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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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21. 陰日向の応酬 14


クラーク公爵領を始めとした地方の視察を終えた翌々日、晴れ渡った空の下で楽し気な笑みを浮かべたローランド皇子は、ライリーに右手を差し出した。


「有意義な滞在であった。礼を言う」

「そう仰っていただけるとこちらとしても有難い」


ライリーは握手を交わして穏やかに返事をする。

ローランド皇子とイーディス皇女の外遊は、一部想定外の出来事もあったものの、全体的には滞りなく終了した。当初はライリーと婚約を結ぶためスリベグランディア王国に滞在を延長しようとしていたイーディス皇女だが、何の心変わりかローランド皇子の説得により一旦皇国に帰ることになった。

ライリーの隣に立つリリアナに視線を向けたローランド皇子は、リリアナの右手を取って敬愛を示す。リリアナは穏やかに微笑を浮かべてそれを受け入れた。


「クラーク公爵令嬢、貴殿にも色々と世話になった」


とんでもないことです、と言うようにリリアナは淑女の礼を取る。優雅な仕草にライリーは目を細めた。ローランド皇子の背後ではイーディス皇女が詰まらなさそうに口を尖らせている。その目はリリアナを見てはいない。ライリーだけを見つめている瞳は潤み、恋する乙女を体現しているような表情だ。一方でライリーは一切の感情を表さず、ただ失礼にならない程度に微笑を浮かべていた。


「さあ、行こうか。イーディ」


イーディス皇女はライリーにしか別れの挨拶を告げていないが、ローランド皇子は気にせずに妹姫の背を押して馬車に誘う。イーディス皇女は名残惜しそうな顔で肩越しにライリーを振り返ったが、ライリーが口を開かないのを見て諦めたように溜息を吐いた。無言で馬車に乗り込む。

やがて準備が整い、馬車が動き始める。王宮を出て少し進めば王都も出る。街道に入ったところで、ローランド皇子は困ったように対面に座る妹に目をやった。


「そんな顔をするな、イーディ」

「だって――私、ライリーさまと結婚するのだと思ったのに」


不貞腐れた顔の妹を見てローランドは苦笑する。視察から王都に戻った後、散々繰り返した会話だ。イーディスは結果的にローランドの説得に折れたものの、納得はしていなかったらしい。


「そんなに結婚したかったのか?」

「だって、ライリーさまは私の王子さまだもの。みんなも、ライリーさまと私が結婚すると言っていたわ」

「俺だって皇子だぞ、イーディ」

「兄さまは兄さまよ」


ローランド皇子の茶化すような言葉にイーディス皇女は更に不機嫌になった。横目で妹を眺めながらローランドは苦笑する。

当然兄と妹は結婚できないし、そもそもローランドはイーディスを結婚相手として考えられない。可愛らしくて護りたい妹であり、同時に幸福な結婚をして欲しいとも思っている。できれば父のように苛烈で独善的な人間ではなく、真に妹を想ってくれる相手が良い。

スリベグランディア王国の王太子であればイーディスを守れるのではないかと考えていたが、クラーク公爵令嬢に諭されて思い直した。

まだイーディスは八歳と幼い。焦って婚約を決める必要はないだろう。尤も皇女ともなれば大半が幼い頃に婚約者を決めるが、イーディスに関しては皇帝がなかなか選ぼうとしなかった。皇帝に気に入られた秘宝だからと囁かれているが、婚約者を決めない方が政治の駒として使い勝手が良いからだろうとローランドは推測している。


「そう不貞腐れるな。お前に相応しい婚約者は俺が直々に探してやる」

「兄さまが?」


使い捨てられる皇帝の駒にはしない、と決意しながら口にすれば、イーディスは不思議そうに目を瞬かせた。ローランドがそのようなことを言い出すのは初めてだった。


「そうとも。だから安心していろ」


力強く頷くと、途端にイーディスは顔を綻ばせた。婚約者として選ぶ相手がライリーだとは言っていないが、気にならない様子だ。

彼女にとってローランドは信頼に足る相手である。皇帝の言葉が絶対だと無意識のうちに思っているため、皇帝と他人の言葉が異なっていれば迷うことなく皇帝の言葉を信じる。しかし、ローランドと父の言葉が相反する内容であれば混乱してどうすれば良いのか分からなくなってしまうだろう。それだけでも、ローランドとそれ以外の人に対する信頼感の差が明らかだった。


