表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
139/563

22. 雪辱と反攻 2


王都にあるクラーク公爵邸で、公爵家嫡男のクライドは父であるクラーク公爵の書類仕事を手伝っていた。成人年齢の十五歳を迎えるクライドは当主ではないが、徐々に領地経営の仕事を覚える必要がある。それでも重要な部分には未だ関わらせて貰えない。そのことに僅かな不服は覚えるものの、まだ父に認められるほどではないのだろうとクライドは自らを戒めていた。

重要ではないとされる仕事だけでも量は多く、深夜までずれ込むことも多々ある。特にクラーク公爵は宰相も兼務しているため仕事量は膨大だった。国王が意識不明の重体で、本来であれば国王が決裁する仕事ですら宰相に回されているのだから当然だ。王太子が代行できれば良いのだが、ライリーは未だ十二歳であり政務を任せるには幼すぎる。だがクラーク公爵は愚痴めいた言葉を零すことはなかった。


ふとクライドは書斎机の上に書類の束を見つける。それはクラーク公爵が奏上のために整えたものだった。違和感を覚えた彼はその書類を手に取る。一枚目は特に目立った内容ではない。だが、二枚目に書かれた内容を目にしたクライドは言葉を失った。


「――王太子殿下の婚約者候補を辞退?」


妹リリアナは二歳の時から王太子の婚約者候補に名を連ねていた。そのため物心つく前から王太子妃教育の準備が始まり、物心ついたころには王太子妃教育のため家族と離れて一人で暮らすことになった。五歳年下の妹がどれだけ頑張っていたか、クライドは良く知っている。勿論彼女が“候補”でしかないことは理解していたから、王族の側から選ばれない可能性は承知していた。だが、たとえ父が反対していても、周囲がリリアナを推せばたとえ三大公爵家が反対しようが意見が取り入れられることはないはずだった。それに隣国から皇子たちが外遊のため訪れた時にはライリーもリリアナを婚約者とすると心に決めていたから、もう妹が王太子妃になることはほぼ確定していると信じていたのだ。

それにも関わらず、このタイミングで父エイブラムはリリアナの婚約をなかったことにしようとしている。父の判断を理由なく疑うつもりはないが、ずっと頑張っていた妹の努力を裏切るような、そして張本人であるライリーの意志を無視するようなやり方に頭が真っ白になった。


「どうした、クライド」


暫く席を外していたエイブラムが戻って来る。クライドは誤魔化すことも忘れて、書類を手にしたまま父の方を見た。公爵の顔をした父は冷たい視線を息子に向け、手にしている書類を見て眉根を寄せる。クライドはようやく自由になった口を開いて尋ねた。


「父上は――リリアナを王太子殿下の婚約者候補から外すおつもりなのですか」

「そうだ」


否定して欲しいと願うクライドの気持ちをあっさりと裏切って、公爵は頷く。その書類を見たのであれば尋ねる必要もないだろうと言わんばかりの態度だ。クライドはのろのろと書類を卓上に置き、更に疑問を口にした。


「何故ですか。リリアナは小さい頃から王太子妃教育を頑張ってきました。殿下も――リリアナを婚約者として考えていますし、顧問会議でも」

「弁えろ、クライド」


先ほどから変わらぬ声音にも関わらず、ひやりとした空気を感じ取ってクライドは口を噤んだ。公爵は執務机の横を通って椅子に腰かける。当主にのみ座ることが許された大きな椅子は、エイブラムの厳格な雰囲気を更に重々しいものに見せていた。無言で視線を向ける息子を何の感情もない目で見返す。クライドは目を逸らしそうになるが、辛うじて堪えた。


「隣国との関係強化のために、殿下には隣国の皇女を娶っていただく必要がある。リリアナ(あれ)は国内で適当な爵位の者に嫁がせるか、必要であれば隣国に行かせることになるだろう」


そもそも喋ることのできない娘に王太子妃など務まるわけがないだろう、と言い捨てる公爵に、クライドは反論できなかった。ライリーは問題ないと考えている様子だが、顧問会議の貴族たちが一も二もなくリリアナを王太子妃に推せない理由の一つには間違いなく声の件がある。

クライドも公爵家嫡男だ。高位貴族の役割として、政略的な手段としての結婚があることも承知していた。だがリリアナやライリーの意志を無視するやり方に不満がないわけではない。クライドは複雑な表情で黙り込む。

公爵は息子の様子に気が付く様子もなく淡々と、ユナティアン皇国の皇子の中に候補者が数名いると言う。皇帝の子供は多いが、リリアナと最も年が近いのはスリベグランディア王国にも来たローランド皇子だ。ローランドを除けばクライドより年上の者もいる。公爵にとって政略の駒でしかないリリアナは、必要となれば父ほどの相手に嫁がされる可能性も高かった。


