っ越しさせるよう手筈を整え、フォティア領の屋敷に居るフィリップを王都に呼びつける。フィリップが来るまで一週間ほどかかるから、クライドはその間に葬式の準備を済ませるだけでなく、公爵家当主になるための書類等を揃えて王宮に向かうことにした。通常であれば成人に達しない者が当主となる時、後見人が付けられる。しかし幸か不幸かクライドはあと数ヶ月で成人年齢に達するため、後見人を立てる必要はなかった。そのため書類も比較的簡単に揃えられたのだが、頭を悩ます問題が多すぎて全く精神的には楽ではない。

さっさと書類を提出した後は帰宅しようと思っていたクライドだったが、執務室が集まっている棟の一室に入った時、見覚えのある文官が慌てたように立ち上がった。部屋に居た他の文官たちを制して足早にクライドに近づく。


「書類、確かに拝受いたしました――それで、実はその――この後お話をしたいと仰る方が」


言葉を濁す文官の様子にクライドはピンとくる。文官は気まずそうな表情を浮かべていた。間違いなく彼の身分では断れない筋からの指示なのだろうが、同時に若くして当主の座を引き継ぐこととなったクライドの忙しさも分かっているからこそ言い辛いのだろう。

仕方がないとクライドは頷いた。


「分かりました。私はどこへ伺えば?」


途端に文官はほっとしたように顔を緩める。そして耳元で告げられた部屋は、王宮の奥まった方――王族の住居にほど近い場所だった。



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