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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
135/563

21. 陰日向の応酬 13


オブシディアンが座っている場所からは文章を読めなかったのか、彼は首を傾げて「なんて書いてあるんだ?」と尋ねた。だがリリアナは答えない。便箋を凝視したまま沈思黙考している。

書かれている内容は、リリアナの憶測を裏付けるものではあった。エアルドレッド公爵の暗殺犯が大禍の一族であった事実は勿論、その暗殺者の雇い主についても記載がある。


「――お父様」


リリアナは依頼主のところに書かれている名を見て苦く呟く。リリアナを糾弾したフィンチ侯爵の推測は当たっていたというわけだ。

元々クラーク公爵はエアルドレッド公爵のことを目の敵にしていた。リリアナも知らない青年時代に何か遺恨があるのかもしれないし、他にも理由があるのかもしれない。フィンチ侯爵の言葉が正しければ、ライリーの婚約に関しても意見が対立していたようだった。そこかしこにクラーク公爵がエアルドレッド公爵を敵視する原因は転がっている。


それでも、まさか父がそんなことをするはずがない、という気持ちが心のどこかに残っていた。だが自白の術は紛れもなく事実だけを露わにする。ココエフキと名乗った刺客が雇用主をクラーク公爵だと誤認している可能性も否定できないが、大禍の一族と接触する者は身分を偽れない。ほぼ間違いなくココエフキの雇い主はクラーク公爵だった。そしてココエフキがリリアナを傷物にするよう指示された理由は、リリアナを今度こそライリーの婚約者から外しイーディス皇女をその座に付けるためだろう。声が出ないまま迎える十歳までの半年弱を、クラーク公爵は待てなかったのだ。

深々とリリアナは溜息を吐く。動揺しそうになる心を抑えつけて、ただ一つの懸念点に思考を向ける。


(――この手紙がプレイステッド卿の手に渡れば、ゲームと話が大きく変わってしまいますわ)


リリアナが前世で遊んだ乙女ゲームでは、リリアナの兄である攻略対象者のクライド・ベニート・クラークは勿論のこと、父である公爵も存命だった。リリアナも名前はリリアナ・アレクサンドラ・()()()()であり、クラーク公爵家はスリベグランディア王国の三大公爵家として幅を利かせていたのだ。だが、この密書がプレイステッド卿の手元に届けば最悪でもクラーク公爵家は断絶、仮にクライドとリリアナに温情が掛けられたとしてもクラーク公爵は毒杯を煽るよう処罰が下されるに違いない。


(ゲームではこの手紙はプレイステッド卿の元に届かなかったのかしら)


ゲームのリリアナはオブシディアンとは知り合いではなかったはずだ。そして傷物になったこともなければ、ライリーの婚約者という地位から外れたこともない。エアルドレッド公爵が生きていれば、遅かれ早かれクラーク公爵は破滅を迎えていたはずだ。つまり、ゲームの世界でもエアルドレッド公爵はゲーム開始前に暗殺されていた。すでにこの時点でゲームのシナリオからは外れているが、手元にある情報と現状から導かれる可能性はそれほど多くはない。


(エアルドレッド公爵は暗殺され、そして彼が用意した証拠の品はプレイステッド卿に届くことなく秘密裏に処分された。そして既に婚約者だったわたくしは、襲われなかった)


クラーク公爵がリリアナを傷物にするよう指示したのは、未だリリアナが候補でしかないからだ。すでに婚約者であっても同じはずだが、前提条件が既に現実とゲームでは異なっているに違いない。


(プレイステッド卿に届かなかったこの手紙は、一体誰が処分したのかしら)


妥当に考えればクラーク公爵だろう。だが、オブシディアンの存在がここで問題となる。リリアナと出会わなければオブシディアンはユナティアン皇国の命を受けてスリベグランディア王国内で暗殺業を続けていたはずだ。そうなるとオブシディアンはどこかでココエフキと出くわし、殺し合いに発展した可能性が高い。現場で遭遇した刺客同士は標的を倒す前に敵手を殺すのだと、嘗てカマキリと名乗った男が教えてくれた。そして昨晩、オブシディアンがココエフキを倒したという事実を踏まえれば、リリアナと出会わなかったオブシディアンはココエフキを倒していただろう。そして恐らくオブシディアンは、皇国から指示されていたライリー暗殺を成功させていた。