「わかったわ、兄さま。でも私、ライリーさまが良いわ」

「考えておこう」


頬を染めながらも素直に頷く妹姫の顔を見て、ローランドはほっとしたように表情を緩めた。

当初はイーディス皇女の婚約を結ぶため、水面下でスリベグランディア王国から婚約の打診があったと皇帝に上奏する予定だった。だが、今はもはやローランドにその気持ちはない。そして上奏しない限り、ユナティアン皇国から王国に対してイーディス皇女の婚約が打診されることはないだろう。


皇都への道のりは遠い。長い旅路だが、往路で目星を付けていた土産を買って帰ろうとローランドは自身を励ます。スリベグランディア王国内で数泊し国境まであと僅かとなった時、ゆったりと進んでいた一行は足を止めた。


「――何があった?」


ローランドは眉根を寄せる。イーディスは疲れが出たのか馬車の中で眠っていた。違和感を覚えたローランドは自身の着ていた外套を妹の体にかぶせる。そして座席に置いていた剣を手に取った。馬車の窓にはカーテンを下ろしている。隙間から外を覗けば、まだ周辺に異変は迫っていない。しかし護衛たちの横顔に緊張が走っていた。わずかに窓を開ける。


「何があった」

「は――前方で戦闘が起こっている模様です」


護衛の一人が答える。


「敵襲か?」

「いえ――様子が良く分からず」


どうやら伝令が間に合っていないらしい。そんな話をしている内にも、騒ぎは段々と近づいて来る。護衛は焦った様子を見せた。


「殿下、窓を閉めて馬車の中に隠れてください」

「わかった」


敵襲ならばこの馬車に皇子と皇女が乗っていることも気付いているだろうと思いながら、一旦ローランドは窓とカーテンを閉める。すると、先ほど被せかけた外套の下でイーディスが身じろいだ。どうやら騒ぎのせいで目覚めたらしい。


「兄さま、どうしたの? 休憩するのかしら?」

「いや、違う。少し問題が生じた。大丈夫だから、その外套を被って大人しく寝てろ」


馬車が停まったことに気が付いたイーディスが首を傾げる。不安を煽りたくはないが、下手に誤魔化して自ら命を危険に晒すような行動を取られては敵わない。極力ローランドは落ち着かせるような声音を意識して話し掛けた。外套から目だけを出したイーディスは不安そうに目を瞬かせたが、ローランドの顔を見ると安堵したらしい。


「わかったわ」


素直に頷くと、外套を頭からかぶって座席の上で丸くなる。その様子を視界の端に捉えたローランドは、こんな時だというのに小さく笑った。いつでも剣を抜けるように体勢を整える。やがて騒々しい物音が近づいて来た。ローランドは慎重に息を吐き出す。剣戟の音が馬車の中にまで聞こえて来た。外套を被りながらも不安げに体を震わせる妹の肩を優しく撫でて落ち着かせた――次の瞬間、大きな音を立てて馬車が揺れる。


「きゃあっ!」


咄嗟にイーディスが悲鳴を上げた。


「皇女と皇子はこの中だ!」


悲鳴を聞きつけた男が野太い声で叫ぶ。外套を取り落としたイーディスの顔は蒼白になった。幼いながらに事態を悟り、恐怖に陥ったらしい。ローランドは舌打ちを漏らした。居場所が知れた時点で隠れているのは悪手だ。馬車の扉が壊れるのも構わず蹴り開け、外に飛び出た途端に剣を抜き放つ。


「兄さま――っ!」


背後でイーディスの悲痛な声が響くが、ローランドは無視を決め込む。護衛たちも奮闘していたが、何分敵は数が多かった。護衛たちが防ぎ切れなかった覆面の敵が次から次へとローランドを襲う。攻撃をいなし弾き、最小限の動作で戦闘不能に陥らせる。

ローランドは強かった。貴族たちに馬鹿皇子と陰で嘲笑されながらも、人目のないところでの訓練を怠らなかった。


「ッ、多いな――!」


倒しても次から次へと敵が湧き出て来る。ローランドは懐から短剣を取り出し左手で逆手に構えた。右手の長剣と左手の短剣――彼が一番得意な戦法だった。途端に動きが見違えるように良くなる。背後に目が付いているかのような反応速度で敵を屠っていった。だが、護衛が一人、二人と地に倒れ伏していくに従いローランドの顔色が悪くなる。前後から同時に襲い掛かられた時、彼は体勢を崩した。前方からの攻撃は弾き飛ばすことができたが、後ろには手が回らない。斬られることを覚悟した時、轟音と共に背後の敵が吹き飛ばされた。荒くなった息を整えて、ローランドは轟音の大元に目をやる。そこには右の掌を前に向けたドルミル・バトラーが髪一筋も乱さない姿で立っていた。