「父上、ですが隣国の皇帝は血の繋がった子供でも容赦なく、気に障ったという理由だけで首を落とすとも聞きます。そのような国にリリアナを嫁がせるなど――」

「お前にその判断をする権限はない」


ユナティアン皇国に関して良い噂は全く聞かない。どうにかして思い直して欲しいと思いながらクライドが口にした言葉は、呆気なくクラーク公爵に遮られた。斬りつけるような鋭さを持った言葉にクライドは息を飲む。視線を向ければ、凍り付くような瞳の父が忌々しそうな表情でクライドを睨みつけていた。


「跡継ぎと思って調子に乗ったか、クライド。お前はまだ嫡男でしかない。仕事を教えてはいるが、必要とあれば養子を取ることも可能だ。思い上がるな」

「――――申し訳ございません。差し出口を申しました」


まだお前が次期当主として決まったわけではないと言外に告げられたクライドは口を引き結ぶ。父親の怒りを買ってしまったのは確かだった。最近は上手く付き合えていたから油断していたが、クラーク公爵は自分の決定に物申されることを酷く嫌う。時折王宮で会話をしていたエアルドレッド公爵とは正反対の性格だ。肝を冷やしながら頭を深々と下げ、クライドは任せられていた書類を捌くべく手元の紙に目を落とした。小刻みに震える掌に汗がにじんでいる。父親と二人きりの空間は息が詰まるようだった。

沈黙が落ち、しばらくはペンを走らせる音と紙を捲る音が響く。いつの間にか窓の外が暗くなり、クライドはカーテンを閉めるために椅子から立ち上がった。その時、遠くから侍従の声が響く。クライドはカーテンを握ったまま扉の方に顔を向けた。


『奥様、お待ちください!』


次の瞬間、前触れなく執務室の扉が開く。目を丸くするクライドとは対照的に、執務椅子に腰かけた公爵は一切の驚きを見せずに冷ややかな目を訪問者に向けた。


「――騒々しいな、公爵夫人とも思えん」

「貴方は三大公爵家当主とも思えない恥知らずだわ」


口を開いた瞬間に繰り広げられる罵倒の応酬に、クライドは絶句した。父親の嫌味な言葉は聞き慣れていても、母ベリンダが父を罵るところは初めて見る。その場に立ち尽くして二人の様子を窺うクライドに目を向けて、ベリンダは険しい表情で告げた。


「クライド、貴方はこちらへいらっしゃい。そんな男のところに居れば殺されてしまうわ。二人であたくしの故郷へ行きましょう」

「は、母上――? 一体なにを、」


戸惑うクライドの言葉を遮り、公爵は呆れたように溜息を吐いた。


「とうとう頭が狂ったか、ベリンダ。全く、公爵家嫡男の誘拐を公言するとは落ちたものだな。病を得たのであれば療養の手配を進めるぞ」


言外に領地へ押し込め軟禁すると宣言する公爵に、ベリンダは顔色を変えた。憎々し気に夫であるはずの男を睨みつける。


「貴方の思い通りになんてさせないわ。あたくしを追いやって、クライドを殺すつもりなら容赦しない」

「先ほどから殺す殺すと物騒だな。人に聞かれたらどう思われるかとは考えないのか」

「どの口がそんなことを言うの!」


とうとうベリンダが癇癪を起こした。彼女の背後では焦った表情の侍従がどうしようかと右往左往している。公爵が指を鳴らすと、勝手に執務室の扉が閉まった。確かに公爵一家の、特に公爵と夫人の諍いは使用人たちに見られるべきではないだろう。

そして怒り心頭に発したベリンダは背後で扉が閉まったことにも気が付かず、更に甲高い声で夫を罵る。


「貴方は昔からそうだった! 自分は何もしていないという顔をして、罪悪感もないままのうのうと生きているんだわ!!」


ベリンダの言葉を半分も理解できずに茫然自失のクライドを尻目に、クラーク公爵は平然と妻を見つめていた。一切動じない様は青炎の宰相そのものであり、一方で妻に対し何の感情も抱いていないように思える。クライドはぞっと背筋を冷たいものが這い上がる感覚に陥っていた。

クラーク公爵の目付きは、さながら宝飾品の価値や瑕疵の有無を確認しているようだ。決して、癇癪を起こしたり怒りを発露させたりしている人間を相手にしている表情ではない。


「知っているのよ、お義父様を殺したのは貴方だって。二人目の子だって貴方のせいで死んだ。リリアナを産ませるために、貴方は躊躇いもなくあたくしのお父様とお母様も殺したのよ――ッ!!」