(ゲームではウィルの暗殺未遂事件はあったけれど、でも成功はしなかった)


それどころか、暗殺者は全て捕縛されたはずだ。つまり、ゲームでオブシディアンは皇国から差し向けられた刺客ではなかった可能性が高い。

ふとここでリリアナは一つの可能性に思い至った。


「ねえ、シディ」

「ん?」


呼びかければオブシディアンは直ぐに答えてくれる。リリアナは平静を装ったまま一つの質問を口にした。


「貴方は、お父様に雇われる可能性はあったのかしら」

「ああ、ココエフキの代わりに? あったぜ。他に面白そうな仕事があったから、断ったけど」


すとんと、何かが嵌ったような心地になりリリアナは納得する。

恐らくゲーム一作目で名前の出て来なかったオブシディアンは、影だけが存在していた。彼はクラーク公爵に雇われた刺客だったのだ。だからエアルドレッド公爵がプレイステッド卿に託そうとした封書は難なく奪われ、クラーク公爵の元へと届けられた。そしてクラーク公爵は自分を破滅に導く文書を握り潰した。


「それでどうする? その手紙、元通りにしてプレイステッド卿に届けるか?」


オブシディアンに尋ねられたリリアナは逡巡する。エアルドレッド公爵の遺志を継ぐのであれば、その方が良いのは重々分かっている。だが、リリアナはすぐには頷けなかった。


エアルドレッド公爵が遠回しな手段を取った理由を、リリアナは薄々察していた。リリアナですら父親が何かを企んでいるのだと気が付いているのだ。エアルドレッド公爵であれば、その具体的な内容も含めて大方掴んでいたのだろう。だが、クラーク公爵も愚かではない。簡単に証拠を掴ませるわけもなく、そして証拠がないにも関わらず三大公爵家であるクラーク公爵を訴えることはできなかった。そんなことをすれば、王国は大荒れに荒れるだろう。たとえ訴える側が同じ三大公爵家であるエアルドレッド公爵であろうとその事実は変わらない。それどころか国を二分する騒ぎになるのは必然だ。

だからこそ、エアルドレッド公爵はクラーク公爵の企みを防ぐために一芝居打つ必要があった。高位貴族を亡き者にせんと企んだことが明るみに出れば、いかなクラーク公爵と言えども厳罰は免れられない。ただ、実際に標的となった者が死ぬ可能性もあることを考えれば、そしてそれが罠であることをクラーク公爵に悟らせないためには、その芝居は失敗が許されないものだった。


――だから、エアルドレッド公爵は自分を囮に使った。


貴族たちに衝撃を与え、そしてクラーク公爵を決して逃さないために。

結果的に死という結末を迎えてしまったが、ライリーや息子のオースティンを守った上で証拠を得ることができれば、彼にとっては成功だったのだろう。その証拠をプレイステッド卿に託そうとしたのは、プレイステッド卿ならばうまく事を運べると信じていたからだ。恐らくエアルドレッド公爵はクラーク公爵本人を罰するつもりだったが、子供であるクライドとリリアナには処罰の手が及ばないようにしたかったのだろう。そうでなければ、この手紙はプレイステッド卿ではなく裁判権を持つ神殿に送られるはずだった。


そこまで理解していても尚、リリアナは手紙をプレイステッド卿に渡すことに躊躇いがある。エアルドレッド公爵を信頼しても良いと思っている反面、プレイステッド卿が信じるに足る人物かリリアナには分からなかった。どれほど立派な人物であったとしても、義俠を切り捨て公のために動くのであれば、クライドやリリアナをクラーク公爵共々処罰が下るように動く可能性は否定できない。


「――いいえ、届けません。この手紙はわたくしが持っておくわ」

「了解」


完全に廃棄する方法もあるが、万が一の場合に備えて手元に置いておいた方が良いだろう。リリアナはそう判断した。すでに開封しているため、プレイステッド卿がこの手紙を探してリリアナの元に辿り着く可能性はほぼないと考えて良い。