「後ろが疎かになっていますよ、殿下」

「――っ、いるなら、とっとと出て来んか、この鈍間」

「おや、助けた相手にその態度ですか」


周囲を見回せば、敵は全て倒れ伏している。どうやら片は付いたらしい。ローランドは長剣と短剣に付いた血を拭い鞘に戻した。馬車に近づいてイーディスに声を掛ける。彼女は無事だったが、あまりにも恐ろしかったのか、外套に包まれたまま気絶していた。ローランドは再び外に出る。

落ち着いた様子のバトラーは周囲を見回し、ほとほと呆れた様子で首を振った。


「護衛の質も落ちているようですね、嘆かわしい」

「――善戦はしていたと思うぞ、俺は」

「守るべき皇子本人に戦わせておいて、善戦などとは言っていられないでしょう」


思わずローランドは庇う発言をするが、バトラーはけんもほろろに切り捨てる。確かに護衛は三分の一が死亡または大怪我によって戦闘不能に陥っていた。生き残っている者も大小の怪我を負っており、無傷なのはバトラーとローランド、そして馬車の中で兄の外套に包まっているイーディスくらいのものだ。


「そういうな、俺もイーディも無事だった」

「怪我を負っていたら、全員処罰対象ですからねえ」


皇族を守れない護衛は不要だ。言下に言い捨てるバトラーの声が聞こえた護衛たちは蒼白になり震えあがる。しかし、ローランドもバトラーも彼らのことを気に掛けなかった。倒れた覆面の男たちに近づき、身なりを確認する。どこの手の者か分からないように気を使っているのか、身元が分かるようなものはない。だが、その内の一人が手にしていた武器を拾いあげたローランドは、端正な顔を顰めて苦々しく呻いた。


「これは――皇国の手の者か」

「そうですね」


ローランドの隣に立ったバトラーが、手元の短刀を覗き込んで頷く。スリベグランディア王国で使われている短剣とユナティアン皇国で使われている短刀は形状がかなり違う。特に皇都がある東側の地域は東方の国々の影響が強く表れていた。


「恐らく、王国による仕業だと誤魔化したかったのでしょうが――この短刀が仇となりましたね」

「確かにな。短刀までは気が回らなかったというより、こいつは斥候だったということか」


斥候だからこそ、戦闘に加わる予定はなかったに違いない。だがその思惑が外れ、男はバトラーの魔術に倒されて身元を晒すこととなってしまった。他の誰も、皇国を連想させる所持品を身に付けていないことからも、今回の襲撃が王国に暮らす貴族によるものだという形を作りたかったに違いない。ローランドは深く溜息を吐いた。


「そして攻め入る口実を見つける、ということか」

「ええ、皇族が無事に帰らなければ十分攻め入る理由になりますね」


自分たちを暗殺するよう指示を出した者が一体誰なのか、現状では判断が付かない。皇帝ではなく有力貴族の誰かだろうが、彼らの暴走を皇帝が制止しないからこそ臣下たちの争いは激化する。

ローランドは唇を噛み締めた。権力闘争を繰り広げるだけならば、勝手にやってくれと思う。ローランドにとって大切なことは権力を手に入れることでも名誉を得ることでもない。ただ平穏に日々を暮らせればそれで良かった。母を同じくする妹のイーディスが無事に、そして幸福に守られながら生涯を全うしてくれたらそれで良かった。母と同じような人生は送って欲しくない、ただそれだけだった。

だが、貴族たちは決してローランドやイーディスを放っておいてはくれない。自分たちの思惑通り事を進めるために、命を狙うことだって躊躇わない。

これまでは、馬鹿な皇子だと侮られることで平穏を確保する道を選んでいた。取るに足らないが傀儡にするには面倒な相手だと思わせることで、ローランドは権力闘争から遠ざかっていた。だが、そこまで気を使っても祖国はローランドたちを巻き込もうとする。