金切声で告げられた言葉を、クライドは到底信じられなかった。唖然としたまま彼は父母の顔を交互に見る。義両親殺害の疑惑を掛けられているにも関わらず、クラーク公爵は平然としていた。


「父上、それは、」


それは本当なのですかと、クライドは否定して欲しいと願いながら父に縋る目を向け、掠れた声で尋ねる。父エイブラムの横顔は見慣れたものであるはずなのに、クライドには別人に思えた。


―― 一体、目の前に居るのは誰なんだ。


僕の父なのかと、正体の見えない恐怖で唇が震える。クラーク公爵はガラス玉のような瞳でクライドを一瞥し、息子の質問を鼻先で笑い飛ばした。


「真実か否かは、そこまで重要なことか?」


言葉を失う息子を蔑むような口調で「不甲斐ない」と呟く。


「目的のためには手段は問うてはならない。それがこの国のためになるのであれば尚更だ。そのことを理解していると思えばこそ、お前には公爵家の執務を教えている。それとも、お前が後継者に適しているとは私の思い過ごしだったのかな」


問いかけているようにみせて、その実、父は答えを求めてはいない。父を失望させたのだとクライドには理解できた。どうしようと、焦燥で思考が鈍る。クライドは口を閉ざし固まってしまったが、公爵の言いざまはベリンダの怒りを更に煽るものだった。


「国のためだと言いながら、貴方がしていることは神をも恐れぬ悪事よ、この人殺し!!」

「口を慎め、ベリンダ」


それまで平然としていた公爵の声に怒りがこもる。ベリンダの放った言葉が彼の逆鱗に触れたことは間違いない。クライドの体は無意識に危険を感じ取って震えた。父の機嫌を損ねた原因が何なのかも分からず、だが事態が悪化したことだけは確かだった。怒りによって生み出された魔力が公爵の体を纏うように蠢いている。威圧感が増す。おどろおどろしくも見える動きに、クライドは後退った。


「何も知らぬ愚図が偉そうな口を叩くな。私を誰だと思っている」


恐怖に縫い留められたベリンダも、顔を蒼白にして硬直している。小刻みに震える体を抑えきれない。その場に崩れ落ちてしまいそうな風情だったが、彼女は気丈にも立ち続けていた。


「我が国を隣国の支配下に置くわけにはいかない。だが今この国には英雄が居ない。我が国を守るためには英雄が必要なのだ」


一瞬、クライドは公爵が何を言わんとしているのか見失った。戸惑って眉根を寄せる。息子の見つめる先で、公爵は熱のこもった声で語り始めた。


「先代陛下はまさしく英雄だった。勇者の血を継ぐ王家に相応しいお方だった。だがあの方はもう居ない。我々には英雄が必要だが、勇者と賢者の血を継ぐエアルドレッド公爵家には適当な人間が見当たらない。それならば話は簡単だ。()()()()()()()()()()()()()()()


勇者、賢者、そして魔導士――それは魔の三百年を終焉に導きスリベグランディア王国を打ち立てた三人の英雄たちだ。王家は勇者の、エアルドレッド公爵家は賢者の、そしてローカッド公爵家は魔導士の血を継ぐと言う。だがエアルドレッド公爵家には王家の血も流れているため、実際にはエアルドレッド公爵家は勇者と賢者の血を継いでいると言えるだろう。

だが、英雄たちを()()という意味がクライドには分からなかった。一方で、ベリンダは蝋のように真っ白な顔で「まさか――」と呟く。


「まさか――そんな、そんなこと出来るはずが――!」

「凡人が愚考したところで、崇高な志もその手段も理解できるとは到底思えんな」


クラーク公爵は呆れたようにベリンダを見やる。そして小さく舌打ちを漏らすと「全くもって忌々しい」と呟いた。


「療養させようと思ったが――どうやら病死した方が良いらしいな」


途端に、青白い炎が公爵の周囲に燃え上がる。膨れ上がった魔力に、ベリンダは顔を引き攣らせてその場にへたり込んだ。腰が抜けたらしい。一般的な魔導士が持つ魔力より遥かに強大な魔力を発現させた父に、クライドもまた体を震わせる。だが彼は同時に父の思惑を察し、蒼白な顔を引き攣らせた。


「父上!」

「両親の元へ行くが良い」


お止めくださいと、叫ぶことが出来たのか――それすらも、クライドには分からなかった。冷たく響いた父親の声と共に、青白い炎は高温を保ったままベリンダの体に襲い掛かる。攻撃を防ぎ母を護ろうと放ったクライドの魔術は、呆気なく公爵の圧倒的な魔術によって押し潰されるように消された。

死の恐怖を目前にしたベリンダはあまりの恐怖に悲鳴を上げることすらできない。呆然と瞠った目から大粒の涙をこぼし、座り込んでいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