リリアナの答えを聞いたオブシディアンは、楽し気な笑みを唇に浮かべる。


「それから、シディ」


便箋を元通り封筒に納めたリリアナは、オブシディアンの名を呼ぶ。何だと言わんばかりの表情でリリアナに視線を投げた黒い刺客に、リリアナは淡々と告げた。


「前にお願いしていた、お父様が皇国と繋がっている証拠ですけれど」

「ああ」


オブシディアンは頷く。リリアナは穏やかに微笑んだ。


「他にお父様が何を企んでいるのか、全て詳らかに調べてくださいな。それも、できるだけ早急に」


リリアナの譲らない断固とした声音に、オブシディアンは一瞬息を飲む。恐る恐る、彼はリリアナに尋ねた。


「ちなみに、できるだけ早急ってどれくらい?」

「そうね、遅くとも二ヶ月後までには。わたくしが次の誕生日を迎えるまでに、何らかの策を講じるだけの時間は必要ですわ」

「――――了解」


オブシディアンは頬を引き攣らせる。しかしそれには気が付かない振りをして、リリアナはにっこりと笑った。


「期待していましてよ、シディ」


宜しく頼むわね、と笑顔で圧力をかける。オブシディアンは一瞬空を仰いだが、小さく溜息を吐いて頷いた。


「護衛しようと思ってたんだけど――分かった、情報収集からやるよ」


ソファーから立ち上がると、オブシディアンはそのまま姿を消す。その姿を見送ったリリアナは、再度封筒から便箋を取り出し、一枚目の私信に目を落とした。



〈我が親愛なるプレイステッド卿――。


オースティンが生まれた時に君が掛けてくれた言葉を、僕はずっと忘れていない。

前妻(エイダ)が亡くなったのは僕のせいじゃないと、君は言ってくれた。色々なことが運悪く重なっただけだと、確かに冷静になれば君の言葉が正しいと分かる。君の言う通り、前妻(エイダ)を亡くして生きる活力すら失った僕に言っても心には届かなかっただろうね。本当に君は僕の一番の――いや、エイダと今の妻(アビー)がいるから三番目の――理解者だ。君は僕の冗談が面白くないと言ってたけど、笑ってくれただろうか? これは冗談だったんだけど。でも君に感謝しているのは本当だから、それは信じて欲しい。


そして今、僕は君の言葉に甘えようとしている。ずっと僕は一人で全てに対処しようとしてきた。エイダが亡くなったのも、僕が全てを一人でやろうとしていたからだった。きっとあの時、君の手を借りていたらエイダは死ななかっただろう。今でも僕は後悔している。

いつでも頼って欲しいと言ってくれた君に、僕は少しずつ頼ろうと頑張って来た。いくつかの魔道具を君に作って貰ったこともその一つだったんだけど、これじゃ足りないと言われて心の底から戸惑ったよ。確かに僕は一人でやることに慣れすぎて、君たちに頼るという意味が良く分かっていないんだと思う。


だからこれは、僕の精一杯の我が儘だ。君を信用しているからこそ託す証拠だ。同封している紙は自白の術を転記したもので、僕の命を奪う暗殺者の自白が書かれている。これを使えば、クラーク公爵を拘束することができるだろう。彼が色々と企んでいることは分かっているのに、証拠がない。色々調べたけれど、全く見つからない。探れていないのは王都のクラーク公爵邸とフォティア領の屋敷、それから王都郊外にある屋敷の三つ。そのどこかに、彼が推し進めている計画の詳細を記した書類があるはずだ。彼が過去に犯した罪の証拠も、彼の性格を考えれば残していると思う。

三大公爵家当主の命を奪った証拠があれば、公爵邸を捜索する大義名分が手に入る。そうしてクラーク公爵の謀略を暴いて欲しい。状況からして、時間がないことは確かだ。できるだけ早急に――だけど、彼の子供二人は没落しないように手を回して欲しい。二人とも、この国の未来に、そして王太子殿下に必要な存在だ。