――俺はもう、十分我慢した。


ローランドは低く唸る。自然と沸き立つ憤怒が、彼の心に火を付ける。きつく握りしめた拳から意識して力を抜き、ローランドは隣に立つ男を呼んだ。


「バトラー」

「はい」


落ち着き払った男は静かに答える。彼にだけ聞こえる声で、ローランドは自らの決意を口にした。


「もう容赦はせん。俺は、皇国を――皇帝の座を、獲る」


手段を選んではいられない。己の中にある正義を裏切るような真似はしないが、これまでのような暗愚に捕らわれる道は選ばない。イーディスも自分も――そして皇国の民も、全てを守ってみせると、そんな決意を短い言葉の中に込めた。

そのためには、己だけでなくイーディスも変わる必要がある。彼の脳裏に浮かんだのは、スリベグランディア王国王太子の婚約者となるだろう少女の凛とした面差しだった。今のままでは妹姫は変わらない。本人の意識を変えるところから始めなければならない。他人の進む道を変えさせることは難しいが、自分が変わればイーディスもまた何か思うところがあるかもしれないと、ローランドは思った。


「左様ですか」


ドルミル・バトラーは平然と答える。一切動じない宰相補佐に、ローランドは強い意志の光を浮かべた目を向けた。


「お前は俺につけ。俺が皇帝となった暁には、お前を宰相に取り立てる」

「それはそれは」


楽しみですね、とバトラーは口角を上げる。だが彼も強かな男だった。不遜な笑みを浮かべると「しかしながら」と反論する。


「宰相程度でしたら、殿下のお力添えを頂かずとも私は手に入れることができます」

「それなら他に何が望みだ?」

「そうですねえ」


ゆったりとバトラーは笑う。悪魔の如き微笑を浮かべ、彼は答えた。


「女性を一人、頂きたく」

「女性?」


ローランドは眉根を寄せる。一体どこの誰だと問うが、バトラーは名前を口にしようとはしなかった。教える気がないらしいと知り、皇子は小さく溜息を吐く。欲するものが宝飾品や領地であれば快諾できるが、人であるならば彼一人の一存では決断できない。かといって、バトラーの力なしに自らの野望を達成できるとも思わなかった。


「分かった。女嫌いのお前がそう言うのは珍しいからな。相手の女性が自らの意志で同意するのであれば、手を貸そう」


俺に言えるのはそれだけだ、と言えばバトラーは満足気に微笑む。


「上出来です、殿下」


教師のような言葉を掛けられたローランドは呆れた目をバトラーに向けるが、宰相補佐は気にした様子がない。悠然と微笑む彼に、ローランドはそれ以上口を開くことを諦めた。



*****



皇国へと向かう一行が、怪我人たちを手当てして旅立つ姿を森の中から眺めながら、オブシディアンは小さく笑った。


「皇国も、エゲつねえことするなァ。将軍が死んでなりふり構ってられねぇ奴が居るってことか」


ローランド皇子たちが斥候の身元を知る理由となった斥候を捕まえたのは、オブシディアンだった。さっさと一行から離れて森の中に潜んだ男を探し当て、体に当て身を入れた後、彼は頃合いを見計らって皇子たちの目に付く場所に男を放置した。ローランド皇子はともかく、ドルミル・バトラーには気付かれそうでヒヤヒヤしたが、どうにか彼は一仕事を終えた。

あともう少しで皇子たちはスリベグランディア王国を出る。そうなればオブシディアンの任務は完了だ。


ココエフキを倒した後、オブシディアンの主であるリリアナは何事かを悩んでいる様子だった。そしてローランド皇子たちが帰国する時になって、オブシディアンに“新たな仕事”を与えた。それが、ローランド皇子たちが出国するまでの間、気付かれないよう護衛するというものだった。面倒だとは思ったものの、断る理由はない。最初の数日は暇だったが、とうとう今日リリアナが恐れていた事態が起こった。


「随分、念の入った襲撃だったな」


彼らは単なる刺客ではない。むしろその殆どが正式な騎士訓練を受けた者たちだった。単に皇子たちを誘拐したり傷つけたりするのではなく、確実にその命を狙っていた。相当数いた護衛も決して弱くはなかったのに、彼らはあっという間にその三分の一を戦闘不能に追いやったのである。

オブシディアンは少し考えていたが、やがて「よし」と呟くと立ち上がった。


「調べてみるか」


他にも調査しなければいけない事があるが、併せて調べることはできるはずだ。楽し気に笑ったオブシディアンは、ぐっと一歩を踏み込む。そして国境に辿り着くまで皇子一行を見守るべく、風のように走り出した。


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