エイダ殺害容疑については立証できないだろうが、その他の嫌疑が立証されたらクラーク公爵が処刑される理由になると思っている。僕は死ぬつもりはないが、この手紙が君の手に渡ったということは僕に何かしら良くないことが起こったのだろう。万全を期しているつもりだが、僕にも運命の女神が微笑まないことはあるから。だから、この手紙が君の元に届いたのなら――その時こそ、僕はエイダの仇を取る役目は君に任せるよ。


――ベルナルド・チャド・エアルドレッド〉





*****



エアルドレッド公爵領の屋敷から急ぎ王都の公爵邸にやって来たプレイステッド卿は、ユリシーズ・パット・エアルドレッドから受け取った手紙を見て眉根を寄せた。唇を人差し指で抑え、深く椅子に沈み込んでいる。色気のある整った横顔を、ユリシーズは緊張を滲ませながら注視していた。プレイステッド卿と初めて会ったのは幼い頃だ。彼の名前も血縁関係も知らない。彼の正体を知る者は公爵家当主だけだと決まっていた。父ベルナルド亡き今、新たな当主であるユリシーズはプレイステッド卿の本名を知る資格があるはずだったが、未だに認められていないのか彼は教えてはくれない。自分から尋ねることもご法度だから、ただ彼が口を開くのを待つ他ない。だが、ユリシーズは不平を唱えようとはしなかった。


「これが?」

「はい、そうです」


エアルドレッド公爵当主は暗殺された。彼のことだから全てを予想しての行動だったに違いないと、プレイステッド卿は思っていた。だからこそ、ベルナルドが命を落としてまで残したものが手元にある手紙一つだというのが信じられなかった。


「確かに、術は施してあるが――」


小さく呟きながらプレイステッド卿は難なく封書を開ける。出て来た便箋にも同じく術の気配を感じたから魔力を流すと文字が浮き上がった。だが、違和感ばかりが付きまとう。


「この便箋に掛けられた魔術は、誰の魔力を流しても文字が浮き上がる仕組みだ。あいつがそんな術を掛けるか?」


便箋に誰かしらの魔力を流せば文字が浮き上がる仕組みは、それほど難しいものではない。そのため貴族が機密性の高い情報をやり取りする場合には、特定の魔力でなければ反応しない術を施すのが一般的だった。その上、浮き上がった文字はそれほど重要性が高い内容ではない。

嘗て、プレイステッド卿はずっとエアルドレッド公爵に助けられて来た。その恩はどれほど時間をかけても返しきれないほどだ。だからこそ、公爵が困った時に頼られないのは辛かった。こちらの気持ちを汲むのであれば頼ってくれとようやく口に出来たのは、オースティンが生まれた時だ。

ユリシーズから「手紙を預かっている」と言われた時、プレイステッド卿は何となく予想していたことではありながらも、こんなタイミングにならなければ頼られないことに落ち込んでいた。自分はそれほどまにで頼り甲斐がなかったのかと己の不甲斐なさに歯噛みする。だがそれと同時に、公爵が命を賭してまで成し遂げたかった何かの後を任せて貰えたのだと思うと心が高揚した。

だが、渡された封書には在り来たりな言葉しか並んでいない。失望する以前に、妙だと直感が告げていた。


「ユリシーズ。この封書はどこに保管していた」

「普段は僕の寝室に。邸宅の中でも、父上の書斎と私室に次いで安全性が高い部屋です」

「侵入者は確認できていないんだな」

「その形跡はありませんでした」


父が亡くなった日から、ユリシーズは衝撃を受けながらも必死に必要なことを考え対策を打って来た。ベルナルドが暗殺された時点で、公爵邸に何者かが侵入したことは明白だった。侵入者が何者なのか痕跡を辿ろうにも、結界には何の綻びも見られない。ただベルナルドが倒れていた部屋の結界だけが、内側から受けた魔術の影響で歪んでいた。


「――最高級の防御結界に痕跡すら残さず侵入する者、か」


たとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、簡単に侵入できるような代物ではない。プレイステッド卿は低く呟く。社交界では甘く女性たちを虜にする瞳は鋭く光り、対面に座るユリシーズは自然と背筋を伸ばした。




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